靖国神社親拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
「靖国神社問題#天皇の親拝」も参照 昭和天皇は終戦直後から1975年(昭和50年)まで、以下のように靖國神社に親拝していたが1975年(昭和50年)を最後に行わなくなった。ただし、例大祭(春と秋の年に2回)に際しては勅使の発遣を行っている。 1945年(昭和20年)8月20日(昭和天皇行幸) 1945年(昭和20年)11月・臨時大招魂祭(昭和天皇行幸) 1952年(昭和27年)4月10日(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1954年(昭和29年)10月19日・創立八十五周年(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1957年(昭和32年)4月23日(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1959年(昭和34年)4月8日・創立九十周年(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1964年(昭和39年)8月15日・全国戦没者追悼式(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1965年(昭和40年)10月19日・臨時大祭(昭和天皇行幸) 1969年(昭和44年)6月10日・創立百年記念大祭(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 1975年(昭和50年)11月21日・大東亜戦争終結三十周年(昭和天皇、香淳皇后行幸啓) 昭和天皇が靖国神社親拝を行わなくなった理由については左翼過激派の活動の激化、宮中祭祀が憲法違反であるとする一部野党議員の攻撃など、様々に推測されてきたが近年『富田メモ』(日本経済新聞、2006年)や『卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞、2007年4月26日)などの史料の記述から、1978年(昭和53年)に極東国際軍事裁判でのA級戦犯14名が合祀されたことに対して不満であったことを原因とする見方が、歴史学界では定説となっている。ただし、合祀後も勅使の発遣は継続されている。なお天皇の親拝が途絶えたあとも、高松宮および三笠宮一族は参拝を継続している。
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