ハインリヒ・フォン・シーボルト
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ハインリヒ・フォン・シーボルト(ドイツ語: Heinrich von Siebold, 1852年7月21日 - 1908年8月11日)は、オーストリアの外交官・考古学者。
- ^ a b シーボルトの生涯とその業績関係年表IV西南学院大学 国際文化論集 第27巻 第2号 247-308頁 2013年3月
- ^ 『系譜図』日本シーボルト協会公式サイト
- ^ a b “イザベラ・バードの平取滞在と調査―成果の意義とそれを知るために”. カイ. 2023年2月24日閲覧。
- ^ 明治期先覚者吉田正春とその事績--「考古学」および「西アジア」の視点より大津忠彦、筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所年報(18), 157-169, 2007-08、筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所
- 1 ハインリヒ・フォン・シーボルトとは
- 2 ハインリヒ・フォン・シーボルトの概要
- 3 経歴
- 4 親族
- 5 文献
ハインリッヒ・フォン・シーボルト(小シーボルト)
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「義経=ジンギスカン説」の記事における「ハインリッヒ・フォン・シーボルト(小シーボルト)」の解説
ハインリッヒ・フォン・シーボルト(heinrichi von Siebold,小シーボルト)は、父シーボルトの次男である。北海道の平取などで義経が築いていたというチャシ(砦)などを調査した。よく知られている父と比較して知名度はない。膨大な日本コレクションを蒐集しているところから、小シーボルトと呼ばれている。1881年、「Ethnologische Studien uber die Aino auf der Insel Yeso」に捕論2編を付して公刊、「義経=ジンギスカン説」を肯定的に紹介している。
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