横浜市開港記念会館
名称: | 横浜市開港記念会館 |
ふりがな: | よこはましかいこうきねんかいかん |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2222 |
種別1: | 近代/文化施設 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1989.09.02(平成1.09.02) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 神奈川県 |
都道府県: | 神奈川県横浜市中区本町1-6 |
所有者名: | 横浜市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 煉瓦・鉄骨煉瓦及び鉄筋コンクリート造、建築面積1,536.93m2、二階建、 地下一階、塔屋付、スレート及び銅板葺 |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正6(1917) |
解説文: | この建物は横浜開港五十周年を記念し、市民から寄付を募って建設された公会堂建築で、大正六年七月一日の開港記念日に開館した。 赤煉瓦に白い花崗岩を縞模様に入れ、建物の隅部に高塔(時計塔)や角ドーム、八角ドームを配するほかに尖塔や屋根窓を各所に設けて意匠をこらしている。 大正十二年、関東大震災にあって屋根と内部を焼損した。この復旧にあたって、鉄筋コンクリートで構造補強を施し、これにともなって内部の意匠も新しくされた。当初の実施設計、復旧時の設計とも横浜市営繕のスタッフがあたった。長く失われていた屋根やドームは、横浜開港一三〇年にあたり建築当初の姿に復旧された。 この会館は、大正期の建物として意匠がすぐれ、また、煉瓦造の建物に構造補強を施した早い例であり、復旧した内部も建物に調和していて価値が高い。 |
近代(文化施設): | 旧遠江国報徳社公会堂 旧門司三井倶楽部 旧額田郡公会堂及物産陳列所 横浜市開港記念会館 泉布観 表慶館 誠之堂 |
横浜市開港記念会館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 14:19 UTC 版)
横浜市開港記念会館 | |
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情報 | |
旧名称 | 開港記念横浜会館 |
建築主 | 横浜市 |
管理運営 | 横浜市 |
構造形式 | 煉瓦造(一部RC、SRC造) |
建築面積 | 1,520 m² |
延床面積 | 4,426 m² |
階数 | 地上2階建+塔屋5階建、地下1階建 |
高さ | 36m |
着工 | 1914年 |
竣工 | 1917年6月30日 |
開館開所 | 1917年7月1日 |
改築 | 1927年(復元建築) |
所在地 |
〒231-0005 神奈川県横浜市中区本町1丁目6 |
座標 | 北緯35度26分51.5328秒 東経139度38分28.8924秒 / 北緯35.447648000度 東経139.641359000度座標: 北緯35度26分51.5328秒 東経139度38分28.8924秒 / 北緯35.447648000度 東経139.641359000度 |
文化財 | 重要文化財 |
指定・登録等日 | 1989年9月2日 |

横浜市開港記念会館(よこはましかいこうきねんかいかん)は、神奈川県横浜市中区の関内地区にある歴史的建造物。国の重要文化財。
概要
1909年(明治42年)の横浜港開港50周年記念事業として、1913年(大正2年)に計画が出され翌年着工、1917年(大正6年)に完成した。関東大震災時に全焼したが、1927年(昭和2年)に初期の建築を復元した状態で再建された。昭和2年の再建時に省かれたドーム部が1989年(平成元年)に再建されると同時に、国の重要文化財に指定された。
現在も横浜市中区公会堂として利用されている。
大阪市中之島公会堂などと並び、大正期の公会堂建築の中では有名な建築物の一つである。設計原案ならびに基本構造設計は福田重義と山田七五郎が行った。建築当初の建築様式は、辰野式フリークラシックと呼ばれる様式で、関東大震災後、構造補強が施され、いわゆる復興デザインが加えられた。
時計塔の高さは約36mで、「ジャックの塔」の愛称で親しまれており、神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜税関本関庁舎(クイーンの塔)と共に「横浜三塔」の一つに数えられる[1]。
歴史
- 1909年(明治42年):横浜港開港50周年祭において開港記念会館を本町一丁目に建設することが決まる。建設にあたっては市の有志から寄付金50万円を募ることとした[2]。
- 1913年(大正 2年):2月、建築用地、坪数の確定。設計案のコンペが実施され、9月23日の審査委員総会の結果、100点の応募図案の中から1等に福田重義、2等に西村好時、3等に藤村朗の図案を当選した[2]。
- 1914年(大正 3年):9月12日起工[3]
- 1916年(大正 5年):5月15日上棟式[3]
- 1917年(大正 6年):6月30日竣工、7月1日開港記念横浜会館の名称で開館[3]。開館式には大隈重信・徳川家達が臨席した[2]。
- 1923年(大正12年):関東大震災により倒壊。時計塔と壁体の一部のみが、かろうじて残存した。
- 1927年(昭和 2年):震災復旧工事が竣工。ただしドーム屋根は復元されなかった。
- 1945年(昭和20年):太平洋戦争終戦後、連合国進駐軍により接収される。進駐軍兵站司令部 (Logistic Command) として使われた。通称名は「メモリアルホール」
- 1958年(昭和33年):接収解除。
- 1959年(昭和34年):横浜市開港記念会館に名称変更。
- 1985年(昭和60年):横浜市内で創建時の設計図が発見される。
- 1989年(平成元年):ドーム屋根等が横浜市により復元される[4]。9月2日に国の重要文化財に指定される。
- 2007年(平成19年):近代化産業遺産に認定される。
施設



地上2階、地下1階に加えて、1塔を有する。初期の大正期から進駐軍接収時までは地下階はダンスホール、食堂等として使われていたが、現在はボイラー機械室としており、一般利用に供していない。
- 講堂(481席)
- 会議室(9室)
- 資料コーナー
- 自動販売機コーナー
- 事務室
建築概要
- 設計:山田七五郎、佐藤四郎(原案は福田重義)
- 竣工:1917年(大正6年)
- 建築面積:1,520m2
- 延床面積:4,426m2
- 構造・規模:煉瓦造(一部RC、SRC造)、地上2階建+塔屋5階建、地下1階建
- 所在地:〒231-0005 神奈川県横浜市中区本町1-6
交通アクセス
関連項目
- 神奈川県庁舎
- 横浜税関
- 帝国華撃団 - セガのコンピュータゲーム、「サクラ大戦シリーズ」に登場する架空の防衛組織。東京の銀座に位置する「大帝国劇場」を本部としているが、そのデザインは横浜市開港記念会館を参考にしている[5]。
- 登録販売者 - 外部研修制度の講義会場として利用されることがある。
出典
外部リンク
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綜通横浜ビル (本町通り) |
神奈川県庁舎 | ![]() | |
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横浜地方裁判所 |
固有名詞の分類
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