とうせん‐きょう【投扇興】
投扇興
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投扇興(とうせんきょう)とは日本の対戦型ゲームの一種である。「枕」と呼ばれる桐箱の台の上に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投げ、その扇・蝶・枕によって作られる形を、源氏物語や百人一首になぞられた点式に沿って採点し、その得点を競う。
歴史・由来
江戸時代中期、1773年(安永2年)の初春に皇都(天皇の住む都、京都)で『曲扇興圖式』という指南書が出版された。同年の夏に出版された『投扇例』では、張藩(尾張藩、現・名古屋)城西に住む投樂散人其扇が、この年の6月(水無月)に投壺(とうこ)という遊戯を参考に投扇興を考案したと書かれている。さらに同年初冬に江戸で出版された『投扇興圖式』には、考案者の投樂散人其扇は花都(現・京都)の生まれであることが書かれている。一方、奈良の法華寺には江戸時代の投扇興の道具が残されており、この寺の其選和尚が投扇興を創案したという言い伝えがあるという(『日本のおもちゃ』)。このような矛盾点から、投樂散人其扇の実在性が疑問視され、出版にあたり創作された架空の雅号であると考えられている。太田南畝の『半日閑話』の安永二年癸巳(1773年)の頁に「冬の初より投扇興流行す」とあり、浜松歌国が記した『摂陽奇観』の安永二癸巳(1773年)の頁には「この遊びは京師より發りて、浪花にうつり、東武に至て専ら流行す」とある。1774年(安永3年)の正月には、江戸で『投扇興譜』[翻刻]が出版され、同年5月には、芝三田の遠州屋から『投扇新興』が出版されている。公家の柳原紀光が書いた『続史愚抄』には「[意訳]安永三年(1774年)六月十九日、この頃世間で流行する投扇興が御前でも行われ、関白以下の高官、権中納言光為ら殿上人が参上した」と記録されている。1776年(安永5年)に江戸で出版された『青楼美人合姿鏡・春夏』には、吉原遊廓の遊女たちが投扇興で遊ぶ姿を北尾重政が浮世絵にしており、的となる「蝶」は花形で描かれている。
それまでの指南書にある銘定は、小倉百人一首の一部の和歌に準拠したものが多かったが、1789年(寛政元年)に出版された『投扇興仕方』(出版地不明)では『源氏物語』の五十四帖の巻名が採用されており、的となる「蝶」は現在と同じ銀杏形で描かれている。1790年(寛政2年)出版の『扇容曲』[翻刻]には「安永二の年の頃、投扇興と号て江都(現・東京)に此遊び出来にけるが、やゝ二年ばかり人々もてはやしけるに、いくほどなくすたれ行、今はまれまれにも、もてあそぶ人のなきこそ‥‥」と書かれていて、的となる「蝶」は花形で描かれている。
1809年(文化6年)には三都(京都、東都、浪華)で『投扇式』[翻刻]が出版され、1816年(文化13年)に喜多村信節が記した『嬉遊笑覧』には、「投扇興、安永二年の頃より此こと流行す。其ころの繪を見るに、的に立るは、かりそめに銭などを紙に包み、捻りたる也。又は燭臺に蝋そくを灯し、其火を打つなどする體なり。今のごとく蝶といふ物を作り、臺をまうけ、打ちたる蝶の落散る形、さまざまなるを源氏の巻の名を命じて、甲乙を定、點点数を争う戯となりしは、後にし出し事なり。【上方より初りしなるべし】」とある。浜松歌国が記した『摂陽奇観』の文化十四丁丑(1817年)の頁には「当夏投扇流行。難波新地野側を初め、大阪の市中所々に會席を設けて點式の勝劣を諍ふ事夥し。四季の茶屋にて大會有。之とも節、故障之義出来に付、其後は次第に相止どもへ今に新町の通り筋、難波新地などにまばらに席あり。明和の末、安永初めの頃、投扇會、大きに流行すといへども、風流家の戯遊にして、今年のごとく無雅の輩も翫ぶにはあらじ」と否定的に書かれている。投扇競場が江戸や大坂の繁華街で営業するようになり、そこでは賭博に利用されたため、幕府により禁止された。斎藤月岑が著した『武江年表』には、1822年(文政5年)「投扇の戯、世に行われしが、辻々に見世をかまへ賭をなして甲乙を争いしかば、八月にいたりて停らる」と書かれており、『江戸町触集成 第12巻』で、8月17日に出された投扇興を禁じた町触を確認できる。1825年(文政8年)に販売された歌川国貞による美人画の浮世絵『風流投扇興』では、的となる「蝶」が蝶形で描かれており、これと同型の道具を東京国立博物館が所蔵しており、枕の裏には「天明二年(1782年)十二月之を求む」と書かれている。
『諸國見聞圖繪』には「文政十年(1827年)春頃より、扇子の手遊びを投扇興と號け、淺草奥山、上野山下、芝神明町、其の他各所に於て専ら流行す」書かれている。また喜田川守貞が記した『守貞漫稿』には「文政中、三都大ニ行レ、今ハ廃スレドモ、京坂ニモ此場一二戸、江戸ニモ一二戸、今猶存ス」とあり、1853年(嘉永6年)の時点で投扇競場が細々と営業していたことがわかる。この頃の嘉永年間に作られたとされる歌川国貞による三枚続きの浮世絵『春遊投扇興』や、1857年(安政4年)に出版された『源氏品さだめ』(出版地不明)では、的となる「蝶」が現在と同じ銀杏形で描かれている。
歌舞伎の江戸三座のひとつである守田座は、1871年(明治4年)に新富町に引っ越したことで新富座と呼ばれるようになり、その新富座の3階で歌舞伎役者たちが投扇競大相撲という大会を開催している。1879年(明治12年)6月の遊戯場統計調査によると、東京では投扇競場3軒が許可を得て営業していたことがわかる(『明治・大正・昭和世相史』)。同年、守川周重が描いた『源氏五十四帖投扇興点附』が販売されている。1894年(明治27年)の『明治節用大全:伝家宝典』には「投扇興は維新前までは盛に行はれたれど、今は稍く廃れて其の方法を知るもの少し」とある。
1926年(大正15年)、『古事類苑』の編纂者の一人、黒川眞道が『中央史壇(第12巻第1号)』で発表した『投壺と投扇興について』には、「明治十六、七年位までは浅草の奥山(観音堂裏手の俗称)には、昔ながらの投扇興の店が軒を並べてあり、その他の社寺も参詣人の多いところには見世が張ってあり、白首の姐さん達が投扇の型を諳んじて客を楽しませてゐた」とある。
1927年(昭和2年)、考古学者の大場磐雄が谷川樂石の筆名で、雑誌『書齋(第2年1月号)』で投扇興について執筆している。1928年(昭和3年)発行の『アサヒグラフ(第10巻・第1号)』には、正月遊びが特集され、投扇興で遊ぶ女性たちの写真が掲載されている。
1951年(昭和26年)発行の『毎日グラフ(11月10日号)』では、歌舞伎座の楽屋で投扇興が大流行していたことが記事になっており、四本柱の相撲囲(土俵)や番附の写真が掲載されている。この記事によると、昭和初年に歌舞伎座では投扇興が盛んに遊ばれていたが、20年ぶりの復活だという。1954年(昭和29年)出版の『娯楽大百科』には、投扇興の遊び方が掲載されている。
このように投扇興は流行と衰退を繰り返してきた遊戯であって、伝統的な様式やルールが特定の団体で継承されてきたわけではなく、現在では大小の団体が、様々なルールや形式を用いて各地で活動している。マスメディアに度々取り上げられたことで、投扇興の認知度が上がり、広く知られるようになったが、投扇興が平安貴族による伝統的な王朝文化だと誤解している人もまだ多い。
投扇興の道具
蝶
的のこと。イチョウの葉の形をした、布張りの両脇に鈴を垂らした物が一般的。下には五円玉数枚を入れた錘がついている。大きさは、流派によっても異なるが9×9cm程度。
その他にも木製の物や、和紙で小銭を包んだおひねりの「花」と呼ばれる的を用いることもある。
枕
的を乗せる台のこと。主に桐材を使用する。絵が描かれている物、筆で文字が書かれている物、友禅紙を貼った物などがある。大きさは流派によっても異なるが17.5×9×9cm程度である。
扇
投扇興専用の規格で作られたものを用いることが多い。
宮脇賣扇庵の扇や、其扇流とその支流で用いる扇は、閉じた時の長さが約25cm、開くと幅が約40cm程度の骨8本の物を用いる。この扇は紙の重さに対して、骨を薄く少なくして、軽量化させることにより、ふわりと飛ばせるようになっている。
これに対して、戸羽流や御扇流は骨10本、あるいは12本の扇を用いる。
流派・団体
流派としては其扇流(きせんりゅう)・御扇流(みせんりゅう)・都御流(みやこおんりゅう)・戸羽流(とわりゅう)の四大流派が有名である。その他にも数々の流派・団体が存在し、その数は数十はあると考えられる。
其扇流・東都浅草投扇興保存振興会
1975年頃に浅草観光連盟に於いての扇塚供養のイベントとして浅草にゆかりのある物として復古された。浅草見番で毎年1月 - 9月の奇数月に例会を行い11月には大会、毎年4月には浅草寺伝法院で大会を開いている。連と呼ばれる数人から数十人のグループでの独自の活動もあちこちで行われている。
銘定は宮脇賣扇庵の点式をベースにして点数にアレンジを加えた源氏物語形式を使用している。発足当初は使用する銘を19種類に絞っていたが、後に26種類、40種類、そして2013年に最終形の54種類に増やされた。
道具は荒井文扇堂製などを用いる。
夕霧の会
2004年に発足。最初は其扇流の源氏物語形式40種類を採用していたが、後に独自の源氏物語54種類に移行した。北海道及び関東圏を中心に活動している。
道具は宮脇賣扇庵製などを用いる。
日本投扇興連盟
前身は其扇流の赤坂連。独自の百人一首形式31種類で普及活動を行なっている。東京・埼玉・栃木・群馬に支部があり、定例会が開かれている。
日光二荒山神社では毎年大会が行われる。
道具は投扇菴製などを用いる。
蟻蟻連・神楽坂投扇興の会
銘定は宮脇賣扇庵の点式をベースにして点数にアレンジを加えた源氏物語形式を使用している。
道具は雲錦堂製などを用いる。
都御流
よきひ形式と源氏物語形式(宮脇賣扇庵の点式)、組扇(団体戦)、そして投壺も行なっている。京都と東京に道場があり、例会が開かれている。
道具は宮脇賣扇庵製などを用いる。
戸羽流・戸羽の会
ネット通販などでもっと道具が流通している流派。扇や半げしょうで予約をすれば体験する事が出来る。
点式は18種類の百人一首形式と、名前を変えた源氏物語形式が存在する。しかし、近年になってこの会で使用する市販されている道具にセットでついてくる点式が新たな源氏物語形式に変更されている。
後楽園遊扇会
2000年の「おかやま後楽園300年祭」で投扇興を行なった事により始まる。点式は、戸羽流の百人一首形式などと同じ物を、名前を変えて使用している。
使用している道具は御扇流の道具、戸羽流の道具、荒井文扇堂製などが見受けられる。
御扇流・日本投扇興保存振興会
1974年に設立された投扇興の団体としてもっと歴史のある流派。現在はNPO法人となっている。秋篠宮文仁親王も幼少期に遊ばれた事がある。また、ミス投扇興を選出しており、松居一代もその一人であった。
点式は独自の百人一首形式24種類を使用する。道具は枕や蝶は大きく、それに比べ扇は小さい物を使用し、ルールも非常に独自性がある。
美扇流
関西、大阪を中心に活動している投扇興の流派。シテ方 観世流 能楽師の藤井丈雄が家元を務めている。
戦前に大阪の心斎橋一丁目で営業していた久保田扇舗の源氏物語形式54種類の点式を復刻し、一部改変してて使用している。
ゲームの流れ・ルール
流派によっても違うが、緋毛氈の中央に的を置き、投者2名が向かい合って扇を交互に10回程度投げて、合計得点の高いほうが勝者となる。
投げる距離は0.9 - 1.8m。距離が近い流派の場合、投げる際に前かがみになってはならない、など制約がある。
銘定
扇・蝶・枕によって作られる形を投扇興では「銘」と呼ぶ。銘は『源氏物語』54帖の名前が付けられているもの、『百人一首』に因んだ名前が付けられているもの、地域にゆかりのある名前が付けられているものなどがある。
また流派により同じ銘においても定義や点数が大きく異なる場合もある。基本的に枕を倒した場合の得点は低く(基本的にマイナス点)、形が精美かつ難易度の高い形になった場合の得点は高くなるように設定されている。
其扇流などは銘定を門外不出としている一方、夕霧の会・日本投扇興連盟・美扇流などは公式サイト等でPDFファイルで配布している。
宮脇賣扇庵の銘定
宮脇賣扇庵で販売されている点式の源氏物語形式54種類の銘定を紹介する。
この点式は宮脇賣扇庵で投扇興を販売し始めた大正の頃から、現在まで発行され続けている。
そしてこの銘定は現在、都御流で使用している他、其扇流や夕霧の会、神楽坂投扇興の会、京要の会なども点数や解釈を改変して使用しているなど、多くの団体でベースとなっているため、投扇興の銘定の標準の形と言える。
なお、各銘の但し書きにおいては、ここでは割愛する。
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桐壺(75点)
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帚木(80点)
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空蝉(15点)
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夕顔(8点)
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若紫(10点)
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末摘花(2点)
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紅葉賀(4点)
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花宴(5点)
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葵(5点)
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賢木(7点)
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花散里(無点)
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須磨(10点)
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明石(20点)
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澪標(55点)
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蓬生(35点)
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関屋(1点)
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絵合(3点)
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松風(4点)
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薄雲(2点)
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朝顔(8点)
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乙女(65点)
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玉鬘(25点)
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初音(15点)
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胡蝶(85点)
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蛍(5点)
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常夏(5点)
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篝火(90点)
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野分(過料30点)
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行幸(3点)
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藤袴(5点)
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真木柱(30点)
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梅ヶ枝(4点)
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藤裏葉(45点)
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若菜上(2点)
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若菜下(7点)
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柏木(5点)
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横笛(55点)
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鈴虫(8点)
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夕霧(8点)
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御法(95点)
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幻(25点)
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匂宮(5点)
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紅梅(60点)
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竹河(15点)
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橋姫(30点)
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椎本(25点)
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總角(10点)
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早蕨(4点)
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宿木(8点)
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東屋(5点)
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浮舟(20点)
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蜻蛉(45点)
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手習(無点)
枕に当たった場合はこつん(過料2点) -
夢浮橋(100点)
日本投扇興連盟の銘定
日本投扇興連盟の銘定は、源氏物語形式の銘定の形や点数を元に、百人一首見立てで31種類に集約している。
倒れた蝶と扇が重なり合った場合、どちらが上でも下でも同じ銘になったり、蝶を倒さない限り点数がつかないなどの特徴がある。
「風をいたみ」など図で蝶が2個あるものは、蝶が扇の上でも下でもいいことを表している。
戸羽の会の銘定
戸羽の会の銘定は投扇興図式などの銘定を元にした百人一首形式。
扇が蝶を覆った「雲がくれ」や、枕の上で蝶が倒れた「おく霜」が減点になるのが特徴である。
不中扇は0点を意味する。
- 参加賞: 初霜(3点)
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かりほの庵(12点)
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御幸(11点)的玉倒れ8点
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筑波嶺(10点)的玉倒れ7点
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千鳥(9点)
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富士(8点)的玉倒れ4点
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三笠(7点)的玉倒れ4点
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有明(6点)的玉倒れ3点
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錦(5点)
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秋の野(4点)
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散る花(1点)
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むら雨(不中扇)
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古浪(不中扇)
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ゆらの戸(不中扇)
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山颪(過料3点)
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雲がくれ(過料3点)
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おく霜(過料1点)
- 敢闘賞: 松山(2点)
御扇流の銘定
御扇流は独自の百人一首形式の銘定。
落ちた扇は片付けずに試合を進めるため、「紅葉」のように2本の扇に蝶が挟まれる銘もある。
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乙女(有点)
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古浪(有点)
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つり船(有点)
- 要が重なりし時: 初霜(有点)
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因幡山(1点)
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有明(1点)
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秋風(3点)
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散花(5点)
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千鳥(7点)
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富士(8点)
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三笠(8点)
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山桜(10点)
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御幸(13点)
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雲隠(13点)
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橋立(15点)
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紅葉(23点)
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春の野(23点)
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白雪(30点)
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白妙(40点)
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高砂(50点)
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高飛(無点)
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山颪(過料3点)
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嵐(過料10点)
- 司扇人が違反と判断した時過料とする: 蝉丸(過料3点)
美扇流の銘定
戦前に大阪の心斎橋一丁目で営業していた久保田扇舗の源氏物語形式54種類の点式を復刻し、一部改変して使用している。
京要の会の銘定
宮脇賣扇庵や美扇流の源氏物語形式から抜粋した27種類の点式。「扇や 半げしょう」(代表:吉尾佳世子)オリジナル[1]。フジテレビ『ぽかぽか』の金曜コーナー[2]でも採用。
| 藤袴 | 早蕨 | 東屋 | 若紫 | 明石 | 蓬生 | 浮舟 | 桐壺 | 胡蝶 | ||
| 2 | 8 | 10 | 15 | 20 | 35 | 20 | 50 | 85 | ||
| 初音 | 花散里 | 末摘花 | 宿木 | 須磨 | 夕霧 | 夕顔 | 澪標 | 帚木 | ||
| 10 | 3 | 5 | 8 | 10 | 5 | 8 | 35 | 80 | ||
| こつん | ゆらり | 関屋 | 常夏 | 手習 | 野分 | 幻 | 螢 | 夢浮橋 | ||
| -2 | 2 | 2 | 10 | 0 | -30 | 20 | 45 | 100 |
脚注
関連項目
- お座敷遊び
- 扇子
- 源氏物語
- 百人一首
- 投壺
- ぽかぽか - フジテレビ系列で平日昼に生放送されているバラエティ番組。2024年10月から金曜日(不定期)に投扇興企画が行われている(番組レギュラー出演者及びゲスト出演者計7~9名が1人1回ずつ挑戦し、京要の会の銘定で、全員の合計点数が一定点数以上になれば賞金獲得となる内容)。
外部リンク
- 投扇興研究室
- 投扇興研究室 - 其扇流 - ウェイバックマシン(2012年7月8日アーカイブ分)
- 伝統ゲーム「投扇興」
- 浅草ブロードバンド(其扇流)
- 夕霧の会 - ウェイバックマシン(2013年5月23日アーカイブ分)
- 日本投扇興連盟
- 都御流・投げ扇の世界
- 日本投扇興保存振興会(御扇流)
- 日本投扇興保存振興会 公式Facebookページ
- 投扇興・美扇流(大阪の流派)
- 岡山後楽園(後楽園遊扇会)
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