源氏物語
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影響・受容史
中古期における『源氏物語』の影響は2期に大別することができる。第1期は院政期初頭まで、第2期は院政期歌壇の成立から新古今集撰進までである。
第1期においては、『源氏物語』は面白い小説として上流下流を問わず貴族社会で広く読まれた。当時の一般的な上流貴族の姫君の夢は、後宮に入り帝の寵愛を受け皇后の位に上ることであったが、『源氏物語』は帝直系の源氏の者を主人公にし、彼の住まいを擬似後宮にしたてて女君たちを分け隔てなく寵愛するという内容で彼女たちを満足させ、あるいは、人間の心理や恋愛、美意識に対する深い観察や情趣を書き込んだ作品として貴族たちにもてはやされたのである。この間の事情は自らも読者であった菅原孝標女の『更級日記』に詳しい。
優れた作品が存在し、それを好む多くの読者が存在する以上、『源氏物語』の享受はそのままこれに続く小説作品の成立という側面を持った。中古中期における『源氏』受容史の最大の特徴は、それが『源氏』の文体、世界、物語構造を受け継ぐ諸種の作品の出現をうながしたところにあるといえるだろう。11世紀より12世紀にかけて成立した数々の物語は、その丁寧な叙述と心理描写の巧みさ、話の波乱万丈ぶりよりもきめ細やかな描写と叙情性や風雅を追求しようとする性向において、明らかに『うつほ物語』以前の系譜を断ち切り、『源氏物語』によっている。それがあまりに過度でありすぎるために源氏亜流物語という名称さえあるほどだが、たとえば、『浜松中納言物語』『狭衣物語』『夜半の寝覚』などは『源氏』を受け継いで独特の世界を作り上げており、王朝物語の達しえた成熟として高く評価するに足るであろう。後期王朝物語=源氏亜流物語には光源氏よりも薫の人物造型が強く影響を与えていることが知られる。源氏物語各帖のあらすじ#第三部参照。
平安末期にはすでに古典化しており、『六百番歌合』で藤原俊成をして「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」といわしめた源語は歌人や貴族のたしなみとなっており、室町時代の注釈書『花鳥余情』では「我が国の至宝は源氏の物語のすぎたるはなし」と位置づけられるまでになっている。このころには、言語や文化の変化や流れに従い原典をそのまま読むことも困難になってきたため、原典に引歌や故事の考証や難語の解説を書き添える注釈書が生まれた。
一方で平安時代には貴族の間で仏教思想(平安仏教)が浸透しており、架空の物語(嘘)を作る行為は五戒の1つ「不妄語戒」に反することから「色恋沙汰の絵空事を著し多くの人を惑わした紫式部は地獄に堕ちたに違いない」という考えが生まれ、『宝物集』などの仏教説話集で語られるようになった。この考えは後に小野篁伝説と結びつけられた。また『更級日記』には「源氏物語に熱中していると夢の中に僧侶が現れ(女性の成仏について書かれた)法華経の五巻を勉強するように諭した」という記述があり、架空の物語を読む読者も五戒に反しているという考えがあった。このため地獄に落ちた紫式部の霊を慰め、自身(読者)の罪障を消すためとして『源氏供養』と称した法会がたびたび行われた。語り手が「紫式部に仕えた女性」という設定の『今鏡』の最終巻『打聞』では「物語を書くことは日本でも中国でもよくあること」「罪ではあるが殺人や強盗と比べれば軽く地獄に堕ちるほどではない」など、五戒に反していると認めつつ擁護するような記述がある。
香道の流行にともなって、「源氏香」「香の図」といった本書に由来する呼称が発生した。
江戸時代に入ると、版本による源氏物語の刊行が始まり、裕福な庶民にまで『源氏物語』が広く普及することになった。江戸時代後期には、当時の中国文学の流行に逆らう形で、設定を室町時代に置き換えた通俗小説ともいうべき『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦著)が書き起こされた。伝統的な図式の「源氏絵」は、さまざまな画派により挿絵入りの版本『絵入源氏物語』や浮世絵に描かれた。また、歌舞伎化され、世に一大ブームを起こしたが、天保の改革であえなく断絶した。
明治以後多くの現代語訳の試みがなされ、与謝野晶子や谷崎潤一郎の訳本が何度か出版されたが、昭和初期から「皇室を著しく侮辱する内容がある」との理由で、光源氏と藤壺女御の逢瀬などを二次創作物に書き留めたり上演することなどを政府により厳しく禁じられたこともあり、訳本の執筆にも少なからず制限がかけられていた。 1933年(昭和8年)11月には、番匠谷英一脚本による劇団新劇場の上演が警視庁保安部より上映禁止命令を受けた。警視庁は偉大な古典文学であることに異議はないとしつつも「主催者の意図が大衆に把握されるや否かは疑問である」として風教上害があるものとして扱った[127]。 第二次世界大戦後にはその制限もなくなり、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴、林望などの訳本が出版されている。原典に忠実な翻訳以外に、橋本治の『窯変源氏物語』に見られる大胆な解釈を施した意訳小説や、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』や小泉吉宏の漫画『まろ、ん』、花園あずきの漫画『はやげん! はやよみ源氏物語』を代表とした漫画作品化などの試みもなされている。
現代では冗談半分で、『源氏物語』と純愛もののアダルトゲームやハーレムアニメとのストーリーの類似性が指摘されることがあるが、「『源氏物語』は猥書であり、子どもに読ませてはならない」という論旨の文章はすでに室町時代に存在している。
若紫と光源氏の関係から「懸想をした幼児を自分好みに育てること」を、光源氏になぞらえて慣用句のように「光源氏計画」と言われることがある。
『源氏物語』は諸外国にも少なからず影響を与えている。マルグリット・ユルスナールは『源氏物語』の人間性の描写を高く評価し、短編の続編を書いた。
2008年には源氏物語千年紀の記念式典が京都府・京都市などが中心となって開催され、明仁天皇・皇后美智子が臨席した。多数の講演・シンポジウムが催され、瀬戸内寂聴、佐野みどり、ドナルド・キーン、平川祐弘らが参加した。のちに、紫式部日記での初出である11月1日が、幅広く古典に親しむ古典の日として法制化された[128]。
歴史的注釈書
『源氏物語』については、平安末期以降、数多くの注釈書が作られた[129]。『源氏物語』の注釈書の中でも、特に明治時代以前までのものを古注釈と呼ぶ。一般には、『源氏釈』から『河海抄』までのものを「古注」、『花鳥余情』から『湖月抄』までのものを「旧注」、それ以後江戸時代末までのものを「新注」と呼び分けている[130]。『源氏釈』や『奥入』といった初期の注釈書は、もともとは独立した注釈書ではなく、写本の本文の末尾に書きつけられていた注釈があとになって独立した1冊の書物としてまとめられたものである。『源氏大鏡』や『源氏小鏡』といった中世に数多く作られた梗概書もそれぞれ注釈を含んでいる。
- もっとも古い源氏物語の注釈書。もともとは藤原伊行が写本に書きつけたもの。
- 『奥入(おくいり)』(1233年ごろ、全1巻、藤原定家)
- もともとは藤原定家が自ら作成した証本の本文の末尾に書きつけたもの。池田亀鑑は写本にこの「奥入」があるかどうかを写本が青表紙本であるかどうかを判断する条件に挙げている[131]。大島本や明融臨模本に書かれている「第一次奥入」と定家自筆本(大橋本)に書かれている「第二次奥入」とがある。
- 河内方による最初の注釈書。現在は大部分散逸したが一部残存。
- 諸注を集成したもの。『河海抄』の説をまったく引用していないため、それ以前の成立であると思われる。
- 最古の討論形態の注釈書。飛鳥井雅有等8名が参加。
- 最古の秘伝書形態の注釈書。『水原抄』中のもっとも秘たる部分を抄録して諸家の説を加えたとされる。
- 『源氏物語』の著作の由来、物語の時代の準拠、物語の名称、作者の伝や旧跡、物語と歌道の関係などについて幅広く述べている。全体を通して、これ以前の考証に詳しく触れるとともに「今案」として自説も多く述べている。
- 最古の辞書形態の注釈書。源氏物語の語句約1,000をいろは順に並べた辞書。
- 『珊瑚秘抄(さんごひしょう)』(1397年、四辻善成)
- 源氏物語の注釈書『河海抄』の秘説書。『河海抄』で注を省略した秘説を三十三条集めたもの。
- 『源氏物語千鳥抄(げんじものがたりちどりしょう)』(南北朝時代、平井相助)
- 『山頂湖面抄(さんちょうこめんしょう)』(1449年、祐倫)
- 『源氏物語年立(げんじものがたりとしだて)』(1453年、一条兼良)
- 源氏物語の作品世界内における出来事を時間的に順を追って記したもの、つまり年立であるが、独立した年立としては最初のもの。
- 冒頭部分の自序において「『河海抄』の足りない部分、誤っている部分を正しくするため著した」とを述べている。注釈の特徴としては、単に語句のみを採り上げるのではなく長く文を引用して説明していることと、著者自身が左大臣関白を勤めていたため有職故実に関して詳しく正確であることが挙げられる。
- 『源語秘訣(げんごひけつ)』(1477年、一条兼良)
- 『花鳥余情』の秘伝書。
- 『種玉編次抄(しゅぎょくへんじしょう)』(1499年、宗祇)
- 『弄花抄(ろうかしょう)』(1504年、三条西実隆)
- 『細流抄(さいりゅうしょう)』(1510年、三条西実隆)
- 『明星抄(みょうじょうしょう)』(1530年、三条西実枝)
- 『万水一露(ばんすいいちろ)』(1545年、能登永閑)
- 『紹巴抄(しょうはしょう)』(1565年、20巻20冊、里村紹巴)
- 『山下水(やましたみず)』(1570年、三条西実枝)
- 『孟津抄(もうしんしょう)』(1575年、九条稙通)
- 『花屋抄(はなやしょう)』(1594年、花屋玉栄)
- 『岷江入楚(みんごうにっそ)』(1598年、中院通勝)
- 『首書源氏物語(しゅしょげんじものがたり)』(1673年、一竿斎)
- 『湖月抄(こげつしょう)』(1673年、全60巻、北村季吟)
- 『源氏外伝』(1673年ころ、熊沢蕃山)
- 『源注拾遺(げんちゅうしゅうい)』(1698年、契沖)
- 『紫家七論(しかしちろん)』(1703年、安藤為章)
- 『一簣抄』(いっきしょう)(1716年、近衛基煕)
- 『源氏物語新釈(げんじものがたりしんしゃく)』(1758年、賀茂真淵)
- 『源氏物語年紀考(げんじものがたりねんきこう)』(1763年、本居宣長)
- いわゆる新年立。
- 『紫文要領(しぶんようりょう)』(1763年、上下2巻、本居宣長)
- 『源語梯(げんごてい)』(1784年、五井純禎(蘭洲))
- 辞書形態の注釈書。
- 「もののあはれ」を提唱。
- 『すみれ草(すみれくさ)』(1812年、全3巻、北村久備)
- 系図2巻と年立1巻からなる。
- 古注釈の最後に位置づけられる。
現代語訳
現代日本語
元来『源氏物語』は作者紫式部と、同時代の同じ環境を共有する読者のために執筆されたと推察されており、加えて作者と直接の面識がある人間を読者として想定していたとする見解もある[132]。書かれた当時の『源氏物語』は、周囲からは「面白い読み物」として受け取られており、少し経た時代でも、当時12歳だった菅原孝標女が、特に誰の指導を受けるということもなく1人で読みふけっていたとされている。時代を経て物語で用いる言葉遣いも、前提とする知識・常識も変化していくことで、気軽に『源氏物語』を読むことは困難になっていった。
同時期の文学である『枕草子』『土佐日記』などは、簡単な注釈さえあれば現代日本人が読むことがさほど難しくないのに対し、『源氏』の原文を読むことは現代日本人にとってもかなり難しい。ほかの王朝文学と比べても語彙は格段に豊富、内容は長く複雑で、専門的な講習を受けないと『源氏』の原文を理解するのは困難である。現代では、現代語訳で親しんでいる人のほうが多いといえる。数ある古典日本文学の中で、多様な性格を持つその内容ゆえに、もっとも多く現代語訳が試みられており、訳者に作家が多いのも特徴である[133]。これらは、訳者の名前から「与謝野源氏」「谷崎源氏」といった風に、「○○源氏」と呼ばれている。
国文学者・研究者による翻訳は、比較的直訳・逐語訳的な訳注が多いのに比べて、作家・小説家による翻訳は多くの場合、原文に対して叙述の順番を入れ替えたり、和歌によるやりとりを普通の会話文に直したり、原文とは視点を変えて叙述したりといった応用工夫が行われていること多く、そのような作品は単なる現代語訳ではなく翻案作品として扱われることもある。
- 与謝野晶子訳
与謝野晶子は生涯に3度現代語訳を試みた。与謝野は12歳当時、『源氏物語』を原文で素読していたことをのちに自身の歌の中に詠み込んでおり、さまざまな創作活動の中に『源氏物語』の大きな影響を読み取ることができる。
1度目の翻訳は、与謝野夫妻の支援者であった実業家(小説家でもある)の小林政治の依頼により、100か月で完成させることを目標に始められたものである。1912年(明治45年)2月から1913年(大正2年)11月にかけて、『新訳源氏物語(上、中、下一、下二巻)』として金尾文淵堂から出版され[135]、これが『源氏物語』の口語による最初の現代語訳とされ、1914年(大正3年)12月にはダイジェスト版となる4冊の縮刷版を刊行し、特に最初の翻訳には晶子の夫・与謝野鉄幹の手も入っているとする見解もある[136]。
これは『源氏物語』の専門家でない森鷗外が校訂にあたっているなどといった問題もあり、再度、『新新訳源氏物語』として翻訳を試みた(2回目)が、「宇治十帖の前まで終わっていた」とされる[137]。このときの原稿は、1923年9月の関東大震災(大正関東地震)により文化学院に預けてあった原稿がすべて焼失したため、世に出ることはなかった。
現在、通常流布しているのは晩年の1938年10月から1939年9月にかけて『新新訳源氏物語(第一巻から第六巻まで)』として金尾文淵堂から出版された3度目のものである。1939年10月に完成祝賀会が上野精養軒にて開催されており、同人はこれを「決定版」としている。この翻訳は当時、まだ学術的な校訂本がなかったことから、「流布本」であった『源氏物語湖月抄』の本文を元にしていたとされる。原文にはない主語を補ったり、作中人物の会話を簡潔な口語体にしたりするなど大胆な意訳と、敬語を中心とした大幅な省略で知られている。それに対して、歌の部分については歌人らしく、「和歌は源氏物語にとって欠かせない重要な要素である」として、いずれの翻訳もまったく手を加えることなくそのまま収録しており、ほかの翻訳が行っているような和歌の部分を会話文に改めるといったことをしていない。また、新新訳では各帖の冒頭に自身の和歌を加えている[138]。
池田亀鑑の解説を加えたものが、1954年10月から1955年8月にかけて『全訳源氏物語』として、全9冊で角川文庫から出版されており、1971年8月から1972年2月にかけて全3冊に合本・改版され重版した。2008年に源氏物語千年紀を記念し、『新装版 全訳源氏物語』全5冊に改版された。ほかに、1948年には日本社から日本文庫で、1951年には三笠文庫(三笠書房)で、1976年(新装版、1987年)には河出書房新社の日本古典文庫で、2002年には勉誠出版刊の『鉄幹 晶子全集』の第7巻および第8巻として、2005年から2006年に舵社からデカ文字文庫と、多くの出版社から刊行されている。これらとは別に、最初の訳書も、後年の翻訳より読みやすいといった評価があったことから、2001年に角川書店から単行本が出版され、2008年には、『与謝野晶子の源氏物語』(角川文庫ソフィア)全3冊で出版された。双方の訳書とも1942年5月29日に与謝野が死去したため、1993年に日本における著作権の保護期間が満了しており、パブリック・ドメインで利用できるため青空文庫などに収録されている。
- 谷崎潤一郎訳
谷崎潤一郎も生涯に3度現代語訳を試みた。
最初は『源氏物語湖月抄』本文を元に、1935年9月より着手された。国文学者山田孝雄の校閲を受けながら進められ、1939年から1941年にかけ『潤一郎訳源氏物語』全26巻が、中央公論社で刊行された。これは、「旧訳」「26巻本」などと呼ばれている。当時の社会情勢から、中宮の密通に関わる部分など皇室に関した部分は何か所か削除されている。
2度目は上記の削除部分を復活するとともに、全編にわたり言葉使いを読みやすく改訂し1951年から1954年12月にかけ、『潤一郎新訳 源氏物語』全12巻で刊行された。この版は「新訳」「12巻本」などと呼ばれた。他に豪華版全5巻別巻1や、新書版全8巻も刊行されている。
『潤一郎訳』は谷崎の意向が大きく反映され、『潤一郎新訳』は原文を尊重し省略なしの完訳であることが特徴である[139]。
3度目は中央公論社版『日本の文学』に(一部)収録するため、改稿に着手された。1964年から1965年に『潤一郎新々訳 源氏物語』全10巻別巻1が、新版が1979年から翌年にかけ刊行された。これは「新々訳」「11巻本」などと呼ばれている。口述筆記のせいもあり、新仮名遣いになっている。与謝野晶子訳とは対照的に、原文の文体を生かしつつやや古風な訳文となった。(最晩年の)谷崎は、本書をもって「決定版である」としている[140][141]。
『潤一郎訳 源氏物語』は、1968年から1970年にかけ『谷崎潤一郎全集』第25 - 28巻(新版『全集』では第27 - 30巻)に収録。1973年、中公文庫創刊にともない全5巻で刊行(改版1991年)。豪華版で、1966年に全5巻別巻1が、1983年に愛読愛蔵版全1巻が、1992年に同普及版全1巻が刊行された。
- 窪田空穂訳
- 国文学者で歌人でもある窪田空穂の『現代語訳源氏物語』は、1939年から1943年にかけ改造社全8冊で出版された。戦後に同社で、1947年から1949年にかけ再版された。1967年に『窪田空穂全集 27・28巻』(角川書店)に収録。2023年に作品社(全4巻)で新版刊行された。別に窪田訳は抄訳版があり、1970年に春秋社で出版している。
- 円地文子訳
- 円地文子の現代語訳は、1967年7月に着手され、玉上琢弥、犬養廉、清水好子、竹西寛子、阿部光子などの協力を得ながら、1972年から1973年にかけ全10巻で新潮社から刊行された。1980年、新潮文庫に全5巻で再刊された(2008年に全6巻に改版)。さまざまな箇所に原文にはないまったく創造的な加筆を行っており、特徴のひとつとなっている。
- 円地は1975年5月に公演された歌舞伎『源氏物語葵の巻』の台本も手がけているほか、現代語訳の過程で生まれたエッセイ『源氏物語私見』(新潮社、1974年、1985年に新潮文庫、2004年に『なまみこ物語』とあわせ講談社文芸文庫に収録)、『源氏物語の世界・京都』(平凡社、1974年)、『源氏物語のヒロインたち』(講談社、1987年)など『源氏物語』関係の著作も多い[142]。2007年に新潮社で、竹下景子による朗読CD(現在は桐壺から夕顔まで2巻)が出された。
- 田辺聖子訳
- 田辺聖子の現代語訳は、『新源氏物語』として1974年11月から1978年1月にかけて『週刊朝日』で連載されたあと、1978年から1979年にかけて全5巻で新潮社から刊行され、1984年5月に新潮文庫に収録。当初書かれたのは「幻」巻部分までで、それ以降の部分は1985年10月から1987年7月まで『DAME』で連載されたが、同誌の休刊により「宿木」巻の途中までで中断。残りの部分は書き下ろしで執筆され、1991年5月に新潮社から『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋』として出版、1993年11月に新潮文庫に収録された。2004年に出版された『田辺聖子全集 全24巻』では、第7巻および第8巻の2巻がこれにあてられており、「霧ふかき宇治の恋」を含めた全体を「新源氏物語」としている。
- 原文の巻序に従っておらず全体の構成を入れ替えており、「空蝉の巻」から始まっていることや、原文の中で登場人物たちが和歌で伝えようとしていることを通常の会話文に直しているなど原文を大幅に直している部分があるため、「単なる現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。この翻訳・翻案から生まれた関連本として『源氏紙風船』(新潮社、1981年)がある。小説作品で、光源氏の従者の1人の視点から描いた「私本・源氏物語」(実業之日本社、1980年、のち文春文庫)、岡田嘉夫の絵を豊富に配して光源氏10話・薫2話が編まれた「源氏たまゆら」(講談社、1991年、のち講談社文庫1995年)がある。
- 橋本治訳
- 橋本治の現代語訳は、『窯変 源氏物語』の題名で、1991年5月から1993年にかけて中央公論社全14巻で刊行された。のちに、1995年11月から1996年10月にかけ中公文庫に収録された。橋本はこの作品を「紫式部の書いた『源氏物語』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作、一つの個人的解釈である」としており、基本的に光源氏と薫からの視点で書かれており、大幅な意訳になっている部分もあることなどから、単なる「現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとみなすことも多い。
- 橋本には『源氏供養』のタイトルで関連エッセイがあり、上記の現代語訳に関する事柄も収めている。
- 瀬戸内寂聴訳
- 瀬戸内寂聴の現代語訳は、1996年12月から1998年にかけ講談社から全10巻で刊行され、「新装版」が2001年9月から2002年6月にかけて、講談社文庫版が2007年1月から10月にかけて出版された。瀬戸内には、女性の視点から描いた翻案作品『女人源氏物語』が小学館全5巻で、1988年から1989年にかけ出版され、のちに集英社文庫に収録された。『わたしの源氏物語』(小学館、1989年7月、集英社文庫、1993年6月)、『歩く源氏物語』(講談社、1994年9月)、『源氏物語の脇役たち』(岩波書店、2000年3月)、『痛快!寂聴源氏塾』(集英社インターナショナル、2004年3月、のち軽装版『寂聴源氏塾』、2007年3月)など多くの関連著作がある。「源氏」関連の講演や行事などにも積極的に関わっている。
- 大塚ひかり訳
- 大塚ひかりによる現代語訳は、『大塚ひかり全訳 源氏物語』(ちくま文庫全6巻)が、2008年より2010年にかけ刊行された。「読んで分かる原文重視の逐語訳」を目標に、「敬語・謙譲語を抑さえる」「『ひかりナビ』と称する説明文をつけ加える」「あえて原文を随所に配する」という3つの工夫を行っている[143]。大塚は、『もっと知りたい源氏物語』(日本実業出版社、2004年4月)や、『源氏の男はみんなサイテー 親子小説としての源氏物語』(マガジンハウス、1997年11月)、『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫、2002年10月)、『源氏物語の身体測定』(三交社、1994年10月)といった関連著作がある。
- 今泉忠義訳
- 本文は「青表紙系版本中最善本である」という理由により、江戸時代の版本である『首書源氏物語』を用いる。「桜楓社版 源氏物語」の現代語訳版として企画され、1974年1月から1975年10月にかけて全10巻が刊行された。「桜楓社版 源氏物語」は、現代語訳編のほかに、森昇一・岡崎正継による本文編、語法編などで構成されている。1977年から1978年に『源氏物語 全現代語訳』で、講談社学術文庫に全20冊で収録され、新装版全7冊が、2000年から2001年にかけて刊行された。
- 玉上琢弥訳
- 底本は、定家直筆本のあるものはそれを用い、存在しないものは明融臨模本、それも存在しなければ飛鳥井雅康本(大島本)である。もともとは1964年から1969年にかけて角川書店から出版された『源氏物語評釈』の中の現代語訳に原文脚注索引をつけたもので、1964年から1975年にかけて角川文庫全10巻が刊行(のちに角川ソフィア文庫)。原文に近い訳であるが、現代語訳を独立して読めるようになっている。なお、十巻巻末には国宝源氏物語絵巻の解説索引がある。
- 尾崎左永子訳
- 1997年から1998年にかけて『新訳源氏物語』として小学館より全4巻で刊行された。
- 中井和子訳
- 15年がかりで翻訳を仕上げたとされる『現代京ことば訳 源氏物語』が1991年に大修館書店から全3巻で刊行され、2005年(平成17年)に全5巻の新装版として刊行された。KBS京都から北山たか子による朗読CDも発売されている。
- 林望訳
- 2010年から2013年にかけて『謹訳 源氏物語』として祥伝社より全10巻で刊行された。2017年秋から文庫化されている。
- 角田光代訳
- 河出書房新社より『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』(上中下)で、2017年9月に上巻、2018年10月に中巻、2020年2月に下巻が刊行完結。解題は藤原克己が担当。2023年秋より河出文庫(全8巻)で再刊。
あがさクリスマス(増子勝)訳
10年がかりで日本初の源氏物語訳対「3分de源氏物語ⅠⅡⅢⅣ」を愛の四つ葉社より刊行。国立国会図書館蔵。
ほかにも、鈴木正彦による訳(1926年、第百書房)や上野榮子による訳(2008年、日本経済新聞出版社)などのほか、2008年には「ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ」として9人の現代作家がそれぞれ源氏物語の翻訳に取り組むという企画が行われた[144]。江國香織(夕顔)、角田光代(若紫)、町田康(末摘花)、金原ひとみ(葵)、島田雅彦(須磨)、桐野夏生(柏木)、小池昌代(浮舟)、日和聡子(蛍)、松浦理英子(帚木)[注 18]らがそれぞれ源氏物語の新訳・超訳に挑戦するなど、新たな翻訳が生み出されつつある。
外国語
『源氏物語』は日本文学の代表的なものとして多くの言語に翻訳されている[145][146][147]。重訳や抄訳も含めると、現在、20言語以上の翻訳が確認できる[148]。アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャビ語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・モンゴル語・ロシア語・ウルドゥー語などの翻訳がある[149]。
- 英語訳
- 最初の英訳は、おそらく末松謙澄によるものであった。末松がイギリスのケンブリッジにいたときになされたもので1882年に出版された。抄訳であることに加えて、翻訳には限界があり、当時はほとんど注目されなかった。今日では研究者のあいだで見直され始めている。
- 20世紀に入り、アーサー・ウェイリー(ブルームズベリー・グループの一員)により『源氏物語』は西洋世界に本格的に紹介された。1925年に「桐壺」から「葵」までを収めた第1巻が出版され、1933年に「宿木」から「夢浮橋」までを収めた第6巻が出て完結した。
- ウェイリー訳は、各国で広く重訳[150][151]され、現代日本語で再訳された『ウェイリー版 源氏物語』は、 各・全4巻で(佐復秀樹訳、平凡社ライブラリー、2008年9月 - 2009年3月)および(毬矢まりえ・森山恵訳、左右社、2017年12月 - 2019年7月)がある。
- ウェイリー訳は、当時の文学界にあわせた詩的で華麗な文体を用いている。日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーの訳(1976年)は、ウェイリー訳は「傑作」だと敬意を表し、常に傍らに置いていた。サイデンスデッカー訳は第二次世界大戦後の文学的傾向に合わせて、文章の装飾を落とし、原文に近づける努力がなされている[152]。ロイヤル・タイラーの英訳(2001年)は、より一層この傾向を強め、豊富な注を入れ、学問的な精確さを持っている。ほかに重要な英訳は、抄訳版だがヘレン・クレイグ・マッカラによるもの(1994年)がある。
- フランス語訳
- フランスでは、1883年に作家のアルヴェード・バリーヌが末松謙澄の英訳を重訳、1910年に、ミシェル・ルヴォン(お雇い外国人として東京帝国大学でフランス法を教えたスイス人)が日本の解説書を底本に抄訳し、1920年代にはキク・ヤマタ(駐リヨン日本総領事山田忠澄長女で作家)がウェイリーの英訳から重訳して出版した[153][154]。原文からのフランス語訳としては、1977年、1988年に日本学の権威ルネ・シフェールの翻訳が公刊された。現在まで、仏語圏における唯一の完訳であり、また、訳の質も非常に高く、評価を得ている。2008年からはフランス国立東洋言語文化研究所の翻訳グループによるフランス語訳本の刊行が始まった[154][155]。
- ドイツ語訳
- オスカー・ベンルが原文から訳し、これも優れた訳と評価がある。
- イタリア語訳
- アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1944年に出版されている。ローマ大学元教授のマリア=テレサ・オルシ(Maria Teresa Orsi)による完訳La storia di Genji(ISBN 9788806146900)が2012年6月に出版される[156][157]。
- スペイン語訳
- 原文からの完全翻訳では、Hiroko Izumi ShimonoとIván Pinto Románの2人により、3分冊構成の翻訳本がペルー共和国において2017年11月に出版されている。第一分冊は、「桐壷」から27巻「篝火」までおさめられた完訳本(El Relato de Genji - Primera Parte -. Fondo Editorial de la Asociación Peruano Japonesa.)(ISBN 9789972920592)が2013年8月に出版された。その後、2017年11月に出版された第二分冊は、28巻「野分」から41巻「幻」が、また、第三分冊は、42巻「匂宮」から54巻「夢浮橋」がおさめられた完訳本(El Relato de Genji - Segunda Parte - . El Relato de Genji - Tercera Parte - . Fondo Editorial de la Asociación Peruano Japonesa.)(ISBN 9786124740626、ISBN 9786124740633)である。この完訳本は豊富な注が入れられており、学問的な精確さを兼ね備えている。また、挿絵には、早稲田大学九曜文庫の源氏物絵巻の絵が数多く使われている。
- アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1941年に出版されている(Fernando Guitérrez. Romance de Genji. Barcelona: Juventud, 1941)。また、ロイヤル・タイラー英語訳からの重訳(完訳)が2005年に出版され(Jordi Fibla. La historia de Genji. Vilahur: Ediciones Atalanta, 2005 / Los relatos de Uji. Vilahur: Ediciones Atalanta, 2006)、英語訳・フランス語訳・ドイツ語訳・その他からの重訳(完訳)が2005年に出版されている(Xavier Roca-Ferrer. La novela de Genji I & II. Barcelona: Ediciones Destino, 2005)。
- 原文からの抄訳版は、2013年にアリエル・スティラーマンによる「桐壺」巻が早稲田大学で発表された(Blog Genji en Español)。
- オランダ語訳
- アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1930年に出版されている。
- スウェーデン語訳
- アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1927年に出版されている。
- フィンランド語訳
- 参議院議員の弦念丸呈(ツルネン・マルテイ)が1980年にフィンランド語の翻訳(ただし抄訳)を出版している。
- チェコ語訳
- 福井県立大学教授カレル・フィアラのチェコ語訳は現在進行中。
- ロシア語訳
- タチヤーナ・ソコロワ=デリューシナの翻訳がある。
- 中国語訳
- 原文からの完訳としては、豊子愷の翻訳『源氏物語上・中・下』(人民文学出版社、1980-1982年)がある。台湾では林文月の翻訳『源氏物語上・下』(中外文学月報社、1982年)がある。
- 朝鮮語訳
- 田溶新の翻訳や柳呈の翻訳『源氏物語イヤギ(物語)』全3冊(ナナム出版、2000年)がある。
発行部数
- 瀬戸内寂聴訳(全10巻 講談社) - 220万部[158]
- 与謝野晶子訳(全3巻 角川文庫) - 172万部[159]
- 谷崎潤一郎訳(全5巻 中公文庫) - 83万部[159]
- 円地文子訳(全6巻 新潮文庫) - 103万部[159]
- 田辺聖子訳(全5巻 新潮文庫) - 250万部[159]
- 橋本治訳(全14巻 中公文庫) - 42万部[159]
- 週刊朝日百科 世界の文学24 源氏物語(朝日新聞社) - 初版20万部が完売[160]
- 大和和紀『あさきゆめみし』(全13巻 講談社) - 1,800万部[161]
注釈
- ^ 雪まろばし(雪転ばし)は、小さな雪のかたまりを転がして少しずつ大きな雪の塊にする遊び[2]。
- ^ 物語作品は「源氏物語」の一作品だけだが[3]、歌人として「百人一首(57番)」、「女房三十六歌仙」、「紫式部日記」(18首)、「紫式部集」、「拾遺和歌集」等に多くの和歌を残している。
日記作品であり和歌18首が詠み込まれている「紫式部日記」は藤原道長の要請で宮中に上がった際、宮中の様子をはじめ藤原道長邸の様子も書かれており、寛弘5年(1008年)7月から約1年半にわたる日記で、宮中行事の現場の様子もよくわかり、行事の開催など事実だけを記載する公的歴史記録では知ることができないものである[4]。
「紫式部集」は子供時代から晩年のほぼ一生涯にわたり自らが詠んだ和歌から選び収めた家集で、本名や生没年がわからず資料が少ない紫式部の生活環境の変化や心の変化を今に伝えている[5]。
後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。 - ^ 一条天皇は源氏物語を女房に読ませそれを聞いて述べた言葉、『この人は日本紀をこそ読みたるべけれ、まことに才あるべし』(作者は日本紀を読んでいるはずだ、かなりの学者のようだ)[6]。
日本紀は漢文で書かれた日本の歴史書で、6つの史書「六国史」を指す。「日本書紀」、「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」。
これら6つ史書は漢文で全文が書かれており、当時、日本の政治や行政の公的文書は漢文で書かれたため[7]、漢文は男性貴族にとって必須の知識だったが貴族女性は漢文の読み書きは不要とされ、漢文に堪能な紫式部は宮中内で「日本紀の御局(みつぼね)」とあだ名されたことが紫式部日記にある[8]。 - ^ 『紫式部集』に幼少期から晩年に至る多数の和歌を残した紫式部は、漢詩について『紫式部日記』に幼少期の様子を以下のように書いている。紫式部の父で漢詩や和歌に通じた学者だった藤原為時は、紫式部の兄弟に漢詩文を教えても理解が悪かったが、その側で聞いていた紫式部があっさり理解してしまい、為時が「残念だ、お前が男だったらなあ、男として生まれなかったことは不幸なことだ(*)」と嘆いた[9]。(*)原文「口惜しう、男子にてもたらぬこそ幸なかりけれとぞ、つねになげかれはべりし」。
『源氏物語』が執筆された平安時代中期は国風文化の最盛期で『竹取物語』など他の物語同様に『源氏物語』は平仮名(変体仮名)で書かれたが、紫式部の和歌や漢籍・漢詩そして日本と中国の歴史書(六国史,史記,長恨歌)など漢文で書かれたこれらへの知識や見識の深さが『源氏物語』の随所に生かされており[8]、漢籍、漢詩、和歌の知識が必須の男性貴族からも読まれた[10][11]。
当時、貴族階級の男女ともに和歌は重要だが、貴族女性には漢文は不要とされ漢籍や漢詩がわからない(漢文の読み書きができない)者が多く、源氏物語誕生以前から『竹取物語』『伊勢物語』『うつほ物語』『落窪物語』など現存する作者不詳の作品をはじめ、物語作品は、主に平仮名(変体仮名)で書かれたことから貴族女性やその子供向けの読み物として、漢籍・漢詩あるいは和歌に比べて低く見られていた[10]。
源氏物語内の漢籍・漢詩の引用については以下参照。三浦佳子「光源氏の教育観にみる栄華への注視 : 白居易の諷諭詩との関連から」『学芸古典文学』第8巻、東京学芸大学国語科古典文学研究室、2015年3月、35-49頁、CRID 1050006994043411712、hdl:2309/145448、ISSN 1882-7012。 - ^ 江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した[3]。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳[13]、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。
- ^ 紫式部日記より。当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」[3]。
- ^ 紫式部が中宮彰子に「白氏文集」と「新楽府」の2つの漢籍を講義する様子を描いた"絵巻物"。絵の右側、手前が紫式部、奥に中宮彰子、絵の左側は、蔀戸の背後で語り合う女房たち(紫式部日記絵巻の蜂須賀家本より)。
当時、貴族女性には漢文は不要とされ漢文の読み書きができない者が多かったが[10]、天皇の妃である中宮には白氏文集など漢籍の教養が要求された[3]。
なお、中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。 - ^ この宮仕えをした際、約1年半にわたり宮中の様子を中心に「紫式部日記」を書いた。
- ^ 光源氏は3歳で母親の桐壺を亡くしており、当時、母方の後ろ盾がないと即位し天皇になることは極めて困難だったため、母を亡くした光源氏が、宮中の勢力争い、権力闘争に巻き込まれることを避けるために、父は光源氏のことを思い皇族から籍を外した[14]。
このコンプレックスがその後の光源氏の上昇志向の源になり、天皇に近い高貴な女性を自分のものにすべく[15]、「藤壺」や「六条御息所」などと関係を持ち、ついに天皇「朱雀帝」の后妃(こうひ)に内定していた「朧月夜」(光源氏の政敵の娘)と関係を持ったことから(第8帖)、流刑など報復を予期し26歳の時に自ら須磨に流れた(謹慎した)(第12帖)。しかし、2年弱で都に帰ることができ(第13帖)、結局、39歳の時に「准太上天皇」(じゅんだいじょうてんのう)となった(第33帖)。「天皇になれない宿命を背負った皇子」であった光源氏が、「天皇と同じか、それを超える存在」となった(ただしこの件は光源氏が実の父親だと知った「冷泉帝」の尽力で実現したことだった)[14]。
ちなみに、千年前の読み手にとって、「光源氏」の「光」が意味することは、「かぐや姫」などに見られるように”超越的な素質”、”光り輝いている人”を意味する一方で、”天皇になりそこなった皇子”を意味した。すなわち「源氏」の前に置かれた「光」という言葉は、当時は、”天皇以上にすばらしい才能を持っているが天皇になりそこなった皇子たち”を意味する形容詞でもあった[16]。古代より大勢実在し、後継者争い(壬申の乱)に破れ死亡した大友皇子もその一人で、生前は才能があり眼が光り輝くようだと伝えられている[16]。(参考文献)『源氏物語 - 天皇になれなかった皇子のものがたり』新潮社(2008/9/1) - ^ 894年の遣唐使停止で大陸文化の流入がなくなったことで、日本独自の文化が発展。その一つが文字で平仮名、片仮名が誕生した(発明された)。
古事記、日本書紀、万葉集等々、漢字のみで全文を記述していた時代に比べ、特に平仮名によって日本語を話し言葉で書けるようになり繊細な感情や雰囲気を表現する自由度が大きく増し[18]、源氏物語の誕生以前から平仮名(変体仮名)を用いた創作活動が展開され、『竹取物語』『大和物語』『伊勢物語』『うつほ物語』など作者不詳の物語作品をはじめ、紀貫之の日記文学『土佐日記』、和歌集では『古今和歌集』(真名序は漢文) 等々、貴族階級の男女によりあるいは天皇の命により生まれた。
10世紀末からは紫式部や清少納言なども平仮名を積極的に和歌、物語、随筆などの創作物そして手紙や日記などに使った。この平仮名の成立と浸透で平安期には女性作品が多数生まれ、その後の国文学の発展へと繋がった[19][20]。
「男手」(おとこで)、「女手」(おんなで)については、この当時、漢字(漢文 万葉仮名)を主に男性が使用したことから漢字は「男手」と呼ばれ、それとは対象的に平仮名を主に女性が積極的に使ったため平仮名は「女手」と呼ばれた[21]。 - ^ 一例として、第5帖「若紫」で、光源氏が10歳の少女(*)を家に迎え「書」や「琴」など教え教養豊かに育て少女が成人し14歳の夜に突如男女の関係にしてしまう場面は(第9帖「葵」)、文章にはその夜の描写・記述は一切ない。朝、枕元のすずり箱に置いてあった和歌『あやなくも隔てけるかな夜を重ね さすがに馴れし夜の衣を(*2)』のみが読者にその夜の出来事を知らせている。ちなみに少女は父親のように慕った相手から突然思いもしないことをされて心に負った傷は深く以後かなり長く光源氏を拒絶することになる[22]。
(*)後の「紫の上」。(*2)今まで仲良くして来たが、なぜもっと早く一線を超えなかったのか、一線を超えた今はすばらしい関係になれた[22]。 - ^ 源氏物語は一般的に「宮廷での恋愛感情が美しく描かれる」[23]と紹介されることが多いが、実際はそこから連想される直接的な性的描写はゼロに等しい[24]。それらの場面は季節・四季の変化等々にたとえて描かれる。読者はそこから話の展開、事の顛末を察することができないと、「宮廷の美しい恋愛感情」の観賞どころか、早々に物語の展開自体がわからずついていけなくなる[24]。なお、現代語訳版の中には注釈など付けある程度わかりやすく読者へ配慮がされているものもある。
- ^ 都では放火と見られる火災が異常なほど激増、政治への不満が放火として爆発、中でも宮中の内裏は巨額の国費で何度再建しても燃え再建を諦めた[27]。
- ^ 一条天皇は源氏物語を女房に読ませそれを聞いて述べた言葉、『この人は日本紀(*)をこそ読みたるべけれ、まことに才あるべし』(作者は日本紀(*)を読んでいるはずだ、かなりの学者のようだ)[29]。
(*)日本紀、漢文で書かれた日本の歴史書で、6つの史書「六国史」を指す。「日本書紀」、「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」。 - ^ 物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなど「古典の中の古典」、日本文学史上最高の傑作ともされる[38][39]、また20世紀以降、英訳、仏訳などで欧米社会にも紹介され、『失われた時を求めて』など、20世紀文学との類似から高く評価されるようになった。
- ^ 『源氏物語』や『枕草子』の中で『うつほ物語』の一部が記されており[41]、『源氏物語』以前に『うつほ物語』が存在していたことがわかるが、2008年(平成20年)の源氏物語千年紀委員会(近畿各府県他)の「源氏物語千年紀事業の基本理念」で、『源氏物語』を「世界最古の長編小説」と位置づけている[42]。王朝文学に詳しい作家中村真一郎による、(古代ラテン文学の)アプレイウスの『黄金のロバ』や、ペトロニウスの『サチュリコン』に続く「古代世界最後の(そして最高の)長篇小説」『源氏物語』とする意見や[43]、島内景二のように日本国内にも平安前期成立の日本の物語『竹取物語』や前述の『うつほ物語』などがあるため『源氏物語』が最古とは認定できないという意見もあり[44]、源氏物語千年紀委員会等とは見解が異なる。
- ^ 「紫の上系」と「玉鬘系」はそれぞれ「a系」と「b系」、「本系」と「傍系」あるいはそれぞれの筆頭に来る巻の巻名から「桐壺系」と「帚木系」といった呼び方をされることもある。
- ^ このうち、江國香織、角田光代、町田康、金原ひとみ、島田雅彦、桐野夏生については当初雑誌『新潮』(新潮社)2008年(平成20年)10月号に掲載されたものである。
- ^ 日本ヘラルド映画(株)は、2006年3月に角川映画に吸収合併された。よって、このアニメ作品は、それ以降は、角川映画として紹介されている。『紫式部 源氏物語』公式サイト(KADOKAWA)
- ^ いわゆる「陀羅尼落葉」とは別の曲である。
- ^ 特に春日野八千代の光源氏役は当たり役として名高い。
出典
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『源氏物語』内の「漢籍」と「漢詩」の引用について、三浦佳子「光源氏の教育観にみる栄華への注視 : 白居易の諷諭詩との関連から」『学芸古典文学』第8巻、東京学芸大学国語科古典文学研究室、2015年3月、35-49頁、CRID 1050006994043411712、hdl:2309/145448、ISSN 1882-7012。 - ^ NHK出版、NHK『100分 de 名著』ブックス 紫式部 源氏物語 P29、上智大学文学部教授 三田村雅子。
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