吉沢氏とは? わかりやすく解説

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吉沢氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/08 00:09 UTC 版)

吉沢氏(よしざわし)は、日本氏族[1]

桓武平氏北条氏族 吉沢氏

本姓平氏、家系を北条氏の支流とする吉沢氏あり。信濃国小県郡の藍田氏の傍流という。弘長年間(1261年から1263年)、吉沢城主として吉沢民部ありという[1]

また、永禄年間(1558年から1570年)に信濃高遠にも新衆として吉沢善三郎が見え、伊那郡関氏の家臣として吉沢伊予ありといい、下条氏に通じるという。下条氏の家臣として吉沢六郎の名ありという。一連の吉沢氏は北条氏流と同族か。なお、諏訪における吉沢氏の家紋としては花沢潟を用いるという[1]

甲斐国の吉沢氏

甲斐国巨摩郡名族に吉沢氏ありといい、見延過去帳に吉沢下総守の名が見えるという[1]

武蔵国の吉沢氏

武蔵国橘樹郡郷士に吉沢氏ありというが、天正1573年から1592年)の頃、帰農するという。本姓を藤原氏とし、近藤太能成の子・重能が吉沢三郎を称するのに始まるという[1]

また、入間郡の名族たる吉沢氏は、戸倉氏、井上氏とも比企郡松山の浪人にして、入間郡坂戸村に移り住むという[1]多摩郡神職にも吉沢姓あり[1]

下総国の吉沢氏

下総国下妻藩家老にも吉沢氏あり[2]

上野国の吉沢氏

上野国の名族に吉沢氏あり。家紋は三つ鱗[2]

常陸国の吉沢氏

秋田藩士 吉沢氏

常陸国にも吉沢氏あり。本姓は藤原氏。常陸国守護佐竹氏の家臣にこの氏が見え、『藤原姓吉沢氏系図』に以下の系譜を載せる。この氏、清似の代に佐竹義宣に随い、常陸より秋田に下向し、代々、出羽国平鹿郡横手に住まうという[3]

系譜 吉澤清巴―清似―清忠―清白―神部

水戸藩の義民 吉沢氏

  • 吉沢勝之介 茨城郡吉沼村吉田社祠官目見格。は義教。天狗党の乱に天狗方に加わり、捕らわれる。下総国佐倉に拘禁され、明治元年1872年)2月1日死すという。釈放後の死か。享年27。靖国神社合祀[4]
  • 吉沢常四郎 常次郎とも。久慈郡小貫村の百姓。小山守。天狗党に加わり、捕らわれる。慶応2年(1866年)8月1日、獄死する。享年32。靖国神社合祀[5]

その他

摂津国伊勢国志摩国尾張国信濃国にも吉沢氏あり[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 太田亮著、上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)6482頁参照。
  2. ^ a b c 太田亮前掲書(角川書店、1934年)6483頁参照。
  3. ^ 秋田県公文書館編『系図目録I』 (秋田県2001年)75頁参照。
  4. ^ 明田鉄男『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社1986年)436頁参照。
  5. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)

参考文献・外部リンク

  • 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
  • 秋田県公文書館編『系図目録I』 (秋田県、2001年)
  • 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)



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