セーブ・ザ・チルドレン SCF Save the Children Fund
セーブ・ザ・チルドレン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 03:16 UTC 版)
創立者 | エグランティン・ジェップ、ドロシー・バクストン |
---|---|
団体種類 | 国際NGO |
設立 | 1919年 |
所在地 | St Vincent House, 30 Orange Street, London, WC2H 7HH, UK |
起源 | 英国ロンドン |
主要人物 | 最高経営責任者(Chief Executive) ジャスティン・フォーサイス(Justin Forsyth) 総裁(President) イギリス王女アン[1]。 |
活動地域 | 全世界 |
標語 | "We save children’s lives. We fight for their rights. We help them fulfill their potential." |
ウェブサイト | www |
イングランド&ウェールズ認定NGO (213890) スコットランド認定NGO (SC039570) |
セーブ・ザ・チルドレン(Save the Children)は、1919年にイギリスで設立された非政府組織 (NGO) である。国連経済社会理事会の総合協議資格 (General Consultative Status) をもつ[注 1]。児童の権利に関する条約 (子どもの権利条約) を理念とし、子どもの権利の保護を目標として活動している。
セーブ・ザ・チルドレンは子供の権利保護の最前線にいる組織である。子供が自分の決定権を持っていることを重要視、子供目線での情熱的かつ専門的な活動をしている。組織のビジョン (未来への展望) は「子どもを尊重し、大切にする。」「子どもから学ぶ。」「子どもに生きる希望とあらゆる機会を提供する。」の3点である。子供らしく生きる「子どもの権利」 (生存、成長、保護、参加) の実現に向けて、世界中の子供たちといっしょに、生活をすぐに良くしてそれがずっと続くようにすることをミッション (役目) としている。
沿革
1913年、のちにセーブ・ザ・チルドレンの創始者となるエグランティン・ジェップは、第一次世界大戦のバルカン半島にて、多くの子供たちの戦争被害を目にした。エグランティン・ジェップは、戦争は子供たちにとっての脅威として反戦を志した。
1919年のイギリスで、エグランティン・ジェップは、第一次世界大戦後の飢餓に陥った子どもたちを救うべく、妹のドロシー・バクストン (Dorothy Buxton) と活動を始めた。姉エグランティンと妹ドロシーは、戦争による敵味方を問わず、ヨーロッパの子どもたちに食料と薬を送った。ジェップは「私には11歳以下の敵はいない」として、子どもの救済に考えを同じくする人々とともにセーブ・ザ・チルドレンを設立するに至った。
第一次世界大戦
- 1919年 イギリスのロンドンで、エグランティン・ジェップがセーブ・ザ・チルドレンを創設。
- 1920年 スイスのジュネーヴで、エグランティン・ジェップが国際セーブ・ザ・チルドレン連盟 (International Save the Children Union) を設立し、同連盟の総裁に就任。
- 1923年 エグランティン・ジェップが、世界で初となる子どもの権利宣言 (Declaration of the Rights of the Child) を起草。
- 1924年 国際連盟が、子どもの権利宣言を採択。1959年の国際連合による同宣言批准および1989年の児童の権利に関する条約の礎 (いしずえ) となった。
第二次次世界大戦後
- 1959年 国際連合が、子供の権利宣言を国際連合憲章の一部として批准。
- 1970年 イギリス王女アンがイギリスのセーブ・ザ・チルドレン総裁に就任。
- 1977年 ジュネーヴで、セーブ・ザ・チルドレン世界連盟 (International Save the Children Alliance) が設立される。
- 1979年 国連教育科学文化機関 (UNESCO) により国際児童年 (International Year of the Child) と決定された同年、子供の権利宣言の条項見直し作業が行われる。
- 1989年 11月20日の国際連合総会にて、児童の権利に関する条約 (子どもの権利条約) が全会一致で採決。セーブ・ザ・チルドレンは同条約の草案に携わった。
- 1997年 世界27カ国のセーブ・ザ・チルドレンが属するセーブ・ザ・チルドレン世界連盟が組織化。
- 1998年 元ドイツ・グリーンピース (NGO) 事務局長のブルクハルト・グナリッグ (Burkhard Gnärig) が、セーブ・ザ・チルドレン世界連盟事務局長就任[2]。
- 2006年 世界各国のセーブ・ザ・チルドレンによるキャンペーン「Rewrite the Future いっしょに描こう! 子どもの未来」開始[注 2]。
- 2008年 スウェーデンのセーブ・ザ・チルドレン事務局長シャーロット・ペトリ・ゴルニツカ (Charlotte Petri Gornitzka) が、セーブ・ザ・チルドレン世界連盟事務局長就任[3]。
テロ
セーブ・ザ・チルドレン世界連盟メンバー
セーブ・ザ・チルドレンは世界最大のネットワークをもち、2022年現在、世界で30の国と地域の団体がセーブ・ザ・チルドレンの名のもと連携し、約120の国と地域で活動を続けている[5]。
(スウェーデン語RÄDDA BARNENは、セーブ・ザ・チルドレンのこと)
(コーンウォール州コンスタンティン)
(コーンウォール州ポース・ナヴァス)
(ブリストルのブリストル・パークウェイ駅)
アイスランド共和国
アメリカ合衆国
イギリス
イタリア共和国
インド共和国
インドネシア共和国
エスワティニ王国
オーストラリア連邦
オランダ王国
カナダ
スイス連邦
スウェーデン王国
スペイン
大韓民国
デンマーク王国
ドイツ連邦共和国
ドミニカ共和国
日本国
ニュージーランド
ノルウェー王国
フィジー諸島共和国
フィリピン共和国
フィンランド共和国
香港
ホンジュラス共和国
南アフリカ共和国
メキシコ合衆国
ヨルダン・ハシミテ王国
リトアニア共和国
ルーマニア
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
日本では東京都千代田区に本部事務局を置く公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン (略称: SCJ) として活動している。活動規模 (経常収益) は年間約32億円[6]。
沿革
- 1986年 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立。
- 1995年 日本国外務省より社団法人として認定。
- 2001年 日本国外務省より特定公益増進法人として認定。
- 2011年 内閣府より公益社団法人として認定。
脚注
注釈
- ^ 総合協議資格 (General Consultative Status) は、NGOのための資格であり、国連経済社会理事会 (ECOSOC) との協議資格 (Consultative Status) のうちの1つ。国連経済社会理事会およびその補助機関のほとんどの活動に関係する資格であり、2000年現在、グッドネーバーズ・ジャパン等の約120のNGOがその資格を有する。協議資格の種類は3つあり、「総合協議資格」の他、補助的な「特殊協議資格」、より補助的な「ロスター」がある。 - 出典: 経済社会理事会とNGO (国連とNGO) - 国連広報センター
- ^ 紛争で学校に通えない子どもに教育機会をつくるキャンペーン。2010年までに800万人の子どもへの教育機会の提供を目標にして協力を呼びかけている。 - 参考: Rewrite the Futureとは (セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン公式サイト)
出典
- ^ “Our leadership”. セーブ・ザ・チルドレン. 2015年9月1日閲覧。
- ^ 緊急来日! 国際NGOセーブ・ザ・チルドレン世界連盟CEOグナリッグ (社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン) ベンチャープラス 2005年1月21日
- ^ Charlotte Petri Gornitzka appointed Secretary General of the International Save the Children Alliance 23 January 2008 ニュージーランドのセーブ・ザ・チルドレン公式サイト (英語)
- ^ アフガンの国際NGO襲撃、4人死亡 ISISが犯行声明 CNN(2018年1月25日)2018年1月25日閲覧
- ^ 公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン グローバルネットワーク
- ^ 公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 組織概要経常収益(2023年度実績)
関連項目
外部リンク
- International Save the Children Alliance - セーブ・ザ・チルドレン世界連盟公式サイト (英語)
- International Save the Children Alliance: MEMBER ORGANISATIONS - セーブ・ザ・チルドレン世界連盟公式サイト: メンバー公式サイト一覧 (英語)
セーブ・ザ・チルドレン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 01:59 UTC 版)
「エグランティン・ジェップ」の記事における「セーブ・ザ・チルドレン」の解説
しかしながら、まもなくその活動の焦点が変わっていく。1919年4月15日、委員会は、ドイツとオーストリアの子どもたちを救済する基金を立ち上げた、セーブ・ザ・チルドレン基金である。予想に反して、この組織が、1919年5月19日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでその産声を上げると、イギリス中から膨大な金額の寄付が寄せられ、組織は直ちに救済活動に着手することとなった。基金の成功のおかげで、エグランティンとドロシーは子どものための国際的な活動団体を立ち上げることに思い至った。国際セーブ・ザ・チルドレンは、1920年ジュネーヴで創設され、イギリス・セーブ・ザ・チルドレンとスウェーデンのこれに対応する組織「ラッダ・バルネン」がその中心的な役割を担った。 ロンドンでは、責任ある立場にいるのはエグランティンただ一人であった。そして彼女は、基金は彼女が慈善組織協会で学んだ専門的なアプローチを用いていることを確約した。事務局長のルイス・ゴールデンは、組織をビジネスライクに運営して行くためにスタッフを集めることを任された。彼はそのために全国新聞に全頁の確信的で、いろいろ論議を呼び起こした広告を打って、募集をかけた。これは非常に斬新で効果的な試みで、基金の活動のための資金も大幅に伸びた。 中央ヨーロッパでの問題が徐々に終息してくると、基金の新たな注目を惹くようになったのはギリシアとそれを取り巻く地域の続発する紛争問題の結果としての難民問題であった。1921年、この状況がようやく終息するかに思えたとき、新たにさらに大きな緊急事態が勃発した。それは部分的にはこの戦争、革命、内戦による荒廃も一因ではあったのだが、また部分的にはロシアのボルシェビキ政府の破滅的な経済政策のためでもあったが、ソヴィエト・ロシアの人々は収穫の激減という1921年の大飢餓に直面していた。新たに基金を立ち上げる努力が実を結び、寄付が一挙に集まり、セーブ・ザ・チルドレンチームは、ロシアの大飢餓(ホロドモール)の中心地のひとつであつたサラトフに派遣された。
※この「セーブ・ザ・チルドレン」の解説は、「エグランティン・ジェップ」の解説の一部です。
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