話題・問題になった発言などとは? わかりやすく解説

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話題・問題になった発言など

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)

石原慎太郎」の記事における「話題・問題になった発言など」の解説

石原発言捏造テロップ事件 詳細は「石原発言捏造テロップ事件」を参照 2003年平成15年11月2日TBSサンデーモーニング』が「日韓併合100%正当化するつもりはない」という石原述べた発言語尾編集して日韓併合100%正当化するつもりだ」とテロップ入り事実とは異な放送をした。石原側はこの放送内容抗議行ったものの、TBSから誠意ある回答得られないとして刑事告訴した。その結果名誉棄損容疑TBS社員ら4人が東京地検書類送検されたが、東京地検証拠不十分による不起訴処分とした。TBSは「ミス」として番組謝罪した在日外国人諸文化 在日韓国・朝鮮人らの日本の外国人および外国文化に関する発言政治問題化することがあるが、一方賛同意見もある。2000年平成12年4月9日陸自記念式典において「不法入国した多く三国人外国人凶悪な犯罪繰り返しており、大きな災害起きた時には騒擾そうじょう)すら想定される」と発言し三国人という言葉取り上げられ問題とされた。石原自身ウェブサイトでこの発言について、単に外国人犯罪について言及した発言であり朝日新聞特定組織三国人という語の差別性だけを拡大解釈された、との考え示している。また「謝罪の必要はない」とも述べた2001年平成13年5月には、中国人犯罪について民族的DNA表示するような犯罪蔓延することでやがて日本社会全体資質変えられていく恐れ無しはしまい」と主張した2004年平成16年10月都庁であった首都大学東京支援組織設立総会フランス文学が好きでフランス語勉強した述べた上でフランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」「都立大フランス語講師が8人いて、受講者1人もいない」との主旨発言をした。これに対し東京都立大学人文学部フランス文学専攻教員らが「石原東京都知事発言撤回求める」と声明発表した。後にフランス語教育関係者らによる訴訟発展した韓国人については「韓国対す差別意識はない。私がもっと尊敬する政治家朴正煕大統領だ」との認識インタビュー語っている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また帰化人金田正一在日コリアンつかこうへいとも親交がある。また思想的正反対ありながら柳美里作家として評価する発言をした事もある[要出典]。一方オリンピック福岡誘致応援した姜尚中について「怪しげ外国人出てきてね。生意気だ、あいつは」と発言した日本人日本人には携帯電話使って売春する子供が、小学生でもざらにいる。300万円1000万円も貯めて、それを駅のコインロッカー隠している。こんな風俗他の国にはまずない」と主張している。石原その主張根拠として読売新聞社会部が著した書籍『親は知らないネットの闇に吸い込まれる子どもたち』(2010年11月)を挙げている。 東日本大震災について 2007年平成19年4月8日都知事選の当選確定直後会見で「阪神大震災では首長判断遅くて2000人が死んだ」と発言震災当時兵庫県知事貝原俊民が「見当違い」と反論した反論受けた石原4月27日定例会見で、「ちょっと数字違ったかもしれない」「佐々さんの受け売りなので、彼に聞いてほしい」と発言2011年平成23年3月14日には、東日本大震災により日本の東北地方で広範囲津波被害受けたことに関して、「被災者方々はかわいそう」としながらも、「アメリカアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本そんなものはない。日本人アイデンティティー我欲物欲金銭欲。この津波をうまく利用して我欲1回洗い落とす必要があるやっぱり天罰だと思う」とコメントした同日記者会見で「天罰発言について「意味がどうあれ被災され方にとっては非常に不謹慎な発言だと思いますが、撤回されるお考えはありませんでしょうか」と追及されると、「『被災された人は非常に耳障りな言葉聞こえるかもしれないが』と言葉添えた」と釈明し撤回をしなかったが、実際にそのような言葉添えていなかった。この発言対し津波被害受けた宮城県村井嘉浩知事不快感示したほか、長渕剛も、自身ラジオ番組長渕剛 RUN FOR TOMORROW 〜明日に向かって〜』で「ふざけるな石原東北の人たちが何をした」と非難果てはメール電話による批判東京都庁多数殺到したため、石原は翌3月15日会見で「天罰発言撤回し謝罪をするに至った。この石原の「天罰発言は、日本だけでなく韓国でも大きく取り上げられた。韓国メディアは、「日本韓国併合韓国人望んだことだ」とする石原過去の発言にも触れつつ、「韓国人望んで日本人韓国併合したとの妄言悪名高い石原知事今度自国民に大きな傷を負わせた」「石原知事自国民にまで毒舌」などと批判的な報道繰り広げた。さらに、石原折しも自らの4期目当選狙って都知事選への出馬表明をした直後に「天罰発言行ったことについて、韓国メディアは「苦しみ悲しみに耐えながら頑張っている国民慰めどころか大きな傷を与えた石原知事対し東京有権者が(今回都知事選で)どのような判断下すのか注目される」とコメントしている。また、三宅久之支持をする一方桂ざこばからは「共感できない」と苦言泉谷しげるなどは激怒しながら批判をした。 原子力発電所事故について 石原は自らを「原発推進論者」であると公言している。東京都知事就任した翌年2000年平成12年4月26日東京国際フォーラム開かれた日本原子力産業会議第33回年次大会の場において、石原は「完璧な管理技術前提とすれば東京湾原子力発電所原発)を造って良い思っている」などと発言していた。ただし、石原構想は、東京都電力依存軽減するために、(津波巨大地震をやり過ごせる)フローティングシステムの上に、東芝製の4Sのような5万キロワットクラスの超小型原発を必要数東京湾浮かばせるという具体的なものであったその後2011年平成23年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震の影響福島第一原子力発電所爆発事故起こし大規模な放射能汚染福島県のみならず東京都民の生活にも深刻な悪影響及ぼしている状況の中で、石原同年3月25日福島県災害対策本部訪問した際、報道陣の前で「私は原発推進論者です、今でも日本のような資源のない国で原発欠かしてしまったら経済立っていかないと思う」などと発言した2011年東京都知事選挙において、東国原英夫渡邉美樹小池晃など他の立候補者が原発危険性強く指摘し原発廃止見直し訴えていた中、原発増設推進賛成の意を表していた立候補者は石原だけである[要出典]。 首相への発言行呼びかけ 2010年平成22年6月19日札幌市内開かれたたちあがれ日本集会で、菅直人内閣総理大臣について、「もし、自衛隊観閲式国旗入場で立たなかったら構わないから殴れ殴られもしょうがない」と発言した女性専用車両 2012年2月24日都庁定例記者会見で、記者から「女性専用車両差別では」との質問に際に、「混雑差はそんなにあるのか」「女性弱者ではない」「今度俺が女性専用車両乗ってみるが痴漢扱いされたら問題提起する」と、女性専用車両にある数々問題厳しく指摘する見解示された。しかし、その一方で知事をしていた当時東京都交通局では都営地下鉄女性専用車両設置している。石原慎太郎都知事記者会見女性専用車両問題視 - YouTube 東京中央郵便局建替問題 2009年平成21年)、当時総務大臣鳩山邦夫東京中央郵便局建物文化財価値鑑み建替え反対の立場とってい問題に関して石原都知事は、計画前後までに文化財価値指摘すれば計画自体大きな変化があったのであり、そのため建物を残すことには無理があり、大きな計画そのもの棄損しかねないとして、建物一部保存した現行の建替え案への容認示し鳩山総務相苦言呈した併せて都は同日中に建替え認め都市計画決定であるJPタワー計画行った。この建て替え工事2012年5月31日終了し2013年3月21日グランドオープン迎えた賃貸住宅の所有者と賃借人の法的権限 2012年平成24年3月に、立川市都営アパート住民孤立死した事件関し記者会見で「住んでいる人たちは権利者じゃなく使用者管理人合鍵入って元気ならああ失礼しましたお元気でって帰ればいいじゃないですか」と、管理者都住供給公社姿勢批判した「ニート」・フリーター ニート・フリーターについて、「ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない無気力無能力人間のことです」「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ」「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは」との見解示している。田中良都議から、石原が(働いている)フリーター穀つぶし非難したことはワーキングプアに対して無理解であるとの指摘を受け、「私の言葉勝手に引用されまして歪曲されていますが、私が穀つぶしといったのは、これはフリーターじゃありませんよ。ニートのことはそう申しましたこういう歪曲した引用というのは非常に卑劣だ思います」と反論したネットカフェ難民について、2008年10月3日定例会見では、「山谷行けば1泊200円、300円で泊まれる宿がいっぱいあるのに、ファッションみたいな形で1泊1500払いながら『オレ大変だ』なんて言うのはねえ」と述べ、彼らが苦境に陥っているとするのはマスコミ偏向だと主張した。この発言吉住弘台東区長から猛抗議を受け、1週間後定例会見で「数字異なった」と撤回したが、同時に1500円より安いとこ行ったいいじゃないですか」とも述べている。年越し派遣村問題については、2009年平成21年1月5日年頭の挨拶において厚生労働省の対応批判した天皇 2006年、「祭司たる天皇」というタイトルエッセイの中で、天皇について、「天皇こそ、今日世界稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている」「天皇本質的に宗教というよりも、宗教的しきたり含めて日本の文化根源的な資質保証する祭司他ならない」という見解示している。そして、神道日本人感性表象であるとし、過去歴史の中で天皇政治様々な形組み込まれ利用されてきた一面にも触れながら、「それらの時代通じて天皇関わる事柄として日本人一貫して継承してきたものは、神道表象する日本という風土に培われた日本人感性に他なるまい。そして天皇がその最大最高の祭司であり保証であったはずである。私がこの現代改め天皇皇室期待することは、日本人感性祭司としてどうか奥まっていだきたいということだと書き綴っている。石原天皇対す態度は複雑である。天皇元首とし、君主として行為称えたり、天皇靖国神社親拝期待する時もあれば興味が無いと言ったりもする。東日本大震災発生から少し経った2011年平成23年3月30日天皇対し皇太子徳仁親王夫妻秋篠宮夫妻名代として被災地への見舞い差し向けることを建言するも、天皇は「東北へは私が自分いきます」と答えた。のちに天皇被災した各地慰問したが、2012年平成24年2月天皇狭心症診断されたことから、石原は「私の建言なんぞの前に陛下はとうにご自分で心に決めておられていたのだと思う」としつつも「しかし陛下にじかに、余計だったかも知れぬ建言申し立てた私としては、陛下心臓の病で倒れられたと聞いた密かな自責の念囚われぬ訳にはいかなかった」と記し、「(東日本大震災一周年追悼式にて)式辞述べられ退席される陛下出来れば私は、二階正面から陛下御健勝祈って天皇陛下歳を叫びたかった」「陛下はその身の危うさ顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と天皇称えたり、「神道祭司である天皇陛下に、国民代表してぜひぜひ参拝して頂く事をお願いして欲しい」と天皇靖国神社親拝切望したり、運輸相だった1989年9月22日記者会見で「天皇陛下元首でもあるが、それ以上に、国民おとうさんみたいなものだ」と述べて天皇元首とし憲法に明記すべきとの見解であるが、27歳頃には『文藝春秋1959年8月号で「天皇国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度笑止千万で理の通らぬたわごとということになる、というより問題にもされなくなる、と僕は信じる」、28歳頃には深沢七郎小説風流夢譚』が皇室への不敬とされる描写物議かもした折、『週刊文春1960年12月12日号で「とても面白かった皇室は無責任きわまるのだったし、日本何の役にも、立たなかったのだ。そういう皇室対すフラストレーション欲求不満)を、われわれ庶民持っている。この作品感覚は、庶民意識としては、ぜんぜんポピュラーだ、読んでいてショックもなかった」との発言見られ文學界2014年3月号インタビューで、聞き手中森明夫から皇室について考え尋ねられ時には「いや、皇室にはあまり興味ないね」と答え小学生時に皇居の前で父親に「頭下げろ」と小突かれ、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。馬鹿じゃないか、と思ったね」と当時回想している。月刊ペン 1969年11月号に掲載され三島由紀夫石原慎太郎対談内では、三島戦後パーソナル人間天皇制が一番いけないとの見解述べて天皇話題切り出し、それに対し石原は「そうです昔みたいにちっとも神秘的ではないもの」と応じている。三島再度天皇パーソナルなものにするということは天皇制対す反逆だとの見解述べ石原は「僕もまったくそう思う」と応じその後三島は「石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者をつくっちゃった」と述べ石原は「僕は反対じゃない幻滅したの」と応じている。その時に、三島は「幻滅論者というのはつまりパーソナルしちゃったから幻滅したんですよ」と結論づけた。オリンピック誘致活動においては皇族協力求めている。明仁天皇皇居ライトアップ奏上したことを公表し宮内庁咎められたこともある。これに対して石原は「宮内庁ごときが決め問題ではない」と宮内庁批判し皇族協力要求した2008年平成20年2月には「あそこで装備見せることで国民自覚危機感出てくる」として弾道ミサイル地上から迎撃する航空自衛隊地対空誘導弾ペトリオットPAC-3皇居前広場で展開すべきとの見解示している[要出典]。 日の丸・君が代 毎日新聞1999年平成11年3月13日付)のインタビューにて「日の丸君が代学校行事強制しますか?」という質問対し日の丸好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種滅私奉公みたいな内容だ。新し国歌作ったいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と答えている。一方で都知事就任後文部省決定則して都立学校公式行事における君が代の斉唱国旗掲揚徹底をし、君が代起立して斉唱しなかった教師対し懲戒処分行った。この処分対し東京都学校教職員173人が、都に処分取り消し1人あたり55万円賠償求め訴訟東京地裁起こしている。文學界2014年3月号で、中森明夫からインタビュー受けた時に「僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときはね、僕は自分文句で歌うんです。『わがひのもとは』って歌うの」。そして、こう歌うと周りの人たちが驚いて振り返るのだと明かしている。 靖国 靖国神社には毎年8月15日参拝し総理大臣には「もし首相靖国に行かなければ、この国はからガラガラ崩れていく」と参拝求め天皇靖国神社親拝期待する発言行い小谷喜美との対談の中で「日本が行った戦争がすべて侵略だから靖国参拝するなんてい進歩的文化人連中はおかしい」と述べている。一方でA級戦犯靖国合祀に関して異議唱えたこともある。「靖国日本興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者祭り鎮魂するための場であるなら、彼らを無下に死に追いやった科を受けるべき人間鎮魂対象とされるのは面妖な話である」「戦争明らかな責任者外して合掌している」と述べている。拳銃決し致命至らぬ最小22口径自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将阿南惟幾陸相靖国合祀しないことに異議唱えた石原東条の「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」なる文言当時日本社会の中でいかに恐ろしい拘束力持ち、いかに多く犠牲者生み出したか、と述べている。 ジェンダー・性・障害者・同性愛 自著の『真実性教育』(1972年光文社)では、「同性愛など、そうした衝動衝動として異常とは、けっして言いきれない」「それを日々性愛の生活のなかにいちいち体現するのは、これはアブノーマルかもしれぬ。しかしある程度のものは、じつは性生活性愛スパイスのようなもので、適度に用いられれば、性生活性愛高揚につながるはずである」といっている。また、自身書いた小説同性愛テーマにした『待伏せ』という1967年発表され短編存在する現在の石原と国家観異な豊崎由美栗原裕一郎は『待伏せ』を「たとえ芥川賞候補作であっても、A評価で推せるくらいの秀作ですよ」と評価し、「コワイ」「ナガイヨル」などと文字書き合って会話する描写見た豊崎が「かーわーいーいー!」「セックスよりも濃いっ」とはしゃいだりする一幕もあった。高校教師生徒との同性愛関係描いたバスタオル』(福島次郎著)が1996年平成8年)、第115芥川賞候補となった際、石原はこの小説強く推し、「ここに描かれている高校教師とその生徒との関わり間違いなく愛であり、しかも哀切である。誰かがこれが男と女の関係ならばただの純愛小説といっていたが、もしそうとしてもそれがなぜ小説としての瑕瑾となるのか」、「この作品だけが私には官能的なものとして読めた小説与え官能こそが小説原点的な意味に違いない」と賞賛している。ちなみに著者福島は、三島由紀夫との赤裸々同性愛関係綴った「剣と寒紅」の著者でもある。2000年代入った頃からは2010年平成22年12月3日記者会見で、「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本野放図になり過ぎている」と同性愛者露出言及するなど、センセーショナルに報じられるうになる同年12月7日、この発言真意記者から尋ねられ、「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょうマイノリティーで気の毒ですよ」と答えた。さらに過去に米・サンフランシスコ視察した際の感想振り返り、「ゲイパレード見ましたけど、見て本当に気の毒だ思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した同性愛者テレビ出演についても、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改め言及した。この発言日本国外でも問題になり、国際人団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ発言撤回すべきだとする声明文発表した。またWSJ日系記者日本国内一部メディアしか大きく問題視しなかったことに疑問呈した。また人権救済申し立て受けた日本弁護士連合会から2度にわたり警告受けている。2010年代には、石原同性愛に関する発言センセーショナルな話題になると、同年同性愛者コミュニティや一社会橋渡し役となった個人や団体を表彰する目的開催されるTokyo SuperStar Awards (TSSA) の「ラズベリー賞」(ゴールデンラズベリー賞オマージュ)を受賞した。TSSA公式サイトによると、反同性愛的な独自の主張展開しながらも、同性愛者市長市議会議長であるパリ市ベルリン市およびニューヨーク市との姉妹友好都市提携しまた、都民サービス一環として東京都庁をTSSAの授賞式利用させたり、2007年LGBT パレードに都として後援したりするなど、「私利私欲主張傍らに、真摯に東京都民の公益のみに邁進」している点が評価されての受賞となった副賞として、ミルフィーユ味のアイスクリーム送られた。障害者についての発言政治問題化したのは、1999年平成11年9月東京都知事として府中療育センター重度知的身体障害者療育施設)を視察した後の記者会見での発言だった。「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショック受けた。ぼくは結論出していない。みなさんどう思うかなと思って絶対よくならない自分がだれだか分からない人間として生まれてきたけれどああい障害で、ああいう状態になって」と発言した次いで「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」と発言意図説明した上記発言一部メディアで問題発言として報道され知的障害者団体からも抗議された。石原は「文学者としての表現」と弁明している。東京新聞さらに詳しく発言取材しており、視察帰りがけに「入所者は自分がだれだか分からない。(彼らに)人生がない、というくくり方をする人もいるが、それなりの人生があるんだという一つ確信持って仕事をしているのは、素晴らしいことだ」と発言していることを報じた石原自身発言差別発言として報道した朝日新聞社に対して産経新聞紙上で「卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なこと」として批判している。ジェンダーフリー問題巡りフェミニストとは日常的に応酬し合っている。「女性生殖能力失って生きているってのは無駄で罪です 」「男は8090歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」「文明もたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」と識者の話を引用する形で発言をし(ババア発言)、裁判発展したが、最高裁石原側の勝訴確定している。性の問題については『太陽の季節』などの小説奔放な性を描き都政でも未成年者性交禁止する条例案には疑問示しており、必ずしも保守派と同じ歩調取っているわけではない障碍者について 文學界2016年10月号において精神科医斎藤環との対談で、相模原障害者施設殺傷事件について、「この間の、障害者十九人殺した相模原事件。あれは僕、ある意味分かるんですよ」と発言し、さらに、「昔、僕がドイツ行った時、友人がある中年医者紹介してくれた。彼の父親が、ヒトラーのもとで何十万という精神病患者同性愛者を殺す指揮をとった。それを非常にその男自負して、『父親いいことをしたと思います石原さん、これから向こう二百年の間、ドイツ民族変質者は出ません』と言った」と肯定する発言行った老人の出処進退 1975年昭和50年)、初の東京都知事選挙出馬演説で、対立候補美濃部亮吉当時71歳)に関し「もう新旧交代時期じゃありませんか美濃部さんのように前頭葉退化した六十七十老人政治任せ時代終わったんじゃないですか」と発言し政治家遅くとも70歳前に引退すべきとする考え表明したしかしながら石原自身78歳になってもなお、自らの都知事4期目当選狙って2011年都知事選に立候補し当選した。さらに、2012年には都知事辞任して国会復帰し新たに日本維新の会の代表になるなど、80歳を過ぎて政界から引退する意志全くない考え示している。 冒険家堀江謙一の世界一周について 堀江謙一277日間単独寄港世界一周成功全否定した。週刊プレイボーイ1975年11月25日号で「堀江クン世界一周は、ヨット仲間常識からいってウソなんだ。絶対にやってないよ。あのときつかったヨットではあんな短期間世界一周ができるはずはないんだ。彼のほかにも、イギリスのロビン・ノックスが312日間、チャイ・ブロイスチャイ・ブロイス――(以下略)」また、朝日新聞社取材ヘリ堀江マーメイド号から航海日誌吊り上げ回収したことに「国際法違反だ」と指摘した本多勝一は、『貧困な精神 (121)』において、この石原行為を「小心者卑劣な嫉妬心」と批判した小池百合子について 自由民主党公明党日本のこころを大切にする党から推薦2016年東京都知事選挙立候補した増田寛也決起集会2016年7月27日)に長男の伸晃と共に参加した際、「とにかく岩手県行政手腕発揮した増田さん任せないとね、やっぱり厚化粧女に任せわけにはいかないね、これは」と増田への支援呼びかける一方小池に対しては「大年増厚化粧がいるんだな、これが。これはね。困ったもんでね。」と評した小池都知事当選した翌日8月1日次男良純テレビ番組モーニングショー』で「おそらく小池先生ご存じだとは思いますけど、石原慎太郎というのはああいうですので、たぶん謝らない思いますので、私がかわりに...」と述べ小池謝罪した枝野幸男について 第48回衆議院議員総選挙直前2017年10月民進党の希望の党への合流方針反対姿勢示して立憲民主党結成した際には「節を通した枝野本物の男に見える」と評した国外メディアの反応 ABCからはフランス極右政治家に例えて「日本ル・ペン」、中央日報からは「極右勢力の代表」、フィガロリベラシオンからは「国家主義的思想持ち主」「右翼ポピュリスト」、エコノミストからは「日本右翼年老いたゴロツキ (old rogue of the Japanese right)」と呼ばれるなど、各国マスコミからは極右政治家認識されている。石原は自らを「真ん中よりちょっと左と思っている」と述べている。 大相撲の八百長について 2011年発覚した大相撲八百長問題では2月4日定例会見で、八百長疑惑について「相撲そういうもの。昔から当たり前のこととしてあった」と自らの持論を展開、相撲界現状を「日本の文化伝統踏まえた日本の文化神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」と批判した。さらに、かつて就任要請され横綱審議委員固辞した経緯話した。 また石原1963年9月場所千秋楽柏戸剛 - 大鵬幸喜戦で4場所連続休場中だった横綱柏戸勝って全勝優勝決めた際、スポーツ紙上の手記でこの一番を八百長断じ、「いい加減にしろ」と糾弾した日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)は大鵬に「(八百長は)絶対になかった」ことを確認した上で石原スポーツ紙幹部東京地検名誉毀損告訴した。このとき取締理事であった出羽海(元幕内出羽ノ花)が石原東京會舘面会して真意ただしたところ、手記新聞社から八百長ではないか指摘があり書いたことなどを認めて謝罪したその後大映永田雅一仲介もあり、告訴取り下げられた。 諸団体との関わり 1976年統一協会統一教会)の「希望日晩餐会」に出席しあいさつをした。 2000年平成12年)、犯罪被害者権利確立目指す全国犯罪被害者の会代表幹事岡村勲弁護士文藝春秋寄稿した私は見た犯罪被害者』の地獄絵」を読み感銘受けた石原のほか、瀬戸内寂聴作家)、奥田碩経団連会長如水会理事長)、樋口廣太郎アサヒビール名誉会長)が代表発起人となり「犯罪被害者の会支援するフォーラム」が設立された。事務局長には石原大学同期高橋宏首都大学東京理事長如水会副理事長)と、山本千里如水会理事事務局長)が就任した。同フォーラム全国犯罪被害者の会経済的支援行い2004年平成16年)の犯罪被害者等基本法成立2007年平成19年)の刑事訴訟法改正による被害者参加制度創設2008年平成20年)の犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律改正実現などに尽力した岡村2007年平成19年4月開かれた如水会有志による「石原慎太郎東京都知事激励懇親の会」に出席来賓祝辞述べ2007年東京都知事選挙再選目指す石原激励した2010年平成22年)には全国犯罪被害者の会創立10周年記念シンポジウム有楽町開催され代表幹事岡村開会あいさつの後、石原祝辞があった[要出典]。 政界進出にあたり自身後見人立場だった当時産経新聞社主水野成夫を介して霊友会支持取りつけ大量組織票獲得する自らも霊友会信者であり、自らの信仰について著作(「法華経生きる」など)も書いており、霊友会機関誌「あした21」に連載持っている霊友会初代会長小谷喜美を師として仰いでおり、霊友会会長大形市太郎対談行っている。また、2002年平成14年)には霊友会新年会挨拶している。石原慎太郎本人霊友会と深い関係にあるが、子息石原伸晃崇教真光石原宏高幸福の科学入信しており、一族で別々の新宗教からの支援受けている。 公明党自由民主党並んで事実上石原都政与党である2003年2007年選挙では選挙支援受けている。2007年参院選では公明党による都知事支援の見返りとして、東京都選挙区から出馬する公明党公認山口那津男応援街頭演説するなどしている。1999年平成11年)の都知事選の直前週刊文春誌における「あなたの池田大作氏への人物評価をお聞かせ下さい」との質問に対して、「悪しき天才巨大な俗物」と回答していた。あわせて創価学会日本の政治壟断されている現実を「情けない限り」と評していた。かつては創価学会対す批判はしばし辛辣極め、『悪辣にして極めて危険なカルト集団』と表現するなど、長年にわたり『亡国徒に問う』などの著書類をはじめとして様々な媒体批判行っていた。日本新興宗教論「巷の神々」を産経新聞連載中創価学会取り上げ学会争いになる。 「戸塚ヨットスクール支援する会」を組織し戸塚ヨットスクール教育方針全面的に支持している。殊に戸塚ヨットスクール主宰者である戸塚宏教育方針支柱をなす「脳幹論」(脳細胞そのものトレーニングしてその機能高めることにより、教育問題解決目指す主張する)に共鳴し、「今の日本人弱くなったのは脳幹弱くなったからだ。これは医学的に証明されている」とする主張産経新聞コラム(『日本よ』)や、自らの公式サイト上で公開している。 石原同じく日本会議代表委員である「崇教真光代表者岡田恵珠と『岡田光玉御対談集』(崇教真光編集)において、対談行っている30ページ記事がある。長男石原伸晃少年の頃、岡田光玉岡田恵珠自宅訪れたエピソードを伸晃が同宗教団体42周年秋季大祭2001年)の祝辞にて披露するまた、伸晃は45周年秋季大祭2004年)にて自身信徒であることを明らかにし、信徒としての立場メイン祝辞述べている。

※この「話題・問題になった発言など」の解説は、「石原慎太郎」の解説の一部です。
「話題・問題になった発言など」を含む「石原慎太郎」の記事については、「石原慎太郎」の概要を参照ください。

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