すみれ草
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『すみれ草』(すみれぐさ)とは、江戸時代に北村久備により著された『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語すみれ草』とも呼ばれることがあり、『菫草』と表記されていることも多い。1812年(文化9年)の刊本が存在するためそれ以前の成立と見られる。『すみれ草』の題名は著者により序文末尾に記された和歌「なつかしみはる野のすみれ摘みつれどつね人からのものにぞ有りける」によるとみられる。
- ^ 重松信弘「辞書・索引・系図。年立」『新攷源氏物語研究史』風間書房、1961年(昭和36年)、pp. 401-409。
- ^ 「すみれ草」井伊春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、pp.. 414-417。 ISBN 4-490-10591-6
- ^ 永井和子編『源氏菫草 学習院女子中・高等科図書室蔵』学習院女子短期大学国語国文学会、笠間書院発行、1999年(平成11年)3月。 ISBN 4-305-70202-9
- ^ 「源氏菫草」井伊春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、p. 172。 ISBN 4-490-10591-6
すみれ草
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/02 02:33 UTC 版)
詳細は「すみれ草」を参照 すみれ草とは、平田篤胤の弟子である北村久備が本居宣長による源氏物語の注釈書『源氏物語玉の小櫛』を補完するものとして著したものであり、序文では「本居宣長が『源氏物語玉の小櫛』でなし得なかった系図に、年立を加えたものである」とされている。平安時代末期以降の伝統を持つ源氏物語の人物系図と室町時代の一条兼良以来の伝統を持つ源氏物語の年立について、本居宣長ら国学者による合理的な解釈を施して整理し、ほぼ現在の形を確立したものであり、これ以後の源氏物語研究に大きな影響を与えた。 このすみれ草はそれまで主流であった実隆本と比べたとき以下のような特色を持っている。 冒頭に「系図略図」としてほぼ人名だけからなる全体を俯瞰する系図を置き、その後に個々の人物に詳細な説明を付した系図を置いている。 兄弟姉妹の並べ方について、それまでの系図が例外はあるものの長幼に関係なく全ての男性を先に記述し、女性をその後にまとめて記述することが多かったのを改め、男女に関係なく年齢順に記述している。 光源氏を「六条院」、浮舟を「手習三君」とするなど平安時代末期に源流を持つ古系図時代から受け継がれてきた源氏物語系図独特の人名表記について「わかりにくい」として現在見られるような一般的な記述に改めている。 系図以外の附載文書について、古系図にしばしば付けられていた伝説的な形で源氏物語の成立事情を説明する「源氏物語のおこり」などは付けられていない この「すみれ草」は年立と組み合わせた全3巻の構成を取っているが、これは古系図にしばしば附されていた巻名目録の発展したものであると見られる。(天文本系図には系図に附されている巻名目録に簡単な年立が附されているという中間段階といえるものがある。) 「すみれ草」は明治時代以降も実用的な源氏物語系図として利用されており、大正元年に刊行された源氏物語の書籍にも歴史的な過去の文書としてではなく「読者が源氏物語を読むに当たって役立つ参考文書」としてすみれ草をそのまま掲載しているものがある。また昭和になってから刊行された書籍では、その中に収められた「系図」はすみれ草そのものではないものの、すみれ草の冒頭部分の「系図略図」をほぼそのまま受け継いだような個々の人物の事績に関する詳細な記述を持たないものだけになっている。
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