新年立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 09:30 UTC 版)
江戸時代中期に本居宣長は『源氏物語年紀考』(1763年(宝暦13年))においてそれまでの年立に考察を加え、一部を改めたものを「改め正したる年立の図」として作った。これは後に『源氏物語玉の小櫛』(1799年(寛政11年))第3巻に改良されて収められる。本居宣長の弟子である(直接には平田篤胤の弟子であり母方の甥に当たる)北村久備が著した『すみれ草』(1812年(文化9年))の下巻では、さらに整った形となる。 『源氏物語年紀考』以降のものを「新年立」と呼ぶ。近代以降の多くの『源氏物語』の印刷本や事典・ハンドブック類には年立が収録されているが、ほとんどは新年立を元にしたものにそれぞれの編者らが必要と思われる補訂を加えたものになっている。 新旧の年立の違いは、「帚木」巻から「少女」巻までの間にある1年の「ずれ」である。たとえば「帚木」巻での光源氏の年齢は、新年立では17歳、旧年立では16歳となる。違いの最も大きな原因は「少女」巻と「玉鬘」巻の接続関係をどう理解するかの違いによるものである。 「新年立は、その明瞭さにおいて旧年立より飛躍的に向上しているといえるが、時に新たな取り違えをしている事もある。」とされる。
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