河相達夫
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河相 達夫(かわい たつお、1889年(明治22年)7月26日 - 1966年(昭和41年)10月31日[1])は、大正から昭和期の外交官、外務次官。終戦連絡中央事務局次長やオーストラリア公使等を務めた。旧姓・永井[2]。
- ^ a b c d 『20世紀日本人名事典 あ-せ』761頁。
- ^ a b c 『日本人名大辞典』556頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 上』カ177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月4日閲覧。
- ^ a b 『新日本大観』16頁。
- ^ 『歴史読本』2012年1月号、新人物往来社、198-203頁。
- ^ a b 児玉誉士夫『われかく戦えり』広済堂出版、1975年、321–327頁。
- ^ 外務省: 外交史料 Q&A 昭和戦前期
- ^ 友情と友好を結んで 敝之館からラヂオプレスへ
- ^ 『日本近現代人物履歴事典』166頁。
- ^ 河相洌『盲導犬・40年の旅―チャンピイ、ローザ、セリッサ』偕成社、2001年、17–28頁。
- ^ 『盲導犬チャンピイ―日本で最初にヒトの眼になった犬』新潮社、2003年、45–48頁。
- ^ プロジェクトX 挑戦者たち ゆけチャンピイ 奇跡の犬~日本初の盲導犬・愛の物語~
- ^ スクープ!斎木新事務次官"以外"の外務省人事。宮内庁川島侍従長は留任へ 歳川隆雄、現代ビジネス、2013/6/15
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
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