建築チーム
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「ウィリアム・バージェス」の記事における「建築チーム」の解説
バージェスはその助手のチームに忠誠感を大いに吹き込み、その共同事業は長続きした。ジョン・スターリング・チャップルは事務所のマネジャーであり、1859年にバージェスの事業に参加した。カステル・コックの家具の大半をデザインしたのがチャップルであり、バージェスの死後にその修復を完成させた。チャップルに次ぐのが事務員として行動したウィリアム・フレームだった。ホレイショ・ウォルター・ロンズデールはチームのチーフ・アーティストであり、カステル・コックやカーディフ城の広大な壁画に貢献した。主要な彫刻家がトマス・ニコルズであり、コークでバージェスと働き始め、セント・フィン・バーレの大聖堂で多くの作品を完成させ、ヨークシャーの主要教会2件で協力し、カーディフ城の動物壁では当初の彫刻全てを担当した。ウィリアム・グァルバート・ソンダーズは1865年にバッキンガム通りのチームに加わり、ステンドグラス制作のデザインと技術の発展のためにバージェスと働き、セント・フィン・バーレの大聖堂では最良のガラスの大半を制作した。セッカルド・エジディオ・フシグナはもう一人の長期にわたる協力者であり、カステル・コックの跳ね橋の上にある聖母子像を彫刻し、カーディフ城ではビュート卿寝室のマントルピース上のセントジョン像、屋上庭園ではマドンナの青銅像を制作した。最後にスウェーデン生まれのイラストレーター、アクセル・ヘイグがいた。ヘイグはバージェスが顧客に提示する水彩透視画の多くを準備した。クルックは彼等のことを「才能ある者達の集団であり、芸術建築家で中世賛美者であるその主人のイメージで、事業よりもとりわけ芸術に没頭する冗談を言う人、道化師にも作られた人々」と呼んだ。
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