幸田町立文庫(1977-1996)
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「幸田町立図書館」の記事における「幸田町立文庫(1977-1996)」の解説
額田郡幸田町民からはかねてより図書館建設の要望があった。1977年(昭和52年)4月に幸田郵便局が新築移転したのを機に、幸田町は郵政省から3387万円で敷地と局舎の払い下げを受けた。旧幸田郵便局の建物の内部を少し改修し、同年11月3日には幸田町大字菱池字錦田3・4に幸田町立文庫が開設された。赤い屋根の平屋建であり、延床面積は約200m2。JR東海道線幸田駅から北に徒歩5分、幸田駅前通りと東海道線の線路の間にあった。 館内には20席がある閲覧室と12畳の和室が設けられたが、狭いため館内閲覧よりも館外貸出を主体とする図書室だった。幸田町立文庫の1979年度の蔵書数は約19,800冊、貸出冊数は16,303冊、入館者数は20,444人だった。1984年度の蔵書数は約23,700冊、貸出冊数は23,820冊、入館者数は12,348人だった。1986年(昭和61年)に策定された第3次幸田町総合計画では、「規模的にこれ以上の充実が困難となっており、図書館の整備とともに地区集会施設などへの蔵書の充実、学校施設の一般開放についても検討する必要がある」としている。 1995年(平成7年)4月時点の蔵書数は39,153冊であり、1994年度には1,363冊を購入している。1994年度の入館者数は9,472人、貸出冊数は12,423冊だった。1995年時点の開館時間は平日が「9時30分-18時15分」、土日が「9時30分-16時30分」であり、休館日は月曜・木曜・祝日だった。1995年時点の蔵書数は約39,000冊であり、子どもを連れた母親の利用が多かったため、絵本や小説を多くそろえていた。1995年8月16日には図書の貸出を終了。図書館への移転準備のために、8月30日をもって幸田町立文庫は閉館・廃止された。幸田町立文庫には18年間で計約20万人が入館した。 幸田町は筆柿の産地として知られる緑豊かな町だが、デンソー幸田製作所やソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ幸田サイトなどが進出して人口増加や都市化が進行した。幸田町は1987年(昭和62年)4月1日に町民会館(仮称)建設検討委員会を発足させ、後に図書館の建設計画が加えられた。1992年(平成4年)に図書館の基本構想設計競技の契約を行い、1993年(平成5年)7月に実施設計契約を行った。1994年(平成6年)7月4日に図書館の建設に着工し、1995年(平成7年)9月30日に完工した。図書館の総工費は約9億円。この間の1995年6月には、幸田町議会で図書館条例を制定している。 なお、2019年(令和元年)時点では幸田町国際交流協会が幸田町立文庫の建物を使用している。
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