建築への情熱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 09:56 UTC 版)
「ウィリアム・トマス・ベックフォード」の記事における「建築への情熱」の解説
帰英後、1793年、自らの地所の周りに高さ12フィート(約3.6メートル)長さ7マイル(約11キロメートル)の壁を築き、壁の上には鉄の棘を立てて侵入者を完璧に締め出した。1796年から建築家ジェームズ・ワイアットに依頼して広壮なゴシック様式の僧院を建てさせ始めた。500人の人夫を雇い、昼夜交代制で1日24時間にわたって工事を進めた。のちには能率を上げるために450人を追加した。 最初に完成したのは275フィート(約84メートル)に及ぶ高さの塔だったが、1797年に倒壊した。「崩れ落ちるのを自分の眼で見られなかったのが残念だ」と彼は言った。この塔は再建されたが、1800年5月に再び倒壊した。 この塔が1807年に再建されると、そこに自らの蔵書や美術蒐集品を収めた。彼は歴史家エドワード・ギボンの全蔵書を購入して自らのコレクションの礎としていた。(彼は誇らかに"Nothing second-rate enters here."「わがコレクションに二級品の入る余地なし」と宣言した。)ベックフォード自身も僧院に独居し、人間嫌いの奇人として噂になった。(ただ一度だけ、1801年におばのエマ・ハミルトンが愛人のホレーショ・ネルソン提督を連れて宿泊したことがある。)このフォントヒル僧院(Fonthill Abbey)が竣工を宣したのは、1813年のことだった。 彼はまた、イングランドにおける同性愛スキャンダルの資料(新聞記事の切り抜き等)を大量に蒐集していた(これは現在、オクスフォード大学のボドリアン図書館に収蔵されている)。自らの出自を大変誇りにして家系図を詳細に研究した彼の調査によると、1631年に英国史上初めてソドム行為で処刑された第2代カッスルヘイヴン伯爵Mervyn Touchetは、彼の直系の祖先である。 1784年から1793年まで、次いで1806年から1820年まで下院議員として国会に出たが、議会では何も発言しなかった。その他は専ら隠遁生活を送り、父の遺産を空費する一方で、自ら資産を増やすことはしなかった。1822年には、ジャマイカに所有していた農園のうち2箇所が収用されてしまったため財政難に陥り、フォントヒルの僧院を33万ポンドで弾薬商ジョン・ファークワーに売却しなければならなかった。ベックフォード自身はこれ以降サマセット州バースのランズダウン・ヒルに転居し、建築家ヘンリー・グッドリッジに依頼して、1827年、巨大なランズダウン塔を造らせた。これは現在、ベックフォード塔と呼ばれ、観光名所になっている。
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