ホテル・モスクワ
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ホテル・モスクワ (フォーシーズンズホテル・モスクワ) | |
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ホテル・モスクワ(現在はフォーシーズンズホテル・モスクワ、2016年撮影) | |
ホテル概要 | |
正式名称 | フォーシーズンズホテル・モスクワ Four Seasons Hotel Moscow |
ホテルチェーン | フォーシーズンズホテル |
設計 | アレクセイ・シューセフ |
階数 | - 15階 |
部屋数 | 180室 |
開業 | 1935年(旧館)、 2014年10月30日(新館) |
所在地 | ロシア、モスクワ |
公式サイト | [公式ウェブサイト 公式サイト] |
ホテル・モスクワ(ロシア語: Гостиница Москва Hotel Moskva)は、ロシアの首都モスクワにあるホテル。モスクワ中心部マネージ広場 Manege Squareに面し、旧モスクワ市庁舎 Moscow City Hallとは対面する。設計はアレクセイ・シューセフ。1935年開業。
概要
ホテル・モスクワは、1930年代のモスクワ都市再開発と深い関連がある。ホテル・モスクワのあるオホートヌィ・リャッド地区は、元来、賑やかな商店街であったが、反面、不衛生な生活環境でも知られ、その汚らしさはモスクワ一と言われる程であった。再開発にあたり、労働宮殿の建設が予定され、1922年コンペが行われ, ヴェスニン兄弟の案が優勝したが、諸般の事情により実現を見なかった。
結局、ホテルの建設が決まり、1931年に第1回コンペが実施されたが、この時にはホテルのプランは未決定に終わった。2回目のコンペは3人の著名な建築家をあらかじめ指名して行われた。この第2回コンペでロシア構成主義の建築家サヴェリョーフ、スタプラーンの案が採用され、両名で設計を行うことになった。
しかし、すでに1920年代後半から社会主義リアリズム、さらにスターリン様式が主流となり、構成主義は批判の対象となっていた。1933年10月2日モスクワ市ソビエト幹部会は、ホテル建築に関し、新たに主任建築士としてスターリン様式の建築家で古典主義の第一人者と目されていたアレクセイ・シューセフを任命した。ホテル建築に当たってはシューセフがトップとなり、サヴェリョーフ、スタプラーン両名はシューセフの指揮下に入り、その命令に完全に従うことが義務づけられた。
こうしたモスクワ市ソビエトの意向にもかかわらず、三人の意見の違いは実際の設計に当たって顕在化した。結局、ホテル・モスクワの建築は、構成主義と古典主義の奇妙な混交物となってしまった。すなわち、シューセフはサヴェリョーフ、スタプラーンのマスタープランに新古典主義的な装飾を追加した。さらにモスクワ市ソビエトの指導によりロビーに豪華な装飾性を加味することになり、グラフィックデザイナーのエフゲニー・ランセライEugene Lancerayの手になるモザイクや美術品によって館内は飾られた。
さらにホテル設計に当たっては、ひとつのアネクドート(小話)がまことしやかに語られている。シューセフがスターリンに対してファザードの設計プランを提出した際、シューセフは1枚の用紙に2つの設計プランを描いて提出したが、スターリンとの面会ができず直接説明を受けず図面をみたスターリンは、建築設計図の見方がわからなかったため(または、わかっていたが、いたずらでというバリエーションもある)真ん中にサインをしたため、誰もスターリンに指摘する勇気が無く両方のプランを盛り込まざるを得なかったというものである。こうしてホテルの正面が左右対称のはずなのに、左と右で窓の形などのデザインが全然異なっている建物ができあがったという。
現在
2004年地下駐車場建設工事に当たり、ホテルは解体され、新たに再建された。ホテル・モスクワの1階にはモスクワ地下鉄オホートヌィ・リャッド駅の出入り口がある。2012年、住宅、オフィス、ショッピングセンターファッション・シーズンがオープンした[1]。解体後、新しいホテルの建物は、シューセフ設計の旧館をできるだけ正確に再現された。2014年10月30日[2]、フォーシーズンズホテル・モスクワとしてオープンした[3]。
その他
旧ソ連時代から海外に輸出されていた代表的なウォッカであるストリチナヤの瓶には、かつてはホテル・ロシアの絵がロゴとして入っていた。
脚注
- ^ “ТГ "Модный Сезон"”. 2016年8月4日閲覧。
- ^ Hotel News Resource (2014年7月2日). “Four Seasons Hotel Moscow to Reopen October 30”. 2016年8月4日閲覧。
- ^ “Luxury Hotel in Moscow - Moscow Hotel - Four Seasons Hotel Moscow”. 2016年8月4日閲覧。
ホテル・モスクワ
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「ブラック・ラグーン」の記事における「ホテル・モスクワ」の解説
バラライカ 声 - 小山茉美 タイ支部の頭目を任されている大幹部。「バラライカ」の名は組織内でのコードネームで、本名は「ソーフィヤ・イリーノスカヤ・パブロヴナ」である。ウェーブのかかった金髪にブルーグレイの瞳が特徴。髪型はポニーテールである。顔の他、首筋や胸元、腕などにソ連アフガン侵攻時に負った大きな火傷跡が幾つもあるため、「火傷顔(フライフェイス)」と呼ばれることもある。旧ソ連軍時代の最終階級は大尉(カピターン)。また、当時からバラライカをボスとする一個小隊は「遊撃隊(ヴィソトニキ)」と呼ばれているが、ソ連軍時代の正式名称は「第318後方撹乱旅団・第11支隊」である。愛用の拳銃はスチェッキン・マシンピストル。普段はキャリアウーマン調の口調であるが、怒った際や遊撃隊メンバーとの会話時は軍人らしい強い口調へと変化する。 好戦的かつ非情な性格で、街一つを容易に吹き飛ばせる力と冷酷さを持つが、かつて張との抗争時にダッチに命を助けられた恩は忘れていないうえ、ロックには何かと目を掛けており、彼から商社マン時代の情報を提供してもらうこともある。組織の構成員を使い捨てにすることも厭わず、特に「チェーカー嫌い」を公言しており、KGBやGRU出身のホテル・モスクワのメンバーを数多く謀略にかけて失脚させている。しかし、アフガニスタンという極限の戦場を潜り抜けてきた遊撃隊は非常に強い結束で結ばれており、そのメンバーに対してのみ大変な部下思いである。それに伴い、軍人としての矜持から、マフィアに堕ちたことを憂いることもある。また、組織の力によりロシア大使館にすらコネを持ち、ヴラディレーナの偽名を用いて来日したこともある。 原作での生い立ちはほとんど不明で、アフガンにおいて本来は国際法違反である越境作戦中の命令違反行為(難民キャンプの子供を助けたこと)を記者にスクープされてしまったことが原因で軍籍を剥奪されたことが語られた程度であるが、アニメ版や小説での生い立ちによると、父親が失脚したので一家の復権のため、ピオネールの団員だった少女時代に得意だった競技射撃の腕を生かそうと、オリンピック射撃種目の選手を目指してその選考に有利になるように軍を志願した。特殊部隊であるスペツナズの第318後方撹乱旅団・第11支隊-遊撃隊の一員としてアフガニスタンに派遣され、射撃技術は「第二のルドミラ・パブリチェンコ」とまで言われていたが、ソ連がロス五輪をボイコットしために選手団には入れなかった。その後、ムジャヒディンの捕虜となり、全身の肌を寸刻みで焼き潰すという拷問を1か月も受け、今のような火傷だらけの身体となったために一時は本国へと戻り、遊撃隊が解散してからもアフガンに残した戦友のために大尉へ昇進して再びアフガンの地を踏む。1989年にアフガニスタンからソ連が撤退したことで祖国へ戻ったものの、バラライカのようなアフガン帰還兵(アフガンツィ)はソ連の崩壊により部隊ごと軍籍を剥奪されてしまい、困窮してしまった当時の部下たちを見捨てられず、共にホテル・モスクワに参加したとされている。 なお、作中では葉巻を吸っているシーンが多く見られるが、パーラメントを喫煙していることもある。 ボリス 声 - 楠大典 バラライカの副官として、その片腕を務める実直な男。旧ソ連軍時代の階級は軍曹。顔に大きな傷がある。常に無表情かつ寡黙であり、有事の際にはバラライカの命令を忠実に実行するが、平常時の性格は至って温厚であり、ロックなどからはそのことで親しまれている節さえある。 第7巻のおまけ漫画によると、16歳当時は美少年であったが「もやしっ子」と罵られたために軍隊で鍛えられ、その面影をまるで残さない現在の容貌になったという。
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ホテル・モスクワ
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「ブラック・ラグーン」の記事における「ホテル・モスクワ」の解説
ロシアン・マフィアで、モスクワの「大頭目(スレヴィニン)」ピョートルを筆頭に「頭目(ヴォール)」と呼ばれる幹部が世界各地にある支部の長についている。タイ支部はロアナプラのサータナム・ストリートに事務所を構えており、表向きは「ブーゲンビリア貿易」と称している。同支部は頭目バラライカを含む中枢構成員がアフガニスタン帰還兵(アフガンツィ)で構成されている。それ故に、彼らの言動や作戦行動は軍事色が濃く、また互いの呼称が当時の階級であるなど、その名残が見られる。こと戦闘力においてはロアナプラでも随一であり、街での抑止力ともなっているため、アニメ版の日本編でバラライカらが離れた間のロアナプラは、タガが外れたかのように銃声が飛び交う無法地帯となっていた。移動に使う車はW126型メルセデス・ベンツ Sクラス。
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ホテル・モスクワ
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広江礼威の漫画『ブラック・ラグーン』に登場する、スレヴィニン率いるロシアン・マフィア。アニメ版では、タイ支部を任されている大幹部・バラライカの声を小山茉美が担当している。
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