横浜公園とは? わかりやすく解説

横浜公園

名称: 横浜公園
ふりがな よこはまこうえん
種別 名勝地関係
種別2:
都道府県 神奈川県
市区町村 横浜市中区横浜公園
管理団体
登録年月日 2007.02.06(平成19.02.06)
登録基準 登-名1
追加登録年月日
解説文: 横浜市関内の横浜公園は、日本大通りとともに横浜中心市街地における重要な空間軸を成す都市公園である。日本大通りにやや遅れて設計計画開始され明治9年(1876)に開園した
 慶応2年(1866)の大火後居留地街区建設運河堀川)の浚渫及び拡幅などとともに、東の外国人居留地と西の日本人街隔て防火道路として日本大通り造成され、居留外国人日本人がともに使える彼我公園」として横浜公園が開設された。
 開設当初中央芝生クリケット場があり、その周辺園路配置したものであったが、居留地制度撤廃伴って明治42年(1909)に横浜市所有となり、新たに野球場噴水四阿などが整備された。大正12年(1923)の関東大震災により烏有帰したが、復興に際して昭和4年(1929)に運動場及びスタンド野外音楽堂などが建設され昭和11年1936)には神奈川県武道館建設された。特に野球場では、昭和9年(1934)にベーブ・ルースルー・ゲーリックなどの米国大リーグオールスターチームと全日本チームとが対戦したことでも有名である。
 第二次世界大戦後球場連合国軍から返還された後に「平和球場」と名付けられ昭和33年(1958)には伊勢佐木町から公園内体育館移転された。接収地の返還完了した昭和53年1978)には、球場体育館音楽堂などの施設撤去され新たに横浜スタジアム建設された。
 現在でも、都市中心市街地における豊かな緑を構成し外周を囲む腰石噴水施設などの姿に往時公園面影偲ぶことができる。
 以上のように、横浜公園は港町横浜都市軸を構成する重要な緑の空間であるとともに開設当初のよすがを残しつつ、長い歴史の中で多くスポーツ施設建設されるなど、活動的な都市公園としての機能維持しつつ発展変容してきた。その公園史上意義深く風致富んだ景趣造園文化の発展に十分寄与していると考えられる
登録記念物のほかの用語一覧
名勝地関係:  旧菊池氏庭園  末浄水場の園地  梶原氏  横浜公園  沈堕の滝  清水氏庭園  牧野記念庭園

横浜公園

読み方:ヨコハマコウエン(yokohamakouen)

所在 神奈川県横浜市中区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

横浜公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 23:34 UTC 版)

日本国 > 神奈川県 > 横浜市 > 中区 > 横浜公園
横浜公園
Yokohama Park
横浜公園と横浜スタジアム
分類 都市公園総合公園
所在地
面積 63,787m²
開園 1876年(明治9年)9月
設計者 リチャード・ブラントン
運営者 横浜市
現況 年中開放
設備・遊具 横浜スタジアム
駐車場 なし(日本大通り地下駐車場を利用)
事務所 みどり環境局 南部公園緑地事務所 都心部公園担当
事務所所在地 横浜市中区本町6-50-10(横浜市役所
公式サイト 横浜公園(横浜市みどり環境局)
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横浜公園
町丁
北緯35度26分39秒 東経139度38分25秒 / 北緯35.444294度 東経139.640397度 / 35.444294; 139.640397
日本
都道府県  神奈川
市町村 横浜市
行政区 中区
人口情報2024年(令和6年)3月31日現在[1]
 人口 0 人
 世帯数 0 世帯
面積[2]
  0.085 km²
人口密度 0 人/km²
設置日 1928年昭和3年)9月1日[3]
郵便番号 231-0022[4]
市外局番 045(横浜MA[5]
ナンバープレート 横浜
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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横浜公園(よこはまこうえん、Yokohama Park)は、神奈川県横浜市中区にある公園および町名。

横浜市役所に隣接し、敷地内に横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアムがある。面積は約63,800m²。

市内では山手公園の次に古い西洋式公園で、日本人にも開放されていたものとしては日本最古。

概要

横浜港が開港された時代、関内であったこの場所には当時港崎遊廓があった。しかし1866年11月26日慶応2年10月20日)の大火「豚屋火事」によって焼失し、遊郭は関外となる現在の羽衣町方面へ移転した。12月29日(慶応2年11月23日)にいわゆる「慶応約書」が締結され、明治維新を挟んで、1872年7月明治5年6月)に神奈川県令陸奥宗光は遊廓跡を遊園地に充てることを決めた[6]

1874年(明治7年)に起工し、土木技師リチャード・ブラントン設計の下遊廓跡地に公園、公園から港に向かって新道路が建設され、1876年(明治9年)に竣工した。それぞれが現在の横浜公園と日本大通りとなった。なお、この折に馬車道海岸通りも整備されている。当時の関内は日本大通りを境に北西側が日本人居住地、南東側が外国人居留地山下居留地)となっていたが、この公園は外国人日本人の共同使用が認められた公園であったことから、「彼我公園」(ひがこうえん)と呼ばれた。

1878年(明治11年)7月、居留地の「横浜弄鞠倶楽部」の需に応じ、公園中央に楕円形の外人運動場(クリケットグラウンド)が設けられた。この運動場は料金を徴収して倶楽部に貸与するものだった[6]

この運動場では1896年(明治29年)5月23日には日本で最初の野球の国際試合が旧制一高ベースボール部と外人クラブの間で行われた。

1901年(明治34年)12月7日には、後に慶應義塾大学ラグビー部となる同好会(バーベリアン・敷島クラブ合同チーム[7])と、横浜の外国人スポーツクラブYC&ACが、日本初のラグビーユニオンの試合かつ日本初のラグビー国際試合を行った[8][9][10]。41-5でYC&ACが勝利したが、バックスの塩田賢次郎は、この国際試合で日本人初のトライを行った[11]

1899年(明治32年)の居留地制度廃止に伴って公園は横浜市へ返還され、運動場の貸与期限は1909年(明治42年)に満了した。翌1910年(明治43年)にかけて、宮内省技師の茂出木朝二郎の設計による改修が実施された。日本における野球人気は確固たるものとなっており、公園中央のクリケットグラウンドは姿を消し、公園南東隅に野球場が建設された[6]

1921年大正10年)6月には横浜市内初の公立図書館として、園内の図書館建設事務所内に「横浜市立図書館仮閲覧所」を開設するも、1923年(大正12年)9月1日関東大震災で全焼し、1926年(大正15年)3月20日に再建。1927年7月に野毛坂の旧老松小学校跡(現:横浜市中央図書館)に移転した[12]

関東大震災では、横浜公園は避難所となり、また焼失した諸官公庁の仮庁舎が置かれるなどした。横浜市震災復興計画に基づき、横浜公園の復興工事が1925年(大正14年)4月18日に起工し、1929年昭和4年)3月28日に竣工した。この工事で公園南東隅に横浜公園運動場(名称は運動場だが形状は野球場)、公園北西隅に横浜公園音楽堂(野外音楽堂)がそれぞれ建設された[6]。同年4月23日、昭和天皇による復興状況視察があり、公園内で奉迎式が行われた[13]

1936年(昭和11年)11月には公園内の横浜市から無償貸与された敷地に神奈川県立武道館(神奈川県学務部所管)が開館した。

太平洋戦争後はアメリカ合衆国により、公園内の「フライヤー体育館」(FAC3618、接収期間:1952年7月26日[14]-1953年11月12日[15])および「横浜チヤペルセンター」(FAC3672、接収期間:1952年7月26日[14]-1978年6月19日[16])が接収された。

横浜公園運動場(野球場)はGHQ接収期間中にルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアムと改称され、接収解除後の1955年(昭和30年)に当時の平沼亮三横浜市長によって横浜公園平和野球場と改称された。以後、平和球場と通称され、プロ・アマ、大人・子供を問わない野球の親善交流試合が数多く行われた。

1953年(昭和28年)5月26日に条件つきで伊勢佐木町のアメリカ軍体育館フライヤージムの公園内移転が決まり[17]、同年12月20日にフライヤージム落成式が挙行され[17]、これを大改修して[18]1958年(昭和33年)12月23日に横浜公園体育館が敷地内に完成した[17]

1978年(昭和53年)、老朽化した平和球場や敷地内にあった神奈川県立武道館や横浜公園体育館などを取り壊して横浜スタジアムが建設され、また園内の老朽化した施設を更新して日本庭園や水場をあしらったモニュメント広場が整備された。公園内にあった神奈川県立武道館は岸根公園内(横浜市港北区)に移転した。横浜公園音楽堂も同時に取り壊されており、横浜スタジアムは野外音楽堂の代替施設も兼ねている。

横浜公園のチューリップ

1997年平成9年)、チューリップが横浜市中区の区花に指定されたのを期に、市民の手によって公園内にチューリップが植えられ、春先は「チューリップの咲く公園」としても有名になった。さらに2017年(平成29年)の第33回全国都市緑化よこはまフェア(愛称:ガーデンネックレス横浜2017)ではみなとガーデン会場の一つとして、「16万本のチューリップガーデン」が目玉となっている[19]

2007年(平成19年)2月6日、文化財登録原簿(登録記念物)に登録され[20]2009年(平成21年)2月6日には近代化産業遺産に認定された。

主な施設

交通

  • JR根岸線関内駅徒歩5分

その他

日本郵便

事業所

2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[23]

町丁 事業所数 従業員数
横浜公園 13事業所 304人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[24]
7
2021年(令和3年)[23]
13

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[24]
287
2021年(令和3年)[23]
304

脚注

  1. ^ 令和6(2024)年 町丁別人口(住民基本台帳による)町丁別人口_令和6年3月” (XLSX). 横浜市 (2024年4月5日). 2024年4月26日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2018年7月9日). 2021年8月11日閲覧。
  3. ^ 市・区・町の沿革”. 横浜市. 2021年8月11日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  4. ^ a b 横浜公園の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
  5. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  6. ^ a b c d 横浜復興誌 第三編”. 横浜市. 2024年2月17日閲覧。
  7. ^ 日本ラグビーフットボール史 すべては同好クラブから”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
  8. ^ 日本ラグビーフットボール史 2人のキャンタブとその役割”. JRFU. 2023年1月15日閲覧。
  9. ^ 年代史 明治34年(1901)度”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
  10. ^ 年代史 コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
  11. ^ 日本ラグビーフットボール史 トライ1号とドロップゴール1号”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
  12. ^ 横浜市役所市史編纂係 編『横浜市震災誌 第三冊』横浜市、1926年、pp.267-273.
  13. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、67頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  14. ^ a b 同日、外務省告示第34号「在日合衆国軍に提供する施設及び区域を左の通り決定した件」
  15. ^ 1960年1月28日、外務省告示第6号「「行政協定に基く日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」の附表の変更に関する文書第七十八号」
  16. ^ 同年10月30日、防衛施設庁告示第15号「アメリカ合衆国が使用を許されている施設及び区域について、返還、使用条件変更、修正及び提供が決定された件」
  17. ^ a b c 横浜市体育史企画刊行委員会『横浜スポーツ百年の歩み』pp.427-431、1989年
  18. ^ 中区制50周年記念事業実行委員会『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』p.263、1985年
  19. ^ 第 33 回全国都市緑化よこはまフェアの実施概要について 横浜市環境創造局、2017年2月15日
  20. ^ 同日、文部科学省告示第16号「記念物を文化財登録原簿に登録する件」
  21. ^ 横浜公園日本庭園「彼我庭園」の整備について (PDF) 横浜市環境創造局
  22. ^ 郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年5月3日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)
  23. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  24. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。

関連項目

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