かつての相方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:46 UTC 版)
秋田Oスケ 解散後、平和ラッパ(2代目)とコンビを結んで平和日佐丸(3代目)に改名。「ラッパ・日佐丸」の全盛期を築くが、ギャラの配分を巡って紛糾し、コンビを解消。のち、美人漫才師であった夫人とコンビを組むが、夫人が不倫の末駆け落ちして失踪しそのまま心中。これにショックを受け自殺した。1966年以降の演芸ブームに登場した「ラッパ・日佐丸」の日佐丸は4代目である。 横山アウト 東住吉区出身。巨漢でスポーツマンだったという。コンビを組む前は東映で仕出しをしていたともいわれる。解散後、少し吉本新喜劇にいたが、後に千日前・千日劇場の「センニチコメディ」に出演。コメディアンに転身する。千日劇場閉鎖後は梅田トップホットシアターに出演。「コマ新喜劇」の常連となるが、同演芸場閉鎖と共に引退。息子は東京のコメディアン、田中章(プリンプリン)。 横山フック(初代) 元「田川元祥&リズムワゴン ボーイズのドラマー・轟盛次」。前名は横山青児。解任後、そのまま引退。EXテレビでの漫画トリオの元メンバーたちのトークによる回想企画で1度きりの出演をしている。娘が若井小づえ・みどりのみどりに弟子入りし豊間若葉の名で杉岡みどりと葉緑体という名でコンビを組んだ。 横山フック(二代目) 解散後青芝フックと改名し、青芝キックと漫才コンビを結成(青芝フック・キック)。現在はコンビを解消し、テレビ司会者など単独で活動。※ 横山パンチ のちの上岡龍太郎(上岡龍太郎の項を参照の事)※ 横山ひとり ※青芝と上岡はノックの弟子と思われがちであるが、実際は師弟関係ではなく、青芝は横山エンタツ一門の弟弟子。上岡は漫画トリオ結成の時からの仲間である。
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