建築コンペ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:39 UTC 版)
フィンランドの建築史上、主にフィンランド建築家協会(英語版)(SAFA)によって主催されている建築設計競技(設計コンペ)は100年以上重きをなしてきた。最初の設計コンペはSAFAが成立する以前の1860年に行われた(SAFAは1892年設立)。1880年までに設計コンペが12回行われたが、コンペの制度が系統的になったのは1893年以降ルールが制定されてからである。19世紀末から20世紀初頭における重要な建築は多くがコンペによるものであり、例としてはタンペレ聖堂(ラルス・ソンク(Lars Sonck)設計、1900年)とヘルシンキ国立博物館(ゲセッリウス、リンドグレン、サーリネン(英語版)設計、1902年)がある。ソンクは23歳でタンペレ聖堂の設計コンペに優勝した。同じように、建築家の一部は設計コンペに優勝することで若年のうちに名を上げた。設計コンペは公的な建物と教会を設計するために行われるだけでなく、都市や地域計画のためにも行われている。ソンクとゲセッリウス、リンドグレン、サーリネンのほか、ヴィープリ図書館(アルヴァ・アールト設計)、1958年ブリュッセル万国博覧会のフィンランド館(レイマ・ピエティラ(Reima Pietilä)設計)、ミュールマキ教会(ユハ・レイヴィスカ設計、1984年)、ノキア本社(英語版)(ペッカ・ヘリン(フィンランド語版)とトゥオモ・シートネン(フィンランド語版)設計、1983年-1997年)、ヘウレカ(英語版)(へイッキネン=コモネン建築会社(英語版)設計、1989年)、フィンランド・ルスト森林博物館(ラハデルマ=マハラマキ建築会社(英語版)設計、1994年)、ヘルシンキ・オリンピックスタジアムの新しい天蓋(K2S社設計、2003年)、キルデン舞台芸術センター(英語版)(ALA社設計、2012年)などでもコンペの成功が設計者または設計会社に名声を与えている。コンペの結果は国際の動向か地域主義を反映していると言われており、アールトが述べた「国際的でありつつ、己に正直である」という言葉に従っているという結果となった。
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