五虎将とは? わかりやすく解説

五虎大将軍

(五虎将 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 01:24 UTC 版)

五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)は、小説三国志演義』および小説『水滸伝』などの作品に登場する架空の称号である。

名称

五虎を冠した称号は、15世紀にまとめられた小説『三国志演義』においては主に「五虎大将」という呼称で現れ、「五虎上将」「五虎将」とも別称される。小説としてまとめられる前の講談『三国志平話』では「五虎将軍」、吉川英治の小説では「五虎大将軍」と呼称されている。中国でも統一されておらず、四川省綿陽市の三国史跡である富楽山公園の像には「五虎上將」と書かれている[1]

本記事では「五虎大将軍」で統一する。

三国志演義

三国志演義』におけるの五虎大将軍は関羽張飛趙雲黄忠馬超の5名により構成される[2]

『三国志演義』第73回において、漢中を平定し、漢中王となった劉備は、主要な武将5名に五虎大将軍の称号を授けた[3]。重要な軍事の際にはそれぞれ軍を率いて活躍し、軍事における中心的な役割を果たした。関羽・張飛の2名は劉備の義兄弟、趙雲は古参の武将、黄忠は経験豊富の老将、馬超は名門出身の降将と、地位・老若・経歴などは選出に問われなかった。

五虎大将軍の筆頭となった関羽は、その構成員を知ると「張飛は私の弟であり、馬超は名門の出[4]、趙雲は兄に長く仕え、いわば私の弟も同然だ。しかし老兵の黄忠がなぜ私と同列に扱われるのか!」と大いに怒るが、費詩の説得によりようやく納得する[5]、という展開になっており、これは後述の、正史に記述されたエピソードを基に創作されている。正史同様、この五人が戦場で揃って戦うシーンは描かれない。

正史三国志

富楽山公園の像(左から黄忠、趙雲、関羽、張飛、馬超)

五虎大将軍の起源は3世紀に書かれた歴史書『三国志』に遡る。その内の「蜀志」において上記5名のが1巻にまとめられ、関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲の順に立伝されている[6]。劉備が漢中王になった時、関羽を筆頭に張飛、馬超、黄忠に同格の将軍位前後左右将軍)が与えられたが、関羽は黄忠と同格になったことを大いに怒ったという(後述)。

張飛と馬超、趙雲と黄忠は漢中争奪戦にて、それぞれ別動隊と本隊に分かれ戦ったが、このとき関羽は荊州の守備についていたため、この戦いに参じていない。その後、関羽が樊城の戦いにおいて戦没[7]、黄忠、馬超は病没し[8][9]、張飛は暗殺された[10]。趙雲のみが生き残り、五人が揃って戦場に出ることは一度もなかった。

景耀3年(260年)9月には関羽・張飛・馬超・黄忠に、その翌年(261年)3月には趙雲に対して、諡号が追贈された[11]

正史での評価

  • 関羽・張飛は、程昱らから「万人の敵(単独で1万人と戦える猛者。勇猛さの比喩)」[12]劉曄からは「三軍筆頭の勇」と称され[13]周瑜からは「熊虎の将(勇猛な将)」と評価された[14]。『三国志』の撰者である陳寿には「虎臣(勇猛な臣下)」や「国士」と賛辞を与えられている。
  • 馬超は、古代の英雄に準えられており、楊阜には「韓信黥布の武勇を持つ」と言われ[15]、諸葛亮には「文武の才を兼ね備え、並外れて勇猛、当代の英雄であり、黥布・彭越の類」と称えられた[16]。さらには荀彧・周瑜にも有力者と認められていた[17]。陳寿の評には「武勇を恃みにして」いたとある[18]
  • 黄忠・趙雲は、陳寿には共に「彊摯壮猛で、揃って軍の爪牙となった」、「灌嬰夏侯嬰に匹敵する人物」と評された[18]楊戯の『季漢輔臣賛』では、黄忠は「精励にして勇壮で、敵を破って難に赴き、武功を打ち立て、時の主幹となった」と賛美され、趙雲は「厚重な性質で、精鋭を指揮し、勲功をあげた猛将」、「忠義と勇猛さを兼ね備えていた」と称賛されている[19]。また、黄忠は入蜀の際「常に先陣を務め、三軍筆頭の勇者」だったと記され[20]、劉備は趙雲の豪胆さを「全身が肝である(一身是胆)」と言って褒めたという[21]
  • 李景星:「関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲はいずれも蜀の名将である。故に合伝されている」[22]

正史での関羽のプライド(馬超、黄忠に対するもの)

  • 馬超が劉備に降伏した際、関羽が「彼の能力は誰と比べられるか」と手紙で問いかけたのに対し、諸葛亮は「益徳(張飛)には匹敵しますが、 ひげ関羽の見事な顎髭と頬髯にちなんだあだ名)には及びません」と答えた。関羽はこの返信に喜び、来客に見せびらかした[16]
  • 劉備が黄忠を後将軍に任命する際、諸葛亮は、黄忠の名望が関羽・馬超には並ばないことを指摘して、「〔黄忠と同格扱いされることを〕関羽は不快に思う(納得しない)のではないでしょうか」と進言した[20]。実際、この人事を耳にした関羽は「大丈夫(立派な男子)たるもの、老兵(黄忠)と同列にはなるまい」と怒ったが、費詩の説得により怒りを収めた[23]

群雄との関わり

  • 関羽・張飛は劉備の旗揚げから付き添い、その死もほぼ同時期であった。また黄忠・馬超も同じ時期に死去した。
  • 劉備と劉禅両方を君主としたことがあるのは趙雲だけである。
  • 黄忠は劉琮が曹操に降伏した際、それに従って裨将軍に任命されたため、曹操を君主としたことがある。関羽もまた、徐州が陥落して劉備が逃亡した際には暫定的に曹操に従っていた。馬超も曹操が袁紹残党と争っていた時期に、曹操側の戦力として戦っている。
  • 独立勢力のトップとなったことがあるのは馬超だけである。
人物 将軍位 封号 諡号 生没年 君主
関羽 偏将軍→盪寇将軍前将軍 漢寿亭侯 壮繆侯 ?年 - 220年 劉備
張飛 征虜将軍右将軍車騎将軍 新亭侯>西郷侯 桓侯 ?年 - 221年 劉備
馬超 偏将軍→征西将軍(自称)→平西将軍→左将軍驃騎将軍 都亭侯>斄郷侯 威侯 176年 - 222年 馬騰→独立勢力→張魯→劉備
黄忠 裨将軍→討虜将軍→征西将軍→後将軍 関内侯 剛侯 ?年 - 220年 劉表劉琮韓玄→劉備
趙雲 牙門将軍→翊軍将軍→征南将軍→鎮東将軍→鎮軍将軍 永昌亭侯 順平侯 ?年 - 229年 公孫瓚→劉備→劉禅

水滸伝

梁山泊の役職。この上の役職は、総頭領と軍師のみで、軍人の中では最高の位である(水滸伝百八星一覧表)。編成は、左軍大将・大刀関勝、右軍大将・豹子頭林冲、先鋒大将・霹靂火秦明、合後大将・双鞭呼延灼、虎軍大将・双鎗将董平の5人。

なお、関勝は関羽の子孫という設定である(「大刀」とは、『三国志演義』での関羽の得物である青龍偃月刀を指す。青龍偃月刀を実際に使ったかどうかの記録は残されていないが、大刀の名手であったのは事実)。また、林冲は、得物が蛇矛であり、容貌が「豹頭環眼 燕頷虎鬚」と形容されている点から、張飛を元にしているとされる。

他作品

他の演義小説にも「五虎大将軍」と名付けられた組み合わせが存在する。通常、『水滸伝』と同様に、他の小説の五虎将の中には、関羽(赤面、大刀を使い、仁義を重視する)と張飛(黒面、蛇矛を使い、暴れる勇猛さ)に似た人物もおり、残りの3人の設定は比較的自由である。

隋唐演義

瓦崗寨の役職。『隋唐演義』を基礎とした二次創作小説の中で、李密が瓦崗寨の主になってから設置された職務である。小説から派生した他の作品では、程咬金(程知節が瓦崗寨で混世魔王と呼ばれていた時に設置され、秦叔宝(秦瓊は五虎将よりも地位の高い大元帥であったため、どちらの説も『演義』とは異なる。

『隋唐演義』などの小説の五虎将

飛虎将軍・秦瓊(左天蓬の転生)、螭虎将軍・程咬金(土徳星の転生)、雄虎将軍・王伯当(牛金牛の転生)、猛虎将軍・邱瑞(架空の人物、「昌平王」と冊封された隋の元老、イメージは老将)、烈虎将軍・単雄信(青龍星の転生)の5人。邱瑞が戦死した後、羅成(白虎星の転生)が空席を補充した。

『説唐演義』などの小説をもとにした三次創作の五虎将

最も人気のある説は、赤髪霊官(小霊官)・単雄信勇三郎・王伯当緑袍帥・王君可(歴史上の王君廓をモデルにしているが、基本的に名前だけが同じ、イメージは関羽を参考にした)、鉄面判官・尤俊達(歴史上の牛進達をモデルにしており、王君可/王君廓に似ている)、神矢将・謝映登(架空の人物で、最後に仙人となり、唐太宗・李世民の時代が終わった後も唐の影の守護者となった)の5人。[24]

月唐演義

有名な「安史の乱」という歴史的事件を中心に、白虎星の3度目の転生・郭子儀を描いた小説の中の5人の武将。安禄山は白虎星と代々宿敵である青龍星として描かれているため、彼ら5人が手を組んで安禄山を破ったシーンは「五虎縛蒼龍(五匹の虎が一緒に蒼龍を捕まえる)」と呼ばれている。白虎星・郭子儀(双頭五輪駒、定国粉龍鎗、粉龍兜、粉龍甲、玄武鞭、震天弓、穿雲矢などの宝物を持つ)、黒虎星・尉遅勃(唐初の名将・尉遅恭の後人)、飛大帥・劉蛟臥虎星・呉剛聚虎星・林沖の5人を含む。郭子儀以外は基本的に架空の人物である。また、実際に神(星君)として扱われているのは、西方の擬神化・白虎の民間での呼称に相当する白虎星だけである。黒虎星は明清の小説の中で、仁・智・勇を兼ね備えた白虎星の転生に対応するものとして登場し、「単純な蛮勇を備えた」架空の星君を代表する。他の3人の星君は完全に小説家の自作である。

残唐演義

『混唐演義』や『残唐五代演義』などを含み、黄巣の乱に始まり、五代十国の歴史を描いた物語の中で、金統帝・黄巣地蔵王菩薩の神獣・諦聴の転生、残唐十六英雄の第四席、紫金藤槍を使い、「殺人八百萬、流血三千里[25]」という宿命を背負った神剣・混唐宝剣を持つ)が築いた大斉国の5人の武将。作品では基本的に十六英雄の第一席、十三太保勇南公・李存孝の引き立て役として存在する。[26]白玉将・葛従周(第十席、虎頭亮銀鎗を使い、兵法に精通した主帥と設定)、扯破天大刀将・孟絶海(第十一席、三停青龍偃月刀を使い、関羽をモデルとした架空の人物)、鉄天王・鄧忠(第十二席、鑌鉄力貫槊を使い、架空の人物、通称は「鄧天王」)、丑鬼賽瘟神・朱温(第十三席、鋸歯飛鎌大切刀を使い、九丑星の転生)、銀鎗将・張帰覇(第十四席、八宝盤龍亮銀鎗を使い)の5人を含む。[27]

狄青演義

北宋の名将狄青を主人公とした『狄青演義』(『狄青演義(万花楼演義)』『五虎征西』『五虎平南』を含む)では、狄青も五虎のうちの1人である。出山虎・狄青(宋太祖・趙匡胤伝来の定唐金刀と現月龍駒、血結鴛鴦、七星矢、人面金牌などの宝物を持つ)、爬山虎・張忠(関羽をモデルとする)、離山虎・李義(張飛をモデルとする)、飛山虎・劉慶(宝物「席雲帕」を持ち、空を飛ぶことができる)、笑面虎・石玉(仙人伝来の双槍を使い、狄青と同様に仙術に詳しい)の5人。[28]

大明英烈

『朱元璋演義』や『大明英烈伝』などの作品の中で、明太祖・朱元璋の部下である5人の武将。徐達(関羽をモデルとする)、常遇春(張飛をモデルとする)、湯和沐英胡大海の5人を含む。いずれも歴史上有名な武将だが、常遇春と沐英を除いた3人は小説の中では一流の実力者ではない(徐達は文武兼備の主帥と設定され、知将のイメージに重点を置いている)。『大明英烈伝』による二次創作で、実際に明の主戦力を担当したのは、常遇春の子・常茂、胡大海の子・胡徳継などの後輩英雄だった。

台湾外志

上巻の『台湾外志刺繍像五虎鬧南京伝』と下巻の『台湾外志後伝刺繍像五虎将掃平海氛記』からなる『台湾外志五虎伝』では、鄭成功の配下にある10人の武将(上巻と下巻にそれぞれ1組、福建・台湾一帯ではそれぞれ「前五虎」と「後五虎」と呼ばれている)がいる。「前五虎」は飛山虎・陳魁奇鑽地虎・陳豹穿石虎・陳典翻江虎・甘輝巡夜虎・萬禮、「後五虎」は柯彩許鳳陳龍藍理呉田である。[29]陳魁奇が歴史上の武将・陳魁をモデルにしている以外は、歴史上の実在の人物である。また、周全斌甘輝馬信劉国軒施琅を鄭成功の五虎将と見なす説もある。

蜀漢四英

蜀の将軍である五虎大将軍とは別に、諸葛亮蒋琬費禕董允の四人の政治家は「蜀漢四英」と呼ばれる[1]

富楽山公園には蜀漢四英の銅像も建てられている[1]

脚注

  1. ^ a b c 富楽山公園”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023年5月1日閲覧。
  2. ^ 三国志【蜀の五虎大将】に数えられたのは5人ではなかった!? 関羽、張飛、趙雲に並ぶものたち・・・ | 歴史人”. 歴史人. 2025年6月15日閲覧。
  3. ^   (中国語) 『三国志演義』第73回, ウィキソースより閲覧, "封關羽、張飛、趙雲、馬超、黃忠為五虎大將軍[...]。" 
  4. ^ 横山光輝『三国志』では馬超に関しても「亡命の客将」として同格扱いに不満を述べている。
  5. ^   (中国語) 『三国志演義』第73回, ウィキソースより閲覧, "[]雲長問曰:「漢中王封我何爵?」[]詩曰:「五虎大將之首。」雲長問:「那五虎將?」。詩曰:「關、張、趙、馬、黃是也。」雲長怒曰:「[]翼德吾弟也;[]孟起世代名家;[]子龍久隨吾兄,即吾弟也:位與吾相並,可也。黃忠何等人,敢與吾同列!大丈夫終不與老卒為伍!」遂不肯受印。詩笑曰:「將軍差矣。[...]今漢中王雖有五虎將之封,而與將軍有兄弟之義,視同一體。將軍即漢中王,漢中王即將軍也。豈與諸人等哉?將軍受漢中王厚恩,當與同休戚,共禍福,不宜計較官號之高下。願將軍熟思之。」雲長大悟,乃再拜曰:「某之不明,非足下見教,幾誤大事。」即拜受印綬。" 
  6. ^ 翟平「五虎将座次排列」『安徽大学学報:哲学社会科学版』第4期、1983年、p. 12。
  7. ^ 『三國志』巻三十六「関羽伝」而曹公遣徐晃救曹仁,羽不能克,引軍退還。權已據江陵,盡虜羽士眾妻子,羽軍遂散。權遣將逆擊羽,斬羽及子平於臨沮。
  8. ^ 『三國志』巻三十六「黄忠伝」明年卒,追諡剛侯。
  9. ^ 『三國志』巻三十六「馬超伝」二年卒,時年四十七。
  10. ^ 『三國志』巻三十六「張飛伝」先主伐吳,飛當率兵萬人,自閬中會江州。臨發,其帳下將張達、范彊殺飛,持其首,順流而奔孫權。飛營都督表報先主,先主聞飛都督之有表也,曰:「噫!飛死矣。」
  11. ^ 『三國志』巻33後主伝, "[景耀]三年秋九月,追謚故將軍關羽、張飛、馬超、龐統、黃忠。四年春三月,追謚故將軍趙雲。"
  12. ^ 『三国志』巻14程昱伝、巻36張飛伝
  13. ^ 『三国志』巻14劉曄伝
  14. ^ 『三国志』巻54周瑜伝
  15. ^ 『三国志』巻25楊阜伝
  16. ^ a b 『三国志』巻36関羽伝
  17. ^ 『三国志』巻10荀彧伝、巻54周瑜伝
  18. ^ a b 『三国志』巻36「関張馬黄趙伝」陳寿評
  19. ^ 『三国志』巻45楊戯伝
  20. ^ a b 『三国志』巻36黄忠伝
  21. ^ 『三国志』巻36趙雲伝注引『趙雲別伝』
  22. ^ 『四史評議』関羽,張飛,馬超,黄忠,趙雲,皆為蜀之名将,故合伝。
  23. ^ 『三国志』巻41費詩伝
  24. ^ 瓦岗五虎”. 百度百科. 2022年10月22日閲覧。
  25. ^ 即、「八百万を殺し、三千里を流血する」
  26. ^ 元代の雑劇『鄧夫人苦痛哭存孝』で、李存孝が孟截海(孟絶海)、鄧天王、張帰覇を破ったエピソードは、すでに劇中の人物に取り上げられており、李存孝の架空の引き立て役としてかなり古い源流を持っている。
  27. ^ 《李存孝演义》第六回 长安城称帝”. 2022年10月22日閲覧。
  28. ^ 五虎征西”. daizhige.org. 2022年10月22日閲覧。
  29. ^ 漳州版“五虎将”_郑成功_历史_章回小说”. www.sohu.com. 2022年10月22日閲覧。

関連項目


五虎将

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ダブルドラゴン アドバンス」の記事における「五虎将」の解説

7面ボス5人組。「幻截拳」(家庭用ダブルドラゴンII ザ・リベンジ』では「幻殺拳」と名乗っていた拳法)を使う格闘集団

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