渋沢芳昭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 渋沢芳昭の意味・解説 

渋沢芳昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/09 22:36 UTC 版)

しぶさわ よしあき

渋沢 芳昭
(澁澤 芳昭)
生誕 (1929-09-12) 1929年9月12日(95歳)
大日本帝国東京府東京市(現・東京都
職業 実業家
銀行員
著述家
セントルイス日本会会長(1998年-2018年
配偶者 あり
子供 長男・渋沢健
父・渋沢智雄
母・渋沢節子
親戚 曾祖父:渋沢栄一
曾祖父:橋本実梁
祖父:渋沢篤二
伯父:渋沢敬三
伯父:渋沢信雄
従兄:渋沢雅英
従弟:渋沢裕
従兄違:渋沢田鶴子
義弟:山本正 (日本国際交流センター理事長)
栄誉 旭日双光章2008年
テンプレートを表示

渋沢 芳昭(しぶさわ よしあき、旧字体:澁澤 芳昭1929年昭和4年〉9月12日[1] - )は、日本実業家、著述家、セントルイス日本会元会長(第7代-10代)[2][3][4]。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢智雄。長男に実業家の渋澤健。従兄弟に渋沢雅英渋沢裕渋沢彰

経歴

1929年、子爵・渋沢栄一の孫・智雄(実業家)と妻節子の長男として誕生する。芳昭が生まれる前年の1928年に父の智雄が分家していたため、幼少期は分家の跡取りとして育てられたという。

戦後間もない1947年4月に父の智雄を亡くす。以降は一家の大黒柱として懸命に働いたという。1956年東京外国語大学卒業[5]

長男・健が誕生した後に仕事の都合により、一家でアメリカに転勤したため、長男健は日本の大学ではなくアメリカの大学で学んだ。

また、実業家として活動する傍ら1998年から2018年まで20年に渡ってセントルイス日本会会長(第7代、8代、9代、10代会長)を務め、2008年には旭日双光章を受章している。

家族

曾祖父の渋沢栄一。
曾祖父の橋本実梁。
伯父の渋沢敬三。
渋沢家
  • 母・節子(中村勇三郎の姉)
  • 弟・芳則
  • 弟・芳純
  • 妹・百合子
  • 妹・加代子
  • 長男・(1961年 - )
親戚

系図

著書

  • 「銀行員の英会話」(1964年)。

脚注

  1. ^ 『会社ガイドブック 1972 下巻』(毎日新聞社、1971年)
  2. ^ 『人事興信録 第12版 上』シ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
  3. ^ 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
  4. ^ 閨閥学-偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢栄一・渋沢正雄・渋沢武之助の家系図・子孫)”. 2022年12月31日閲覧。
  5. ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/11915229/1/908

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  渋沢芳昭のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「渋沢芳昭」の関連用語

1
18% |||||


渋沢芳昭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渋沢芳昭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの渋沢芳昭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS