満鉄中興の祖、山本条太郎とは? わかりやすく解説

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満鉄中興の祖、山本条太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:46 UTC 版)

南満洲鉄道」の記事における「満鉄中興の祖、山本条太郎」の解説

北伐 (中国国民党)」および「山本条太郎」も参照 1926年7月1日蔣介石北京政府撲滅目指すとして北伐宣言して軍事行動開始した蔣介石率い国民革命軍南京上海占領して1927年5月山東省にせまると、田中義一内閣は同省の在留日本人保護理由派兵声明発した山東出兵)。 6月27日から7月7日にかけては東京東方会議開かれ出先軍人・外交官行政官によって中国情勢検討なされたが、満蒙政策については、奉天派軍閥領袖張作霖排除して傀儡政権満洲作るべしとする意見張作霖勢力とは連携して日本満蒙権益維持拡大しようという意見とに大きく分かれていた。前者には後に張作霖爆殺して満洲占領実行うつそうという関東軍一派ふくまれており、後者意見田中義一首相外相陸軍省首脳部のものであった大陸政策深くかかわっていた実業家出身衆議院議員当時はまだ当選2回)、山本条太郎後者意見立っており、田中首相東方会議ののち、山本満鉄社長に任じた山本大胆な改革行い満鉄中興の祖」ともいわれ、副社長には山本腹心松岡洋右就任した山本は、三井物産上海支店貿易の手腕を発揮し帰国後は三井物産理事常務取締役歴任したのち、1920年には立憲政友会入党し国政選挙立候補して当選し1927年には政友会幹事長となった切れ者であった山本は「産業立国論」を持論とし、人口問題食糧問題金融恐慌失業問題解決のため、「満蒙分離」を前提鉄道網拡充とした満洲開発推進唱えたそのうえで満洲農業鉱工業移民受け入れ地とすべく、満鉄活用しようとし、具体的には、製鉄事業製油事業充実、マグネシウム・アルミニウム関連工業ならびに肥料工業振興、さらに移民拓殖推し進める一方、「経済化」と「実務化」をスローガン関連企業統廃合図って経営合理化進めた。さらに山本松岡副社長ともに満鉄敷設問題具体化し、 * 吉会線 … 敦化から老頭溝(中国語版)を経て図們江豆満江)に至る線 * 長大線 … 長春から大賚(現、大安市)に至る線 * 吉五線吉林から五常に至る線 * 延海線延吉から海林に至る線 * 洮索線 … 洮南から索倫鎮(ソロン鎮)に至る線 の計5線の敷設張作霖との交渉通じて基本合意実現した当時張作霖北京にあって南方軍閥蔣介石戦闘しており、山本松岡北京訪ねて新線敷設折衝行ったが、張作霖交渉引き延ばし図り、ようやく山本らの要求呑んで鉄道工事許可出した。しかし、細目交渉これから進めようという段になって張作霖その人亡くなってしまった。

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満鉄中興の祖、山本条太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 22:17 UTC 版)

南満州鉄道」の記事における「満鉄中興の祖、山本条太郎」の解説

北伐 (中国国民党)」および「山本条太郎」も参照 1926年7月1日蔣介石北京政府撲滅目指すとして北伐宣言して軍事行動開始した蔣介石率い国民革命軍南京上海占領して1927年5月山東省にせまると、田中義一内閣は同省の在留日本人保護理由派兵声明発した山東出兵)。 6月27日から7月7日にかけては東京東方会議開かれ出先軍人・外交官行政官によって中国情勢検討なされたが、満蒙政策については、奉天派軍閥領袖張作霖排除して傀儡政権満洲作るべしとする意見張作霖勢力とは連携して日本満蒙権益維持拡大しようという意見とに大きく分かれていた。前者には後に張作霖爆殺して満洲占領実行うつそうという関東軍一派ふくまれており、後者意見田中義一首相外相陸軍省首脳部のものであった大陸政策深くかかわっていた実業家出身衆議院議員当時はまだ当選2回)、山本条太郎後者意見立っており、田中首相東方会議ののち、山本満鉄社長に任じた山本大胆な改革行い満鉄中興の祖」ともいわれ、副社長には山本腹心松岡洋右就任した山本は、三井物産上海支店貿易の手腕を発揮し帰国後は三井物産理事常務取締役歴任したのち、1920年には立憲政友会入党し国政選挙立候補して当選し1927年には政友会幹事長となった切れ者であった山本は「産業立国論」を持論とし、人口問題食糧問題金融恐慌失業問題解決のため、「満蒙分離」を前提鉄道網拡充とした満洲開発推進唱えたそのうえで満洲農業鉱工業移民受け入れ地とすべく、満鉄活用しようとし、具体的には、製鉄事業製油事業充実、マグネシウム・アルミニウム関連工業ならびに肥料工業振興、さらに移民拓殖推し進める一方、「経済化」と「実務化」をスローガン関連企業統廃合図って経営合理化進めた。さらに山本松岡副社長ともに満鉄敷設問題具体化し、 * 吉会線 … 敦化から老頭溝(中国語版)を経て図們江豆満江)に至る線 * 長大線 … 長春から大賚(現、大安市)に至る線 * 吉五線吉林から五常に至る線 * 延海線延吉から海林に至る線 * 洮索線 … 洮南から索倫鎮(ソロン鎮)に至る線 の計5線の敷設張作霖との交渉通じて基本合意実現した当時張作霖北京にあって南方軍閥蔣介石戦闘しており、山本松岡北京訪ねて新線敷設折衝行ったが、張作霖交渉引き延ばし図り、ようやく山本らの要求呑んで鉄道工事許可出した。しかし、細目交渉これから進めようという段になって張作霖その人亡くなってしまった。

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