満蒙問題
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満蒙問題(まんもうもんだい)とは、日露戦争後に生じた満洲及び内蒙古における日本の特殊権益擁護を巡る諸問題のこと。
注釈
- ^ 参謀本部第一部(荒木貞夫部長)の小畑敏四郎作戦課長は、一夕会の前身である二葉会には参加していたが木曜会には参加していなかった。しかし、小畑と陸軍士官学校の同期であり、ともに「バーデン=バーデンの密約」に加わった永田鉄山・岡村寧次は木曜会に参加しており、永田・岡村・小畑の関係を通して、参謀本部第一部と木曜会とのあいだには何らかの連携があったと考えられている。川田(2010)p.142
出典
- ^ 川田(2010)pp.4-7および川田(2010)pp.140-142
- ^ 川田(2010)p.8
- ^ 川田(2010)pp.8-9
- ^ 川田(2010)p.9
- ^ 永尾策郎『満洲問題 太平洋外交の原理原則と満洲事変の意義及其の帰結』(1932)
- ^ 「満蒙問題の考察、其の法律性と政治性」『時事新報』昭和6年7月22日付。直接の引用は永雄(1932)による(なお、文字は旧字体を適宜改めている)。
満蒙分離
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だが、満蒙進出の動きが盛んになるにつれて満蒙を中国から分離して日本の勢力圏に置こうとする支那分割論が盛んになり、満洲事変・日中戦争(支那事変)と進展していく中でたびたび論じられるようになっていった。
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