「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」と日本初のプロ野球ナイトゲーム
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「横浜公園平和野球場」の記事における「「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」と日本初のプロ野球ナイトゲーム」の解説
横浜市内の競技施設でほぼ同時期に連合軍に接収された横浜競馬場は、本来とは違う使用目的(住宅施設等)に供されたが、横浜公園球場は接収下でも野球場として利用され、球場名もこの地でプレーし日米開戦の直前に世を去ったゲーリッグにちなんで、「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」と改称された。場内には日本では正式に発売されていなかったコカ・コーラやペプシコーラの看板があり、販売されていたと思われる。 接収中の1946年に6基の照明灯が設置され、1948年6月14日には日本初のナイトゲーム(立教 対 慶應)が開かれた。同年7月22日に球場初の職業野球公式戦(急映フライヤーズ対大陽ロビンス)が行われ、同年8月17日、この「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」で日本初の職業野球公式戦のナイトゲームが開催された。対戦カードは読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦で、3-2で中日が日本職業野球のナイトゲーム初勝利を飾った。試合開始は20時過ぎだった。この8月17日は「プロ野球ナイター記念日」とされている。
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