コンペ・受賞
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丹下健三がプリツカー賞受賞 ベルリン国際建築展 - いくつかのプロジェクトのために様々な建築家が当選し関与(1980-1987年) オスロ中央駅 - ジョン・エンフが当選 福井県立美術館指名設計競技 - 佐藤武夫事務所が当選。1980年第21回BCS賞を受賞する 半田市立図書館 1980年(昭和55年) 太田町真木真昼国民宿舎建築設計競技 1980年 旧オルセー駅駅舎美術館転用計画建築設計競技(1980年) ヴィレット科学産業都市博物館(1980年) ヴィレット音楽産業都市博物館(1980年) アラブ世界研究所 - ジャンヌーヴェルが当選(1981年) 春日市光町共同利用施設競技設計, 福岡県春日市. 1981年 太田市社会教育総合センター 競技設計. 1981 秋田県果樹試験場本館建築設計競技 1981年 東京理科大学100周年記念図書館設計競技 1981年 名古屋市芸術創造センター設計競技(1981年) ポルト市の文化センター(Casa das Artes)の建築設計競技(1981年) 萩須記念館(1981年) パリ・ラ・グランデ・アルク・デ・ラ・デファンス(ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンが当選(1982年) 荻須記念館全国公開設計競技(1982年) ラ・デファンス高層ビル(パリ) パリ・バステューユ新オペラ座国際オープンコンペティション(1982年) フランス大蔵省新庁舎(1982年) 人権ビルナシオン広場 新凱旋門グレートアーチ(1983年) パリ新オペラハウス国際設計競技1983 シテ・デ・ラ・ミュジーク、パリ - クリスチャン・ド・ポザンパルクが当選(1983年) オペラ・バスティーユ、パリ - カルロス・オットーが当選(1983年(応募数750) 新潟市立美術館指名設計競技 1983年(昭和58年) 練馬区医師会館指名設計競技 1984年(昭和59年) 藤枝市郷土博物館(1984年) 日本火災海上軽井沢厚生寮公開設計競技 1984年(昭和59年) 日本歯科医師会館指名設計競技 1985年(昭和60年) 駒ケ根市文化公園施設群公開設計競技(1984年) ニーム・キャレ・ダール - ノーマン・フォスターが当選(1984年(12名の建築家を招聘) シテ・ド・ラ・ミュジークの建築設計競技(1984年) 東京夢の島熱帯植物館(1985年) メッセタワー - フランクフルト・アム・マイン - Helmut Jahnが当選(1985年) 横浜市港湾局みなとみらい2ドックパーク基本計画設計競技(1985年) 石垣市民会館指名設計競技(1985年) 全労済会館公開建築設計競技(1985年) 四条アーケード設計競技(1985) 新国立劇場 - 1986年、公開コンペを経て、竹中工務店設計部に所属する柳澤孝彦の案が当選 新都庁舎コンペ - 1986年、指名コンペを実施。ゴシック様式を思わせる第一庁舎、議事堂が取り囲む市民広場といった特徴を持つ丹下健三の案が当選 犬山市立図書館 1985年 三州丸栄建築設計競技 1985年 土浦市立博物館 1985年 全労済会館公開建築設計競技(1986年) 愛知県新文化会館(名城地区-図書館)(1986年) 東京都設計事務所健康保険組合熱海リフレッシュセンター建築設計競技(1987年) 三重県口腔保健センター競技設計, 1987年 モルガン・スタンレー銀行設計競技(1986年) ハーグ市庁舎 - リチャード・マイヤーが当選(1986-1989年) オペラ・ナショナル・リヨン - ジャン・ヌーヴェルが当選(1986年) バイエル社インフォメーションセンター国際指名設計競技(1987年) バイエルン社植物防疫研究センター国際指名設計競技 バタノスタースクエア国際指名設計競技(1987年) 愛知県新文化会館図書館競技設計, 1987年 愛知県新文化会館公開設計競技 1987年(昭和62年) 愛知県芸術文化会館コンペティション 1987年 秋田総合婦人会館(アトリオン)提案競技 日本コンベンションセンター(幕張メッセ) 坂本龍馬記念館公開設計競技 1987年(昭和62年) 東京造形大学キャンパス指名設計競技 1987年(昭和62年) 愛知芸術文化センター建築設計競技 1987年 北名古屋市図書館 1988年(昭和63年) 北海道立帯広美術館 1988年 三島市文化会館指名設計競技 1988年(昭和63年) 愛知県新文化会館(栄地区)(1988年) 富山県科学情報センター指名設計競技 1988年(昭和63年) 東洋大学白山キャンパス指名設計競技 1988年(昭和63年) 青山製図専門学校校舎公開設計競技 1988年(昭和63年) 千代田生命広尾本社ビル事業コンペ 1988年(昭和63年) 星田アーバンリビング・デザインコンペティション(1988) 大阪国際平和センター(ピース大阪)建築設計コンペ 1988年 オランダ建築研究所 - ロッテルダム - ヨー・クーネンが当選(1988年(6案) フランス国立図書館(1989年) ベルリン・ユダヤ博物館 - ダニエル・リベスキンドが当選(1989年)
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コンペ・受賞
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ローマ・テルミニ駅(1947年) 国連本部(ニューヨーク) ニューヨーク近代美術館MoMA「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペ(1940年) ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアル モスクワ大学の設計競技(1947年) レフ・ルドネフが当選 サユナツサロ・タウンホール - アルヴァ・アアルトが当選(1949年) 大東亜建設記念造営計画(1942年、公開:実施予定なし)丹下健三が1等当選 在バンコック日本文化会館(1943年、公開:実施されず)丹下健三が師の前川国男を抑えて1等当選。寝殿造のブロックを模したプランであった。 広島カトリック聖堂(世界平和記念聖堂)(1948年、公開) 1等当選作は該当なしとされ、審査員の1人村野藤吾が自ら設計により物議をかもす 広島平和記念公園・広島国際会議場 (1949年、公開)丹下健三らが1等当選、実施設計を行った。 大阪国際会議場 大阪府庁舎競技設計・周辺整備基本計画指名コンペティション 仙台市公会堂懸賞設計圖案1949年 仙台市民会館建築設計競技 1949年(昭和24年)
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コンペ・受賞
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コヴェントリー大聖堂 - 1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったは、バジル・スペンス (Basil Spence)。1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとして知られる。 ラケウデン・リスティ教会 - 1951年、アルヴァ・アールトは、セイナヨキの町によって開催された、教会の設計者を募る建築コンペティションに参加。45に上る設計案が集められた中で、コンペティションの審査委員会の見解によると、アールトによる「ラケウクシエン・リスティ」 (Lakeuksien Risti) という名の設計案が最も優れていたとして採用される 日本自治労連会館建築設計競技1950年 下関市庁舎コンペティション 1950年 鎌倉美術館案競技設計(1950年) 神奈川県立近代美術館設計競技(1951年) 天理教東京会館(仮称)-懸賞競技設計(1951年) 日本銀行金沢支店指名設計競技(1951年)審査員岸田日出刀が選出した佐藤武夫案を一万田尚登が撤回し、山下寿郎が当選 小倉市庁舎新築指名設計競技(1952年)町の郵便局のような平面構成にした佐藤武夫が当選。岸田日出刀が審査員。 外務省独立庁舎指名設計競技(1952年)佐藤武夫が当選 東京空港ビル指名設計競技(1952年)実施要綱に物議をかもしての結果「設計合同協議会」なる形で基本設計を行うことになる。 名古屋放送会館懸賞競技設計(1952年) 神奈川県中小企業会館指名設計競技(1953年)佐藤武夫が当選し、県分庁舎も担当。 岡山県庁舎指名設計競技(1953年)前川国男が当選。石川栄耀らが審査員で、模型の写真提出を条件にしている。 東京都庁舎(旧都庁舎)1952年、指名コンペにより丹下健三が1等当選、実施設計を行った。 山中温泉コンペティション 1953年 国立国会図書館 1954年、公開コンペで大高正人らMID同人が1等当選、基本設計を行った(実施設計は建設局営繕局)。 愛知県文化会館(1954年) 三木市庁舎建築設計競技(1959年) トロント市役所 - ヴィルジョ・リヴェルが当選(1956(500 entries) ベルリン・フィルハーモニー - ハンス・シャロウンが当選(1956-57年(14名の招待建築家) 共和国宮殿 西ドイツ政府 将来の「首都ベルリン」をテーマにした建築設計競技(1958年) - 西ドイツ政府が世界の建築家を招いて開いた将来の「首都ベルリン」をテーマにした建築設計競技ではこの一帯を文化ゾーンとする案が評価され、これに対抗して東ドイツ政府が開いた独自の建築設計競技では一帯を政治の中心とする案が出された。ハインツ・グラフンダー(Heinz Graffunder)他5名の建築家の設計による シドニー・オペラハウス - ヨーン・ウツソンが当選(1955年(応募数233)審査委員だった建築家エーロ・サーリネンがこのアイディアを気に入り、最終選考に復活させ強く支持したとされる。 韓国国会議事堂競技設計(1959年) レオポルドビル文化センター国際オープンコンペティション(1959年)
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コンペ・受賞
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ネブラスカ州会議事堂 - 1920年7月1日、議事堂委員会はバートラム・グッドヒューをこのコンペの勝者と発表した。 建築学会会館(1920年) シカゴ・トリビューン - 1922年、エリエル・サーリネン、ヴァルター・グロピウスらが参加した有名なデザインコンペの結果、レイモンド・フッドとジョン・ミード・ハウエルズのゴシック様式の案が選ばれて建設されたものである 大阪市美術館 - 1921年(大正10年)前田健二郎がコンペティション1等当選。大幅修正のうえ、1936年(昭和11年)に竣工する 神戸市公会堂(1922年、公開)前田健二郎・岡田捷五郎のコンビがコンペティション1等。ただし実施されず。 大阪府庁舍、府会議事堂(1922年、公開) 日比谷公会堂 市政会館 - (1922年、指名)建築家8人による指名設計競技の結果、佐藤功一案が1等となるが佐藤自身当初案を大きく変更 これをもとに清水組(現・清水建設)が施工。1929年10月19日に落成した。 日本建築協会15周年記念住宅博覧会と住宅の懸賞設計 住宅改造博覧会 - 1922年(大正11年)8月末を期限に各建築会社による設計デザインの優劣を競うコンペティションが行われ、応募総数118通、10作品が当選、うち4作品を元にした住宅が実際に博覧会会場で建設展示された。 ホテル・モスクワ - 1922年コンペが行われ, ヴェスニン兄弟の案が優勝したが、諸般の事情により実現を見なかった。1933年アレクセイ・シューセフを任命 オホートヌィ・リャッド労働宮殿(モスクワ)1922年 メルボルン 戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance) - フィリップ・ハドソン、ジェームス・ウォードロップが当選(1923年(83項目、オーストラリアとイギリスの建築家にのみ公開) 神戸市公会堂(1923年) 早稲田大学大隈記念講堂(1923年、公開:別案で実施)公開コンペにより前田健二郎らの案が1等となるが、佐藤功一ら早稲田大学の教授らが改めて設計 震災記念堂 - 1924年(大正13年)前田健二郎がコンペティション1等入選するが、実施されず 学士会館(1924年) モスクワ新聞ビューロー「レニングラード・プラウダ」コンペ(1924-1925年) レーニン人民の家(1924年) 大連駅本屋(1924年) ブリヤンスクソビエトの家(1924年) 第一次世界大戦戦勝記念女神像(1924年) ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅 - 1924年からアンジェロ・マッツォーニの手による駅舎近代化計画が始まり、1934年には貨物駅も併設するためのコンペが行われた。ヴィルジーリオ・ヴァロットの案が採用され、マッツォーニ、ヴァロット両人の協力の下、1936年から1943年までかけて改築が完成する。 モスクワ鉱山管理研究所(1925年) モスクワ繊維会館(1925年) エレクトロ組合ドム・コムーナ(1925年) 東京大震災記念建造物(1925年、公開:別案で実施)前田健二郎が当選したが採用されなかった震災記念堂コンペの後、審査員の伊東忠太が設計し竣工 神奈川県庁舎(1926年、公開)小尾嘉郎の1等当選案に佐野利器、県営繕課が手を加えて竣工 役馬共同厩舎懸賞募集設計(帝国馬匹協会 1926年) モスクワ・エレクトロバンク(1926年) モスクワ・スモレンスカヤ市場プロジェクト(1926年) モスクワ・ルスゲルドルグ(1926年) ドニエプル河電力センターオープンコンペティション(1926年) ミンスク州ベラルーシ国立大学の建築設計競技プロジェクト(1926年) トゥルクの農業組合本部(1927年) ヴィープリ図書館建築設計競技(ヴィボルグ 1927年) パリ万国博覧会 (1925年) パヴィリオン・コンペティション 南京中山陵 (1925年) ジュネーブ・パレス・オブ・ネイションズ - 1926年、アンリ・ポール・ネノー&ジュリアン・フレージハイマー;カルロ・ブラッギ; Camille Lefèvre; ジュゼッペ・ヴァゴらが当選(応募377案) 北京図書館 (1926年) 国際連盟会館(ジュネーブ)(1927年)ル・コルビュジエの案が否決され、CIAM結成のきっかけになった) トリビューン・タワー、シカゴ - ジョン・ミード・ハウエルズとレイモンド・フッドが当選(1922年(応募数260) モスクワ・シミョーノフスキー地区とザモスコツスキーレーチィキ地区コムナ(1922年) モスクワ・スモレンスク・マーケットのコンペティション(1926) ヴィオリ・ライブラリ - アルヴァ・アアルトが当選(1927年) スターリングラード文化宮殿(1928年) モスクワ・ディナモ会館(1928年) Asneftポンプステーション(1928年) ロシア・ツェントロソユーズ・コンペティション(1928年) レーニン図書館建築コンペティション(1928年) ズーエフ労働者クラブ(Дом культуры имени Зуева 1928年) ウラルマッシュ工場の給水塔(「白い塔」、1928年) ブリスベン・戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance, Brisbane) - ブキャナンとカウパーが当選(1928年) ヴァイマール帝国議会堂拡張計画設計競技(1929年) 名古屋市庁舎(1929-1930年、公開) ハバロフスク・ソビエトの家コンペティション(1929年-1930年) イヴァノヴォ・ヴォツネセンクスの共同住居(1929年-1930年) ドニエプル・ドニプルストロイ水力ダム(1929年) パイミオのサナトリウム- アルヴァ・アアルトが当選(1929年) 中国政治区・南京政治区(1929年) ANZAC戦争記念館、シドニー - チャールズ・ブルース・デリートが当選(1929年(応募数117)
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コンペ・受賞
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安藤忠雄がAIAゴールドメダル(2002年)、UIAゴールドメダル(2005年)受賞 伊東豊雄がRIBAゴールドメダル(2006年)受賞 ヘルシンキミュージックセンター建築設計競技(2000年) セント・ジョーンズ・アベイ宿泊研修施設国際建築設計競技 2000年 ヴォルフスブルク・フェーノ科学センター - ザハ・ハディドが当選(2000年) アテネ・エフェメラル国際設計競技 2001-02 広興小学校設計コンペティション(2000年) 台湾健民小学校設計コンペティション(2000年) 車籠埔小学校設計コンペティション(2000年) うつくしま未来博エコファミリーハウス国際設計コンペ 2000年 青森県大畑中央保育所設計コンペティション(2000年) 青森県立美術館設計競技 2000年 平成の二畳台目・茶室コンペティション 2000年 横須賀市立吉井・池田小学校(2000年) 白石市ふれあいプラザコンペティション 2001年 会津田島複合センター(福島県会津田島町、2001年) 保原町新庁舎(福島県保原町、2001年) 南飛騨国際保養地健康学習センター設計コンペティション(2001年) 松之山ステージ・自然科学館設計コンペティション(2001年) ピノー現代美術館国際設計競技 2001年 中国・天津博物館国際指名設計競技(2001年) 中国・天津泰達広場国際指名設計競技(2001年) 北京オリンピック公園マスタープランの国際オープンコンペ(2001年)中国国内外から55社がエントリーした。 北京オリンピックメインスタジアムコンペ 国際的な設計事務所13社が参加 天津オリンピックセンタースタジアム BMWヴェルト 建築設計競技 - ミュンヘン - コープ・ヒンメルブラウが当選(2001年) トリノ文化センター 国際設計競技2001年 北京国家体育場 - ヘルツォーク&ド・ムーロンが当選(2001年(13の最終提出) 同志社大学情報メディア施設計画プロポーザルコンペ 2001年 東村立富弘美術館設計国際コンペ 2001年 高円寺会館 新地町庁舎(福島県新地町、2001年) 吉祥寺サンロードアーケード. デザインコンペ 2001年 佐世保近海航路ターミナル 設計競技2001年 いわきの家設計競技 2001 江古田の集合住宅建築設計競技 2001年 花のミュージアム(仮称). 設計プロポーザルコンペ 2002. 2001年 ワールド・トレード・センター跡地の国際コンペでダニエル・リベスキンドのフリーダム・タワーが当選 (2002年) 大湖道の駅企画・設計コンペティション(2002年) 武蔵野市吉祥寺シアター(仮称)設計プロポーザル 2002年実施 佐藤尚巳建築研究所が当選 邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案競技 2002年 山本理顕最優秀案が取り消しに. 2009年和解案に原告、被告双方が合意し和解が成立 横須賀美術館 2002年 当選者:山本理顕 主催者:横須賀市 審査委員長:鬼頭梓 形式:資質評価(QBS)方式による設計者選定 (応募者71名) 竣工:2006年7月 青森県北国住宅計画国際コンペ 2002年 青山学院小等科立替え(2002年) 特養老人ホーム「コモンズ」(2002年) 日本料理さ蔵(2002年) 山梨県立美術館南館(2002年) 韮崎市立韮崎小学校(2002年) 中国中央電視台本部ビル - 2002年 メトロポリタン建築オフィスが当選(応募10) U2タワーデザイン国際設計競技(2002年(未構築) モンジュイック2展示会場拡張計画国際指名設計競技(バルセロナ 2002年) リートベルグ美術館増築国際指名設計競技(2002年) BMW工場ライプツィヒ - ザハ・ハディドが当選(2002年) 大エジプト博物館国際設計競技 2002 宮城県南方町複合施設プロポーザル(宮城県南方町、2002年) 杉戸生涯学習センター(埼玉県杉戸町、2002年) ニューミュージアム現代美術館国際指名設計競技(ニューヨーク 2003年) 北京国家水泳センター - PTWアーキテクツ&アルプが当選(2003年(応募数10) 立川市新庁舎設計競技 - 2005年に市民対話型二段階方式によるコンペ 月輪山潟統合小学校建設工事基本設計業務委託簡易コンペ 天童市さとうレディースクリニック設計競技 軽井沢町コンサートホール(仮称)指名設計競技 2003年 山形県平田町タウンセンター建築設計競技 直潭コミュニティセンター設計コンペティション(2003年) 風間浦保育所指名コンペティション(2003年) 南方熊楠研究所設計コンペティション(2003年) 鬼石町多目的ホール「仮称 おにし屋内広場」 設計者選定住民参加型設計提案競技 2003/ 安中環境アートフォーラム国際設計競技 2003年 ミキモト銀座2設計競技 2003年 浜松町地区再開発(東京都品川区、2003年) 岩国市新庁舎プロポーザル(山口県岩国市、2003年) 町田市民文学館「ことばらんど」(2003年) フジタ製薬(株)東京工場事務所棟(2004年) 中之島新線駅企画デザインコンペティション 2004年 武蔵境新公共施設(武蔵野プレイス(仮称))設計プロポーザル 2004年実施 国立国際美術館 公募プロポーザルコンペ 2004年竣工 松崎中学校プロポーザルコンペ, 2004年 志摩町志摩中学校競技設計, 2004 小川村郷土館指名コンペティション(2004年) 阿里山森林鉄路祝山駅駅舎、沼平駅駅舎設計競技(2004年) 只見町国民健康保険朝日診療所増築整備事業公募型プロポーザル競技 2004年 韓国釜山エコセンター国際設計競技(2004年) ミラノ フィエラ・オフィス国際指名設計競技(ミラノ 2004年) バーゼル文化施設「Stadtcasino」増築棟設計者採用コンペティション ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・テクノロジー・センター) アミアン現代美術館国際指名設計競技(アミアン 2004年) 町田新市庁舎 2005年 十和田市野外芸術文化ゾーンアートセンタープロポーザル 2005年 大連市都市計画(中国 遼寧省大連市、2005年) 府中図書館PFI(プロポーザル(特定)(東京都府中市、2005年) 岩見沢駅舎建築デザインコンペティション(公募型プロポーザル設計競技 2005年)- ワークヴィジョンズの西村浩の設計案が採用。竣工後グッドデザイン大賞のほか日本建築学会賞やアルカシア建築賞など国内外の数々の賞を受賞 瀋陽のオリンピックスタジアムの国際コンペ(2005年) 6社が参加 子どもセンターぱお(2005年) クレハエンジニアリング本館(2005年) 韮崎市立韮崎西中学校(2005年) 日本女子大学目白キャンパス中央広場整備計画(2005年) 宮城野区文化センター等整備事業PFIコンペ(2005年) 台中国立歌劇院(2005年)国際コンペ 豊田市生涯学習センター逢妻交流館移転新築設計競技 2006年 山形大学工学部創立百周年記念会館コンペティション 2006年 塩尻市大門中央通り地区市街地再開発ビル設計者選定競技(2006年) 知床斜里複合駅舎公募プロポーザル(2006年) 新潟市豊栄文化会館設計者選定プロポーザル 2006 羽田国際ターミナルPFI(日本空港ビルデング、東京都大田区、2006年) (仮称)ふるさと学習館設計競技 宇部市 (仮称)中原中也記念館公開設計競技, 山口市 新同窓会パビリオン設計競技 京都工芸繊維大学60周年基金委員会事業部会 福島市庁舎プロポーザル 栃木県立博物館の設計競技案 那須 100 年コミュニティ 設計競技 ヴュルツブルク中央駅周辺再開発計画の建築コンペ 2006年 ファーレ立川次世代アート作品コンぺ(2006年) 新三郷駅前開発事業企画競技 住宅街区マスタープラン(埼玉県三郷市(2006年) アステラス製薬筑波新施設設計競技(2006年) 東京経済大学記念館改修(2006年) 総合科学技術高等学校PF事業コンペ(静岡県静岡市(2006年) 欧州中央銀行新社屋国際設計競技 世界貿易センターサイト記念コンぺ - マイケル・アラードとピーター・ウォーカーが当選 ニューヨーク州ブルックリンのビジュアル&パフォーミングアートライブラリー - エンリケ・ノルテン / TEN Arquitectosが当選 高雄国家芸術センター・国際コンペティション(2007年) 新浦安駅前プラザILMALE 大崎市立岩出山中学校建築設計競技 UR東京都心支社荻窪団地第1期プロポーザル(東京都杉並区、2007年)新宿御苑温室建替え(プロポーザル、環境省、東京都新宿区、2007年) アーツ前橋 建築設計競技 金沢21世紀美術館 ぐんま総合情報センター設計競技 知床斜里複合駅舎(2007年)当選者:川人洋志(川人建築設計事務所) 主催者:JR北海道 審査委員長:飯田善彦 形式:5者による指名プロポーザル 竣工:2007年12月 弟子屈中学校・学校給食センター改築基本計画設計競技 (弟子屈町) 2007年 村山市総合文化複合施設基本設計業務公募型プロポーザル 2007 蘭越保育所・学童保育施設建設設計競技 (蘭越町立蘭越保育所改築検討委員会) 深 湾体育センター国際コンペ(2007年) 見附市立今町小学校(2007年) 王子アドバ本社工場(2007年) 青森県平川市新本庁舎建設設計公募型プロポーザル、2007年。ナスカ一級建築士事務所JVが最優秀者 草加市新庁舎工事基本設計及び実施設計公募型プロポーザル、2007年。石本建築事務所が最優秀者 海田町新庁舎整備基本計画策定及び基本設計業務委託公募型プロポーザル、2007年。現代計画・野沢建築工房設計共同体を特定 長野県塩尻市新体育館基本設計公募型プロポーザル、2007年。INA・エーシー工設計共同体が最優秀者 神戸・六甲山頂展望台コンペ(2008年)応募103点 JIA近畿支部・40歳以下を対象、阪神電気鉄道協力 宇土市立宇土小学校プロポーザルコンペ 2008年 (仮称)柏崎市新市民会館(設計者選定プロポーザル、2008年) 鶴川駅前公共施設設計プロポーザル 2008年 横須賀市立諏訪小学校(2008年) 斐川町立図書館(2008年) かわさき臨海部デザインコンペ(神奈川県川崎市、2008年) 朱家角プロジェクト(中国上海市、2008年) ベルリン王宮再現(2008年) 小野路宿里山交流館(2009年) 町田市医師会館(2009年) 郡山アーバンデザインセンター(福島県郡山市 2009) 八千代市保育施設(プロポーザルコンペ、千葉県八千代市 2009) 大多喜町庁舎(プロポーザルコンペ 2009年 大多喜町役場(改修)当選者千葉学建築計画事務所 主催者千葉県大多喜町 審査委員長古谷誠章 形式:公募型プロポーザル 竣工:2012年3月 応募総数104) 群馬県農業技術センター設計提案競技 2009年 応募総数151 当選者:SALHAUS 主催者:群馬県 審査委員長:古谷誠章 形式:公開コンペ 竣工:2012年3月 墨田区北斎館(仮)基本設計プロポーザルコンペ すみだ北斎美術館 2009 海南島八爪魚ホテル設計プロポーザル(中国 海南島、2009年)
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コンペ・受賞
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安藤忠雄がプリツカー賞(1995年)とRIBAゴールドメダル(1997年)受賞 槇文彦がプリツカー賞(1993年)とUIAゴールドメダル(1993年)受賞 アクロス福岡 さいたまスーパーアリーナ - 建設にあたって建築設計競技が行われ、日建設計の案が採用された。 スコットランド国際博物館設計競技 バイエルン社京都薬品研究センター国際指名設計競技 ヨーテボリ世界文明博物館 国際設計競技 ロンドン/ドックランドのスウェーデン岸住宅開発の設計 一宮市立尾西図書館 - 建設にあたってはプロポーザル方式(設計競技方式)を採用し、図書館を数多く手がけている和(やまと)設計事務所を設計者に選出 関西国際空港ターミナルビル - 基本設計コンペはパリ空港公団案が勝利をおさめ、それに基づく建築設計コンペではイタリア人のレンゾ・ピアノが当選 岸和田市立浪切ホール - 日建設計の案が採択された。 国会議事堂 (ドイツ)建築設計競技 湘南台文化センター公開コンペ 星田アーバンリビング・デザインコンペティション 仙南総合芸術センター(えずこホール)競技設計 大崎市立岩出山中学校 - 建築設計競技(コンペ)によって、建築家山本理顕が設計者に選ばれた。審査委員長は六角鬼丈。 東京国際フォーラム - 国際建築家連合(UIA)の基準に基づく国際公開コンペが初めて日本で行われ、設計者は建築家のラファエル・ヴィニオリに決まった。 富山県警察本部指名設計競技(1990年) 墨田区科学学習センター指名設計競技(1990年) トゥールーズ国際指名設計競技(1990年) フランス・エクサン・プロヴァンス国際指名設計競技(1990年) 埼玉県平和資料館(1990年) 大阪国際平和センター平和資料館(1990年) 世田谷区宮の坂地区会館・宮の坂駅(世田谷線)公開コンペ 日仏文化会館国際設計競技 至聖三者聖堂 (南極) - 聖堂・教会か修道院を南極に創設しようという意欲的な計画は、1990年代に表面化した。「南極のために聖堂を」と名付けられた募金活動はモスクワ総主教アレクシー2世によって祝福され、全ロシアから寄附が集まった。この計画のために建築家を選ぶコンペが開かれ、バルナウル出身のP.I.アニシフォロフ(Anisifirov)、S.G. ルィバク(Rybak)、A.B.シュミット(Schmidt)が選ばれた。 アムステルダム市立美術館 - 1990年代初頭にコンペが行われ、ロバート・ヴェンチューリが設計を受託することになった。しかし、1996年にアルヴァロ・シザに交代された パリ・日仏文化会館国際オープンコンペティション(1991年) 新美南吉記念館公開設計競技、愛知県半田市岩滑(1991年) 都営地下鉄12号線駅舎公開コンペティション(1991年) 小田原市体育館指名設計競技(1991年) コメルツバンク・タワー - フランクフルト・アム・マイン - ノーマン・フォスターが当選(1991年) ヌメア・チバウ文化センター - レンゾ・ピアノが当選(1991年) 北海道立中央水産試験場構想設計競技(1991年) 京都駅駅ビル改築 - 最高120mまでの高さが許容されたが、最終的に勝利したのはもっとも高さが低い(それまでの高さ規制60mに収まる)原広司の案 コンペは踊る「主催者」=「絶対君主」の意のまま 近江八幡市立図書館 1992年 片倉・打越記念館(1992年) 宮城県陸上競技場(1992年) ヤクルト社員厚生寮公開設計競技東京建築士会主催 1992年 1994年竣工 沖縄県立武道館公開設計競技(1992年) 黒部市国際文化センター指名設計競技(1992年) 兵庫県立芸術センター指名設計競技(1992年) 茂原市庁舎指名設計競技(1992年) オリンピック競輪場とスイミングプール、ベリン - ドミニク・ペローが当選(1992年) ザルツブルク・コングレスセンター(1992年) ベルリン中央駅 - Gerkan、Marg and Partnersが当選(1992年) ベルリン帝国議会ビル - ノーマン・フォスターが当選(1992年) 宮崎県住宅供給公社住宅設計競技設計(1992年) 松原市市庁舎設計競技(1992年) なら100年会館 奈良市民ホール国際建築設計競技(1992年) 京都市コンサートホール(1992年) 島根県加茂町が試みた町民参加のコンペ審査 新安全閉じ込め構造物 - 1992年にウクライナ政府は石棺の代替案について国際コンペティションを開催。2007年9月17日にフランスのヴァンシ(Vinci Construction Grands Projets)とブイグ(Bouygues Travaux Publics)が折半出資で立ち上げたコンソーシアム ノヴァルカがNSCの設計・建設を受注したと発表 ヘルシンキ現代美術館 - 1992年に建築設計競技が行われ、翌年アメリカ人建築家スティーヴン・ホールの案『chiasma』が勝利し、設計者に選ばれた。 浦和市コミュニティセンター指名設計競技(1993年) 桶川市近代文学館セミオープンコンペ(1993年) 桐生市文化会館指名設計競技(1993年) 新潟県十日町文化会館指名設計競技(1993年) 新潟県長岡市音楽堂指名設計競技(1993年) 青梅市庁舎指名設計競技(1993年) 相模原市立体育館指名設計競技(1993年) 中原中也記念館建築設計コンペティション(1993年) 北海道立近代文学館構想設計競技(1993年) 名取市斎場競技設計(1993年) 上海·浦東新区庁舎設計競技 桶川市民ホール 大阪ドーム 大林組と竹中工務店が争ったが、結局両者の案の長所を取り入れる形となった。 新潟市民文化会館プロポーザルデザイン·コンペ 仙台文学館(1994) 近江八幡市立図書館#安土町立図書館/安土図書館(1994-) 1992年7月に建築設計競技を実施、同年11月に建設概要を決定した 七類港多目的ターミナル設計コンペ 1994年 せんだいメディアテーク 1994年-1995年 マンチェスター・アート・ギャラリー - ホプキンス・アーキテクツが当選(1994年(132 entries) 関西国際交流センター指名設計競技(1994年) 仙台文学館 - 1994年、仙台文学館全国公開設計競技でネオタイドの案が最優秀賞を受賞 近江八幡市かわらミュージアム(1994年) 埼玉県立近代文学館及び桶川市民ホール建築設計競技(1994年) 草野心平記念館競技設計(1994年) 東北歴史博物館設計競技(1994年) 名取市文化会館競技設計(1994年) 熊本屋内運動広場秋田,大館多目的ドーム提案競技 こまつドーム提案競技 城南アートセンター - 1994年に基本計画とコンペが行われ、2000年に着工 蟹江町図書館 - 1994年度から新図書館の建設計画を進め、8社による建築設計競技の結果、1995年6月に町議会定例会で採用作品が発表された インスブルック市庁舎 - ドミニク・ペローが当選(1994年) 宮城県大崎生涯学習センター(1995年) 環境科学国際センター建築設計指名コンペティション 1995年 水俣メモリアル国際設計競技 1995年 埼玉県環境科学国際センターエスキース 指名コンペ 1995年実施 豊川市中央図書館 1995年 Mid Wales Center for the Art コンペティション(1995年) バーベルスベルク国際指名設計競技(1995年) フェリックス・ナスバウム博物館、オスナブリュック - Daniel Libeskindが当選(1995年) 横浜港大さん橋国際客船ターミナル国際建築設計競技(1995年) 北海道立釧路芸術館構想設計競技(1995年) 北海道立体育センター構想設計競技(1995年) テート・モダン - 1995年1月にスイスの新鋭建築家コンビ、ヘルツォーク&ド・ムーロンの案が採用 せんだいメディアテーク 北九州市メディアドーム·委員長裁定で菊竹グループが当選 ニューヨーク近代美術館増改築コンペ(1995年実施。2004年竣工) 幸田町立図書館#幸田町立文庫(1977-1996) - 1992年に図書館の基本構想設計競技の契約を行い、1993年7月に実施設計契約を行った 長岡文化創造フォーラム(仮称)設計競技 1996年 仙台市杜の実ドーム(宮城県仙台市、1996年) 太田市休泊地域センター設計競技(太田市総合ふれあいセンター:1996年) 平田町タウンセンター施設整備公開設計競技 1996年 国立国会図書館関西館 - 1996年8月 関西館設計競技が行われ、陶器二三雄氏の作品が最優秀作品に決定 豊川市中央図書館 - 建築設計競技によって久米設計名古屋支社を設計者に選定し、1996年5月には新図書館の基本設計を委託、9月には実施設計を委託 長岡市シティホールプラザアオーレ長岡 - 1996年に行われたデザインコンペで建築家・岡部憲明のデザイン案で計画が進められ財政難を理由に計画そのものが白紙化されたが、2012年竣工 スコットランド建築デザインセンター国際公開コンペティション(1996年) 埼玉県環境科学国際センター(1996年) 埼玉県立大学 - 埼玉県立看護福祉大学設計競技 キャンパスは建築設計競技により選定された山本理顕が設計を担当した。(1996年) 町田市玉川学園高齢者在宅サービスセンター(1997年) 増穂町温泉利用健康増進施設(1997年) フランス大使館、ベルリン - Christian de Portzamparc、1997(7名の招聘建築家) 伊豆長岡町屋内温水プール競技設計, 1997年 紫波町庁舎(岩手県紫波町、1997年) 沖縄国際交流情報センター設計競技 1997年 鳥取砂丘博物館公開設計競技 1997年 札幌ドームプロポーザル国際設計競技 1997年 師勝町総合福祉センター設計競技 1997年 中伊豆町保健福祉センター競技設計, 1997年 メルボルン・フェデレーションスクエア - ラボアーキテクチャスタジオが当選(1997年(応募数177) フィルハーモニー・ルクセンブルク - クリスチャン・ド・ポルザンパルクが当選(1997年) 鴻巣市文化センター設計競技(1997年) 北海道道議会庁舎等構内整備構想設計競技(1997年) 北海道立北方四島交流施設構想設計競技(1997年) 住宅設計インターネットで住宅の公開コンペ 住民投票で実施案を決定 郡山メッセ(ビッグパレットふくしま)競技設計 1998 五所川原克雪ドーム(青森県五所川原市、1998年) 中国国家大劇院国際設計競技 (1998) 0123はらっぱ公開設計コンペティション 1998年 国立組踊劇場公募型プロポーザル設計競技 1998年 山形県立山形駅西口文化施設設計プロポーザル 1998年 京都簡易保険新型健康増進施設公募型プロポーザル設計競技 1998年 ウェールズ国会議事堂、カーディフ - リチャード・ロジャースが当選(1998年(55 entries) スコットランド議会ビル、エジンバラ - エンリック・ミラージェスが当選(1998年(5名の有資格者) 新アレクサンドリア図書館 - スノヘッタが当選(1998年(応募数523) マコーミック・トリビューンキャンパス・センター、シカゴ - レム・コールハースが当選(1998年) 国際決済銀行増築国際設計競技(バーゼル 1998年) 石川県小松市宮本三郎美術館設計コンペティション(1998年) 青森県総合芸術パークグランドデザインプロポーザルコンペ 広州国際会議展覧中心国際コンペ 1999年 相模市立富士見小学校(1999年) 欧州中央銀行 - 1999年、欧州中央銀行は国際建築コンペティションを開いて新本店ビルのデザインを募集した。結果、ウィーンを拠点に活動する設計事務所コープ・ヒンメルブラウが優勝した。 中和市福祉施設設計コンペティション(1999年) 青森県のドーム 神戸市のスタジアム事業コンペ 小松市宮本三郎美術館 神戸下町を舞台にまちづくり設計競技 NHK.跡地開発 ネルソン・アトキンス美術館 - 1999年に増築のためのコンペが行われ、スティーヴン・ホールの設計で2007年6月にオープンした
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コンペ・受賞
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日本生命館(日本橋高島屋)(1930年、公開)1等当選の高橋貞太郎が当選し実施設計まで行った。 大礼記念京都美術館 京都市美術館 - 1930年(昭和5年)前田健二郎がコンペィション1等に選ばれ、昭和8年竣工。 軍人会館(1930年、公開, 九段会館) - 1930年(昭和5年)9月 在郷軍人会主催による軍人会館懸賞設計競技(コンペ)を実施発表。小野武雄設計作品が「1等賞」を受賞。のちに川元良一が小野設計作品を基に実施設計着手 明治製菓本郷売店(1930年、公開) 東京国立博物館 - 1931年4月に設計案の公募が締切られ、273点の応募作のなかから渡辺仁の案が採用された 京帝室博物館(東京国立博物館)(1931年、公開)- 渡辺仁案が1等当選し、宮内省内匠寮が手を加えて実施した。 朝鮮貯蓄銀行本店(1932年、公開) 大阪放送会館 - 1932年(昭和7年)6月28日に日本放送協会が6名を指名し、総数11種の図案が提出され、審査員は建築学会正員側内田祥三、佐藤功一、宗兵蔵、日本放送協会本部側より小森常務、日本放送協会関西支部側より廣江常務にして審議の結果、同年10月31日の最終審査において渡辺仁案が最優秀案に選定された。 NHK東京放送会館 - 指名設計競技方式により行われることになり、1933年(昭和8年)山下寿郎建築事務所案の当選が決定 明治製菓売店(1934年、公開:実施されず?) 東京市庁舎(1934年、公開:実施されず) 神戸市公会堂(1935年、公開:実施されず) ひのもと会館(1935-1936年、公開:実施されず) 朝鮮25周年美術館(1935年、公開:実施されず) 愛育研究所(1936年) 昭和鉄鋼会社鞍山製鉄所(1937年、公開:実施されず?) 日本万国博覧会建国記念館(1937年、公開:実施されず) 大連公会堂(1938年、公開:実施されず) ベルリン国立銀行オープンコンペティション(1933年) スヴェルトロフクク・ウラル工業省プロジェクト(1930-1931年) 前政治犯協会会館(1930年) スターリングラード住居コンビナート(1930年) ロストフ・アン・ドン・ソビエト庁舎(1930年) イヴァノヴォ・ヴォツネセンクス大劇場(1930年) スヴェルドロフスク大劇場(1932年) ジェルジンスカヤ地下鉄駅コンペティション レニングラード学生コミューンコンペティションプロジェクト アレクサンダー広場改良オープンコンペティション モスクワ赤の広場のナルコムチアジプロムNarkomtiazhpromビル(1934年) ソビエト宮殿 - ボリス・イオファンが当選(1931年-1933年、160もの建築デザインのエントリーがあった。イオファン案がいくつか採用。しかしイオファンの新案含む宮殿が実際に建設されることはなかった。1953年のヨシフ・スターリン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに計画を白紙に戻し唯一完成していた豪華な地下鉄駅はクロポトキンスカヤ駅と改名された。 重工業省モスクワ庁舎(1934年) クラースヌィエ・ヴォロータ駅(クラスナヤ・ヴァローダ)地下鉄駅コンペティション(1935年) ソビエト・ウクライナ大衆劇場(ウクライナ・ハリコフ劇場, 1931年開催、川喜田煉七郎が4位に入選) EUR会議場設計競技 - アダルベルト・リベラが当選(1938年) パラッツォ・リットリオ設計競技(1937年) パレ・ド・トーキョー 1930年代にJean-Claude Dondel、 André Aubert、 Paul Viard、 Marcel Dastugueらのグループが当選
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コンペ・受賞
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ヘルシンキ中央駅 - 1904年に新駅舎のデザイン・コンペが行われ、エリエル・サーリネンの新駅舎案が採用された。 大阪市中央公会堂 - 1911年懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計 アウクスブルク - シナゴーグ建設のための建築コンペが1912年に行われた。1914年から1917年までをかけて最終的にはフリッツ・ランダウアーとハインリヒ・レムペルの設計案が採用された。 横浜市開港記念会館 - 横浜開港50周年記念公会堂公募設計として1913年、設計案のコンペが実施され、9月23日の審査委員総会の結果、100点の応募図案の中から1等に福田重義、2等に西村好時、3等に藤村朗の図案が当選した グルントヴィークス教会 - 教会建設の設計者は建築設計競技により決定されることになり、1913年、イェンセン・クリントが勝利し設計者に決まった。 明治神宮宝物殿(1915年、公開:別案で実施)大森喜一の案が1等当選。大江新太郎が実施設計を担当 日清生命保険株式会社(1916年、公開) 大阪府庁舎及府会議事堂建築意匠設計懸賞募集(1918年) 長瀬商店京橋社屋(1916年) 聖徳記念絵画館 - 設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ、後任の小林政一が完成させた 大阪市美術館(1919-1920年、公開) 議院建築(国会議事堂)(1919年、公開)宮内省内匠寮の渡辺福三案が1等に当選。当選案は大きく設計変更されて実施 ストックホルム南墓地スコーグスシュルコゴーデン、1914年から1915年にかけて行われた設計コンペ「ストックホルム南墓地国際コンペティション」グンナール・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツの協同応募案が1等 33リバティー・ストリート、ニューヨーク - ヨーク&ソーヤーが当選(1919年) オーバーハウゼン - 設計競技の結果、ペーター・ベーレンスに設計が依頼された
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コンペ・受賞
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福岡県文化センター設計競技(1960年) 練馬区庁舎設計競技(1962年) ボストン シティ ホール - カルマン・マッキンネル&ノウルズが当選(1962年(全国、256件) 日本武道館 1963年、指名コンペで山田守が1等当選、実施設計を行った。 建築会館 木島安史のドーム型と秋元和雄の近隣埋没型の勝負となり、秋元案が当選。 京都国際会館 1963年、公開コンペで大谷幸夫、菊竹清訓らが争い、大谷案が当選。 国立劇場 1963年、木造モチーフ(校倉造り風)を採り入れた岩本博行が率いる竹中工務店設計部の案が当選 チュニジア・チェニス都市計画国際オープンコンペティション(1960年) ブラジャ・ヒロン戦勝記念碑計画国際オープンコンペティション(1963年) ベルリン自由大学国際競技設計(1963年) チューリッヒ新劇場の建築設計競技(1963年) 浪速芸術大学競技設計(1964年) 国立国際会館設計競技(1964年) 最高裁判所庁舎 1968年の公開コンペにより、鹿島建設設計部に所属する岡田新一の案が当選 アムステルダム市庁舎 - ヴィルヘルム・ホルツバウアー、シーズ・ダム、B.バイフート、GHM・ホルトが当選(1967年(応募数804) 国連住宅供給コンペティション(マニラ・ペルー 1969年)
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