吉田茂 吉田茂の概要

吉田茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/15 14:07 UTC 版)

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吉田 茂
よしだ しげる
Shigeru Yoshida suit.jpg
生年月日 1878年9月22日
出生地 日本の旗 日本 東京府神田駿河台
(現:東京都千代田区
没年月日 (1967-10-20) 1967年10月20日(89歳没)
死没地 日本の旗 日本 神奈川県中郡大磯町
出身校 東京帝国大学法科大学政治科卒業
前職 待命大使
所属政党無所属(貴族院議員)→)
日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
無所属→)
自由民主党
称号 従一位
大勲位菊花章頸飾
法学士(東京帝国大学・1906年
配偶者 吉田雪子(先妻)
吉田喜代子(後妻)
子女 吉田健一(長男)
吉田桜子(長女)
吉田正男(次男)
吉田江子(次女)
麻生和子(三女)
親族 大久保利通(義祖父)
三島通庸(義祖父)
竹内綱(父)
吉田健三(養父)
牧野伸顕(岳父)
竹内明太郎(兄)
麻生太賀吉(娘婿)
麻生太郎(孫)
三笠宮寛仁親王妃信子(孫)
サイン YoshidaS kao.png

日本の旗 第48-51代 内閣総理大臣
内閣 第2次吉田内閣
第3次吉田内閣
第3次吉田第1次改造内閣
第3次吉田第2次改造内閣
第3次吉田第3次改造内閣
第4次吉田内閣
第5次吉田内閣
在任期間 1948年10月15日 - 1954年12月10日
天皇 昭和天皇

日本の旗 第45代 内閣総理大臣
内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1946年5月22日 - 1947年5月24日
天皇 昭和天皇

日本の旗 第78-79代 外務大臣(首相兼任)
内閣 第2次吉田内閣
第3次吉田内閣
第3次吉田第1次改造内閣
第3次吉田第2次改造内閣
第3次吉田第3次改造内閣
在任期間 1948年10月19日 - 1952年4月30日

日本の旗 第5代 農林大臣(首相兼任)
内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1947年1月30日 - 1947年2月15日

日本の旗 第73-75代 外務大臣
内閣 東久邇宮内閣
幣原内閣
第1次吉田内閣(首相兼任)
在任期間 1945年9月17日 - 1947年5月24日

その他の職歴
日本の旗 第2代 第一復員大臣(首相兼任)
(1946年5月22日 - 1946年6月15日
日本の旗 第2代 第二復員大臣(首相兼任)
(1946年5月22日 - 1946年6月15日)
日本の旗 衆議院議員
(1947年 - 1963年10月23日
日本の旗 貴族院議員
(1945年12月19日 - 1947年5月3日
テンプレートを表示

外務大臣(第7374757879代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第4548495051代)、第一復員大臣第2代)、第二復員大臣第2代)、農林水産大臣第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。




注釈

  1. ^ ただし、ジョン・ダワーは「吉田は一八七八(明治一一)年九月二二日横須賀に生れたといわれる。」と著書に記している[1]
  2. ^ 事務方の次官が「事務次官」と称されるのは1949年の改正国家行政組織法施行以降のことで、当時は単に「(外務)次官」と称していた。
  3. ^ ただし、大村立三は著書の中で、戦前において対英米関係とアジア進出の両立を唱える外交官をその政策から前者重視を「英米派」、後者重視を「アジア派」と呼んで区別し、前者として幣原喜重郎・重光葵・佐藤尚武・芦田均を挙げ、後者として吉田と有田八郎谷正之を挙げている。また、奉天総領事・外務次官として東方会議をはじめとする「田中外交」を支えた吉田は、幣原や重光と比較した場合にはアジア進出に対してより積極的であったとする見解をとっている。[7]
  4. ^ 牧野伸顕の義妹の嫁ぎ先宮崎県の旧高鍋藩主家秋月家の縁で高鍋出身の海軍大将小沢治三郎を頼るようアドバイスを受け、そのツテで軍令部次長の小沢に「イギリスを通して講和を進めるために荷物扱いでもいいから潜水艦航空機で自分を運んで欲しい」と懇願したが、小沢は十中八九沈められる旨と憲兵隊に目を付けられている点を指摘し丁重に断った。憲兵隊に拘束されたのはその翌日だったと、吉田は自著に記している。[9]
  5. ^ 吉田の国葬は佐藤栄作総理の強い要望で閣議決定を経て実現したが、1926年に制定された「国葬令」は新憲法の施行によって失効していたため(20条の「国による宗教的行為の禁止」と7条の「天皇の国事行為」に抵触するため)、国葬自体が違憲ということになり、野党や革新系の言論界からこれを批判する声もあった。しかし戦後の大宰相の記憶は多くの人々にとっては褪せることがなく、世論調査でも大多数がこれを容認するものだった。
  6. ^ 特にフジテレビでは、追悼番組を放送するために、スポットCMを全て削除し、全ての通常番組を変更した。
  7. ^ 松平は元会津藩主京都守護職松平容保の四男で、長女の節子秩父宮の妃になっていた。
  8. ^ 鳩山はこの「追放が解除されたら……」を含めて4条件であったと主張していた[47][2]
  9. ^ これが最後の「組閣の大命」である。
  10. ^ 通常洗礼は本人が望まなければできないが、遺書や遺言などで生前明確な意思表示をしていることを司祭が確認できれば、例外的に死後洗礼を行うことができる(東京大司教館)。
  11. ^ 戸籍上の名は“コト”である。
  12. ^ 吉田寛は将来が嘱望された若手外交官だったが、桜子と結婚して数年後に死去してしまう。その葬儀に来た親戚の佐藤榮作と吉田茂は初めて会うが[60]、その時の佐藤の風貌が亡き女婿と瓜二つだったので、以後吉田は佐藤を我が子のように可愛がるようになったという。
  13. ^ 和子と太賀吉を結びつけたのは側近の白洲次郎であり、ふたりの仲人もつとめている。

出典

  1. ^ a b c d ジョン・ダワー 1981a, p. 6.
  2. ^ a b c d e f g h i 実録首相列伝 2003, p. 98.
  3. ^ a b ジョン・ダワー 1981a, p. 5.
  4. ^ ジョン・ダワー 1981a, p. 9.
  5. ^ ジョン・ダワー 1981a, p. 11.
  6. ^ 有岡二郎 2001, p. 73-74.
  7. ^ 大村立三『日本の外交家 300人の人脈』
  8. ^ a b 有岡二郎 2001, p. 75.
  9. ^ 回想十年.
  10. ^ 実録首相列伝 2003, p. 99.
  11. ^ 実録首相列伝 2003, p. 99-100.
  12. ^ 実録首相列伝 2003, p. 100.
  13. ^ 春名幹男『秘密のファイル CIAの対日工作』
  14. ^ 実録首相列伝 2003, p. 103.
  15. ^ 史料にみる日本の近代: 乱闘国会と衆院事務総長の嘆き 国会図書館
  16. ^ 実録首相列伝 2003, p. 190.
  17. ^ アサヒグラフ 1967, p. 89.
  18. ^ 『別冊歴史読本特別増刊 — ご臨終』(新人物往来社、1996年2月号)
  19. ^ 『産経新聞』2008年10月20日付朝刊、14版、3面
  20. ^ 大磯旧吉田茂邸内社七賢堂について照沼好文 (1984年). 神道研究紀要 (9). 
  21. ^ 労働関係調整法 - e-Gov法令検索
  22. ^ a b 日本国憲法
  23. ^ 教育基本法 - e-Gov法令検索
  24. ^ 学校教育法 - e-Gov法令検索
  25. ^ 労働基準法 - e-Gov法令検索
  26. ^ 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 - e-Gov法令検索
  27. ^ 刑事訴訟法 - e-Gov法令検索
  28. ^ 労働組合法 - e-Gov法令検索
  29. ^ 公職選挙法 - e-Gov法令検索
  30. ^ 生活保護法 - e-Gov法令検索
  31. ^ 住宅金融公庫法 - 衆議院
  32. ^ 地方公務員法 - e-Gov法令検索
  33. ^ 毒物及び劇物取締法 - e-Gov法令検索
  34. ^ 結核予防法(廃) - 法庫 houko.com
  35. ^ 覚せい剤取締法 - e-Gov法令検索
  36. ^ 破壊活動防止法 - e-Gov法令検索
  37. ^ 麻薬及び向精神薬取締法 - e-Gov法令検索
  38. ^ 厚生年金保険法 - e-Gov法令検索
  39. ^ 警察法 - e-Gov法令検索
  40. ^ 防衛省設置法 - e-Gov法令検索
  41. ^ アサヒグラフ 1967, p. 73.
  42. ^ 原彬久 2005.
  43. ^ 佐藤寛子 1985, p. 133-134.
  44. ^ 大磯城山公園「旧吉田茂邸地区」が全面開放しました神奈川県庁ホームページ(2017年6月6日)
  45. ^ 河野外務大臣とクリスチャン・ミクロネシア連邦大統領との懇談及び夕食会外務省報道発表(2017年10月23日)
  46. ^ 吉田茂の愛車メルセデスベンツを特別展示 11月9日まで”. Response.. 2016年4月8日閲覧。
  47. ^ 実録首相列伝 2003, p. 109.
  48. ^ 麻生太郎 2007, p. 73.
  49. ^ 春名幹男『秘密のファイル CIAの対日工作』
  50. ^ 麻生太郎 2007, p. 73-74.
  51. ^ 戸川猪佐武『小説吉田茂』「あとがき」
  52. ^ 佐藤寛子 1985, p. 140-141.
  53. ^ アサヒグラフ 1967, p. 81.
  54. ^ 猪木正道『評伝吉田茂』
  55. ^ Nomination Database - ノーベル賞公式サイト
  56. ^ “吉田元首相をノーベル平和賞に 推薦状発見、65年に佐藤氏ら”. 47NEWS. (2014年9月13日). http://www.47news.jp/CN/201409/CN2014091301001177.html 2014年9月13日閲覧。 
  57. ^ “吉田茂氏、ノーベル賞候補に3度…最終候補にも”. 読売新聞. (2017年8月16日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20170816-OYT1T50112.html 2017年8月17日閲覧。 
  58. ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学―ノーベル平和賞と日本:1960年代前半の日本人候補― (PDF) 」『地域政策研究』第17巻2号、高崎経済大学、pp.1 - 23
  59. ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作―― (PDF) 」高崎経済大学地域政策学会、2016年
  60. ^ a b 佐藤寛子 1985, p. 134-135.





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