「ルーマニア王太子」
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「マルガレータ・ア・ロムニエイ」の記事における「「ルーマニア王太子」」の解説
父ミハイ1世には男子がなく、その没後はルーマニア王家の本家筋にあたるホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯家(英語版)の家長であるフリードリヒ・ヴィルヘルムにルーマニア王位請求権が移ることになっていた。しかし2007年12月30日の「ルーマニア王室基本家憲(ルーマニア語版)」の改定によって、マルガレータはミハイ1世の推定相続人となり、以降「ルーマニア王太子(Principesa Moștenitoare a României)」を名乗るようになった。 2011年、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家との絶縁に伴い、ホーエンツォレルン侯女の称号を放棄した。 2015年、ルーマニア赤十字社(英語版)総裁に就任した。
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