物語中での活躍
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官軍の呼延灼が討伐軍を率いて梁山泊へ侵攻し、強力な連環馬戦法をもって苦しめていた。梁山泊ではこの対策が話し合われ、湯隆が禁軍の教頭で鉤鎌鎗法を操る従兄の徐寧を推挙し、仲間にするよう策が練られた。徐寧は4代に渡って伝来した秘蔵の家宝・賽唐猊(さいとうげい)という金色の鎧を保有しており、大金を積まれても応じなかった。ところが、出勤中に梁山泊の泥棒・時遷によってこの家宝が箱ごと盗まれた。翌日、湯隆が来訪し共に時遷を追い捕らえたが、その時には鎧は別の者に運ばれていた。それでも徐寧は追いかけたが、途中の酒屋で楽和、薛永に謀られ痺れ薬で盛りつぶされ、梁山泊へと連行。この一連の盗難事件は全て梁山泊が徐寧を仲間入りさせるための罠だと知らされ、宋江は梁山泊入りを勧め、更に家族を無事に連れてくることと鎧を返す約束をし、同じ禁軍師範であった林冲の説得もあって、徐寧は了承した。 梁山泊の一員になった徐寧は、屈強な兵士を選び、数日間かけて鉤鎌鎗法の指導を行った。鉤鎌鎗部隊ができると梁山泊軍はただちに出陣し、官軍の先陣を行く連環馬を徐寧率いる鉤鎌鎗部隊が伏する地点までおびき寄せた。賊軍を粉砕せんと突進する連環馬部隊は林や草むらかのびてきた鉤鎌鎗に脚を取られて転倒し、身動きが取れなくなった所をあっという間に捕縛され、後方で押えとして進軍していた官軍も、水際に追い詰められて生け捕られた。こうして、徐寧の活躍により梁山泊は呼延灼の討伐軍を破った。 その後は、華州・芒碭山・東平府・東昌府などの戦いに参加し、第一線にて活躍する。百八星集結後は第十八位、梁山泊の騎兵軍八虎将兼先鋒使となる。九宮八卦陣では中軍にて金鎗隊を率いる。 招安後の戦いでも自慢の槍術をもって戦陣で活躍、天山勇や呂師嚢などを討ち取った。しかし、方臘討伐の際、杭州において郝思文とともに石宝の籠る城近くを偵察していたところ、敵の奇襲を受けて包囲される。乱戦の中、徐寧は血路を開いて脱出するが、郝思文が捕らえられたため助けに戻ろうとするも、飛んできた矢を首に受ける。すぐに後方にいた関勝に救助されるが、矢に塗ってあった毒が元で療養先の秀州で死去した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
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元は東昌府兵馬都監であり、梁山泊軍が攻めてきた時も副将の龔旺・丁得孫を従えて、得意の石礫投げで徐寧、燕順、韓滔、宣贊、呼延灼、劉唐、楊志、朱仝、雷横、関勝と並み居る好漢らを退けた。後に生け捕りにされ、紆余曲折の末に梁山泊の仲間入りする。 梁山泊に加わった後は騎兵軍八驃騎兼先鋒使を務め、主力の一人として活躍した。童貫戦では先鋒隊となって、龔旺・丁得孫を副将に従えて敵を牽制する。済州へ攻め寄せ、敵将のひとり周信を礫の餌食にした。高俅戦でも、敵将のひとり丘岳を礫で負傷させ、その戦意を挫いた。 朝廷帰順後の遼国戦では、檀州攻めで阿里奇を討ち取るが、玉田県攻めで天山勇の隠し矢を受けて負傷し、治療のために檀州に退いた。回復後に兀顔光との総決戦に加わり、混天象陣を破るため関勝・花栄と力を合わせて兀顔光を討ち取る。田虎征伐の時に、同じ石礫投げの名手である敵の女将・瓊英と出会い結ばれる。しかし、方臘征伐戦で董平と共に独松関を攻めた際、腕の負傷で逃げる董平を追う厲天閏の行く手を阻もうとして繰り出した槍が松の木に深々と突き刺さり、抜けなくなったところを厲天閏に突き殺された。
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物語中での活躍
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梁山泊軍が高唐州の高廉(高俅の従弟)を攻め落としたことで、宋朝廷に恐慌をもたらし、高俅から呼延灼が梁山泊討伐司令官に推薦された。呼延灼は天子の徽宗から踢雪烏騅(てきせつうすい)という名馬を賜り、副将の韓滔・彭玘らとともに、梁山泊攻略へ向かう。緒戦で彭玘が梁山泊軍の女将・扈三娘に捕らえられるが、連環馬作戦を駆使して梁山泊軍を大いに苦しめた。追い打ちをかけるべく、首都東京(開封)から砲術の名手である凌振を呼び寄せ、砲撃を加えたが、梁山泊軍に凌振を誘拐されてしまう。その間、梁山泊側では連環馬戦法を破砕するため槍の名手・徐寧を仲間にしており、そのため呼延灼軍は大敗し、韓滔も捕らえられたが、呼延灼は踢雪烏騅で単騎脱出した。 このまま東京へ帰っては面目が立たないため、青州知事の慕容彦達(徽宗の妃である慕容貴妃の兄)を頼る。慕容知事は朝廷へ取りなす交換条件として、青州に巣くう山賊(桃花山・二龍山・白虎山)三山の討伐を依頼する。さっそく桃花山の李忠・周通を攻めて大勝したが、桃花山は二龍山の魯智深・楊志・武松らに救援を求めたため、膠着状態に陥る。その間に白虎山の孔明・孔亮が青州城を攻めたため、とって返して孔明を生け捕った。危機感を覚えた三山連合軍は梁山泊に救援を求め、梁山泊から宋江・呉用・花栄らが派遣される。呼延灼は呉用の策略にはまり、捕らえられた。しかし、宋江は捕虜となった呼延灼の縄を解き、礼を尽くして梁山泊入りを勧めたため、意気に感じた呼延灼は快く入山し、青州城攻略に手を貸した。 その後も芒碭山攻め、曾頭市の曾一族の攻略、北京攻略などに従軍、活躍し、108人の好漢が勢揃いした際には第8位となり、馬軍五虎将の第4番目に位置づけられた。梁山泊軍が朝廷に招安された後は、遼国征伐や方臘征伐に馬軍の将として活躍する。ただし、物語の登場人物としての個性はあまり感じられなくなる。 方臘征伐終了後、東京に凱旋。梁山泊軍解散後は武節将軍に任命され御営兵馬使となり、皇帝の警護を務めた。のちに金国征伐の軍を率い兀朮四太子を撃破するなどの功績を挙げたが淮西で戦死した。 なお、『水滸後伝』によると子の呼延鈺は徽宗の九男の康王趙構(後の高宗)の側近となり、南宋を支えた一人の武将となっており、花逢春(花栄の子)と後述の姉妹の婿の徐晟と義兄弟の誓いを結んでいる。また、娘の呼延玉英は徐寧の子の徐晟に嫁いでいる。
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物語中での活躍
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天涯孤独の侠客として各地を渡り歩いていた。ある時、北京大名府の留守使・梁世傑が、舅であり宰相の蔡京に10万貫という莫大な誕生祝(実質は賄賂)を贈ると知り、これを奪い取ろうと考えた。しかし一人ではどうにもならないので、天下に義士として名高く、人望も厚い済州東渓村の庄屋・晁蓋の協力を仰ごうと考えた。 夜半に東渓村に着くと、近くの廟に上がりこみ供物机の上で寝た。そこへ巡回中の捕り方の雷横に不審者として捕縛されてしまう。劉唐は連行されるが、その途中で雷横が休息のため晁蓋の館に立ち寄った。そこで、劉唐に興味を持った晁蓋によって「晁蓋の甥」ということにして口裏を合わせ、心付けの金銭を雷横に握らせ取り成してもらったことで解放された。ところが劉唐は「無実なのに、なんで自由になるのに金を払わなければならないのか」と腹を立て、晁蓋の金を取り返そうと雷横を追いかけ打ち合いを始めてしまう。これは勝負のつく前に呉用に止められ、晁蓋にもたしなめられた。その後、劉唐は晁蓋ら7人の仲間とともに財宝強奪を成功させ、官憲の追及を逃れ梁山泊に亡命。林冲が陰険な首領・王倫を殺害したことにより晁蓋が新たな首領となると、頭領の一人に名を連ねた。 新体制が落ち着いた頃、梁山泊へ逃亡の際に協力してくれた宋江に謝礼の金100両と手紙を届けるよう命じられる。また、罪人となった宋江が江州で処刑されそうになった時は晁蓋らとともに刑場に乗り込み救出した。他にも北京府や東京に潜入するなど偵察任務もこなした。108星集結後は歩兵軍頭領の一人に任命される。 朝廷への帰順は積極反対派の一人だったが、帰順後も以前と同じように活躍。しかし、勇猛な反面、合戦では突出しすぎるきらいがあり、張清との戦いでは敵将との一騎討ちに敗れ捕虜となり、田虎戦でも喬道清の幻術にかかり捕らえられるなど、しばしば不覚をとった。方臘戦での杭州攻めでも突出癖は裏目に出てしまい、一番槍を狙って敵城内に突入した途端、敵の落とした城門の扉に押し潰され死亡した。梁山泊でも古参の劉唐の死を仲間達は深く悲しみ、宋江も「長い間苦楽を共にし、真っ先に敵と戦ってきたあの兄弟を、こんな形で死なせてしまうとは」と嘆いた。
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物語中での活躍
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元は凌州の団練使。梁山泊討伐に派遣された猛将・関勝らが梁山泊軍に投降し、さらに北京大名府まで陥落したとの報に朝廷は慌て、宰相の蔡京が推挙により魏定国と共に梁山泊討伐の勅命が下った。 緒戦において、関勝の副将宣贊・郝思文らを破ったが、関勝との一騎討ちで敗れ、投降する。魏定国の投降説得を命じられ、関勝の協力を得て成功し、共に梁山泊軍の頭領として迎えられた。直後の曾頭市攻め、および東昌府攻略に参戦。 108人勢揃いの際には小彪将兼斥候頭領十六員の第七位の将校となり、西の寨の守将となった。梁山泊軍が招安を受けて官軍になった後は、大遼征伐をはじめ、魏定国とともに各地で奮戦し活躍する。 方臘征伐においても活躍したが、歙州攻めにおいて城門が開放されているのを見て魏定国とともに突入し、落とし穴の罠に掛かって戦死した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 04:09 UTC 版)
四川開州の人(異説有り)で、青州に赴任しそこの軍の総司令官にまでなった。 青州の管轄下である清風塞の副長官・花栄が山賊に通じたため、部下の黄信が山賊の首領諸共に捕らえ、青州まで護送しようとしたが、途中清風山の山賊たちに奪われた。秦明は兵を率いて山賊討伐のために出陣。そこで花栄が山賊の一隊を率いてくると、山賊に身を落とした花栄に激昂し打ちかかった。ところが、勝負の着く前に花栄が逃げ出したためこれを追撃するも、山道で木石や糞尿を浴びせられ部隊は混乱。山賊たちの挑発に翻弄されて山中を駆けずり回った挙句、火攻めに遭い、川の近くへ逃れたところ上流で堰を切られたため、部下の殆どは溺死し、秦明も捕らえられた。山塞に連行されると、黄信が捕らえた山賊の首領は、実は宋江という名高い好漢で、花栄らの罪は全て劉高夫妻のでっち挙げだったと知り、自らの不明を詫びた。ここで宋江らから仲間に加わるよう打診されるが、軍人の誇りを持つ秦明はこれを拒否し青州に戻ることにした。ところが、青州に帰還すると城門は堅く閉じられ、衛兵らが自分に矢を放ってきた。そこへ知事の慕容彦達から、秦明が山賊と内通し反逆した罪により一族郎党を処刑したと伝えられ、秦明の妻の首を竿からかかげた。身に覚えのない罪で妻を殺され激怒したがどうすることもできず、やむなく清風山に戻った。宋江らにことの次第を話すと、実は青州を襲撃した秦明は山賊が化けた偽者で、秦明を仲間に入れるため宋江らが仕組んだことが判明。秦明は激怒するが、2人が誠心誠意詫びるのと、今さらどうしようもないので仕方なく仲間に入った。また、やもめになった秦明のために、宋江のとりなしで花栄の妹の花宝燕を娶ることになった。この後、秦明はさらに黄信を説得して仲間に加え、宋江たちが清風山を去るのに伴って梁山泊に合流した。 梁山泊では軍の中心の一人として活動、祝家荘との戦いでは祝龍を撃ち破り、祝家荘中最強の欒廷玉とも互角以上に戦うが、彼の誘引の計にかかり捕虜になった。続く高唐州の戦いでは高廉配下の温文宝を瞬殺し、さらに呼延灼との戦いでは敵将・韓滔を圧倒し、因縁の青州攻めには真っ先に従軍を希望して、妻の仇・慕容彦達を討ち取った。北京攻めでは似たような性格の敵・索超と互角の勝負を演じた。第二次曾頭市戦では晁蓋の仇・史文恭と戦うが、敵の方が上手で太股に重傷を負い敗北、以後しばらく養生のため戦線を離れた。百八星集結後は騎兵五虎将の一人に任命される。朝廷への帰順は肯定派だったようで、朝廷へ帰順後も主に騎兵先鋒として活躍、数々の敵将を討ち取る。方臘との最終決戦の前哨戦で、方臘の甥・方傑と戦いこれも圧倒するが、別の敵将・杜微が飛刀を放ち、これをかわした所に隙が生まれ、方傑の方天戟を浴びて討ち取られた。
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物語中での活躍
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はじめ、北京大名府の牌軍であった。罪を犯して北京大名府に流されてきた楊志を役職に登用させるため試合が行われ、弟子の周謹が挑むが惨敗した。これに納得いかない索超は、楊志に試合を申し込むが甲乙つけ難い見事な戦いを繰り広げた。これを喜んだ梁世傑によって楊志とともに提轄使に任命された。 その後、梁山泊軍が盧俊義を救出しようと北京大名府を攻めると、守将のひとりとして李成・聞達と共に必死で戦ったが、関勝も加わった2度目の戦いで落とし穴に落ちて捕虜となる。楊志は既に梁山泊入りしていたので、彼の説得もあって梁山泊に加わった。東昌府攻めでは張清の礫で負傷する。 百八星集結後は、梁山泊の八驃騎兼先鋒使を務め、西の山塞を守護する。童貫率いる討伐軍との戦いでは、九宮八卦陣の西南陣を担当し、敵将のひとり王義を討ち取る。朝廷帰順後の遼国戦では、檀州攻めの後に盧俊義の隊となる。薊州では、敵将のひとり咬児惟康を討ち取る。兀顔光の混天象陣には、呼延灼の副将となって戦う。 方臘討伐戦では、揚州・宣州・杭州と進み、石宝との戦いで流星錘を顔面に受けて戦死した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
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元は凌州の団練使。北京が梁山泊に滅ぼされたことにより、朝廷から梁山泊討伐の勅命を受けるが、先に関勝率いる梁山泊軍が攻めて来た。魏定国と単廷珪は、関勝と古い知り合いであり、説得を受けたが聞き入れずそのまま戦いになる。緒戦で副将の宣贊・郝思文を生け捕るが、李逵、鮑旭らに奪い返される。その後、単廷珪は投降し、城も奪われて中陵県で抵抗するが、投降した単廷珪と関勝に再び説得されると、ついに降伏し梁山泊入りする。 入山後は、馬軍小彪将兼斥候となり、秦明の副将として単廷珪とともに行動をする。朝廷招安後も、各地で戦いに参戦を果たす。方臘討伐戦において、歙州攻めで敵の計略により、開いていた城門を単廷珪と駆け抜けたところで落とし穴に落ちてともに命を落とした。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学、PJ:ライトノベル)。項目が小説家・作家の場合には{{Writer-substub}}を、文学作品以外の本・雑誌の場合には{{Book-substub}}を貼り付けてください。
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物語中での活躍
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元は青州の白虎山の麓に住む金持ちの息子であり、喧嘩好きで弟の孔亮ともに手下を引き連れて地元で暴れ回っていた。殺人で逃亡していた宋江を匿い、孔亮とともに彼から棒術を習う。ある日、孔亮が大怪我をして帰ってきて彼から居酒屋で行者風の大男にやられたことを聞く。それを聞き激怒した孔明は、孔亮とともに手下を引き連れてその大男を探しに行った。そして、大男が酔っぱらって河に落ちていたのを発見し、引っ張り上げてそのまま捕らえて自らの屋敷に連行する。しかし、宋江によってその大男は虎を殴り殺した武松であることを知ると、慌てて縄を解いて謝罪し、彼を手厚く持てなした。そして、二竜山に向かう武松と清風鎮へ向かう宋江と別れを惜しみつつ見送った。 その後、父が亡くなって強欲な土地の金持ちと諍いを起こし、弟とともにその金持ちの一家を皆殺しにしてしまったため、やむなく家族と手下を連れて白虎山に立てこもり、山賊業を生業としていく。しかし、数年後、青州城内に住んでいた叔父(孔賓)が山賊の親戚だという理由で青州知事の慕容彦達によって捕らえられたことを知ると、すぐに孔亮とともに叔父を救うべく手下を引き連れて青州城を襲うが、桃花山と二竜山の山賊討伐をしていた呼延灼が知らせを聞いて引き返して来てしまい、呼延灼と戦うが返り討ちに遭い捕らわれてしまう。その後、逃げ帰った孔亮が桃花山と白虎山と協力し、さらに梁山泊も加わって青州城を攻めて呼延灼を捕らえ、秦明が慕容彦達を討ち取って、青州城を陥落させ、叔父とともに助け出されてそのまま孔亮とともに梁山泊に加わる。 入山後は、孔亮とともに中軍を護衛する歩兵軍驍将に任命される。その後も、孔亮とともに行動し、北京攻め、曾頭市攻め、東平府攻めなど多くの戦いに加わる。朝廷招安後も、孔亮とともに行動し、遼国戦や田虎、王慶討伐に参戦するが、方臘討伐で潤州、常州、蘇州攻めに加わるが、杭州で疫病に冒されてしまい戦線離脱し、そのまま回復せず死去した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学、PJ:ライトノベル)。項目が小説家・作家の場合には{{Writer-substub}}を、文学作品以外の本・雑誌の場合には{{Book-substub}}を貼り付けてください。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 04:45 UTC 版)
元は青州の白虎山の麓に住む金持ちの息子であり、喧嘩好きで兄の孔明ともに手下を引き連れて地元で暴れ回っていた。殺人で逃亡していた宋江を匿い、孔明とともに彼から棒術を習う。ある日、居酒屋で暴れている行者風の大男と揉めて喧嘩になるが、逆に大怪我を負わされた上に谷川に落とされてしまい、そのまま自分の屋敷に逃げ帰った。そのことを孔明に話し、仕返しすべく孔明とともに手下を引き連れてその大男を探しに行った。そして、孔明がその大男が酔っぱらって河に落ちていたところを発見し、引っ張り上げてそのまま捕らえて自らの屋敷に連行する。しかし、宋江によってその大男は虎を殴り殺した武松であることを知ると、慌てて縄を解いて謝罪し、彼を手厚く持てなした。そして、二竜山に向かう武松と清風鎮へ向かう宋江と別れを惜しみつつ見送った。 その後、父が亡くなって兄とともに強欲な土地の金持ちと諍いを起こし、その金持ちの一家を皆殺しにしてしまったため、やむなく家族と手下を連れて白虎山に立てこもり、山賊業を生業としていく。しかし、数年後、青州城内に住んでいた叔父(孔賓)が山賊の親戚だという理由で、青州知事の慕容彦達に捕らえられたことを知ると、すぐに孔明とともに叔父を救うべく手下を引き連れて青州城を襲うが、桃花山と二竜山の山賊討伐をしていた呼延灼が知らせを聞いて引き返して来てしまい、孔明が呼延灼に捕らわれてしまうが、自身は白虎山に何とか逃げ帰る。その後、桃花山と二竜山と協力し、さらに梁山泊も加わって青州城を攻めて呼延灼を捕らえ、秦明が慕容彦達を討ち取って、青州城を陥落させ、孔明と叔父を救出し、そのまま孔明とともに梁山泊に加わる。 入山後は、孔明とともに中軍を護衛する歩兵軍驍将に任命される。その後も、孔明とともに行動し、北京攻め、曾頭市攻め、東平府攻めなど多くの戦いに加わる。朝廷招安後も、孔明とともに行動し、遼国戦や田虎、王慶討伐に参戦するが、方臘討伐の蘇州攻めで昆山へ向かう途中に船から落ちて溺死した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学、PJ:ライトノベル)。項目が小説家・作家の場合には{{Writer-substub}}を、文学作品以外の本・雑誌の場合には{{Book-substub}}を貼り付けてください。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 04:46 UTC 版)
東渓村の晁蓋ら一味が蔡京へ送られる生辰綱(誕生日の贈り物)10万貫を強奪する事件が起きると、都頭の朱仝は同僚の雷横とともに東渓村を管轄する鄆城県から晁蓋らの捕縛を命を受け派遣されたが、宋江の手引きにより晁蓋らはすでに逃亡していた。その宋江が妾の閻婆借を殺害した折には、宋江捕縛の命令を受けるが、発見した宋江をわざと見逃している。 しばらくして、雷横が踊り子の白秀英から大衆の面前で侮辱されたのに怒り、彼女を殺害する。白秀英は鄆城県の新しい知事の馴染みであったため雷横の死刑は免れず、護送を命ぜられた朱仝は雷横を逃して梁山泊入りを促した。そのため、朱仝は罪人逃亡の責を負って滄州へ流刑となった。流刑地の滄州の知事に気に入られた朱仝は、役所で勤務するようになり、また知事の幼い息子(小衙内)からその長いひげを気に入られてお傅り役としても仕えることとなった。ところが、梁山泊は朱仝の入山を欲しており、すでに仲間となった雷横を派遣して朱仝を説得させるも、現在の知事への忠義を貫き応じなかった。そんななか梁山泊一の乱暴者・李逵が小衙内を殺害したため、進退窮まった朱仝は梁山泊入りを承諾。しかし、李逵だけは許せず、宋江・呉用の機転により、李逵はほとぼりが冷めるまで滄州の大富豪柴進の邸に滞在することとなり、朱仝のみ梁山泊へ入った。やがて柴進の所でも李逵が騒ぎを起こし、高唐州で捕らわれた柴進を救うため梁山泊軍が出動するが、朱仝もそれに加わっている。その後も青州・華州・芒碭山・曾頭市・東昌府攻めなどにも参戦、梁山泊騎馬軍の主要メンバーとなっていく。 百八人の好漢勢揃いの際には、第十二位となり騎兵軍八虎将兼先鋒使の二位となる。かつての相方・雷横とともに梁山泊南口の第三関門を守備した。その後、梁山泊へ宦官童貫が攻めてきた際もよく守り、朝廷へ招安後は、大遼征伐でも活躍。方臘征伐においては敵将の徐方・譚高らを討ち取るなど大活躍を見せる。 都東京へ凱旋後は、保定府都統制となる。悲劇的な最期を迎える好漢が多い中、朱仝はその後も軍功を挙げ、後には劉光世に従って金国軍を打ち破り、太平軍節度使になった。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 09:45 UTC 版)
韓滔は、武挙に合格した官軍のエリートであり(梁山泊内で他に合格したのは楊志だけである)、陳州の団練使を務めていた。 呼延灼が梁山泊討伐の指揮官になった時、呼延灼の推薦を受け討伐軍の副将に加わり、彭玘とともに兵を率いて戦う。緒戦に彭玘は生け捕られるものの、連環馬作戦を駆使して戦いを有利に進めるが、梁山泊の仲間になった徐寧に鉤鎌鎗を使われて敗れ、劉唐、杜遷に捕らわれる。その後、先に仲間入りした彭玘と凌振の説得を受けて梁山泊入りをする。 入山後は、馬軍小彪将兼斥候となり、呼延灼の副将として彭玘とともに前線で戦う。朝廷招安後も、常にともに行動し遼国戦や田虎、王慶討伐に参戦するが、方臘討伐の常州攻めで敵将・金節と戦い、相手が逃げるとそれを追うが、高可立の矢に当たり落馬したところを張近仁に槍でとどめを刺され、戦死した。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
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青州清風塞の副長官の地位にあった花栄は武勇で周囲の山賊を威圧していたが、賄賂だけでここの長官の地位を手に入れた劉高とは当然のごとく犬猿の仲であった。 そんな中、親友・宋江が罪を犯し逃亡中であることを知ると、自分の館に来るよう誘い宋江を歓待した。ところが、元宵節(旧暦正月15日)の祭の夜に、宋江は劉高の妻に山賊の首領として誣告され捕らえられてしまう。実は宋江と劉高の妻は偶然にも、同時期に清風山の燕順らに捕らえられており、宋江は燕順に掛け合い女を解放させたが、女はこれを仇で返したのだった。これに激怒した花栄は、正論を説いて宋江の引渡しを劉高に要求するが拒否されたため、力ずくで宋江を奪い、追っ手も弓で威嚇し追い返した。しかし劉高の奸計に嵌って武官の黄信に宋江や家族共々捕えられ、青州へ護送されるところ、燕順らによって解放される。花栄は護送隊に従軍していた劉高を斬殺し、朝廷に刃向かうこととなった。その後、討伐に派遣された秦明を悪辣な計略にかけて破り、黄信ともども説得して仲間に加え、清風塞を襲撃、家族を救出し元凶である劉高の妻を斬った。そして本格的な討伐に清風山では耐え切れないと考え、宋江のつてで梁山泊に合流する。 紆余曲折の末、宋江が梁山泊入りすると、入山の祝宴で晁蓋らに自分は弓の名手であると自慢したが、花栄の弓の腕前が半信半疑であった晁蓋らはそれを真に受けなかった。そのことに彼の自尊心は傷付けられた。数日後、花栄は山塞のふもとの江水で「どなたか弓矢を拝借願いたい」と述べ、「あそこに三羽の雁がおります。私は三番目の雁を射止めましょう」と宣言して見事に射止め、その腕前を披露した。これ以降、晁蓋らは花栄を評価し、春秋時代の楚の武将養由基と比較されて「神臂将軍」と呼称された。 その後は宋江を補佐する副司令官的立場を担い、祝家荘戦で敵の伏兵の合図の提燈を打ち落としたり、強敵に苦戦する味方を弓で援護して救うなど活躍する。百八星集結後は騎兵軍八虎将兼先鋒使の筆頭を務める。特に招安の使者が梁山泊を訪れた際は無礼な態度に怒りこれを射殺するなどした。帰順後も田虎征伐で敵将3人を立て続けに射殺し、方臘戦では強敵・鄧元覚を倒す大手柄を上げた。 凱旋後は武節将軍の称号を得て、応天府の司令官に任命されるが、夢枕に宋江の死を知り呉用とともに墓へ詣でる。ここで殉死を決意した呉用から、家族がいる花栄に生き延びるよう薦められるが、「どうせ生きていても奸臣の手にかかるだけ」と拒否し、共に自害して果てた。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蔣敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 04:40 UTC 版)
青州の高位軍官を務めた。ある年の正月、青州の管轄下にある清風塞の長官・劉高から、副長官の花栄が清風山の山賊の首領と内通していると報告を受けた。黄信は精兵50人を引き連れて清風塞に赴き、花栄を油断させて捕らえ、山賊の首領とされている人物と共に青州へ送還する事にした。しかし途中、清風山を通った時、燕順、王英、鄭天寿の3人の山賊とその手下たちの襲撃を受ける。黄信は剣を抜き放って抵抗するが、相手の首領3人が一度に斬りかかってきたため、さすがに敵わず逃走、花栄と山賊の首領は奪われ、同行していた劉高は惨殺された。さらに討伐に向かった上司の秦明は山賊たちに散々打ち破られた挙句に降伏し、清風塞に残っていた黄信に仲間入りを勧めてきた。ここで、初めて山賊の首領とされていた人物が義人として有名な宋江で、全ては劉高のでっち上げだったと知り、仲間入りを承諾。城門を開放して清風山の山賊を引き入れて合流し、劉高の一族を皆殺しにし、花栄の家族を救出した。その後、一行は追討軍を避けるため梁山泊へ合流、黄信は頭領の一人に名を連ねた。 その後は、故郷に戻って逮捕され江州に流罪となった宋江が、無実の罪で処刑されかけた時、救出に参加した。祝家荘との戦いでは、先鋒の一隊を率いるも緒戦で迷路に迷った挙句、罠にかかって捕虜となり、続く高唐州攻めでは留守居、呼延灼率いる討伐隊との戦いでは流れ矢に当たって負傷したため見せ場はなく、因縁の青州戦にも参加できなかった。百八星集結後は騎兵小彪将十六騎の筆頭となり、主に孫立とともに林冲の副将格として活躍する。 王慶討伐戦では最終決戦で敵将・潘忠の首を挙げ、方臘討伐戦で味方、敵将それぞれが一騎討ちをすることになった時、代表8人の1人に選出され、敵将・郭世広と互角に立ち回り、歙州では強敵・王寅を倒すのに加わった。 凱旋後は官職と称号を授けられ、青州の総司令官に任命された。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/30 17:20 UTC 版)
滄州横海郡に大邸宅を構えていた柴進は、当地へ流罪となって送られてきた林冲をもてなす。同邸に食客として滞在していた高慢な洪教頭に棒術勝負を挑まれ、いとも簡単に勝利した林冲を喝采し、以来親交を結ぶ。林冲が高俅からの刺客を殺し、お尋ね者となった際も屋敷の内に匿った。また、力自慢の武松や誤って殺人を犯した宋江が柴進を頼ってきた。2人は誤解から喧嘩を始めるが、柴進の仲介で意気投合し、義兄弟の契りを結ぶ。さらに、梁山泊に入った宋江は、同郷の朱仝を梁山泊入りさせるため、弟分の李逵に朱仝の主人である滄州の知府の息子を殺させる。激怒した朱仝は李逵に深い恨みを抱いたため、ほとぼりが冷めるまで、李逵は柴進の屋敷へ預けられることとなった。 しばらくして、高唐州に住む柴進の叔父の柴皇城が、高唐州の知府の高廉の義弟である殷天錫に脅迫され、庭園を奪われた挙げ句に殺された。更に柴進が叔父の仏事を取り仕切っている最中、殷天錫は屋敷の明け渡しを迫ったため、柴進に付き添っていた李逵がその行為に怒り、殷天錫を殺害。柴進は、後難を避けるため、李逵を梁山泊へ返した後、役所へ届けて弁解を試みるが、親族を殺された高廉は聞く耳を持たず、柴進は捕らえられて拷問され、殷天錫殺しの濡れ衣を被せられて死刑囚用の牢に入れられた。李逵から顛末を聞いた梁山泊の人々は、柴進救出のため、宋江を総大将として高唐州へ攻め寄せた。妖術を操る高廉の前に手を焼くも、道術の公孫勝を呼び寄せてこれを破り、高唐州を陥落させ、柴進救出に成功。柴進はそのまま梁山泊入りした。 晁蓋の死後、宋江が梁山泊の首領となってからは、柴進は後軍の寨の守りを務めた。北京の大商人の盧俊義を仲間に引き入れようとして失敗し、盧俊義が捕らわれると、戴宗とともに北京へ赴き、牢役人の蔡福に黄金を渡して助命嘆願した。のち、梁山泊軍が北京を落とした際に、柴進は蔡福の手引きにより、捕らわれていた盧俊義、石秀らを解放した。108星勢揃いの後は、第十位の好漢として、金銭・糧食を司る頭領となり李応とともに梁山泊の会計を務めた。宋江が都の東京へ元宵節の灯籠見物に赴いた際には、これに同行。燕青を引き連れ、役人のふりをして宮廷内に潜入する。そこに四大寇として「山東宋江」「江南方臘」「淮西王慶」「河北田虎」が挙げられているのを見て、山東宋江の文字を切り取って帰った。方臘征伐においては、柯引と変名して燕青とともに敵の本拠に潜入し、金芝公主と結婚して駙馬(娘婿)となり、主爵都尉に任命される。方臘軍の将として出陣し、宋江らがわざと負けることで方臘を安心させ、その油断を利用して燕青とともに方傑を討ち取り、方臘の宮殿の幇源洞を大混乱に陥れ、梁山泊軍を招き入れる功績を挙げた。 方臘征伐後は、武節将軍・横海郡都統制に任命されるが、持病を理由に固辞した。滄州横海郡に帰郷して富豪に戻った。悲劇的な末路を迎えた梁山泊の多くの面々とは異なり、天寿を全うした。
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物語中での活躍
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功臣の子孫で代々武官の家柄に生まれ、若くして武挙に合格し殿司制使(近衛隊長)の地位に登る。順調に出世街道を歩むかに思われたが、花石綱運搬の監督を9人の制使の一人として命ぜられた際に、嵐に巻き込まれて船が沈没し任務は失敗。責任追及を恐れると、官職を捨てて逐電した。 その後大赦が出たことを知ると復職を望み都へ向かう。その途中で梁山泊にてかつての禁軍教頭・林冲による追剥にあい(梁山泊入山条件として追剥をさせられていた)、対決するも勝負がつかなかった。これを見た梁山泊の首領・王倫は、自分の地位安泰のため林冲の当て馬にしようと入山を勧めてきたが、プライドの高い楊志はこれを蹴っている。都に到着すると賄賂を使って方々にとりなしを頼み、あとは太尉・高俅の認可を得るだけという状況まで漕ぎ着けるが、高俅からは一蹴され、復官はならなかった。所持金を使い果たした楊志は、止む無く家宝の宝刀を売りに出している所に絡んできたゴロツキの牛二を斬殺。しかしすぐに自首したのと相手が鼻つまみ者だったため、宝刀を没収の上北京へ流罪という軽い罰で済んだ。 流刑先の北京留守司・梁世傑は楊志を気に入り軍人として取り立てようとするが、他の武官たちが納得しない事を考慮して御前試合を催す。試合で周謹を破り、索超と引き分けた楊志は提轄使(民兵長)に取り立てられ、返り咲きした。数ヶ月して、梁世傑の舅である蔡京の誕生祝(という体裁をとった賄賂)で、10万貫の価値がある生辰網の運搬監督を命ぜられる。しかしまたもや運悪く、晁蓋らが生辰網を狙っていた。それでも楊志は盗賊対策に十分な配慮をしていたが、指揮下にあるはずの使者や運び手達の反発に遭い、その隙を晁蓋ら盗賊団に突かれ、痺れ酒を盛られた挙句、宝物も全て奪われてしまう。帰るに帰れなくなった楊志は自殺を図るが、考え直して開き直り、無頼の徒として生きる事を決意した。 目的も無く旅をしていたが偶然、林冲の弟子だった酒屋・曹正や林冲の義兄弟の魯智深と出会い意気投合、3人で青州二竜山にこもる山賊を退治し、ここで山賊稼業を始める。さらに武松、施恩、張青、孫二娘を加えた二竜山は梁山泊に次ぐ勢力を誇るようになる。その後、呼延灼が青州に攻め込んできた時は、桃花山の救援に赴き呼延灼と激しい一騎討ちを繰り広げた。その後はさらに白虎山、梁山泊とも連合して呼延灼を捕らえ青州知事を討ち、そのまま梁山泊へと合流する。このときの祝宴で晁蓋たちが生辰網を奪った話題に及んだが楊志はおおいに笑って済ませた。 以降は先鋒や部隊の中枢を担って軍の主力として活躍。百八星集結後は騎兵軍八虎将兼先鋒使に任命される。朝廷への帰順に際しては反対し、捕虜になった高俅をかつての恨みから林冲とともに終始睨みつけるほどであったが、帰順後も以前と変わらずに武功を立てた。しかし、方臘討伐の緒戦丹州攻略後に病にかかり戦線離脱。回復することなく、乱終結までに死去した。
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物語中での活躍
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晁蓋の死後、宋江は梁山泊を率いる上で頼りとなる人物を求めていた。そんな時、北京に玉麒麟と呼ばれる盧俊義という大商人がいることを知ると、軍師・呉用に玉麒麟の勧誘を命じる。呉用は易者に変装して、北京の盧俊義の屋敷へ潜入。東南(梁山泊のある方角)へ旅した方が良いという偽易者の予言を信じた盧俊義は、妻・賈氏や腹心の燕青を留守に残し、都管(番頭)の李固を連れて旅に出る。 これは呉用の策略であった。梁山泊近辺で盗賊に誘い込まれ、捕らわれた盧俊義は梁山泊で盛大な宴で歓迎され、首領の宋江からその座を譲られる。盧俊義は首領の座は固辞したものの、彼らと意気投合し、毎夜宴会で歓待された。しかしあまり旅が長くなるのを心配し、李固を先に北京に返すと、引きつづき梁山泊に逗留し50日もの滞在に及んだ。ついに別れを告げて北京に戻ると、留守を預かっていたはずの燕青が浮浪者となっており、先に帰ってきた李固が盧俊義の妻(賈氏)と密通して、店を乗っ取ってしまったと伝えられた。笑って信じない盧俊義はそのまま帰宅するが、燕青の言は真実であり、盧俊義は梁山泊の賊と通じた罪で逮捕された。盧俊義は流刑と決まり、李固が手を回して、首斬り役人の蔡福や護送役人に盧俊義殺害の依頼として、賄賂を出した、護送途中で燕青に助けられるも、すぐに再び捕らわれて北京に戻され、今後は死罪判決となる。刑場にて梁山泊から派遣された石秀が救出に失敗し、ともに牢屋に監禁されたため、梁山泊から3度にも及ぶ北京攻略軍が派遣され、ついに救出されて、自分を裏切った李固と妻の賈氏らも梁山泊が捕らえたが、その始末を梁山泊に委ねて、燕青とともに梁山泊へ入った。 前首領・晁蓋の仇である曾頭市の史文恭(晁蓋は死に臨んで我が仇を討った者を次の首領に指名していた)を討ち取った功績もあり、宋江から再び首領の座を譲られるが、盧俊義は固辞した。2人の譲り合いに結論が出なかったため、東平府と東昌府を攻めて早く落とした方を首領とすることとなった。盧俊義には呉用・公孫勝などの軍師が附けられ東昌府を担当したが、敵側の猛将・張清の勢いを止められず攻めあぐね、先に東平府を攻略した宋江が合流してようやく陥落。ここに、宋江を首領、盧俊義を副首領とする梁山泊の体制が完成した。 百回本、百二十回本では、この後梁山泊は朝廷に帰順し、宋朝に逆らう各地の勢力の討伐が行われ、盧俊義は梁山泊軍の副将として、幾多の戦いで諸将を率いて活躍をする。最後に多大の犠牲を伴った方臘征伐後、首都東京に戻る途中で燕青が盧俊義に暇乞いをする。盧俊義はこれから恩賞がもらえるのに何故かと訝るが、燕青は用済みになった梁山泊軍団の末路を案じ、元主人の盧俊義にも脱退を進めるが、盧俊義は頷かなかった。廬州安撫使・兵馬副総監に任命され、任地へ赴いた盧俊義であったが、果たして燕青の予言は的中し、謀叛の疑いをかけられ、招待された皇帝臨席の昼食で、食事の中に水銀を盛られ、任地へ帰還途中、水銀中毒による腰の激痛から淮河へ転落、溺死した。 七十回本では、108人集合の後、梁山泊の豪傑達がすべて捕らえられ、首をはねられるという盧俊義の夢をもって物語が終結する。
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物語中での活躍
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元は村下に隠棲する書生だが、その智謀を買われて晁蓋から生辰綱奪取の協力を求められる。棗売りに化けて輸送隊にしびれ薬入りの酒を飲ませて、まんまと奪取に成功し、梁山泊に逃れる。 以降、軍師として梁山泊の運営に携わり、様々な策を用いて官軍の討伐を退けた他、次々と好漢たちを山塞に招き入れる。盧俊義や朱仝を招いた時のように、手段を選ばない策を用いたり、失策によりかえって危機を招いたりすることもあったが、仲間内での信頼度は高かった。 宋江とは強い信頼関係で結ばれており、荒くれ者が多い梁山泊の中で宋江の心情を最も理解している人物の一人だった。江南の方臘討伐後、官位を授かるが辞退し、宋江と李逵が悪徳大臣らに毒殺されたことを知ると花栄とともに墓所に赴き、後を追って自殺した。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 16:02 UTC 版)
首都開封で禁軍の教頭として妻と暮らしていたが、その妻を上司である高俅の養子・高衙内に横恋慕されてしまう。高衙内は林冲の親友・陸謙らの協力を得て夫人に迫るが、間一髪の所で林冲に見破られ未遂に終った。しかし、それを知った高俅により罠に嵌められ、滄州へ流罪となった。護送中に高俅の命を受けた端公(役人)の薛覇と董超に命を狙われるが、魯智深により助けられる。流刑先では柴進の世話になり、柴進の食客の洪教頭が林冲と決闘を申し渡したために、これに打ち勝った。その後は魯智深と別れて、柴進の手紙を滄州の牢奉行に渡して刑に服していたが、開封から命を狙ってきた高俅配下の旧友の陸謙・富安と林冲暗殺の依頼を受けた牢奉行・牢役人頭らを返り討ちにしたため逃亡する。 柴進の仲介で梁山泊へ身を寄せることにする。林冲の実力を恐れた首領の王倫から入山を断られそうになるが、宋万らのとりなしで、3日以内に旅人を殺し金目の物を奪うという入山条件を提示され、3日目に現れた楊志と打ち合うが決着はつかなかった。王倫は、楊志を引き込み林冲と競わせれば自分の地位は安泰のまま山塞の戦力が強化されると目論み、楊志に入山を勧めるが断られたため、渋々林冲のみが入山を認められた。その後、梁山泊へ晁蓋らが逃れてきた際に、王倫はやはり自分の地位保全のために入山を渋る。林冲は王倫が僅かな手切れ金で晁蓋らを追い払おうとするため激怒、これを斬り殺し晁蓋を新たな首領とした。なおこの時、林冲は夫人を救出し山へ迎えようとするが、夫人は高衙内に縁組を迫られ続け、耐えきれずに自害した後であった。これを知った林冲は涙を流して悲しんだ。 梁山泊軍では序盤は軍の主力として活躍、祝家荘との戦いでは女傑・扈三娘に格の違いを見せつけこれを捕縛、続く高唐州戦では敵の先鋒于直を瞬殺した。しかし呼延灼との戦いでは流矢に当たって重傷を負いしばらく戦線を離れた。晁蓋死後から108星集結までの戦いには曾頭市との再戦を除いて全て参加、活躍する。 百八星集結後は騎兵五虎将の一人として官軍との戦いでも活躍。朝廷の帰順には当然絶対反対を唱え、捕虜となった高俅を殺害する好機を狙い続けていたが、結局梁山泊は朝廷に帰順した。しかしその後も以前と同じように働き続け、多くの敵将を倒したが、方臘討伐後凱旋途中に駐屯した六和寺で中風にかかり倒れ、武松と共に六和寺にとどまり療養したが半年後に死去した。
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物語中での活躍
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優れた武芸の持ち主で塞外異民族との戦いで功を立てたため、さる王侯の娘婿となる。しかし、あまりに醜い彼の容貌を嫌った相手の公主は自殺。また、剛直で生真面目な性格であったため、時の禁軍の総帥・童貫に嫌われたため出世が出来ず、長く宮殿の警備隊長という身分に留まった。 梁山泊に攻められた北京大名府への救援派遣をめぐる会議において、知り合いの関勝を総大将に推挙し、自らも関勝の部下・郝思文と共に副将として従軍した。梁山泊に攻め入り、花栄の放った弓を3発もよけたが、その後、秦明・呼延灼・孫立に敗北し、生け捕られる。宋江に梁山泊入りを勧められた3人はそれを承諾し、梁山泊入りした。 入山後も郝思文とともに関勝の副将となって行動を共にして北京攻めに参戦する。凌州攻めでは、出陣した単廷珪、魏定国を関勝が投降するよう説得したが、激怒して襲いかかったため迎撃するも、罠にはまり捕虜になる。護送中に偶然通りかかった李逵、鮑旭、焦挺らに救出され、凌州を落とす。その後も、東昌府戦に参加する。 百八星集結後、梁山泊の馬軍小彪将兼斥候となり、関勝の副将として童貫戦、遼国戦等の戦いに参戦する。方臘討伐戦では、潤州、常州、蘇州へと進むが、蘇州の戦いで敵将の郭世広と戦い相討ちとなり戦死した。
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物語中での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 09:14 UTC 版)
関勝が梁山泊に攻められた北京大名府の救援軍の大将に抜擢されると、副将として宣贊ともにこれに従い出陣する。林冲などと戦うが、扈三娘に生け捕られ、のちに関勝らとともに梁山泊へ入る。 入山後も、関勝の副将として宣贊とともに行動し、度々手柄を立てている。方臘討伐戦では、潤州で徐統を討ち取り、蘇州では一騎討ちする代表の8人の将として選ばれたりしたが、杭州攻めの際に徐寧と偵察中に、城門が開いているのを不審に思い近づくと中から敵の急襲に遭い生け捕られる。その後、処刑され、首は見せしめのために城門の上からぶら下げられた。 ウィキソースに水滸伝第63回(中国語)の原文があります。 表・話・編・歴 水滸伝一百八星 一百八星外 晁蓋 王倫 三十六天罡星1 宋江 2 盧俊義 3 呉用 4 公孫勝 5 関勝 6 林冲 7 秦明 8 呼延灼 9 花栄 10 柴進 11 李応 12 朱仝 13 魯智深 14 武松 15 董平 16 張清 17 楊志 18 徐寧 19 索超 20 戴宗 21 劉唐 22 李逵 23 史進 24 穆弘 25 雷横 26 李俊 27 阮小二 28 張横 29 阮小五 30 張順 31 阮小七 32 楊雄 33 石秀 34 解珍 35 解宝 36 燕青 七十二地煞星37 朱武 38 黄信 39 孫立 40 宣贊 41 郝思文 42 韓滔 43 彭玘 44 単廷珪 45 魏定国 46 蕭譲 47 裴宣 48 欧鵬 49 鄧飛 50 燕順 51 楊林 52 凌振 53 蒋敬 54 呂方 55 郭盛 56 安道全 57 皇甫端 58 王英 59 扈三娘 60 鮑旭 61 樊瑞 62 孔明 63 孔亮 64 項充 65 李袞 66 金大堅 67 馬麟 68 童威 69 童猛 70 孟康 71 侯健 72 陳達 73 楊春 74 鄭天寿 75 陶宗旺 76 宋清 77 楽和 78 龔旺 79 丁得孫 80 穆春 81 曹正 82 宋万 83 杜遷 84 薛永 85 施恩 86 李忠 87 周通 88 湯隆 89 杜興 90 鄒淵 91 鄒潤 92 朱貴 93 朱富 94 蔡福 95 蔡慶 96 李立 97 李雲 98 焦挺 99 石勇 100 孫新 101 顧大嫂 102 張青 103 孫二娘 104 王定六 105 郁保四 106 白勝 107 時遷 108 段景住 一覧表・カテゴリ:水滸伝の登場人物
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物語中での活躍
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元々は東平府の兵馬都監。太守の程万里の娘に惚れ込み、仲人を介して何度も縁談を持ち掛けていたが、うまく断られていた。梁山泊軍の首領を決めるため宋江と盧俊義が東平府・東昌府を攻めた際に登場する。梁山泊軍が攻めてくると、宋江からの挑戦状を破り、使者の王定六と知り合いの郁保四を棒打ちにして追い返し、得意の双鎗で韓滔・徐寧を退けるが、深追いした結果に捕虜となり、宋江の説得で梁山泊に加わる。東平府を落とす計略に自ら参加し、程万里を討って娘を連れ出した。東昌府戦では、張清と戦うが勝敗はつかなかった。常に「英雄双鎗将」「風流万戸侯」の旗印を掲げて戦った。 百八星集結後は騎兵五虎将の一人として活躍する。童貫戦では九宮八卦陣の東南を担当し、童貫を追い詰めて敵将のひとり韓天麟を討ち取って討伐軍を退ける。高俅戦では腕を負傷して、戦列を離れる。 朝廷帰順後の遼国戦では盧俊義の隊に所属し、檀州攻めで敵将のひとり耶律国珍を討ち取る。薊州・玉田県・幽州の戦いに参加し、兀顔光の混天象陣と戦う。方臘討伐戦では盧俊義隊の一員として宣州・湖州・独松関と攻める。独松関で周通が厲天閏に討たれるなど味方が苦戦していたことに苛立ち、自らが先頭に立って関所の前で相手を罵るが、火砲を受けて腕を負傷する。その後、一矢報いるために張清を誘って2人で関所まで訪れて一騎討ちを申し出、厲天閏と配下の張韜が出て来て厲天閏と戦う。しかし、腕の怪我で思うように双鎗が使えず、不利を悟って逃げようとしたが、張清が横槍を入れて逆に厲天閏に討たれたことに怒り厲天閏に襲い掛かるが、その隙を突かれて張韜の刀を背中に受けて戦死した。
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物語中での活躍
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蒲東県の巡検(捕り方の役人)だったが、宣賛の推薦で義兄弟・郝思文と共に都へ召還され、梁山泊に攻められた北京大名府の救援軍を指揮する。関勝は北京には赴かず、直接梁山泊を急襲するという作戦を取る。それを知った梁山泊軍は慌てて北京の包囲を解いて梁山泊に引き返し、関勝の軍と対峙する。この戦いで関勝は林冲、秦明といった梁山泊主力の豪傑たちと互角の戦いを演じ、さらに夜襲を仕掛けてきた敵水軍を2度にわたり撃破、張横、阮小七らを捕らえる戦功を挙げるが、かつての官軍呼延灼の偽投降の策にひっかかり捕らえられてしまう。しかし、そこで宋江の考えと態度に感じ入りそのまま梁山泊に入山。そして、続いて攻めてきた元部下の単廷珪を一騎討ちで捕らえ、同じく魏定国を説得して2人を梁山泊に引き込んだ。 百八星集結後は騎兵五虎将の筆頭として官軍との戦い、帰順後の各地の反乱軍との戦いでも活躍、遼との戦いでは敵の総大将兀顔光を張清らとともに倒し、田虎との戦いでは旧知の敵将・唐斌を内応させることに成功した。方臘との戦いでは作中でも最強の敵である石宝と互角の死闘を演じ、また烏龍神邵俊の加護と樊瑞の助力を得て妖術使いの鄭彪を討った。また危機に陥った味方の救援部隊として働くことも多かった。 乱の平定後、武節将軍大名府正兵馬総管に任ぜられるが、調練の帰り道に飲酒が原因で落馬し、それが原因で死去した。
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物語中での活躍
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戴宗は江州で牢役人の頭をしており、子分の李逵とともに下役人や囚人に畏怖されていた。また、その神行法の能力を見込まれ宰相・蔡京の息子である蔡得章に飛脚としても重宝されていた。 ある日、有名な好漢で旧友・呉用の手紙を預かっていた罪人の宋江と意気投合するが、彼は黄文炳によって謀叛をでっち上げられ牢へ入れられてしまう。宋江の無実を知っていた戴宗は弁明するが叶わず、知事である蔡得章から都にいる蔡京に判決の処遇を仰ぐ手紙を届けるよう言い付けられる。ところが、その道中で偶然にも梁山泊へ辿り着き、このことを首領の晁蓋と軍師となっていた呉用に相談した。結果、呉用の策により「宋江を都に護送せよ」という内容の手紙を蔡京の筆跡を真似て作成し、江州へ戻った戴宗はこれを知事に届けた。知事はこれを真に受けたが、黄文柄がこれが贋物であることを見抜いたため戴宗も捕縛、宋江ともども死刑宣告を受けた。しかし、処刑の当日に駆けつけた梁山泊と李逵の活躍で救出され、そのまま梁山泊の一員となった。 梁山泊では神行法の能力を生かして情報収集、伝令、諜報、工作、送迎、捕虜救出、行方不明者や人材の捜索などで大活躍。特に楊林、裴宣、鄧飛、孟康と有能な人材をスカウトし、間接的に石秀、楊雄、時遷らも梁山泊へと導いた。方臘討伐後、朝廷から武節将軍の称号と兗州の司令官の地位を与えられるが、辞退して泰山で出家、数ヵ月後に病でもないのに死期を悟り、別れの宴の最中笑いながら大往生した。死後も夢の中の徽宗を梁山泊へ導く役を務めている。 なお、続編にあたる『水滸後伝』では、生存しており以前と同様に活躍する。
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物語中での活躍
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独竜岡三家荘の一つ李家荘を取り仕切っていたが、梁山泊などの山賊の住処が近く、姻戚関係にある隣接する祝家荘、扈家荘の3村で同盟を結んで有事が起こったら助けあう約束をしていた。ある日、家来の杜興に伴われて楊雄・石秀が彼らの仲間の時遷が祝家荘に捕らわれたため、李応に仲介を打診を願いに来訪した。これに応じた李応は、祝家荘の主祝朝奉に手紙を出すも、朝奉の子である祝兄弟の末弟の祝彪によって突っぱねられたため、自らで出向くが、次兄の祝虎によって矢を射かけられて、肘に怪我を負った。楊雄、石秀らは李応の身を案じて、引き揚げた。しばらくして楊雄と石秀は梁山泊に向かって、援軍を要請した。これがきっかけで梁山泊と祝家荘の抗争が勃発するが、李応は山賊の仲間だと思われることを恐れて、屋敷に戻って静観を保った。ところが、祝家荘と梁山泊の戦いが終わると州知事が捕り手と共に現れ、梁山泊に内通したとして李応は杜興とともに逮捕された。実はこれは2人を梁山泊に加えようとする呉用の計略で、知府一行は梁山泊一味である裴宣らが変装したものであり、2人が連れ出されている間に、屋敷は焼かれ一族郎党も既に梁山泊に連れ込まれたため、しぶしぶながら梁山泊に身を寄せた。 梁山泊入山後は騎兵を率いて前線で戦い、華州攻めや北京攻めでは勅使の護衛官や旅人に変装して攻略の手助けをした。百八星集結後は、柴進とともに金銭糧食の管理を担当する幹部格となる。梁山泊が朝廷に帰順した後の、各地の戦いでは守備隊や補給隊などを指揮して、前線に出ることは少なかったが、方臘討伐戦では杜興とともに遊撃隊を指揮し、睦州攻めにて敵将・伍応星を得意の飛刀で討ち取り、武芸の冴えを見せた。 戦後、中山府の都統制に任じられる。半年ほど任に当たった後、柴進らが任を辞したことを知り、李応も病と称して杜興と独竜岡に帰る。富豪となって天寿を全うした。
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物語中での活躍
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元は渭水経略府の官吏だった。史進が師匠の王進を訪ねて訊ねて渭州に立ち寄った際に、史進の師でもあった李忠とともに親交を深めたが、その直後に持ち前の義侠心から、旅芸人の金老爺と金翠蓮父娘を苦しめる悪徳長者の鎮関西・鄭屠を拳骨3発で撲殺してしまい逃亡者となる。逃亡中、助けた金父娘と再会し、新たに翠蓮が妾として仕えている趙員外に引き合わされ、その勧めで官憲の追及を逃れるために出家を決意する。大施主である趙の口利きで入門した仏門の名山である五台山の長老の智真に見込まれて、師匠自らの一字を取った智深という戒名を授かる。しかし魯智深は二度禁酒の戒を破り、泥酔して寺に帰り大暴れした為、智真長老はやむなく破門し、兄弟弟子の智清禅師がいる東京開封府の大相国寺を紹介した。この際に偈を授けている。開封府に向かう道中で、桃花村の麓の庄屋の劉の娘と無理矢理祝言を上げようとした桃花山の山賊となった李忠・周通を懲らしめ、瓦灌寺の凶賊である生鉄仏崔道成と飛天夜叉丘小乙たちを、偶然再会した史進の助太刀を得て倒している。 開封府の大相国寺では菜園の番人を命ぜられ、着任早々野菜泥棒たちを叩きのめして逆に舎弟にしてしまい、さらに、禁軍の教頭を務めていた林冲と意気投合し義兄弟の契りを交わす。ところが、義弟・林冲が無実の罪で流罪となり、途中殺されそうになるとこれを助けたため、再び逃亡生活に入る。道中出会った楊志、曹正と二竜山にこもっていた盗賊らを倒し、そのまま首領におさまる。その後、武松、施恩、張青、孫二娘らを仲間に加え、度々官軍を退け勢威を誇ったが、呼延灼が討伐に来た際に梁山泊に援軍を頼み、その後梁山泊に加わった。 梁山泊では歩兵軍の頭領として度々活躍し、江南の方臘討伐では方臘を捕らえる殊勲を上げた。この後杭州六和寺に滞在中に、銭塘江に潮が逆流する音(潮信)を聞く。魯智深は師匠から授けられた言葉に思い当たり自身の死期を知り、一室に籠って悟りを開き入寂した。
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