「ルーシの地」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 19:35 UTC 版)
ルーシという地名は「ルーシの地」としてルーシ・ビザンツ条約 (911)の中で初めて史料に登場する。その言葉は「ギリシアの地」と対比され、キエフ地方を中心に存在した政治的共同体である「国」を指している。 ロシアの歴史学者A・ナソノフによれば、「国」としての「ルーシの地」は9世紀にハザール帝国に属した東スラヴ人によって形成され、東スラヴ人による反ハザール対戦の指導役となったという。9世紀末にその国でヴァイキングの大公朝が成立すると、「ルーシの地」はキエフ大公国の基盤として政治・経済・文化の中枢となり、ルーシは大公国の国号となったと考えられる。11世紀後半に、膨大な領土を有する大公国が分裂すると、「ルーシの地」の政治的役割が低くなる。「ルーシの地」は地理的概念に変わり、大公国の南方、とりわけキエフ公国・チェルニーヒウ公国・ペレヤスラウリ公国を指すようになる。
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