沈堕の滝
名称: | 沈堕の滝 |
ふりがな: | ちんだのたき |
種別: | 名勝地関係 |
種別2: | |
都道府県: | 大分県 |
市区町村: | 豊後大野市 |
管理団体: | |
登録年月日: | 2007.07.26(平成19.07.26) |
登録基準: | 登-名3 |
追加登録年月日: | |
解説文: | 祖母山に源流を発し、別府湾に注ぐ大野川(全長約74km)の中上流部には、阿蘇火砕流堆積物から成る溶結凝灰岩によって特徴づけられる河谷の随所に、名勝地として特色ある瀑布が数多く所在する。 沈堕の滝は、この大野川の中流部(河口から約49km)、支流緒方川合流部の下流に位置し、大野川本流に懸かる雄滝(高さ約20m、幅約100m)とそのすぐ下流で合流する支流平井川に懸かる雌滝(高さ約18m、幅約4m)の2つの滝の総称である。15世紀末に雪舟が描いた「鎮田瀑図」をはじめ、『豊後国志』(享和3年[1803])など近世の地誌にもその絶景が紹介され、古くから著名であった。とりわけ雄滝については、「崖上危石磊磊尖起し、相列って鉾の如し」など、柱状節理の上部が突出して柱が並ぶような独特の奇観が伝えられている。 明治42年(1909)、水力発電施設建設に伴って滝のすぐ上流部に堰堤が設けられ、大正12年(1923)には発電力増強のために堰堤が嵩上げされ、大野川の流水の多くが取水されて、雄滝は昔日の雄大な面影を失ったが、平成8年(1996)からの堰堤保護強化のための工事に伴って滝岩壁の安定化を図り、「激水急端、觸衝して其間を下り、直垂分かれて十三條となる」というかつての絶景を取り戻した。 |
沈堕の滝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 02:37 UTC 版)
沈堕の滝 | |
---|---|
![]() | |
所在地 | 大分県豊後大野市大野町矢田 |
位置 | 北緯32度59分1.77秒 東経131度31分33.18秒 / 北緯32.9838250度 東経131.5258833度 |
落差 | 雄滝20 m |
滝幅 | 雄滝100 m |
水系 | 大野川 |
![]() |
沈堕の滝(ちんだのたき)は、大分県豊後大野市大野町矢田にある滝[1]。2007年7月26日に、国の登録記念物として登録されている。
概要
大野川の中流にある雄滝と、その支流の平井川の合流口にある雌滝とからなる。雄滝は高さ約20m、幅約100mで、雌滝は高さ約18m、幅4mである。柱状節理が並ぶ景観は、「豊後のナイアガラ」「大野のナイアガラ」とも呼ばれる(なお、同市緒方町にある原尻の滝は「東洋のナイアガラ」と呼ばれている)。どちらの滝も阿蘇山が約9万年前に噴火した際に埋められた谷の浸食で形成された[1]。
古くからの名瀑であり、室町時代の1476年(文明8年)には、雪舟が訪れ水墨画『鎮田瀑図』を描いたことでも知られる。なお、『鎮田瀑図』は関東大震災で焼失しており、狩野常信による模写(京都国立博物館蔵、画像[リンク切れ])が現存するのみである[1]。
『豊後国志』によると、この滝の滝壺は危険な場所であり、「淵の深さは測るべからず」との記載がある。このため、岡藩では刑罰を科すべきかどうかお白洲で判断できない場合、被告人を「沈堕落とし」とし、無事に泳ぎ抜けたら神慮として無罪放免するが、助かったのは一人だけだったという[2]。今も滝の近くに「岡藩滝落としの刑場跡」がある。
1909年(明治42年)に豊後電気鉄道株式会社によって沈堕発電所が建設された。この際に雄滝のすぐ上流に取水用の堰が設けられ、1923年(大正12年)には堰がかさ上げされたため水量が減少して往時の景観が損なわれた。しかし、1996年(平成8年)からの堰堤強化工事に伴い、常に一定量の放流が行われるようになり、かつての壮大な景観を取り戻した。
雄滝と雌滝の間には、石造の沈堕発電所跡地(近代化遺産)がある。
脚注
関連項目
外部リンク
- 沈堕の滝のページへのリンク