建築までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 14:21 UTC 版)
「アウディトリオ・デ・テネリフェ」の記事における「建築までの経緯」の解説
1970年には、テネリフェ島に講堂 (Auditorio) を創設する要求があった。テネリフェ島講堂が建設される候補地は転々とし、まず1977年、エル・ラモナル (El Ramonal) に講堂を建てることが承認され、翌年から建築案のコンペティションが始まった。当初は、プロジェクトには建築家のアントニオ・フェルナンデス・アルバ(スペイン語版)が指名されていた。その後、1985年に、新たな建設地としてエル・チャパタル(スペイン語版)が選ばれた。 1987年には、建築家のアントニオ・フェルナンデス・アルバ、ビセンテ・サーベドラ(スペイン語版)とハビエル・ディアス・ヤーノス(スペイン語版)が携わる計画が公表された。建築様式のコンセプトに変更があり、それ以前の計画は破棄されることとなった。 1989年には、最終的に建築をすることとなるバレンシア出身の建築家、サンティアゴ・カラトラバとの交渉が始まった。 1991年、サンティアゴは草案を公開し、その中でアウディトリオは、サンタ・クルスの中心にある5月3日通り(スペイン語版)の端に建てられることになっていた。そして1992年、アウディトリオ建設のための監督委員会が設置された。 1996年には、海の近くに位置するカスティーリョ・デ・サン・フアン・バウティスタ(スペイン語版)へ建設地を変更する案が受け入れられた。 1997年から、最終的な予定地での基礎工事を開始した。2001年は年間を通して「ジャケット」を形作るための17つの金属部品が設置された。その一方、2002年にはコンクリートと白いトレンカディス(スペイン語版)を散りばめた漆喰の作業が完了し、その間に内部の部屋の音響工事も完了している。
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