宮崎駿 政治的・思想的スタンス

宮崎駿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 22:40 UTC 版)

政治的・思想的スタンス

反戦

著名なミリタリーマニアである一方、現実の戦争行為には断固として反対している。大学時代には「戦争がいかに経済的に不合理であるか」という経済学の講義に感銘を受け、収集していた軍事関係の書籍を全て捨てた経験もある。作品中では『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などに見られるように、侵略者や圧制に対する武力抵抗を肯定するような描写もあり、そのスタンスは単純な非暴力・反戦というわけでもない。しかし一貫して戦争の悲惨さや愚かさを描き、兵器や戦争が登場する作品でそれらを安易に美化する事はない。『風の谷のナウシカ』など複数の作品に登場する戦火にのまれる街の描写などは堀田善衛の方丈記私記をイメージしたものだという[57]湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明して、小田実を中心とする市民グループ「市民の意見30の会」による、「ニューヨーク・タイムズに湾岸戦争を批判した意見広告を掲載しよう」という呼びかけに応じている他[58]、同時期に製作した『紅の豚』も湾岸戦争に対する反感が作風に反映されているという[40]
第二次世界大戦
風立ちぬ』製作時には作品テーマもあって、第二次世界大戦における日本の戦争責任について積極的に発言している。「自分は若い頃は戦争責任があるかないかと言う見方をしていた。しかし後の世から断罪するのは簡単。一方で、零戦を作った優秀な技師として二郎を祭り上げる動きもあります。いずれも、あの時代の空気を肌で感じようとしていない」「一つの時代を遠くから見て、灰色だとか決め付けることは間違っている」[59]としつつも、堀越二郎を祭り上げる動きに関しては「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです」[60]「二郎や自分の父親が無罪だなんて思っていません」[61]と述べている。
同時期にスタジオジブリ出版の小冊子『熱風』の寄稿文で、日本が第二次世界大戦に参加したことについては子どもの頃に「本当に愚かな戦争をした」「実際情けない戦争だったんだ」と感じたと述べている[62][63][64]。この他にも「日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって『最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?』と言うのもおかしい」「非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は『ちょっと待て』っていうのがやっぱり正しいと思うんです」「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです」とも述べている[65]
こうした姿勢は当事者国の一つである東アジア諸国で広い賞賛を受けており、中国の「人民日報」は微博(国営SNS)を通じて「記憶にとどめておくべき良識ある日本人」として宮崎の名を挙げている[66]。韓国でも『風立ちぬ』公開時に意図を説明する為の記者会見を行うなどの姿勢もあり、「日本の生ける良心」と賞賛されている[67]
憲法改正
2013年に憲法改正論議が加熱した際、スタジオジブリ出版の小冊子『熱風』2013年7月号での特集「憲法改正」で憲法改正への反対声明を行った[68]。声明の中で宮崎は「憲法を変えるなどもってのほか」という題の寄稿文で宮崎は憲法改正に反対の立場であることを闡明にした[68]。寄稿文の中で憲法を議論する環境として「得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほか」であるとしている[68]。特に憲法9条自衛隊については「憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。」と述べ[68]、自衛隊は専守防衛に徹するべきであり、「そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れてないからすぐ手玉に取られてしまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだましだと考えます」としている[69]。同寄稿文では現行憲法下での自衛隊についても好意的に評価している[69]。災害時の活動について「やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。」とし、イラク戦争で行われた海外派遣については「イラクに行かざるを得なくなっても一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました」「僕は立派だったと思います」と評価している[69]
また憲法96条を先に改正する案についても「条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つ」が、それは「詐欺」で「やってはいけないこと」であるから、国の将来を決定するには「できるだけ多数の人間たちの意見を反映」させ「変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない」と述べている[68]
集団的自衛権
憲法改正論議が沈静化した後、海外活動を円滑化する為に憲法解釈を用いた集団的自衛権の整備が第2次安倍内閣で推進されると、日本外国特派員協会での記者会見安倍晋三首相を「偉大な男として歴史に残りたいと思っているんだと思います」「でも残らないでしょう」と厳しく批判した[30]。現行憲法は15年間にわたる戦争とその戦禍を生き延びた人々にとって「光が差し込むような体験」であったと高く評価している。いわゆる「押し付け憲法論」であるという批判に対しても、1928年の不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)の精神を引き継いだものであり、特異な内容でもなければ決して押し付けでもないと述べている[30]

生命倫理・反差別

2016年1月28日に東京都港区で開かれた「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」で宮崎は、「もののけ姫」の一場面でハンセン病患者を描いた経緯について、自宅から歩いて15分程にある全生園を訪問し、園内資料館で展示されていた脱走防止用の「園内通用券」などを見て衝撃を受け、「おろそかに生きてはいけない。作品を真正面からやらなければならない」と語った[70][71]

左翼・社会主義

学習院大学時代に社会主義や共産主義などの左翼運動を知り、大学で過ごした4年間で少しずつ傾倒していったという。東映動画入社の志望動機書には「米帝ディズニーに対抗しうる国産アニメを作る」と書かれていたと岡田斗司夫が著書で述べている[72]が事実かは不明。実際に高畑勲らと入社後に激しい組合活動を行っている。宮崎は理論や理屈で物事を語る事を嫌っており(本を読む事も本来は好きではないと語っている)、政治についても経済学部出身ながら資本論などの理論書は読んでいないと率直に述べている[73][74]。宮崎は「社会主義っていうのは、そんなに難しい問題じゃないんじゃないかと思いましたからね。希望ということなんじゃないかって思いましたから」と述べている[73]。ただし後年に「マルクス的な見方を完全にしなくなった訳ではない」とする趣旨の発言や[40]、「今はプロレタリアートがいない代わりに、良い人と悪い人がいるって思ってるだけでね」と語るなど影響を受けている事は認めている[75]
思想転向があったとする評価
その後も左翼的思想を保ち続けていたが、冷戦崩壊期の1989年に起きた天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、社会主義陣営の歴史的敗北という現実を前に思想的修正を余儀なくされたとする向きもある[76]
思想転向はしていないという評価
しかしこうした「左翼から転向した」という言説については宮崎自身が再三にわたって否定する発言をしている。宮崎はもともと統制的・強権的なソ連型社会主義には懐疑的で、ソ連や中国の「間違った社会主義」に対する批判は以前から行っており、「ソ連も嫌いな国ですが、中国も嫌いだし、アメリカも嫌いです。日本も嫌いだけどね」と発言している[73]ニューヨーク近代美術館での会見で中国の毛沢東の語録を引用して若手アニメ作家に向けて助言したこともあったが[77]、後に「かつて毛沢東の写真を最初に見た時、なんて嫌な顔だろう、と思いました。周囲が『大きな温かい人だ』と言うから、たまたま写りが悪かったんだ、と思おうとしたけど、その勘を信じればよかった」と述べている[60]。冷戦崩壊直前の1990年11月にはソ連と対峙するラトビアの独立運動で「人民戦線」という用語が使用されている事に触れながら、「社会主義自由主義っていう形に、軍門に降ったなんて喜んでいる奴がいるけど。西ドイツの現状はどうなんですか?西ベルリンが健康的な街なんですか?違いますよね」と述べている[73]。天安門事件で改革派の学生達がアメリカのような国を目標にしていると語っている事についても「その理想の底の浅さに愕然としますよ」と厳しく批判した上で、こうした冷戦末期の情勢を「人間の解放っていう問題よりも、みんな同じように大量消費の生活をしたいんだっていうね」と述べている[73]。『紅の豚』を制作した時には共産政権の解体後に起きたユーゴスラビア紛争に触れ、民主化による民族主義の台頭に絶望感を覚えたという。そのユーゴスラビア付近を舞台にした作品中で孤独に生きる主人公の姿と自分が重なり、「俺は最後のになるぞって感じで、一人だけで飛んでる豚になっちゃった」と発言している[78]
宮崎は「左翼思想の根源にあったものっていうのは、時代を超えてもね、違う形をとっても同じだと思っています」と述べている[73]

環境主義

自然保護運動
世界観の描き方から、メディアではエコロジーの視点で評価されることが多い。また多くの作品で空を舞うシーンが描かれることが多いが、宮崎もそれを意識している(観客に作品世界の空間の広がりを意識させるためだという)。私生活で環境主義や自然保護運動に取り組んでいる事も広く知られており、民主党鳩山由紀夫内閣における在日米軍基地移転構想や菅直人内閣の再生可能エネルギー特別措置法などを高く評価している。[要出典]
ただし宮崎は自身やその作風が環境主義的と定義される事は好ましく思っていないとも述べている。宮崎によれば公的な活動ではなく、早朝のゴミ拾いなど自分の目にする範囲内で環境に気遣う事にしていると述べている。沖縄・辺野古の自然を守る辺野古基金の共同代表に就任した際にも、自身にその資格があるのか要請を引き受ける直前まで悩んだという。[要出典]
反原発
スタジオジブリの小冊子『熱風』2011年8号で[疑問点]、宮崎が「NO! 原発」と書いたプラカードをぶら下げて歩く写真が表紙を飾った。表紙の説明には「6月11日、宮崎駿監督は東小金井で小さなデモをした」と書かれてある。6月11日は同年3月に発生した東日本大震災福島第一原子力発電所事故に関連して全国一斉にデモなどが呼びかけられた「6・11脱原発100万人アクション」の一環として新宿では約2万人が参加した大規模な反原発デモが行われた日であった。この号の特集「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」には、宮崎駿、鈴木敏夫河野太郎大西健丞川上量生による特別座談会が掲載され、宮崎は原発をなくすことに賛成と語っている。座談会では他に、1年前の2010年夏ごろ福島原発の施設内(福島県双葉郡富岡町の「エネルギー館」)に知らないうちにトトロなどのキャラクター商品を販売する店が置かれていたことが発覚し撤去させたことや、ジブリとしては原発に反対であることなども語られている[79]。また、2011年6月16日からは、東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、宮崎の考案で「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられている[80][81]

ナショナリズムへの批判

2008年の講演で、日本の子供がナショナリズムから解放されるべきことを提唱した[82]。「世界の問題は多民族にある」とも述べている[82]

風刺画

シャルリー・エブド襲撃事件をめぐる風刺画問題について、「まずもって自国の政治家にやるべきであって、他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ」と指摘。その上で、他の文明が崇拝しているものを対象にすることは「やめた方がいい」と話した[83]

欧米世界への批判

J・R・R・トールキンの作品『指輪物語』がピーター・ジャクソン監督により映画化された際、悪の勢力に味方するために象をつれて登場した人々が“アジア的”に描かれていたため、宮崎はこれを「黄人差別映画」であると批判した。また原作についても同様の批判を展開し、西洋ファンタジーの古典にそうした側面がある事を理解しない風潮を「馬鹿なんです」とも語った[84]。また上述の流れからアメリカ映画(ハリウッド)全体に対しても「アメリカ人はダーッと撃ったらドイツが爆発したとか、相変わらずそんな映画ばかり作っている」「アフガニスタン戦争での誤爆と同じ理屈」など痛烈な批判を行い、(作り手の欧米人はともかく)日本人が一緒になって喜んでいる事を「信じられないぐらい恥ずかしい事」と評した[84]



注釈

  1. ^ a b c d 外部リンクに映像
  2. ^ 「政治経済学部」としている場合が多い。[要出典]
  3. ^ 会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮崎が回想した戦争体験としては、宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで4歳の駿を含む宮崎一家が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、トラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走り出した。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている[5]
  4. ^ 医者からは20歳まで生きられないと言われ、これは後の創作に影響を与えた、と言う[6]
  5. ^ この時期、何本かの社会主義革命の漫画を執筆して持込みをした事もあったが、「ウチは時代劇扱ってないんですけど」と編集者に門前払いされている[9]
  6. ^ 未来少年コナン#本作の影響を参照。
  7. ^ 漫画版『風の谷のナウシカ』は、アニメ公開後も断続的に描き継ぎ、アニメ公開10年後の1994年に完結。
  8. ^ 初のオリジナル長編映画だった『風の谷のナウシカ』製作中、宮崎が6歳の時から病気で寝たきりの母が亡くなり、非常に悔やんだと話している。この後、宮崎の作品には自身の母をモチーフにしたキャラクターが頻出するようになる[6]
  9. ^ 宮崎駿は1987年公開『紅い眼鏡』のパンフレットに自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話、「押井さんについて」を寄稿している。
  10. ^ 映画公開後、鈴木敏夫に対し「72歳で死ぬことに決めた、あと5年なら一本しか作れない」と発言[20]
  11. ^ 石川文洋、呉屋守將、佐藤優、菅原文子、鳥越俊太郎、長濱徳松、宮城篤実らとの共同就任。[要出典]
  12. ^ 妻の朱美には著書『ゴローとケイスケ―お母さんの育児絵日記』がある。
  13. ^ 式の司会は大塚康生。[要出典]
  14. ^ 『天空の城ラピュタ』のムスカは例外。
  15. ^ 一応国ごとに動物が割り当てられており、ドイツ=豚、イギリス=犬(自ら手がけた『名探偵ホームズ』と同じデザイン)、アメリカ=ゴリラとなっている(ソ連にも豚を用いた例あり)。アジア人が登場する作品では動物化はされていない。
  16. ^ 一部の報道記事では「木村が自らジブリ側に連絡を入れて出演を志願した」としているものもある。
  17. ^ 「𦻙記」の読みは「せっき」。「𦻙」(草冠の旧字体の下に耳を二つ)は宮崎による「正史には残らずに耳から耳へ伝えられた物語」を意味する創作であり日本の漢字には存在しない。これに相当するものが台湾の漢字に存在し、UnicodeではU+26ED9(CJK統合漢字拡張B)に収録されている。「聶」(耳を三つ)は誤記あるいは代用表記。
  18. ^ 原話は、君島久子の書いたチベットの民話「犬になった王子」、岩波書店
  19. ^ 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加え、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併収。
  20. ^ 1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリプロデューサー・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。
  21. ^ a b c d これら「絵コンテ全集」の出版とは別に、『風の谷のナウシカ』についてはアニメージュ文庫にて、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』についてはロマンアルバムにて(いずれも徳間書店)、映画公開から程なくして出版されたものの、いずれも現在は絶版である。
  22. ^ 「崖の上のポニョ」の創作現場密着。
  23. ^ 「コクリコ坂から」の創作現場密着。
  24. ^ 「風立ちぬ」の創作現場密着。
  25. ^ 「毛虫のボロ」の創作現場密着。

出典

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  8. ^ 『映画天空の城ラピュタGUIDE BOOK』徳間書店〈ロマンアルバム〉、2010年12月、復刻版、142頁。ISBN 9784197203208
  9. ^ 『風の帰り道』(pp.251)[要文献特定詳細情報]
  10. ^ 「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)[要文献特定詳細情報]
  11. ^ 「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)[要文献特定詳細情報]なお、実線を描かずに白で目を表現するという手法は、この作品の影響である。[要出典]
  12. ^ NHK-BS『BSアニメ夜話/未来少年コナン』(2005年6月27日放送)での大塚康生の証言。及び大塚康生『作画汗まみれ』、2019年4月19日、増補改訂版、168頁。[要文献特定詳細情報]
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