山手公園とは? わかりやすく解説

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山手公園

名称: 山手公園
ふりがな やまてこうえん
種別 名勝
種別2:
都道府県 神奈川県
市区町村 横浜市中区
管理団体
指定年月日 2004.02.27(平成16.02.27)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 山手公園は、横浜開港に伴い設置され山手地区外国人居留地において、外国側が日本政府から借地し、自らの資金により開設した外国人専用公園である。開設要請慶応2年(1866)の「慶応居留地改造競馬場墓地等約書以前にまでさかのぼり開園明治3年(1870)であることから、明治6年(1873)の太政官第16号による他の多く公園先駆けて開設され我が国最初公園である。
 公園横浜山手妙香寺境内一部充て造成され、居留外国人は 「パブリック・ガーデン」、日本人は「山手公園」と呼びフラワーショー英国連隊バンド演奏幻灯会等の様々な催しが行われた。その後少数外国人によって公園の管理費、地代等を賄うことが困難になったため、明治11年(1878)日本政府居留外国人組織する私設団体「レディース・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ」(横浜婦女弄鞠社)に山手公園を貸付け、同クラブ公園の管理並びに地代納入を行うこととなった。同クラブ公園内テニスコート設け、これにより山手公園は日本におけるテニス発祥の地となったクラブによる管理が行われていた時期には日本人立入れなかったが、クラブへの貸与期間が大正14年1925)で終了したことに伴い公園面積約半分に当たる西側斜面横浜市無償貸付けされることとなった。この斜面部分関東大震災後震災復興事業の中で近隣公園として整備され昭和4年(1929)、一般に開放されるようになった
 現在の山手公園を構成する主な要素には、テニスコート群、イギリス人によって日本初め持ち込まれとされるヒマラヤスギ群、西側斜面近隣公園横浜テニス発祥記念館等がある。これらのうち、変化に富んだ公園全体地形及びヒマラヤスギ群は、開園当時からの形態をよく遺しており、テニスコート群は現在も市民活発に利用されテニス発祥の地としての機能継承されている。さらに、西側斜面近隣公園当初地形とともに地割をよく遺し、深い緑陰覆われ豊かな景観呈する一方東側においては往時と同じ地形の上雛壇状にテニスコート群が明るく広がり、これらの性格異な2つ空間中央園路沿いに並ぶ一群ヒマラヤスギによりうまく一体の風景にまとめられている。このように、山手公園は開設当時の諸要素多く継承するとともに、それらが一体となって現状に見る優秀な風致景観形成しており、高い観賞上の価値有する公園である。
 以上のように、山手公園は、江戸時代から明治にかけての外国人居留地関連して開設され我が国最初公園という顕著な学術上の価値有するのみならず、その公園としての景観構成観賞上の高い価値有することから、名勝指定して保存図ろうとするものである
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名勝:  尾鈴山瀑布群  居初氏庭園  山寺  山手公園  岩屋  嵐山  川平湾及び於茂登岳

山手公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/22 12:59 UTC 版)

山手公園
Yamate Park
山手公園、洋風あずまや付近
分類 都市公園(近隣公園)
所在地
座標 北緯35度26分4.5秒 東経139度38分56.4秒 / 北緯35.434583度 東経139.649000度 / 35.434583; 139.649000座標: 北緯35度26分4.5秒 東経139度38分56.4秒 / 北緯35.434583度 東経139.649000度 / 35.434583; 139.649000
面積 27,753m2
開園 1870年(明治3年)5月
運営者 横浜市(指定管理者:公益財団法人横浜市緑の協会
駐車場 20台(有料)
事務所 みどり環境局 南部公園緑地事務所 都心部公園担当
事務所所在地 横浜市中区本町6-50-10(横浜市役所
公式サイト 山手公園 公式サイト
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山手68番館
「日本庭球発祥之地」記念碑

山手公園(やまてこうえん)は、神奈川県横浜市中区の公園。日本初の洋風公共庭園(洋風公園は東遊園地が最初)であり、日本におけるテニス発祥の地としても知られる。

概要

  • 交通 - JR根岸線石川町駅から徒歩10分、根岸線山手駅みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩15分、路線バス山手町・麦田町下車
  • 園内の施設等
    • テニスコート - 横浜インターナショナルテニスクラブ、市営テニスコート各6面。
    • テニス発祥記念館 - 最古のテニス道具など、テニスに関する資料が展示されている。
    • 山手68番館 - 現在は市営テニスコートのクラブハウスとして使われている。
    • 洋風あずまや - 日本初の吹奏楽団である薩摩藩軍楽隊が演奏会を行った。
    • 植栽 - や、英国人ブルックにより持ち込まれたヒマラヤ杉など。

歴史

山手公園建設のきっかけは、1862年文久2年)に発生した生麦事件である[1]リチャードソンをはじめとする4人のイギリス人は、多摩川へピクニックに行こうとしていた際に、横浜の生麦村で薩摩藩島津久光の行列と出くわし、行列の前を乗馬のまま横切ろうとしたとき、これに激昂した薩摩藩士に一行は殺りつけられ、リチャードソンは絶命した[1]

この事件は横浜居留地の外国人たちを震撼させ、安心してピクニックや馬の遠乗りが楽しめる場所が欲しいと、イギリスアメリカ合衆国フランスの3か国の公使が、山手に遊歩道と公園を設置するよう江戸幕府に要求した[2]。当時の日本では散策のための道をつくるなどの発想はなく、「公園」という概念など持ち合わせてもいなかった[2]。各国の領事たちは、自分たちの生活スタイルを貫き通そうと、何度も幕府に公園を設置することを要求し、その結果として外国公使団と幕府との間に覚書である「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」が交わされ、幕府から遊歩道とともに公園建設を許可されるに至ったものである[2][注釈 1]

年表

脚注

注釈

  1. ^ 「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」では、競馬場建設も盛り込まれており、のちに根岸競馬場がつくられることとなる[2]

出典

参考文献

  • ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4 

関連項目

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