吉沢清次郎とは? わかりやすく解説

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吉沢清次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 03:01 UTC 版)

吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - 1978年4月2日)は、日本外交官

長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学経済学科(現・経済学部)を卒業後、1917年外務省に入省。1937年からアメリカ局長、1940年からカナダ特命全権公使に任じられた。1948年外務次官に就任、同年に退任、同じく1948年世界経済調査会理事長、1955年インド特命全権大使となる。1956年にはネパールとの外交関係樹立に伴いネパール大使を兼任。原子力委員会参与、日加協会会長などを歴任した。

著作

栄典

脚注

  1. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

先代
岡本季正
外務省亜米利加局長
1937年 - 1940年
次代
寺崎太郎
先代
白洲次郎
終戦連絡中央事務局次長
山形清と共同
1947年 - 1948年
次代
山田久就



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