渋沢栄一 評価

渋沢栄一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 19:23 UTC 版)

評価

経営学者のピーター・ドラッカーも栄一の業績について「誰よりも早く1870年代から80年代にかけて、企業と国家の目標、企業のニーズと個人の倫理との関係という本質的な問いを提起した」と高く評価し、「20世紀に日本は経済大国として興隆したが、それは渋沢栄一の思想と業績によるところが大きい」(『マネジメント務め、責任、実践』)と言及している[45]。ドラッカーによれば、「岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、国外では、わずかの日本研究家が知るだけである。しかしながら彼らの偉業は、ロスチャイルドモルガンクルップロックフェラーを凌ぐ」(『断絶の時代』)とのことである[45]

栄典

位階

爵位

勲章等

外国勲章

賞杯等

  • 1877年(明治10年)4月27日 - 銀盃一個[46]
  • 1878年(明治11年)4月30日 - 銀盃一個[46] 8月 - 銀盃一個[46]
  • 1879年(明治12年)12月 - 銀盃一個[46]
  • 1880年(明治13年)4月 - 銀盃一個[46] 12月 - 木杯一組・銀盃一個[46]
  • 1881年(明治14年)3月 - 銀盃一個[46] 9月 - 銀盃一個[46]
  • 1885年(明治18年)10月13日 - 木杯一個[46]
  • 1886年(明治19年)12月7日 - 木杯一組[46] 12月24日 - 木杯一組・木杯一個[46]
  • 1887年(明治20年)12月20日 - 木杯一個[46]
  • 1888年(明治21年)5月31日 - 木杯一組・木杯一個[46]
  • 1890年(明治23年)3月27日 - 木杯一個[46] 4月3日 - 銀盃一組[46] 12月15日 - 木杯一個[46]
  • 1891年(明治24年)7月8日 - 木杯一組[46] 11月30日 - 木杯一組[46]
  • 1892年(明治25年)3月11日 - 木杯一組[46] 6月15日 - 木杯一個[46]
  • 1893年(明治26年)6月6日 - 木杯一組[46]
  • 1894年(明治27年)4月13日 - 木杯一組[46] 4月17日 - 木杯一組[46]
  • 1895年(明治28年)3月1日 - 木杯一個[46]
  • 1896年(明治29年)3月2日 - 銀牌[46]
  • 1897年(明治30年)6月1日 - 銀盃一個[46]
  • 1899年(明治32年)10月24日 - 銀盃一組[46] 12月6日 - 銀盃一組[46] 12月19日 - 木杯一組[46]
  • 1910年(明治43年)1月21日 - 金杯一組[71]

系譜

渋沢家甲斐源氏逸見氏(もしくは下野源氏足利氏)の流れを汲み、天正時代に始祖となる渋沢隼人が血洗島村にて帰農したという伝承がある。[72] 江戸末期には、血洗島村には渋沢姓を名乗る家が17軒あった。このため、家の位置によって「中ノ家(なかんち)」「前ノ家」「東ノ家」「古新宅」「新屋敷」などと呼んで区別した。

  • 「中ノ家」:宗家であったが、江戸時代初期の明暦年間には家勢が振るわなくなっていた。栄一の父・市郎右衛門は「東ノ家」の当主2代目渋沢宗助宗休(渋沢儀刑の子である初代渋沢宗助宗安の子)の三男として生まれたが、「中ノ家」に養子として入り家勢を立て直し、栄一が生まれるころには村の中で「東ノ家」に次ぐ富農となっていた。栄一が故郷を出てからは妹の貞子が「中ノ家」を守り、須永家より渋沢市郎を婿養子にむかえ4代目とした。貞子・市郎夫妻の長男元治は栄一長女の歌子の娘である孝子と結婚、東京大学工学部長を経て初代名古屋大学総長となり、次男治太郎が地元に留まり、八基村村長、県会議員を務めた。
  • 「東ノ家」:栄一が生まれる頃には一族で一番繁栄していたため、こちらが本家と呼ばれることもある。栄一の父も、栄一の従兄で論語の師でもある尾高惇忠の母も「東ノ家」出身。フランス文学者澁澤龍彦(出生名:龍雄)は、3代目渋沢宗助(栄一の父・市郎右衛門の兄)の玄孫。
  • 「新屋敷」:「東ノ家」から江戸時代末期に分家した。2代目となる喜作(成一郎)は、従弟である栄一と共に故郷を出て、将軍徳川慶喜の奥祐筆彰義隊頭取を務め、明治維新後は実業家として活躍した。
  • 渋沢家(中ノ家)
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渋沢市郎右衛門
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渋沢栄一                                渋沢市郎(婿養子) 貞子
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渋沢篤二 渋沢武之助   渋沢正雄       渋沢秀雄 歌子 琴子 愛子 渋沢元治
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 ┃    ┃     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃  ┃     ┃
渋沢敬三 渋沢信雄 渋沢智雄 女 正一 純子 女 華子   渋沢和男
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 ┃    ┃     ┃
渋沢雅英  紀子    黎子
 ┃
 ┣━━━━┓
 ┃    ┃
 雅明    田鶴子

家族・親族

嫡孫の渋沢敬三
先妻の千代
少女時代の長女歌子と二女琴子(1879年頃)
初孫の穂積重遠
外孫の阪谷希一
最晩年に自宅でラジオ放送に臨む栄一と付添うその関係者。栄一の左後ろに次男の篤二、右端に後妻の兼子、渋沢家の家族たち(1931年9月6日)。
  • ちよ[73][74](1841–1882) - 千代、千代子[75] とも表記される。歌子、琴子、篤二の母。尾高惇忠の妹であり、栄一とは従兄妹同士である。コレラで死亡した。
  • 兼子[73](1852–1934)[76] - かね[77] とも表記される。武之助正雄、愛子、秀雄の母。兼子は水戸藩の公金御用達も務めた江戸屈指の豪商、深川油堀の伊勢八こと伊藤八兵衛の娘。当初は婿を取って家を継いでいたが、明治維新後に横浜居留地の外国商人との為替取引が一因で家業が傾き、夫を離縁していた。家の没落のために芸妓をしていたときに栄一と知り合い[78]、1883年(明治16年)1月18日、先妻と死別していた栄一の後添えとなる[79][注 2]。なお、深川にあった栄一の邸宅は兼子の実家が没落時に手放したものだったと巷説された[81] が、深川の渋沢邸(福住町)と兼子の実家である伊藤八兵衛の広大な屋敷(佐賀町)は堀を挟んで対岸であり、ごく近所であるが同じ邸宅ではない[82]。日本画家の淡島椿岳は叔父、淡島寒月は従弟になる。
  • 大内くに(1853–?)[83] - 京都生まれ。大工の夫が鳥羽・伏見の戦いに出たまま行方知れずとなったため、女中となった。大蔵省で働いていた時、大阪造幣局へ出張中に三野村利左衛門が設けた宴席でたまたま女中として働いていたために出会った。後に、栄一の友人でもある織田完之の後妻となる。2人の娘は尾高家縁者の尾高次郎大川平三郎に嫁いだ。
夭逝した子供、庶子を含めると多数の子女がいたが[注 3]、嫡出の7人の子女とその配偶者およびその子女によって渋沢同族会が組織された[86]
  • 長男:市太郎[73](1862–1862) - 母は千代。夭逝[73][74]
  • 長女:歌子[73](1863–1932) - 母は同上。宇多[74]とも表記される。皇学者の息子でイギリスに約5年留学し、後に東京大学法学部長、男爵枢密院議長となる法学者穂積陳重に嫁ぐ。著書に『穂積歌子日記』みすず書房
  • 二女:琴子[73](1870–1939) - 母は同上。こと[74]とも表記される。大蔵官僚で後に大蔵次官、大蔵大臣、東京市長、子爵、龍門社理事長となった阪谷芳郎子爵(琴子生前には男爵)に17歳で嫁ぐ。
  • 三女:伊登[73](1871–1872) - 母は同上。夭逝[73][74]
  • 次男: 篤二[73](1872–1932) - 母は同上。澁澤倉庫会長、妻は公家華族橋本実梁伯爵の娘敦子。渋沢家嫡男であったが1913年(大正2年)に廃嫡となり、18歳となった長男の敬三が嫡孫となる。理由は諸説あり定かではない。新橋の芸者・玉蝶との遊蕩を理由との説[87] もあるが、事業家というより感性豊かな芸術家肌で、一族を統べるには蒲柳の質が心配されており、栄一は自身の没後の異母弟らとの家督を巡る争いの芽を事前に摘むための措置を取ったとも考えられている[80]
  • 三男:無相真幻大童子[77](1883) - 母は兼子。生後すぐに逝去[77]
  • 四男:敬三郎[73](1884–1885) - 母は同上。夭逝[73][77]
  • 五男:武之助[73](1886–1946) - 石川島飛行機製作所2代目社長[88]。母は同上。妻は資生堂創業者福原有信の四女美枝。
  • 四女:止観妙心大童女[77](1887) - 母は同上。死産[77]
  • 六男:正雄[73](1888–1942) - 母は同上。日本製鐵副社長。石川島飛行機製作所初代社長[88]石川島造船所専務。
  • 五女:愛子[73](1890–1977) - 母は同上。愛[77] とも表記される。銀行家で後に澁澤倉庫会長、第一銀行頭取、龍門社理事長となった明石照男に嫁ぐ。
  • 七男:秀雄[73](1893–1984) - 母は同上。田園都市開発取締役、東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長。庶子を除き子女の中では、唯一長寿を全うした。
  • 八男:遍照芳光大童子[77](1895) - 母は同上。死産[77]
  • 九男:忠雄[73](1896–1897) - 母は同上。夭逝[77][89]
  • 庶子:文子(1871–?) - 母は大内くに。後に東洋生命社長、武州銀行頭取となった尾高次郎に嫁ぐ。次郎は栄一の妻千代の兄尾高惇忠の子。
  • 庶子:照子(1875–1927) - 母は同上。後に富士製紙社長、武州銀行頭取となった大川平三郎に嫁ぐ。平三郎は栄一の妻千代の姉の子。
  • 庶子:星野辰雄(1893–?) - 東京印刷社長・星野錫の養子となる。立教大学教授、専門は商法、フランス法。栄一の長女歌子の夫穂積陳重の弟穂積八束の次女と結婚。
  • 庶子:長谷川重三郎(1908–1985) - 第一銀行頭取。
  • 養子:平九郎[73](1847–1868) - 栄一の妻千代の弟[73]。栄一が幕末の洋行に際し不測の事態でも家系が断絶しないように見立て養子としたが、栄一帰国前に飯能戦争で新政府軍に敗れて自決。
  • 穂積重遠 - 歌子の長男。栄一の初孫。男爵、法学者、東京大学法学部長、最高裁判事、東宮大夫。「日本家族法の父」と呼ばれる。父の穂積陳重の死後に男爵を受け継ぎ穂積男爵家2代目当主となる。
  • 穂積律之助 - 歌子の次男。海軍造船少将、退役後、石川島造船所(現IHI)取締役。
  • 渋沢孝子 - 歌子の長女。東京大学工学部長、名古屋大学総長、渋沢元治の妻。
  • 石黒光子 - 歌子の次女。農林省次官、農商大臣、参議院議員、石黒忠篤の妻。
  • 穂積真六郎 - 歌子の四男。朝鮮総督府殖産局長から朝鮮商工会議所会頭。のち参議院議員。
  • 市河晴子 - 歌子の三女。東京大学教授、日本英文学会会長、市河三喜の妻。
  • 阪谷希一 ‐ 琴子の長男。子爵、日本銀行から関東庁に転じ、退官後は満州国総務庁次長中国聯合準備銀行顧問。父の死後に父から子爵位を受け継ぎ阪谷子爵家2代目当主となる。
  • 阪谷俊作 ‐ 琴子の次男。名古屋図書館館長。
  • 堀切敏子 - 琴子の長女。拓務次官、法制局長官、内相、堀切善次郎の妻。
  • 高嶺和子 - 琴子の次女。物理学者、東京大学教授、高嶺俊夫の妻。
  • 中村八重子 - 琴子の三女。銀行家、貴族院議員、男爵中村貫之の妻。
  • 渋沢敬三 - 篤二の長男。嫡孫。子爵、民俗学者、澁澤同族株式社長、澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、第16代日銀総裁、大蔵大臣。父・篤二の廃嫡後に祖父・栄一より後継者に指名される。栄一死後に栄一から子爵位を受け継ぎ渋沢子爵家2代目当主となった。
  • 渋沢信雄 - 篤二の次男。兄や弟と同じく貿易商や澁澤倉庫監査役など実業家として活動した。1931年の結婚を機に分家。妻は音楽教育家齋藤秀雄の妹。早世が多かった篤二の子息でもっとも長命な人物であった。
  • 渋沢智雄 - 篤二の三男。1928年の結婚を機に分家。2人の兄と同じく澁澤倉庫常務など実業家として活動したものの戦後まもなく46歳の若さで早世した。
  • 渋沢正一 - 正雄の長男。アジア経済研究所理事長。
  • 鮫島純子 - 正雄の次女。著述家。
  • 明石景明 - 愛子の長男。商工中金理事。
  • 明石正三 - 愛子の三男。足利銀行監査役。
  • 明石武和 - 愛子の七男。味の素副社長。
  • 渋沢華子 - 秀雄の三女。小説家。
  • 尾高豊作 - 文子の長男。実業家、埼玉銀行頭取。日本技術教育協会会長。
  • 尾高朝雄 - 文子の次男。法哲学者、東京大学法学部教授。
  • 尾高邦雄 - 文子の三男。社会学者。東京大学文学部教授。妻は哲学者和辻哲郎の娘。
  • 尾高尚忠 - 文子の四男。指揮者、作曲家。
  • 田辺孝子 - 照子の娘。本州製紙会長・田辺武次の妻。
曽孫
  • 渋沢雅英 - 嫡孫・敬三の長男(長男・篤二の孫)。現渋沢家当主。渋沢栄一記念財団前理事長(現在は相談役)、東京女学館元理事長、MRAハウス元理事長、イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問。2023年1月の鮫島純子の死去[90]により生前の栄一と面識ある存命の子孫は雅英1人のみとなっている。また高齢となった現在でも渋沢家当主として様々な活動をしている。また著述家としても活動し『父・渋沢敬三』や、『太平洋にかける橋渋沢栄一の生涯』など著書多数。
  • 佐々木紀子 -嫡孫・敬三の長女(長男・篤二の孫)。渋沢子爵家ゆかりの佐々木一族の佐々木繁弥と結婚した。
  • 服部黎子 - 嫡孫・敬三の次女(長男・篤二の孫)。微生物学者。夫の服部勉も微生物学者である。
  • 渋沢裕 - 信雄の長男(長男・篤二の孫)。元ソニー取締役。
  • 渋沢彰 - 信雄の次男(長男・篤二の孫)。著述家、翻訳家。
  • 渋沢芳昭 - 智雄の長男(長男・篤二の孫)。実業家、著述家。
  • 渋沢寿一 - 正一の長男(三男・正雄の孫)。 NPO法人樹木環境ネットワーク協会専務理事。
  • 阪谷芳直 -阪谷希一の子(次女・琴子の孫)。 銀行家、エコノミスト、思想家、翻訳家。
  • 穂積重行 - 穂積重遠の長男。西洋史学者。
  • 磯野富士子 - 穂積律之助の次女。モンゴル研究家
  • 岩佐美代子 - 穂積重遠の娘。国文学者。
  • 石黒孝次郎 - 石黒光子の子。古美術商、レストラン経営者。
  • 久留都茂子 - 尾高朝雄の娘。東京女学館短期大学学長。
  • 尾高煌之助 - 尾高邦雄の子。経済学者。
  • 尾高惇忠 - 尾高尚忠の子。作曲家。
  • 尾高忠明 - 尾高尚忠の子。指揮者。
  • 河野典子 - 土屋喜久子の娘。河野雅治駐ロシア特命全権大使の妻。
  • 大川慶次郎 - 大川照子の子義雄の子。競馬評論家。
  • 諸井勝之助 - 尾高文子の娘アヤと永田甚之助の子、諸井貫一(渋沢家・尾高家の遠戚)の婿養子。会計学者。
玄孫
  • 渋沢田鶴子- 敬三の長男・雅英の娘(長男・篤二の曽孫) [91]。渋沢家次期当主。渋沢栄一記念財団理事、MRAハウス理事。弟の雅明が2016年に死去してからは雅英の事実上の後継者となっている。
  • 渋沢雅明- 敬三の長男・雅英の長男(長男・篤二の曽孫)[91]
  • 渋沢健 - 智雄の長男芳昭の子(長男・篤二の曽孫)。シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役、コモンズ投信会長。
  • 長谷川三千子 - 市河晴子の娘である三枝子と野上耀三の娘。哲学者、評論家。
  • 鮫島弘子 -鮫島純子の孫(三男・正雄の曽孫)。 andu amet(アンドゥ・アメット)代表取締役兼チーフデザイナー。
来孫

注釈

  1. ^ 1890年12月15日、第1回帝国議会の貴族院予算委員会に出席すると同時に休暇を願い出て認められている。
  2. ^ 栄一が兼子と結婚した時期については異説がある。穂積歌子の孫の穂積重行は『穂積歌子日記』の文中に「栄一は十五年に妻千代を失い、十八年末頃かね子と再婚した。」と注釈をつけている。鹿島茂もこの注釈をもとに「兼子が1883年(明治16年)1月頃妾の一人として渋沢家に入ったが、その後栄一と兼子との間に続けて3人の子供(内2人は夭逝)ができたこと、さらに栄一が兼子を気に入ったことから、1885年(明治18年)末に正式に結婚したのではないか」と推測している[80]
  3. ^ 作家の佐野眞一は『渋沢家三代』のなかで「一説には、栄一が生涯になした子は二十人近くにのぼるといわれている」と記している[84]。歴史研究家の河合敦は、栄一が花柳界でも知られた存在だった点を挙げ、「20人の子がいたとされるが、一説には50人」と記している[85]

出典

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  21. ^ a b 見城悌治「渋沢栄一の宗教観と道徳観」
  22. ^ デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 『第36巻(DK360071k) 本文』 1925年(大正14年)- 1926年(大正15年)
  23. ^ デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 『第36巻(DK360074k) 本文』 1928年(昭和3年)
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  25. ^ 渋沢栄一。本当は「エイイチ」ではなく「ヒデカズ」だった!? 大物は細かいことは気にしない!(2021年10月12日)
  26. ^ 衆議院編『衆議院議員総選挙一覧』(衆議院事務局、1912年)p.2
  27. ^ 官報』第2182号(明治23年10月6日)
  28. ^ 『官報』第2503号(明治24年10月31日)
  29. ^ 『渋沢栄一伝記資料』第27巻(渋沢栄一記念財団)]
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  31. ^ 渋沢栄一『論語と算盤』(角川学芸出版、2008年10月25日、ISBN 978-4044090012 )22頁
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  33. ^ a b デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 『第36巻(DK360078k) 本文』 1930年(昭和5年)5月21日
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渋沢栄一と同じ種類の言葉


固有名詞の分類

日本の実業家 飯田新一  久世庸夫  渋沢栄一  加島恵太郎  藤巻幸夫
実業家 諸井貫一  中橋徳五郎  渋沢栄一  三浦新七  藤巻幸夫
明治時代の人物 坪野平太郎  森鴎外  渋沢栄一  外山正一  大口喜六
日本の財務官僚 川崎実  久世庸夫  渋沢栄一  伊吹文明  松川隆志
日本の男爵 小池正弘  西竹一  渋沢栄一  松平正直  松田正久
日本の銀行家 柿内愼市  日原昌造  渋沢栄一  三浦新七  横尾敬介
日本の子爵 本多忠鋒  実吉安純  渋沢栄一  松前修広  織田信親
日本の鉄道実業家 南谷昌二郎  志賀直温  渋沢栄一  堤義明  柴谷貞雄
みずほフィナンシャルグループの人物 青木建  衛藤博啓  渋沢栄一  横尾敬介  下条みつ
日本の海事実業家 荘田平五郎  中橋徳五郎  渋沢栄一  京極高晴  草刈隆郎

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