紫の上の年齢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 09:30 UTC 版)
「紫の上」も参照 紫の上の年齢について、「若紫」巻の記述を元にすると光源氏とは7・8歳差となるが、「若菜」巻の記述を元にすると10歳差になる。「若紫」巻(旧年立によれば光源氏17歳、新年立によれば光源氏18歳)で紫の上が初めて登場した際には、「十ばかりやあらむと見えて」(10歳ばかりに見える)と記されている(但し河内本にはこの語句は無い。)。これを10歳であるとすると光源氏より7歳ないし8歳年下となる。これに対して「若菜下」巻の光源氏が47歳である時点において、「今年は三十七にぞなりたまふ」と、37歳の厄年と明記される箇所があり、これに従うと光源氏より10歳年下となる。この点について、古注釈の記述を見ると、 藤原定家は大島本「御法」巻の奥入において、「六条院五十紫上四十三」と記しており、「若紫」巻での記述に基づく年齢差を正しいものとしている。 『細流抄』は、「女は三十七重厄なり、薄雲女院も三十七にて崩じたり。総じて紫上は源氏に七ばかり妹と見えたり。然れば源氏は四十七歳也、紫上は四十なるべきを紫式部思うようありてかく書けるなるべし」 本居宣長は、『源氏物語玉の小櫛』において、「三十七とあるところは三十九とあるべきで、写し誤ったか紫式部が書き誤ったかであろう」としている。 と、いずれも「若紫」巻での記述をもとにした論を展開している。 現代の様々な研究書においても、「紫上37(年立上39~40)」、「本文に三十七歳。実は四十歳」、「紫上37(39)」、「但し、紫上は源氏より七歳年下で実は四十歳であり、他の巻の年齢と矛盾する」、「紫上39(但し本文は37)」、「紫上39(但し本文には37)」、「紫上39(ただし本文には37)」と、両論を併記する説明がなされており、解決はされていない。
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