満鉄の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:22 UTC 版)
1945年8月9日、ソビエト連邦は満州国への侵攻を開始した。同14日に中華民国・ソビエト連邦の両国は中ソ友好同盟条約に調印し、終戦後の27日にこれを公表。同条約の付属協定により、連京線は京浜線(新京 - ハルビン)・浜洲線(ハルビン - 満洲里)・浜綏線(ハルビン - 綏芬河)と共に中ソ共同経営の中国長春鉄路に編入されることとなった。条約公表に先立つ9月22日に中国長春鉄路公司の副理事長となるカルギン中将が長春に着任し、9月30日付で満鉄は閉鎖された。 国共内戦の後の1949年に中華人民共和国が成立、翌1950年2月の中ソ友好同盟相互援助条約により中国長春鉄路は中国に返還された。現在は旧京浜線と合わせて京哈線(ハルビン - 瀋陽北)、瀋大線(瀋陽北 - 大連)として運営されている。
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