打撃の神様とは? わかりやすく解説

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川上哲治

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 07:44 UTC 版)

川上 哲治(かわかみ てつはる[注釈 1]1920年大正9年)3月23日 - 2013年平成25年)10月28日[1])は、熊本県球磨郡大村(現在の人吉市)出身のプロ野球選手内野手投手)・監督解説者


注釈

  1. ^ 現役時代は「かわかみ てつじ」。
  2. ^ ただし、川上本人は「先にやっていた選手がいた」と証言している。
  3. ^ 当時の300円という金額は「東京では分からないが、熊本の田舎なら何とか家一軒建てられる」ものだったという[7]
  4. ^ また異説[8]として、南海への入団が決まりかけていたが、巨人は南海の加入に既存球団の反対が強かった状況を利用した。巨人の鈴木惣太郎は南海の高須一雄監督を呼び出し、南海の加入に反対しない代わりに川上と吉原の獲得から手を引かせる取引をしたという。
  5. ^ 赤バットには赤信号の意味をこめ、バットの後ろにはボールを行かせない(ストライクを取らせない)という意味合いがあった[11]という。ただし、川上貴光『父の背番号は16だった』(朝日文庫)によれば、父・哲治はこれで年間1万円をもらった。当時の父の月給の1ヶ月分にも満たない金額だった。当時、並木路子の「「リンゴの唄」が大ヒットしていたので、それと赤バットを結びつけて売り出そうと考えたんだろう」という。
  6. ^ 「実際には小鶴誠が50本塁打を達成した際の発言で、知名度のない小鶴では記事にならないからと報知新聞の記者が川上の発言に変えた」とする見解もある
  7. ^ 現役最後の試合となった1958年の日本シリーズでは衰えが顕著であり、もはや引退は誰の目にも明らかだった。対戦相手の西鉄・豊田泰光の著書によると、第7戦ではマウンドの稲尾和久は川上の打席では明らかに力が入っておらず、現役最後の打席となったフライを捕った左翼手関口清治は捕りにくそうにしていたという。豊田はこれについて「味方も敵も、この人がプロ野球を作ってきたことが分かっていたからだ」と述べている。なお、川上は現役時代から豊田を高く評価しており、巨人の監督に就任してすぐに豊田に巨人への移籍を誘っていた[17]
  8. ^ 城之内邦雄が言うには、ミスをするたびに罰金を払わせる制度もあったとのこと。
  9. ^ 生来の口下手に加え、何事にも熱中する凝り性な性格と「肥後もっこす」と称される頑固で妥協しない性格だったため、周囲と衝突することも多く、特に与那嶺要、広岡達朗、森昌彦とは犬猿の仲であったといわれる(広岡と森とは後に和解したが、与那嶺は川上との過去の確執から巨人のOB会に参加していない)。
  10. ^ 詳しくは平松政次平光清を参照。
  11. ^ 1974年は10連覇を逃したが、優勝をしても退任する予定としていた
  12. ^ そのシーズン29本塁打も自己最高記録であった。
  13. ^ 元々太平洋戦争を扱った戦記アニメだったが、最終回となった第26話のみプロ野球をテーマとした川上へのインタビュー番組となった。

出典

  1. ^ a b c d 巨人V9「打撃の神様」川上哲治氏死去”. 日刊スポーツ (2013年10月30日). 2013年10月30日閲覧。
  2. ^ 【野球】2000安打ラッシュとなるか。大記録まで残り100本を切った5選手たち”. デイリースポーツ online (2017年5月9日). 2022年8月23日閲覧。
  3. ^ “先駆者だった川上氏 ドジャース戦法、哲のカーテン…新機軸を次々と”. スポーツニッポン. (2013年10月30日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/30/kiji/K20131030006912300.html 2021年9月11日閲覧。 
  4. ^ 『ジャイアンツ栄光の70年』 (ベースボールマガジン社)
  5. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」628ページ
  6. ^ Q&A「Q. 甲子園球場の黒土について教えてください。」”. 阪神甲子園球場. 2021年9月11日閲覧。
  7. ^ a b 『川上哲治 もっこす人生』
  8. ^ 大和球士『プロ野球三国志 第四巻』(ベースボールマガジン社)
  9. ^ 『巨人軍5000勝の記憶』p.30〜
  10. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」634ページ
  11. ^ 新宮正春『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』(講談社文庫、1999年)P.180
  12. ^ 川上哲治 豪打列伝
  13. ^ 鈴木陽一『巨人軍監督の決断』講談社、1987年、p.161
  14. ^ 鈴木、1987年、p.162
  15. ^ 鈴木、1987年、p.163
  16. ^ 川上哲治さんにまつわる美談。プロというのはプライドの塊である/廣岡達朗コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2021年10月15日). 2021年10月17日閲覧。
  17. ^ 豊田泰光著 「プロ野球を殺すのはだれだ」
  18. ^ 朝日新聞1962年2月23日7面「キャンプ回りに拾う(上)報道陣泣かせの巨人 東映、大洋はのんびり」朝日新聞縮刷版1962年2月p479
  19. ^ “川上哲治氏が徹底排除した広岡達朗氏 涙が出た仕打ち述懐”. 週刊ポスト. (2014年8月12日). https://www.news-postseven.com/archives/20140812_269645.html?DETAIL 2021年9月11日閲覧。 
  20. ^ 川上哲治——背負い続けた「孤独」 『一故人』 近藤正高 cakes 2013年11月22日付
  21. ^ 川上哲治『巨人軍の鬼といわれて わが野球人生50年』読売新聞社、1974年、p228-p230
  22. ^ 渡辺, 学 (2013年10月31日). “選手を終えて17年後に引退試合をした「打撃の神様」”. 東京スポーツ. オリジナルの2015年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150509114151/http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/11687/ 2021年9月11日閲覧。 
  23. ^ 西武「クラウン」を買収 所沢新球場に本拠地『朝日新聞』1978年(昭和53年)10月13日朝刊、13版、23面
  24. ^ 2013年11月10日NHK総合テレビジョン特別番組「さよなら川上哲治さん 打撃の神様と言われた男」より
  25. ^ 『日刊スポーツ五十年史』日刊スポーツ新聞社
  26. ^ 川上哲治に関するトピックス”. 朝日新聞. 2021年9月11日閲覧。
  27. ^ “巨人がOB始球式を実施 創立70周年記念”. 47NEWS. 共同通信. (2004年2月23日). オリジナルの2014年8月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140812161945/http://www.47news.jp/CN/200402/CN2004022301002034.html 2004年2月23日閲覧。 
  28. ^ 土井正三さんに、川上氏感謝の15分の弔辞 日刊スポーツ 2009年9月30日閲覧
  29. ^ 川上哲治氏死す 打撃の神様、巨人V9監督 大往生93歳 スポーツニッポン 2013年10月31日閲覧
  30. ^ a b c 打撃の神様」川上哲治さん死去 戒名は「大徹院赤心哲山居士」”. 東京スポーツ (2013年10月30日). 2013年10月30日閲覧。
  31. ^ 「後楽園で見た赤バット」ファンも川上さんとの別れ惜しむ 日刊スポーツ 2013年10月31日
  32. ^ 大和球士著『川上哲治 弾丸ライナー』(1975年1月、恒文社)
  33. ^ “【5月31日】1956年(昭31) 川上哲治 日本初の大記録もやっぱり“テキサス”だった”. スポーツニッポン. (2008年5月19日). オリジナルの2016年5月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160517220024/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_may/KFullNormal20080519170.html 2021年9月11日閲覧。 
  34. ^ 巨人・坂本“神様”に並ぶ通算408二塁打!歴代11位タイ「光栄です」”. デイリースポーツ online (2022年4月22日). 2022年6月28日閲覧。
  35. ^ チーム凍り付いた川上との確執「あんな球捕ってもらえないと」/広岡氏編4”. 日刊スポーツ (2021年5月12日). 2022年7月30日閲覧。
  36. ^ WiLL2011年6月号 打撃の神様川上哲治
  37. ^ 『筆洗』東京新聞コラム 2013年10月7日付朝刊
  38. ^ 小野俊哉著「全1192試合 V9巨人のデータ分析」pp.38-39(光文社、2009年6月)
  39. ^ G菅野はボールゾーン使うひと工夫を デイリースポーツ 2015年9月21日閲覧
  40. ^ “王貞治氏 「打つのは僕だから好きなように打つ」発言の過去”. 週刊ポスト. (2015年8月20日). https://www.news-postseven.com/archives/20150820_341743.html?DETAIL 2021年9月11日閲覧。 
  41. ^ 丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」 週刊大衆、2004年(平成16年)11月8日号。
  42. ^ 『オーラの運命(さだめ)― この世もあの世もバラ色にする黄金法則』丹波哲郎、双葉社、2005年10月、ISBN 4575298441
  43. ^ WiLL2013年2月号王貞治新春対談
  44. ^ 沢木耕太郎著『敗れざる者たち』(1979年)
  45. ^ 関三穂著「プロ野球裏面史 上」p29-p30(ベースボール・マガジン社 1967年7月)
  46. ^ 日刊スポーツ 2013年10月31日付東京版21面
  47. ^ 東京都文化賞・都民文化栄誉章”. 文化振興. 東京都生活文化局. 2017年12月4日閲覧。
  48. ^ 熊本県民栄誉賞受賞者のご紹介”. 熊本県. 2022年7月26日閲覧。
  49. ^ 1000安打”. 日本野球機構. 2022年9月28日閲覧。
  50. ^ 100本塁打”. 日本野球機構. 2022年9月28日閲覧。
  51. ^ 1000打点”. 日本野球機構. 2022年9月28日閲覧。
  52. ^ 150本塁打”. 日本野球機構. 2022年10月1日閲覧。
  53. ^ 2000安打”. 日本野球機構. 2022年9月28日閲覧。
  54. ^ 川上哲治ほか、『私の履歴書』(日経ビジネス人文庫、2007年)、p. 177
  55. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」410ページ
  56. ^ 週刊ベースボール2013年6月3日号95ページ
  57. ^ 高野光平『発掘!歴史に埋もれたテレビCM : 見たことのない昭和30年代』光文社光文社新書 ; 1018〉、2019年、226-228頁。ISBN 9784334044268 


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