佐々木主浩
(ハマの大魔神 から転送)
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佐々木 主浩(ささき かづひろ[1]、1968年2月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は日本プロ野球名球会副理事長、野球解説者・野球評論家、タレント、馬主、レーシングチーム「D'station Racing」総監督。右投右打。
注釈
- ^ 生まれた時間が2月22日2時22分だったこと、プロ宣告が告げられた日が12月22日、連続試合セーブ数が22、娘の誕生が2時22分だったなど、22に縁のある出来事が続いたエピソードが、NHKのテレビ番組・『あさイチ』で「大魔神の奇縁」として紹介された。
- ^ 佐々木や同じく背番号22を背負ってリリーフ投手として活躍した高津臣吾(ヤクルト他)の登場以降、背番号22はクローザーを務める選手に与えられることが多くなり、当時阪神タイガースの藤川球児は同じ背番号を着けることになった際、「佐々木さんや高津さんと同じ背番号で光栄」と語っている。
- ^ 後年の近藤の証言によれば、横浜球団は高木豊らベテラン6選手の戦力外通告問題を巡って球団に不満を抱いていた佐々木をオリックス・ブルーウェーブに放出して鈴木一朗(後のイチロー)を獲得するトレードの打診を行っていたが、オリックスの新監督に就任した仰木彬の反対で流れたという[17]。
- ^ 佐々木と親交が深い、ニッポン放送の松本秀夫アナウンサーが「大魔神」と命名したという話もある
「ニッポン放送番組審議会だより 第219回ニッポン放送番組審議会議事概要 - ウェイバックマシン(2002年7月14日アーカイブ分)」『ニッポン放送』 ニッポン放送、1998年10月20日。 - ^ サンケイスポーツだけは魔神という表記を続け、またグループ企業のニッポン放送の番組では引退後も「魔神」と呼ばれることが多い。
- ^ この45セーブは計算上3試合に1セーブを記録していることになり、46セーブを記録している岩瀬仁紀(3.17試合)、藤川球児(3.13試合)を超える記録(非公式)であり、現に岩瀬は140試合目で、藤川は142試合目で45セーブに到達している。防御率0点台かつ30セーブ以上を2度記録した投手は他に藤川がいるが、佐々木はストッパーとして唯一の2年連続防御率0点台を記録している。
- ^ お賽銭は全額横浜市社会福祉協議会に寄付された。
- ^ 佐々木はマリナーズ時代の2002年10月13日に行われた野村弘樹の引退試合で砂原幸雄オーナー(TBS会長 / TBSは同年から横浜球団のオーナー企業)と初対面した際、将来的に横浜に復帰したい意向を直訴していた[25]。
- ^ 当時、背番号22は吉見祐治(東北福祉大の後輩)が着用していたが、佐々木(22を着用)の復帰に伴い「21」に変更した[30]。またこれに伴い、若田部健一(背番号21)も背番号を「14」に変更した[30]。
- ^ 通称「新人ベストナイン」。選出対象となる新人扱い選手を両リーグ統一した中で、各守備位置ごとに各球団監督の投票により選出される(例えばシルバースラッガー賞のように各リーグごとに選出されるのではない)。投手部門には2009年まで「右投手」「左投手」の2部門があり、2010年以降は「リリーフ投手」が追加されて基本3部門がある。
出典
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- 1 佐々木主浩とは
- 2 佐々木主浩の概要
- 3 人物
- 4 馬主活動と主な所有馬
- 5 脚注
- ハマの大魔神のページへのリンク