長谷川重三郎とは? わかりやすく解説

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長谷川重三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 18:20 UTC 版)

長谷川 重三郎(はせがわ じゅうざぶろう、1908年11月5日 - 1985年3月4日)は、日本の経営者第一銀行頭取、全国銀行協会会長(第25代)を務めた。東京都出身[1]

経歴・人物

実父は渋沢栄一[2]、妾との間に生まれたと言われる[3]。一説には、渋沢の13番目の子供ということで「じゅう3郎」というところから「重三郎」と名付けられたという[4]

1932年東京帝国大学経済学部を卒業し、第一銀行に入行[1]1956年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1962年5月に副頭取に就任し、1966年3月に頭取に昇格した[1]1968年には全国銀行協会会長に就任。

頭取としては第一銀行と三菱銀行の合併を目指した。当時の三菱銀行頭取である田実渉とは戦前からの親しい仲で、6歳年上の田実に長谷川が可愛がられていたという[5]。実際に1968年12月には合併契約書への調印にまでこぎつけるが、翌1969年1月1日に読売新聞がこの合併話をスクープしたのを契機に、会長の井上薫ら合併反対派の巻き返しに遭い、結局1月13日に合併話は白紙撤回された[4]。これら行内の混乱の責任を取る形で、長谷川は同年4月に取締役相談役に退いた[1]。また全国銀行協会会長もほぼ同時に辞任している。

1985年3月4日肝硬変のために死去[6]。84歳没。

脚注

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。 
先代
井上薫
第一銀行頭取
1966年 - 1969年
次代
井上薫



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