市川團十郎 (12代目)とは? わかりやすく解説

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市川團十郎 (12代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 03:17 UTC 版)

十二代目 市川 (いちかわ) 團十郎 (だんじゅうろう)

2007年
屋号 成田屋
定紋 三升 
生年月日 1946年8月6日
没年月日 (2013-02-03) 2013年2月3日(66歳没)
本名 堀越 夏雄
襲名歴 1. 市川夏雄
2. 六代目市川新之助
3. 十代目市川海老蔵
4. 十二代目市川團十郎
俳名 柏莚
別名 三升屋白治(作者)
出身地 東京都
十一代目市川團十郎
堀越千代
兄弟 初代市川壽紅(妹)
堀越希実子(庄司隆雄の娘)
十三代目市川團十郎
四代目市川翠扇(舞踊家・女優)
当たり役
勧進帳』 - 武蔵坊弁慶
助六由縁江戸桜』 - 花川戸助六実は曾我五郎
与話情浮名横櫛』 - 与三郎
「暫」
「若き日の信長」
雷神不動北山櫻 不動 鳴神 毛抜」
義経千本桜』 - 佐藤忠信平知盛・いがみの権太の三役
「伊勢音頭恋練寝刃」 - 福岡貢
「外郎売」 - 曾我五郎

十二代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1946年昭和21年)8月6日 - 2013年平成25年)2月3日)は、日本歌舞伎役者。屋号成田屋定紋三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょようぼたん)。日本芸術院会員。位階は正五位。本名は堀越 夏雄(ほりこし なつお)、俳名に柏莚(はくえん)がある。公称身長170cm・体重70kg[1]。息子に十三代目市川團十郎

人物

十一代目市川團十郎の長男として誕生。父が早世した後は自らの努力で芸を磨く。スケールの大きい骨太な芸格が魅力。重厚な存在感と独特な愛嬌を併せ持つ。市川宗家お家芸歌舞伎十八番はもとより、荒事世話物義太夫狂言、新歌舞伎と多彩な役々を演じ分けた。

1953年10月、『大徳寺』の「三法師公」で初舞台。 当初は歌舞伎を楽しんでいたものの、中学生になると「生まれた家が役者の家だから役者にならなきゃなんておかしい」という思いから、舞台や稽古をわずらわしく感じる様になり、学業もあってしばらく舞台から遠ざかった。1962年に父が十一代團十郎を襲名し、父と共に『助六』に出演した際に自身の芝居のまずさを痛感して一念発起し、「ようやく役者になる決心がついた」という[2]1963年に團十郎門下の勉強会で、初めて『勧進帳』の「弁慶」を演じた。 日本大学芸術学部演劇科に進学後の1965年に父を亡くし、「何もかもがまっくらで、これからオレは役者としてやっていけるだろうかって、とても不安でした」と当時の心境を語っている[2] 。 父亡き後は、後見役となった二代目尾上松緑の指導を受けながら舞台に打ち込み[2] 、やがて円熟期を迎えて歌舞伎界の柱として期待されていたが、晩年には白血病を発症、健康に不安を抱え、治療を受けながら舞台を務めていた。

従兄弟に二代目松本白鸚二代目中村吉右衛門初代尾上辰之助がいる。

幼少時は扁桃腺が弱く、よく風邪を引いており、性格も内向的で、ひ弱そうな子どもだったが、青山学院初等部3年の時に体育教師の勧めでラグビーを始めて丈夫になったという[2] 。 自他共に認めるおっとりした性格で、友人達から「おっとり君」、「のんびり閣下」というニックネームを貰っていた。また、折り目正しく、ユーモアのある好人物と評されていた[2]

野球好きで、俳優の御木本伸介らとともに「ハンサムズ」という草野球チームを作っていた。ポジションはピッチャーで、左利きであったため、「草野球のサウスポーっていうのは得です、めったに打たれませんから」と述べている[2]競馬観戦も趣味で、新聞にレース予想の連載も持ち、「馬がどっと疾走するのを見るのはこたえられない」と目を輝かせるほどだったが、「ギャンブルで金もうけなんて愚の骨頂ですよ」と勝負の結果には拘りが無かった[2] 。 一方では小学生時代から天体観測を趣味としていたために、宇宙への関心が深く[3]、『宇宙の渚』(日本放送協会)など、宇宙関連のテレビ番組や各種イベントへの出演も積極的に行っていたこともあった。そうしたことから若田光一野口聡一など日本人宇宙飛行士とも親交が厚かった。

2004年、息子の市川新之助(当時)が十一代目市川海老蔵の襲名を発表した席で、「倅、市川新之助がこの度、團十郎を襲名する運びに相成りました」と発言した。すぐに間違いに気付き「團十郎じゃないや!えらいこっちゃ!」と慌てふためいて、会場が笑いに包まれた。

生前には「おいおい時期を見て團十郎の名をに譲り、自分は隠居名を名乗る考えがある」ことを明かしていたという[4]。その場合には2代目團十郎の俳名である「栢莚」を名乗るつもりでいたと考えられている[4]

年譜

受賞歴

出演歴

歌舞伎

海外公演

その他の舞台

テレビドラマ

映画

ドキュメンタリー

  • NHK特集「大看板 團十郎への道」(1985年4月5日、NHK総合)[14]
  • 『開局7周年特別企画 THE MOON〜人類の夢・月世界の未来〜』(2008年、BSジャパン) - ナビゲーター[15]

その他のテレビ番組

CM

社会的活動

「国際化社会になるにあたって、日本人のアイデンティティの拠り所の1つとして歌舞伎を役立てて欲しい」[16]との思いから、青山学院大学文学部客員教授[17]早稲田大学特命教授[18]を務めるなど、大学教育の場で歌舞伎を通した日本文化の啓蒙・教育活動に熱心に取り組み、文化庁文化審議会委員として日本文化発展を願う立場から積極的に発言を行っていた。また、長男:海老蔵と共に歌舞伎の海外公演にも積極的に取り組んでいた。

また、九世市川團十郎神奈川県茅ヶ崎市に別荘を所有していた縁や、茅ヶ崎市出身の宇宙飛行士野口聡一との親交などもあって茅ケ崎駅北口ペデストリアンデッキに十二世團十郎の手形モニュメントが設置され、2010年4月17日に除幕式が執り行われた。

2011年7月1日より、2年の任期で全国骨髄バンク推進連絡協議会の会長に就任していた[19]

役職

著書

  • 『歌舞伎十八番』、解説・服部幸雄/写真・小川知子(河出書房新社、2002年、普及版2013年9月)ISBN 978-4309265872
  • 『團十郎の歌舞伎案内』(PHP新書、2008年)ISBN 978-4569699295
  • 『團十郎復活 六十兆の細胞に生かされて』(文藝春秋、2010年)ISBN 978-4163723808
  • 『童の心で 歌舞伎と脳科学』(小泉英明との共著、工作舎、2012年)ISBN 978-4875024446

参考文献

  • 服部幸雄 『市川團十郎代々』(講談社、2002年/講談社学術文庫、2020年)
  • 『十二代市川團十郎』、写真・薄井大還(賢三)(マガジンハウス 2001年)
  • 『海老蔵から団十郎へ 十二代目市川団十郎襲名』、写真・薄井賢三(集英社、1985年)
  • 『襲名全記録 十二代目市川團十郎』、写真・富山治夫(平凡社、1985年)
  • 児玉絵里子「元禄見得の成立ー近世初期「舞踊図」の成立と歌舞伎の系譜ー」『初期歌舞伎・琉球宮廷舞踊の系譜考ー三葉葵紋、枝垂れ桜、藤の花ー』(錦正社、2022年)。 ISBN 9784764601468

脚注・出典

  1. ^ 月刊演劇界発行『最新歌舞伎俳優名鑑』2006年2月特別増刊 のP.166に 身長170cm・体重70kg と掲載。
  2. ^ a b c d e f g 「梨園の若さま市川海老蔵物語 ぐっとにらんだでっけえ未来」『主婦の友』56(1)(668) 1月特大号、主婦の友社、1972年1月、239-243頁。 
  3. ^ 「宇宙と歌舞伎は同じこと」 ロングインタビュー:突き抜けた瞬間 WEB R25
  4. ^ a b 大島幸久、2017、「名優の食卓 最終回 十二代目市川團十郎〈後篇〉」、『演劇界』(2017年4月号)、演劇出版社
  5. ^ 歌舞伎界のビッグイベント襲名披露興行 華やかな一方で過去には悲しいドラマも”. 日刊スポーツ (2022年11月3日). 2022年11月5日閲覧。
  6. ^ 歌舞伎座. “市川團十郎 舞台復帰”. 2008年11月26日閲覧。
  7. ^ nikkansports.com (2008年10月29日). “団十郎血液型AからOに「性格変わらず」”. 2009年11月23日閲覧。
  8. ^ 屋号等の関連で、真言宗成田山新勝寺の檀信徒と思われがちだが、実は市川團十郎家は浄土宗・増上寺塔頭・常照院の檀家であり、この事は上演前の鼎談で語っている。
  9. ^ “歌舞伎俳優の市川団十郎さん死去 66歳”. nikkansports.com. (2013年2月4日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130204-1080596.html 2013年2月4日閲覧。 
  10. ^ 団十郎さんショック…松竹株が急落 朝日新聞 2013年2月6日閲覧
  11. ^ 団十郎さん雪の舞う中、近親者で密葬 日刊スポーツ 2013年2月6日閲覧
  12. ^ 藤十郎ら弔辞へ 團十郎さんに最後のお別れ サンケイスポーツ 2013年2月27日閲覧
  13. ^ 團十郎 紫綬褒章を受章”. 歌舞伎美人 (2007年4月28日). 2023年7月3日閲覧。
  14. ^ 大看板 團十郎への道”. NHK. 2021年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月31日閲覧。
  15. ^ 「開局7周年特別企画 THE MOON〜人類の夢・月世界の未来〜」 BSジャパン
  16. ^ 團十郎 2008年
  17. ^ 市川團十郎氏(2007年度客員教授)による日本文学科集中講義が書籍化されました。 青山学院大学ニュース
  18. ^ 文化の多様性を保つために日本の伝統文化の価値を見直そう。 読売新聞×早稲田大学 キャンパスナウ 錦秋号
  19. ^ 市川団十郎さん:骨髄バンク推進協会長に毎日新聞、2011年6月5日)

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