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イスラエル [Israel]
→中東戦争
(2)古代パレスチナに定着したセム系の遊牧民。ヘブライとも呼ばれた。旧約聖書によれば、ヤコブの別名およびヤコブを祖とする一二部族の総称。パレスチナからエジプトに移住したが、圧政に抗してモーセに従いエジプトを脱出し、カナンに定住。紀元前一一世紀中頃サウルによりイスラエル王国を建設。ダビデ・ソロモン両王のとき、強大な王国となって栄えたが、前一〇世紀初めに南北の王国に分裂。北のイスラエル王国は前722年アッシリアにより、南のユダ王国は前586年新バビロニアにより滅ぼされた。バビロンの捕囚を解かれて帰ったユダの人々は、エルサレムに神殿を再建したが、のち、ローマ帝国により滅ぼされた。以後、世界各地に離散し、流浪の民となった。
→ユダヤ人
時事用語のABC |
イスラエル(いすらえる)
【古代パレスチナ】
およそ2000年前、パレスチナにはユダヤ人が住んでいた。ところが、紀元2世紀頃、当時の強国だったローマ帝国が、パレスチナに進出してきた。このため、ユダヤ人はパレスチナから追い出されてしまった。
その後、ユダヤ人は家なき民としてヨーロッパを転々とした。一方、ユダヤ人がいなくなったパレスチナには、アラブ人が入ってきた。その後約2000年にわたって、パレスチナにはアラブ民族が居住しつづけた。
【訪れた転機】
パレスチナに転機が訪れるのが、20世紀はじめころだ。アラブ人しかいなかったパレスチナに、イギリスやアメリカが進出してく。これによってパレスチナの勢力地図は大きく変わることになった。
まず、イギリスがユダヤ人の利用を思いついた。ユダヤ人の中にはロスチャイルド家のような大金持ちがった。イギリスは、ユダヤの資本を利用したいと考えたのだ。
イギリスは、そのころ大英帝国として力をふるっていた。しかし第一次世界大戦などの戦争のため、戦争費用がかさんでいた。ユダヤの資本を利用すれば、第一次世界大戦を有利に進めることができる。
第一次世界大戦のさなか、イギリスは、ロスチャイルド家あての手紙の中でひそかに約束をした。これは、「戦争に協力してほしい。そのかわり、戦後はユダヤ人国家を建設してあげる」という内容だった。
【イスラエル建国】
第二次世界大戦後、イギリスはユダヤとの約束を実行した。イギリスとアメリカは相談して、ユダヤ人の国イスラエルを建国することにしたのだ。イギリス・アメリカはアラブ社会に介入し、強制的に土地の一部を分割した。
その後、イスラエルには、ぞくぞくとユダヤ人が入植した。イスラエルはユダヤ人の土地となったのだ。
しかし、イスラエルは、アラブ人からはこころよく思われなかった。アラブ人にとってみれば、成立の過程からして「大事な聖地がイスラエルに奪われた」という思いが強いのだ。このため、イスラエル対アラブ諸国のあいだで、何回も戦争が起きている。
(2000.10.24掲載)
ウィキペディア |
イスラエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/01 12:01 UTC 版)
- イスラエル国
- מדינת ישראל
دولة إسرائيل -


(国旗) (国章) - 国の標語: なし
- 国歌: ハティクヴァ(希望)

-
公用語 英語、ヘブライ語、アラビア語 首都 テルアビブ 1 最大の都市 エルサレム 独立
- 宣言イギリスより
1948年5月14日通貨 新シェケル (₪)(ILS) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ISO 3166-1 IL / ISR ccTLD .il 国際電話番号 972 - 註1:1980年の国内法にエルサレム明記されたが、国連安保理決議478により国際法に違反し無効とされ、テルアビブを首都とする場合もある。
イスラエル国(イスラエルこく、ヘブライ語:מדינת ישראל メディナット・イスラエル、アラビア語:دولة إسرائيل ダウラト・イスラーイール)、通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。現代のイスラエルはヨーロッパにおけるシオニズム運動を経てシオニストのユダヤ人により建国された。建国の経緯からパレスチナ人およびアラブ諸国との間にパレスチナ問題を抱えている。
同国はエルサレムを首都であると主張し、現段階は事実上そうでもある。なお、これを認めない場合もあり、国連などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。
目次 |
歴史
古代
- 紀元前11世紀頃 - この地に古代イスラエル王国が誕生。
- 紀元前922年 - 内乱のため南北に分裂。
- 紀元前721年 - 北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。
- 紀元前612年 - 南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる。
- 紀元前538年 - ペルシア王国が新バビロニアを滅ぼし、バビロニアの虜囚イスラエル人はキュロス大王によって解放される。
- 紀元前334年~紀元前332年 - マケドニア王国のアレクサンドロス3世による東方征服でパレスチナの地が征服される。その後、マケドニアは分裂し、プトレマイオス朝、そしてセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入る。
- 紀元前143年 - セレウコス朝の影響を脱しユダヤ人がこの地の支配を確立する(マカバイ戦争)。その後、ローマ帝国の属州となる。
- 66年 - ローマ帝国の属州であったユダヤの地でユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発。独立を目指すが、70年にローマ帝国により鎮圧される。
- 132年 - ユダヤ人バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時イスラエルは政権を奪還したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧される。その後、現代イスラエル国が誕生するまで長い離散生活が始まったとされる(ディアスポラ)。
- 313年 - 東ローマ帝国の支配下に入る。
詳細は「古代イスラエル」を参照
中世
- 614年 - サーサーン朝ペルシア帝国の侵攻。
- 636年 - イスラム帝国軍、エルサレムを占領。
- 639年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗し、イスラエル地方がイスラム帝国軍に占領される。
- 1099年~ 十字軍がイスラエル地方を支配。
- 11世紀 - ガザのユダヤ人社会が繁栄。
- 1291年~ マムルーク朝がイスラエル地方を支配。
- 1591年~ オスマン帝国がイスラエル地方を支配。
詳細は「イスラエルの歴史」を参照
近代から現代
- 1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。
- 1856年 - 医者であり作家でもあるルートヴィヒ・フォン・フランクルが聖地巡礼。エルサレム・ユダヤ人学校(Lämel Schule)を設立。
- 1881年 - 古代ヘブライ語を復活させたエリエゼル・ベン・イェフダーがイスラエルの地に帰還、ヘブライ語の復興・普及運動を開始。この頃、パレスチナに47万人のアラブ人がいた。
- 1882年 - 第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意) - 東ヨーロッパからの大規模な帰還
- 1897年 - 第1回シオニスト会議:後にイスラエル国歌となるハティクヴァがシオニズム讃歌となる。
- 1901年 - 第5回シオニスト会議:シオニズムとは国家か、文化か、宗教復興か、何を優先するか鋭い対立の後、ヘブライ大学の創設を可決。
- 1902年 - ヘブライ語を話す家庭はわずかに10家族。
- 1904年 - 第二次アリヤー:ベン・イェフダーへの賛同者が増え、ヘブライ語で授業を行う学校が増えていく。
- 1909年 - ルーマニアからの移民がテル・アビーブ建設。
- 1917年
- 1920年2月8日 - 英国軍需相ウィンストン・チャーチル、「Illustrated Sunday Herald」紙でユダヤ人国家支持を表明。
- 1923年 - イギリス、ゴラン高原をフランス委任統治領(シリアの一部)として割譲。
- 1925年
- ユダヤ・アラブ・ワーキンググループ「平和の契約 brīth šālôm」設立(ゲルショム・ショーレム、ユダ・マグネス、フーゴ・ベルクマン、エルンスト・ジーモン、ダヴィド・ベングリオンら参与)。
- 4月1日 - ヘブライ大学開校式。
- 1929年
- 1931年 - 第17回シオニスト会議:ダヴィド・ベングリオン、二つ以上の民族が、どちらが支配権を得るのでもない二民族共存国家構想を支持。
- 1937年
- 英国政府、ユダヤ人地区とアラブ人地区の分割を提案するが、アラブ側は拒否。
- ユダヤ教宗教哲学者マルティン・ブーバーが「アラブ・ユダヤ和解協力連盟」設立(後に「イフード運動」が分立)。
- 1946年
- パレスチナにはパレスチナ人が130万人、ユダヤ人が70万人居住。
- ユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタイン、国連によるパレスチナの統治を提唱。
- 「アラブ・ユダヤ民族国家」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが暗殺される。この団体はイフードに共鳴し、「ユダヤ人とアラブ人が、ともに植民地主義と闘う」ことを表明していた。
- 1946年7月7日 - エルサレムで、キング・デイヴィド・ホテル爆破事件(ユダヤ勢力による英国へのテロ)発生。
- 1948年
- 2月23日 - エルサレムで、アラブ人テロリストの爆弾テロにより、55名のユダヤ人が殺害される。
- 3月4日 - アタロトで、アラブ人が16人のユダヤ人を待ち伏せ攻撃し、殺害。
- 4月8日 - デイル・ヤシーン事件:シオニスト武装集団によりアラブ人の村民250人以上が殺害される。
- 4月13日 - シェイフヤラ・ハダサー医療従事者殺害事件(en):アラブ人テロリストによる護送車襲撃事件。エルサレム郊外にあるユダヤ系のハダサー病院へ向かう医師・看護婦・ヘブライ大学教授・職員70人以上が殺害される。
- 5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ側により100人のユダヤ人が殺害される。
- 5月14日 - イスラエル国として独立宣言。ベングリオンが初代首相となる。
- 5月15日 - 第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。
- 9月 - ユダヤ人過激派により国連調停官ベルナドッテ伯暗殺。
- 1949年5月11日 - 国際連合に加盟。
- 1956年 - 第二次中東戦争。エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻。米・ソの仲介により三国は撤退。
- 1967年 - 第三次中東戦争(六日間戦争)。エジプトのナセル大統領による紅海のティラン海峡封鎖が引き金となり、イスラエルが「先制攻撃」を実施。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンから東エルサレムとヨルダン川西岸全域を奪取。六日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わる。
- 1972年 - テルアビブ空港乱射事件。極左組織である日本赤軍がテルアビブ空港において無差別の銃乱射事件を起こす。この影響で日本・イスラエルの友好関係が悪化。現在でも日本人のイスラエル入国にはビザが課されることとなった。
- 1972年 - ミュンヘンオリンピック事件。旧西ドイツでミュンヘンオリンピック開催中に、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手村を襲撃、選手・コーチを人質に収監パレスチナ人の解放を要求。最終的に選手・コーチ11人が死亡した。報復としてイスラエルはパレスチナゲリラの基地を空爆、さらに黒い九月メンバーの暗殺作戦(神の怒り作戦)を実行したと言われている。
- 1973年 - 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)。エジプトのサダト大統領がシナイ半島奪還を目的としてユダヤ教の祝日「大贖罪の日(ヨム・キプール)」にイスラエル軍に攻撃を開始。イスラエル軍の不敗神話が崩壊する。その後、アリエル・シャロン将軍が復帰、スエズ渡河作戦を実行。形勢は逆転し、17日で停戦に至る。
- 1976年 - エンテベ人質救出作戦。一部のパレスチナ過激派がエールフランス機をハイジャック、ユダヤ人またはイスラエル人以外を解放し、ウガンダのエンテベ空港に着陸。同国のアミン大統領の庇護のもと膠着状態が続くが、イスラエルのラビン首相は特殊部隊を派遣し、人質奪回とハイジャッカーの全員射殺に成功。その際にイスラエルの実行部隊で唯一戦死したヨナタン・ネタニヤフ中佐の名前をとり、この作戦は「オペレーション・ヨナタン」と名づけられた。なお、ヨナタンはベンヤミン(ビビ)・ネタニヤフ元首相の実兄であり、同氏の対パレスチナ強硬姿勢の原点になったといわれている。
- 1977年 - サダト大統領のエルサレム訪問。これまで仇敵であったエジプトのサダト大統領がエルサレム訪問を宣言し、クネセット(イスラエル国会議事堂)で演説を行う。二年後の平和条約締結の第一歩となる。
- 1979年 - イスラエル・エジプト平和条約締結。イスラエルが占領していたシナイ半島の返還に合意し、米国のカーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デーヴィッドにてエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が調印。イスラエルにとって初のアラブの隣国との平和条約となる。
- 1981年 - イラク原子炉爆撃事件。かねてからフランスからの技術協力を得て原爆の開発を進めていたイラクのフセイン大統領(当時)の野望を阻止するため、イスラエル空軍はバグダッド郊外のオシラクで建設中だった原子炉を爆撃。
- 1982年 - レバノン侵攻(ガリラヤ平和作戦)。レバノン南部からのパレスチナ人によるイスラエル北部へのテロ攻撃を鎮圧し、レバノン国内の少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立、平和条約締結を目指すという目的で、レバノン侵攻を開始。アリエル・シャロン国防相に率いられたイスラエル軍は首都 ベイルートに入城。PLOのアラファト議長の追放に成功する。しかし、イスラエルの同盟軍であるマロン派キリスト教徒が、シリアによるリーダーのバシル・ジュマイル大統領暗殺に憤激し、パレスチナ人難民の居住区であったサブラ・シャティーラ・キャンプに侵入し、殺害事件を引き起こす。アリエル・シャロン国防相は「殺害を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任。また、「キリスト教徒による親イスラエル政権の樹立、平和条約の締結」もならず、イスラエルにとっては後味の悪い結果に終わる。
- 1991年 - 湾岸戦争が発生し、テル・アヴィヴを標的としたイラクによるスカッドミサイルの攻撃を受ける。
- 1992年 - 米国の主導により、マドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる。
- 1993年 - オスロ協定成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区の自治が始まる。
- 1995年 - ユダヤ人過激派によりラビン首相が射殺される。
- 2006年 - イスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに再侵攻(レバノン侵攻)。
- 2008年 - 12月27日、パレスチナ自治区ガザ地区のハマースに対し空爆。地上侵攻を開始(ガザ侵攻 (2009年))。
- 2009年 - 1月3日、地上侵攻を開始(ガザ侵攻 (2009年))。
- 2010年 - 8月3日、レバノンと衝突。
詳細は「イスラエルの歴史」を参照
パレスチナ問題
イスラエルを説明する上で、外すことが出来ないのが、パレスチナの所有に関する問題、いわゆるパレスチナ問題である。
詳細は「パレスチナ問題」を参照
国連によるパレスチナ分割決議
第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリス委任統治領パレスチナとなった。
現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、 アラブ人とともに衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。
しかし、1947年の段階で、ユダヤ人入植者の増大とそれに反発するアラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対の運動の結果として、ヨルダンのフセイン国王らの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を呈し、イギリスは遂に国際連合にこの問題の仲介を委ねた。
ここで注意しなければならないのが、アラブ人過激派やその指導者の(あるいは双方の)過剰反応、アラブ民族主義・汎アラブ主義との衝突、列強の政策とのリンキング(啓典の民、イェフーディーなど参照)、という側面である。
イスラエルはこの国際連合総会決議181(通称パレスチナ分割決議、1947年11月29日採択)に基づき、1948年5月14日に独立宣言し、誕生した「ユダヤ人」主導国家である。この決議は人口の3分の1に満たないユダヤ人に、国土の3分の2以上を与える内容であった。さらに、その領域は第一次中東戦争の結果、国連総会決議よりも大幅に広いものとなっている。
土地の所有権
ユダヤ人国家を建国したものの「そこはシオニストの宣伝していたような無人の土地ではなかった」という主張をする者もいる。「アラブ人(パレスチナ人と同一とみなされることが多い)が住み、アラブ・イスラムを主体とした国家を作ろうとする者もいた」とする者もいる。そもそも、パレスチナ人やアラブ人というのは宗教上の区別に過ぎず、土着のユダヤ人とは人種的に同一といわれている。しかし、ユダヤ人とは事実上ユダヤ教徒を指すために事態がややこしくなった。
ただ、これらの点について「ユダヤ人とアラブ人は長期間にわたって血で血を洗う抗争を繰り広げてきた。従って、譲歩はありえない」というような現在まかり通っている見解は、宗教や歴史・政治に無関心な者による大きな誤りの一つである。歴史的に見ても、イスラエルの地に住まうイスラム教徒・キリスト教徒とユダヤ人は共栄・共存を願ってきた。一言で単純に語ることができないほど長く複雑なバックボーン[要出典]を持つことは明白である。
アラブ人を主体とする周辺国家はユダヤ人を「アラブの土地」を奪うものと位置づけ、イスラエル独立宣言の当日からイスラエルに対し宣戦布告し、パレスチナのユダヤ人居住地域に攻め込むなどして、「土地の領有を巡る」第一次中東戦争が勃発した(この時点では、国連の分割決議による「イスラエル領」の決議はあったものの、その全域を実効支配していたわけではなかった)。人口の一割を失う激戦でイスラエルは戦争に勝利し、分割決議より多くの領土を獲得した。アラブ諸国は「国連分割案を上回る地域にまで侵攻し停戦後も占領し続けた」と主張した。イスラエル側は第一次中東戦争を独立戦争と呼び、戦争の目的を「アラブ人の過激派の攻撃を防ぎ、ユダヤ人と多民族が安心して暮らせる、ユダヤ人主導の国家を樹立すること」としていたとされる。
イスラエルは一部のアラブ系住民に土地に残るよう勧めたとされ、これが現在の100万人以上のアラブ系イスラエル国民の祖先となっている。しかし、ダビッド・ベングリオンをはじめイスラエル首脳陣側に、アラブ人人口が少なくなったほうがユダヤ国家の建国に有利という考えがあったことは確かである。
戦闘やテロ・扇動の結果、1948年の時点でパレスチナの地に住んでいたアラブ人が大量に周辺地域に移住し、難民と化した(パレスチナ難民)とされる。パレスチナ難民の多くは避難先のアラブ社会には吸収されず、アラブ過激派の扇動や活動(「抵抗運動」)などの結果、アラブ過激派(抵抗組織)の意図した反イスラエルの象徴とする作戦に包含されていたと考える場合もある。
また、逆にイスラム世界に住んでいた多くのユダヤ系住民(セファルディム、ミズラヒム)が土地を追われて難民化し、イスラエルに逃げ込んだ。このとき、イスラエルは世界各地のディアスポラ住民を極力救おうとした(イスラエルの作戦一覧参照)と主張する。それによるとアラブ人とユダヤ教徒の「住民交換」が起きたとする見方をとる。
停戦後、パレスチナには民族主義的ゲリラ(「抵抗組織」)が活動し、パレスチナ「解放」や「難民」の「帰還権」を訴えた。戦後50年以上経過しながら各地のアラブ社会に吸収されないパレスチナ難民は、初期の60万から80万人という人数から現在の総数に膨れ上がっている。そのため、パレスチナへの帰還はイスラエル政府からは非現実的と考えられている。
第三次中東戦争以降
エジプトによるチラン海峡封鎖宣言に端を発する第三次中東戦争によって、ヨルダン・エジプトによって占領されていたヨルダン川西岸地区・ガザ地区と、シリアの砲台があったゴラン高原はイスラエルの管理下に入り、ユダヤ教の宗教者はそれまで立ち入ることのできなかったエルサレム旧市街と嘆きの壁・ヘブロン市、ゴラン高原などに押しかけ、アラブ人居住区にあったシナゴーグも再建した。イスラエルのサマリア人はナブルスでの過ぎ越しの祭りを執り行うことができるようになった。スコープス山にあったヘブライ大学の建物も使えるようになった。
イスラエルの主張では、国連決議181を拒否した時点でパレスチナ全土にユダヤ人国家による施政権が認められており、また、占領は平和条約締結まで戦勝国に認められている合法的行為であるとしている。前者の立場に立つ場合、占領には当たらない。
イスラエル政府により電気・水道などのインフラの整備が進み、経済が発展し、急患はイスラエルで高度な治療を受けられるようになった。テロに関与せずに安全と判断されたパレスチナ人(主として、若者ではない人々)はイスラエルで働くことができるようになった。ただし、占領統治行為に伴う、イスラエル治安維持部隊による発砲で犠牲になったパレスチナ人も少なくない。また、一部のパレスチナ住民は産業が形成されず、慢性的失業・貧困状態が続いており、また統治者のイスラエルに対する反発が大きいため、これもテロリズム(「抵抗運動」)の温床・要因の一つになっているといわれる。
パレスチナ問題とは、イスラエルの西岸・ガザなどにおける地位、あるいはイスラエルに敵対する一部アラブ諸国が、その手段としてパレスチナ人を利用している代理戦争だともいわれる。
パレスチナ問題には、書き切れない程の長く複雑な歴史・過程がある。アラブ諸国から見れば、2000年前に住んでいたという理由で勝手に押しかけてきたという主張がなされることもある。一方、ユダヤ人側からはこのような主張は共存への道をも否定しようとするものであるとの主張がなされる。
米国の政権は、政治的立場の維持に対して国内ユダヤ人の貢献が大きいため、イスラエル寄りの政策を続けている。例えば、国際連合安全保障理事会でイスラエルを非難する、あるいは何らかの制約を求める提案が出されると、非常に高い確率で米国が拒否権を発動する。イスラエルは米国の拒否権により国連などの国際的非難から守られていると言える。他方では、中東各国政府が、パレスチナにおける紛争などを利用し、若者を始めとした様々な「不満・怒り」を一点に振り向け、過激派の矛先が自分たちに向かわないようにしてきたためでもある。すなわち、イスラエル批判のストーリーを、政治的問題の駆け引きに、また、経済的問題への不満をかわすことに使っていると言える。中東の若者には貧富の格差による「不公平感」があると言われる。また、経済は好調であっても、人口急増によって雇用が十分でない、などの問題があるとも言われる。
1993年以降、パレスチナには自治政府が設置された。今日に至るまで、パレスチナ問題は解決の目途が立っていないが、将来の国家像についてはイスラエルとの連合国家案、連邦案など様々ある。
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- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ IMF
- ^ 国民経済計算
- ^ “Study: 850,000 children live in poverty in Israel”. ハアレツ. (2010年12月22日) 2010年12月24日閲覧。
- ^ 在日イスラエル大使館公式サイト 「国の紹介: 保険と社会福祉」
- ^ “Report: Standard of living rises, poor remain impoverished”. ynetnews.com. (2008年2月14日) 2010年12月25日閲覧。
- ^ “イスラエルで15万人デモ 住宅価格高騰に抗議”. 産経新聞. (2011年7月31日) 2011年7月31日閲覧。
- ^ “イスラエルで30万人デモ 物価高騰で「史上最大規模」”. 産経新聞. (2011年8月7日) 2011年8月7日閲覧。
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