哲学 哲学の対象・主題

哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 05:00 UTC 版)

哲学の対象・主題

哲学の対象・主題

紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在しない[35](他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである)。西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究していた[35]

ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。紀元前5世紀頃のソクラテスは < 不知の知 > の自覚を強調した[36]。その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派エピクロス学派など、「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となった[35](ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが、ストア派やエピクロス派でも自然学論理学認識論といった様々な分野が研究された[37]。平俗な言葉で倫理的主題を扱った印象の強い後期ストア派でも、セネカが『自然研究』を著している)。

ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく「」であったと謂われることが多い[35]。しかし、カッシオドルスのように専ら医学自然学を哲学とみなした例もある[38] し、ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ[39]。また、中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で「哲学」が自由七科を指す言葉となり、神学はこの意味での「哲学」を基盤として学ばれるものであった[6]

さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、「人間による認識」(人間は何をどの範囲において認識できるのか)ということの探求が最重要視された[35]。「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と、「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立した[35]カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした[35]

19世紀、20世紀ごろのニーチェベルクソンディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し、「非合理な生」を哲学の対象とした[35]キルケゴールヤスパースハイデッガーサルトルらの実存主義[注 10]は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた[35]

このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかない[35] とされている。

学問としての哲学で扱われる主題には、真理本質同一性、普遍性、数学的命題、論理言語知識観念行為経験、世界、空間時間歴史、現象、人間一般、理性、存在自由因果性、世界の起源のような根源的な原因正義意識精神自我他我、神、霊魂色彩などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。

これらの主題について論じられる事柄としては、定義[注 11]、性質[注 12]、複数の立場・見解の間の整理[注 13]などがある。 これをひとくくりに「存在論」とよぶことがある。地球や人間、物質などが「ある」ということについて考える分野である。

また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える[注 14]。またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある(例えば論理実証主義)。 こちらは、ひとくくりに「価値論」とよぶことがある。「よい」ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。

過去の哲学を扱うものとしての哲学

このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。

また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。


注釈

  1. ^ : Φιλοσοφία(フィロソフィア)、羅: philosophia、仏: philosophie、独: Philosophie
  2. ^ : φιλόσοφος(フィロソフォス)
  3. ^ 紀元前古代ギリシア哲学から19世紀前半頃にかけて[要出典]
  4. ^ アイザック・ニュートンのようにかつて哲学者と呼ばれていたが、現代では哲学者とは看做されない人物がいる一方で、ゴットフリート・ライプニッツのように依然として哲学者と看做される人物もいる[要出典]
  5. ^ 19世紀以降、特に19世紀後半あたりから大学制度内で知識の位置づけの再編が行われるようになり、ドイツなどでは文化科学自然科学などの分類が採用され、それまで学問の総称であった哲学は文化科学のひとつと、かなり限定的であると同時に具体的な位置づけになった[要出典]
  6. ^ 哲学に関する学問は人文科学に含まれる。出典は広辞苑。
  7. ^ 哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。
  8. ^ 百一新論』 - 国立国会図書館
  9. ^ 西周は主觀客觀・概念・觀念歸納演繹・命題・肯定否定理性悟性現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術など、西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生した。
  10. ^ 実存哲学とも呼ばれる。
  11. ^ 例えば、「とは何か」
  12. ^ 例えば、「理性は人間にとって生与のものか」
  13. ^ 例えば、「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」
  14. ^ 主題の追求の方法として、「頭の中で、言葉なくして思考し、言葉を表出させる」、つまり現代で言えば言葉による象徴化の作用を伴う明晰化や、ソクラテス的な問答法、対話、弁証法、観想等がある。
  15. ^ 今日では神の存在の合理的な説明の試みも迷信的に映るのが大部分であるが、数学理論や観測技術の発展など時代の制約を考慮する必要がある。また、根源的・本質的な部分においてこの問いは解明されたとすることはできないだろう。
  16. ^ そもそも教義を持たない宗教[要出典]もあるので、全ての宗教がドグマを絶対視するわけではない。
  17. ^ 仏教ではその成立期においては(原始仏教)、外の超越者を持たなかったため「神」へのタブーそのものが無く、内観など別の形で哲学的思考が発達したとされる。一方、仏陀は神々なる存在を徐々に観念に置き換えようとする試みをしていた、という心理学者の意見[要出典]もある。また日本の仏教では、例えば親鸞が、理屈抜きに阿弥陀如来の救いを信じるよう説いていた。
  18. ^ もっとも、哲学にも師の考え・言葉をそのまま数百年間継承した歴史もあることや、神学の中で様々な論争があったり、新たな宗派・教派が生まれ続けていたりすることもあり、単純化して比較することは困難である。
  19. ^ 不思議なことに、脳の特定の箇所を刺激すると、「白い光に包まれたような感じがした」、「キリストの姿を見た」等と被験者が告げる現象が、脳科学者[誰?]から多数報告されている。たいていそれらは、いわゆる宗教的な高揚感を伴っていた。脳科学者の中には必ずしも「神」を否定しない人、肯定する人もおり、彼らは宗教者むけに「神が己の恩寵を感知する器官を人に授けた」のかもしれない、といった解釈を伝える。
  20. ^ 著作をものさず、主に討論に時間を費やしたソクラテスの思想は彼の死後弟子達の著作によって残り、またプラトン・アリストテレスの影響力は中世ヨーロッパに至るまで、分野によっては近代まで、多大なものがあった。
  21. ^ プラトンは数学・幾何を重要視し、フランシス・ベーコンは科学的な発見・発明を重んじた。
  22. ^ デカルトは、懐疑主義のどのような途方もない想定をもってきても、「わたしは考える、故にわたしは存在する」という彼にとっての真理は覆せず、よって彼はこれを哲学の第一原理とした。
  23. ^ 例えば太陽の周りを惑星が円軌道を描いて回転しているというアリスタルコスの仮説は、後世のコペルニクスによって(おそらくそうと意識してではないだろうが)復活させられた。後のケプラーが、軌道が太陽を中心としてではなく焦点とした楕円状であることを見いだし、次いでニュートンが、軌道が厳密には楕円でさえないことを発見した。仮説は、どんなに突飛に見えようと、自然を新たな見方でとらえることを可能にし、ある程度まで科学の進歩に寄与することが'ありうる'。
  24. ^ もっとも、物理学の哲学の一分野としての時空論においては、哲学者と物理学者のより密接なコラボレーションが実現している。
  25. ^ ただし近年では数学基礎論コンピュータサイエンスとの学際化が進展しており、哲学の一分野とは言いにくい状態になりつつある。
  26. ^ アリストテレスは論理学において長い間至高の地位を占め続けた。彼のもっとも重要な業績は三段論法の説である。古代ギリシャ人は演繹を重要視する半面、帰納を軽視した。帰納法の発展は近代においても真に遅々たるものであった。
  27. ^ 日本哲学会における女性会員の比率は1割に満たない。男女共同参画ワーキンググループ (2006年3月4日). “日本の文系学会における女性役員等比率”. 日本哲学会. 2008年8月6日閲覧。
  28. ^ 川村院長が言うには、ほとんど全ての生物が持っているPEA(リン酸エタノールアミン)は「喜びなどの感情」に関係する物質であり、これが主に存在する場所は脳神経細胞の軸索細胞膜で、その他には肝臓動脈心筋[65]。脳と血中物質の関係は非常に密接であり、PTSD患者の場合も「PTSDの原因となるトラウマを経験してから10年以上が経っていたにもかかわらず、免疫力が通常の4分の1にまで低下していた」と院長は言う[66]
  29. ^ フランセーンはストックホルム大学で哲学を専攻し、1987年に「Ph.D.(哲学)」を取得[67]。ルレオ工科大学でのフランセーンのページによると、「(哲学における)自分の博士論文 “my PhD thesis (in philosophy)”」は世界各国の大学図書館で閲覧できる[70]
  30. ^ 原文は"Es gibt allerdings Unaussprechliches. Dies zeigt sich, es ist das Mystische"[81].
  31. ^ また、森岡正博は「現代において哲学するとはどのようなことなのか」において、次のようなことも述べている。 「もし、現代社会とそこに生きる人間の姿を問うことをその中心に据える哲学があるとすれば、それは文献学・解釈学を中心に据える哲学ではなく、自分自身がこの社会を生きるその実践のプロセスのただ中において思索を深めていくという形の実践学を中心に据える哲学になるはずだ」(p.25)「実践学としての哲学においては、テキスト読解のかわりに、実人生と実社会の読解が入り口となる」「重視されるのは、テキスト解釈ではなく、『フィールドワーク』である。」「『私がよりよく生き、よりよく死ぬ』ために哲学をしている」「それをめざすためにはいくらテキストを読んでも解釈していてもだめなんだということが分かった」「そこから足を洗い、そのかわりに、自分の人生そのものをフィールドとして、自己とは何か、現代社会とは何か、他者とは何かを自分の頭とことばで気の済むまで探究しているのである」「われわれが知らない過去の無数の哲学者たちは、なんのことはない、こういう営みを日々続けていたのだろうから、私もまたそれをするだけのことなのである。」(p.27)「私がいう実践学というのは『実践』についての哲学的議論をするということではない。」「そうではなくて、この私やあなたが、実際に、この世界のなかで実践していくということだ」(p.27)
  32. ^ 哲学者タレスが貧乏であったために、フィロソフィアと貧困を勝手に結び付け、哲学は役に立たないとの印象を誤って持つ者が現れた。だからタレスは自分の知識を応用してたくさんお金を儲けて見せることで、フィロソフィアは全てに関するものを(実用的な知識まで含めて)含んでいて、哲学者はそれを活かすことができるのであって、自分の利便や金儲けなどが一番重要だと感じている、その感情、考え方が実はおかしいことを哲学者は知っており、その重要なこと、別の意味で本当に役に立つこと、を探求しなければならないから探求しているのだ、ということを示したのである。それは、例えば、古代ギリシャにおいては倫理的な探求だったのだ。

出典

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  104. ^ Politics,1259a
  105. ^ 参考文献:バートランド・ラッセル『西洋哲学史1』市川三郎訳,みすず書房、p.35






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