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長谷川鉱平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 07:01 UTC 版)

長谷川 鉱平(長谷川鑛平、はせがわ こうへい、1908年12月20日 - 1995年7月16日[1])は、日本編集者文筆家

経歴

岐阜県出身、名古屋市生まれ。1924年、私立目白中学校3年編入学、埴谷雄高が同期[2]。1926年、目白中学校4年修了で第一高等学校 (旧制)に入ったが1928年に病気のため退学[2]。1929年、法政大学予科第二部入学[2]。法政大学文学部哲学科卒。岩波書店、1946年中央公論社勤務、『思想の科学』などの編集に当たる。63年中央公論社を定年退職[3]。本州大学教授、改称で長野大学教授、1984年退職。文学、哲学などについて執筆した。

著書

  • 『死と倫理 死についての省察』白揚社 1943
  • 『ダーウィンの周航記 科學物語』愛育社 1946
  • 山椒大夫森鷗外』文学教室 学友社 1948
  • 『歩行者の論理』真善美社 1948
  • 『自己をのばす法』鶴書房 1959
  • 『きみは成功する ほんとうの自分にせものの自分の発見 現代人の出世法』盛光社 ホームライフシリーズ 1964
  • 『本と校正』中公新書 1965/増補新版・中公文庫 2025.9 牟田都子解説
  • 『校正の美学』法政大学出版局 1969
  • 山上憶良 病みてまなび病みて惑うた孤独の老詞客 万葉集の異色詞人』
  • 道二翁の道話 石門心学への序曲 道二翁の心学道話とその倫理 要約・再話』
    各・私家版(制作 鹿島出版会) 1987-1989
  • 『近世思想・近代文学とヒューマニズム 長谷川鑛平評論選』長谷川伸三編 いなほ書房 2006
共編

翻訳

  • T・E・ヒューム『芸術とヒューマニズム』芝書店 1936
    • 『ヒューマニズムと芸術』作品社 1937 
    • 『ヒュマニズムと芸術哲学』宝文館 1953
    • 『ヒュマニズムと芸術の哲学』法政大学出版局・りぶらりあ選書 1967、新版1986
  • T.E.ヒューム『塹壕の思想』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1968
  • クリストファ・コードウェル『幻影と現実 詩の源泉の研究』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1969
  • ハーバート・リード『見えざるものの形 美の哲学への序説』法政大学出版会 りぶらりあ選書 1973
  • B・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ 倫理学から政治学へ』勝部真長共訳 玉川大学出版部 1981

参考

  • 長谷川鉱平教授略歴および著作目録 長野大学紀要 1984-05
  • 文芸年鑑1975 

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ a b c 『近世思想・近代文学とヒューマニズム: 長谷川鑛平評論選』271ページ
  3. ^ 『中央公論社の八十年』



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