評定河原球場とは? わかりやすく解説

評定河原球場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/21 09:43 UTC 版)

評定河原球場
施設データ
所在地

宮城県仙台市青葉区花壇1-1

座標 北緯38度15分23.5秒 東経140度51分57.4秒 / 北緯38.256528度 東経140.865944度 / 38.256528; 140.865944座標: 北緯38度15分23.5秒 東経140度51分57.4秒 / 北緯38.256528度 東経140.865944度 / 38.256528; 140.865944
開場 1937年
所有者 仙台市
管理・運用者 財団法人仙台市公園緑地協会
グラウンド 内野 - 土
外野 - 芝
照明 なし
収容人員
1,200人
グラウンドデータ
球場規模 両翼 - 92 m
中堅 - 107 m

評定河原球場(ひょうじょうがわらきゅうじょう)は、宮城県仙台市青葉区花壇にある野球場である。広瀬川左岸、評定河原橋の北東の評定河原公園の中にある。財団法人仙台市公園緑地協会がこれを管理している。両翼の距離92メートル、中堅の距離107メートル。バックネット裏にのみ座席が整備してある。1937年(昭和12年)に開設され、宮城球場が竣工する1950年(昭和25年)まではプロ野球の試合が開催された野球場でもある[1]

歴史

球場の近隣は仙台藩評定所があったことから「評定河原」と呼ばれるようになった[1]。その後、仙台市長を務めた早川智寛所有の牧場となり、東北帝国大学旧制二高が使用していた。1937年(昭和12年)学生の勤労奉仕によって球場が整備、開場した。本多光太郎が5千円の私費を投じスタンドを寄贈した[1]

1948年(昭和23年)5月16日にこの球場で行われた読売ジャイアンツ金星スターズの試合で、読売の川上哲治がプロ野球史上初の1イニング2本塁打を達成した地として知られている。また1949年(昭和24年)5月7日の大映スターズ対大阪タイガースで、大映の大岡虎雄が3打席連続本塁打を放っている。当時は両翼91メートル、センター82メートルだったため、合計で9本塁打が出た[1][2]

1950年(昭和25年)に宮城球場が開場するとプロの試合は行われなくなったが、仙台六大学野球連盟を中心としたアマチュアの試合で棲み分けされた[1]

管理は1964年(昭和39年)に東北財務局、1982年(昭和57年)に仙台市に移管した[1]

1983年(昭和58年)に現在の広さに改修された[1]

近年ではアマチュアは宮城広瀬球場愛島球場など設備が整った球場を利用するようになり、この球場の利用者は少なくなった[1]

プロ野球開催実績

2021年現在、5試合の開催実績がある。内訳は1リーグ時代に4試合、セ・リーグ1試合。このほかに国民野球連盟1試合がある[3]

施設概要

  • グラウンド面積:-
  • 内野:土、外野:芝
  • 両翼:92m、中堅107m
  • 照明:なし
  • スコアボード:手書き式

アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g h みやぎ野球史)狭くて本塁打続出、評定河原 - 朝日新聞
  2. ^ 大映は大岡が3本、綱島新八酒沢政夫が各1本。大阪は別当薫が2本、藤村富美男長谷川善三が各1本。
  3. ^ 仙台初のプロ野球公式戦は?幻の国民リーグ,朝日新聞DIGITAL,2024年1月3日閲覧。

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