メジャーデビュー以降
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「ハマ・オカモト」の記事における「メジャーデビュー以降」の解説
2010年5月26日、OKAMOTO'Sの2ndアルバム『10'S』でメジャーデビュー。同年10月10日、FM802『MUSIC FREAKS』にて初の単独DJを担当(2011年9月24日までの一年間隔週)。 2011年2月19日、初めてのベース・マガジン表紙をMIYAVI、TOKIE、KenKen、吉田一郎(ZAZEN BOYS)とともに飾る。特集は『低音の真価を問う!サムライ・ギタリストからの果たし状』。同年3月19日、ベース・マガジンにてコラム連載『午前何時のハプニング?』がスタート。同年8月25日、TOWER RECORDSのフリーペーパー『bounce』にて連載『ハマ・オカモトの自由時間』がスタート。同年9月7日、OKAMOTO'Sの4thアルバム『欲望』発売、初の単独クレジット曲『ハマ・オカモトの自由時間』(インスト)も収録。 2012年4月1日、ズットズレテルズ復活を宣言、5月5日『JAPAN JAM 2012』において初ライブ。同月5日、J-WAVE「RADIPEDIA」(月 - 木曜日・深夜24:00 - 26:00)の新ナビゲーターとして出演開始。同年8月2日、honeyee.com〈ハニカム〉で単独ブログがスタート。同年11月20日、父親である浜田雅功を特集した雑誌SWITCHの付録CD「ラブレター」にベーシストとして極秘で参加。クレジットはハマ自身の発案で、この曲の作曲者で事務所先輩でもある奥田民生の楽曲に掛けて「人の息子」とする。 2013年1月3日、ナビゲーターを務めるラジオ番組「RADIPEDIA」にて浜田雅功と初共演。同年2月19日、ベース・マガジン3月号にて初の単独表紙、カラー12Pの大特集が組まれる。同年6月20日、米国フェンダー社とエンドースメント契約締結を発表、日本人ベーシストとしては初。同年9月3日、3年ぶり2度目の尿管結石を発症、救急搬送される。同年11月6日、スペースシャワーTVの音楽&カルチャー情報番組「スペシャエリア」の新VJに決定。同年12月28日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「player」2月号にて「2013 PLAYER READER'S POLL BEST BASSIST」の第5位に初選出される。同年12月31日、J-WAVEの年越し特別番組「J-WAVE YEAR END & NEW YEAR SPECIAL “NEW GENERATION MUSIC PARTY”」(5時間の生放送)のナビゲーターに決定。 2014年1月18日、ベース・マガジン2月号にて単独表紙。内容は『OKAMOTO'S ニュー・アルバム『Let It V』、そして課外活動……ハマが語り尽くす低音流儀』。同年10月30日、ハマがMCを務めるバンドのリズム隊に着目した音楽番組『BIG AUDIO DYNAMITE』がスペースシャワーTVにて放送開始。同年12月29日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「Player」2月号にて「2014 PLAYER READER'S POLL BEST BASSIST」の第5位に選出される。同年12月31日、J-WAVEの年越し特別番組「J-WAVE YEAR END & NEW YEAR SPECIAL タイムアフターミュージック」の番組ナビゲーターを担当。 2015年2月14日、メガネ・ショップ"Zoff"を運営する株式会社インターメスティックが発表した、ヴィンテージ・スタイルを提案する"CLASSIC"シリーズ新商品のイメージ・キャラクターに女優 二階堂ふみと共に抜擢される。同年4月3日・4日、「鈴木茂×猪野秀史 Special Support with 林立夫&ハマ・オカモト 〜Billboard Live Tour 2015〜〜」に出演。同年5月19日、ベース・マガジン6月号にてジョージ・クリントンとともに表紙。特集は『2015年、Pファンクを巡る旅 featuring ジョージ・クリントン×ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)』。同年11月11日、「THE BASS DAY LIVE 2015」に出演。長岡亮介(ペトロールズ)、オカモトレイジ(OKAMOTO'S)、呂布(KANDYTOWN)とともにパフォーマンスを披露。同年12月末、シグネチャーモデル「HAMA_OKAKMOTO PRECISION BASS "#4"」がフェンダーミュージックから発売される。同月29日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「player」2月号にて「2015 PLAYER READER'S POLL BEST BASSIST」の第2位に選出される。同月31日、J-WAVEの年越し特別番組「J-WAVE YEAR END & NEW YEAR SPECIAL TIME FOR MUSIC」の番組ナビゲーターを担当。 2016年2月28日、「スカパー!音楽祭2016」のMCをももいろクローバーZの玉井詩織とともに務める。同年11月11日、「THE BASS DAY LIVE 2016」に出演。ハマは吉田一郎(ZAZEN BOYS)をパートナーに迎えパフォーマンスを披露。同年12月29日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「Player」2月号にて「2016 PLAYER READER'S POLL BEST BASSIST」の第2位に選出される。同月31日、J-WAVEの年越し特別番組「J-WAVE YEAR END & NEW YEAR SPECIAL TIME FOR MUSIC」の番組ナビゲーターを担当。 2017年1月23日・24日、パシフィコ横浜開催の星野源 新春ライブ「YELLOW PACIFIC」に参加。同年4月19日、ベース・マガジン5月号にてTOKIE、佐藤征史(くるり)、磯部寛之([Alexandros])とともに表紙。特集は『プロフェッショナルであるということ──アップデートされたフェンダー定番シリーズのすべて』。同年8月2日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「Player」9月号の表紙に。長い歴史を持つ「Player」において初の日本人ベーシスト単独表紙。同月19日、ベース・マガジン9月号にて単独表紙。『ハマ・オカモトの今』を特集。同年9月7日・14日、「鈴木茂×猪野秀史 Special Support with 林立夫&ハマ・オカモト 〜Billboard Live Tour 2017〜」に出演。同年11月11日、「THE BASS DAY LIVE 2017」に出演。ハマは恒岡章(d/Hi-STANDARD)、猪野秀史(p,vo)との3ピースでセッションを披露。同年12月21日、吉澤嘉代子、弓木英梨乃(KIRINJI)、DJ松永(Creepy Nuts)とともにバンドを結成することをそれぞれのSNSにて宣言。同月31日、J-WAVEの年越し特別番組「J-WAVE YEAR END & NEW YEAR SPECIAL TIME FOR MUSIC」の番組ナビゲーターを担当。 2018年1月4日発売の楽器奏者向け音楽雑誌「Player」2月号にて「2017 PLAYER READER'S POLL BEST BASSIST」の第1位に選出される。同年2月6日、Fenderオフィシャルサイトにて新連載「WHAT IS ORIGINAL? studied by HAMA_OKAMOTO」がスタート。楽器のパーツの変遷について語る。同年3月13日から22日まで、吉澤嘉代子の「ウルトラスーパーミラクルツアー」にサポートメンバーとして参加。同月24日、吉澤嘉代子、弓木英梨乃(KIRINJI)、DJ松永(Creepy Nuts)と結成したバンドの名称がLALLAに決まったことをSNS上で発表。同年5月9日、自身がレギュラーMCを担当するミレニアル世代向け動画メディア「McGuffin」の新コンテンツ"Mellow Down Easy"がスタート。同月14日、「ホフディラン 春のベースまつり2018」に出演。同月17日、LALLAのメンバーとして澤村一平(SANABAGUN.)が加わることをSNS上で発表。同月19日、ベース・マガジン6月号にて亀田誠治とともに表紙。特集は『頂上対決 プレベ vs ジャズベ』。同年6月12日から22日、「鈴木茂×猪野秀史 Special Support with 林立夫&ハマ・オカモト〜Tour 2018〜」に出演。過去2回、不定期で開催されていた同名ビルボードツアーが、規模を拡大。東阪ビルボード、名古屋ブルーノート公演を含む全5箇所でのツアー。同月24日、「セカイイチのサポートベーシスト感謝祭 Vol.3」に出演。同年8月24日、シグネイチャーモデル「HAMA_OKAMOTO PRECISION BASS “#4”」に、新色Olympic Whiteが追加。既存の3 Tone Sunburstモデルとあわせてリニューアルされ、フェンダーミュージックより発売開始。同年11月26日、ハマが楽器屋店員役として出演&CM音楽の演奏としても参加する積水ハウス株式会社の企業CM (「この日を忘れない」篇)が放送開始。 2019年1月15日、ニッポン放送「星野源のオールナイトニッポン」にゲスト生出演。同年2月1日、シューズブランド「ニューバランス」にて展開される「THE INDEPENDENTS #らしさは強さだ」キャンペーンに参加。同月2日から3月10日に開催された、「星野源 DOME TOUR 2019 『POP VIRUS』」に参加。同年2月19日、ベース・マガジン3月号にて単独表紙。関ジャニ∞の丸山隆平との特別対談を含む巻頭特集。同年3月12日、大阪・なんばHatchにてハマ・オカモトの生誕を記念したイベント「OKAMOTO'S 10周年記念特別公演 ~ハマ・オカモト"に"大感謝祭!~」を開催。同月12日、TOKYO発モードファション誌「GINZA」にてハマが日常の雑感を語りおろす連載「私的なオノマトペ」がスタート。同年6月27日、OKAMOTO'Sがデビュー10周年を記念した初の日本武道館ワンマン公演を開催。同年12月31日、星野源のバックバンドのメンバーとして紅白歌合戦に初出場、「ドラえもん」と「Same Thing」を演奏。 2020年2月26日、ハマ監修によるVINTAGE MODIFIED MONOGRAMMED STRAP(ヴィンテージモディファイドモノグラムドストラップ)がフェンダー・ミュージックより数量限定で発売。同年5月11日、ムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」が発売(当初の発売予定日3月26日より延期)。同年10月21日、ハマがゼミ生として参加する音楽ナタリーの連載企画「細野ゼミ」がスタート同月25日、自身と甲田まひるがMCを務める「プレスク」(夜0:30-1:25、BSフジ※月1回放送)がスタート。 2021年3月4日、新商品“微アルコール”ビールテイスト飲料『アサヒ ビアリー』のTVCMに出演。本田翼と共にイメージキャラクターに起用。同月8日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2021」でMCを担当。同年4月22日、日本郵便の新テレビCM「手紙の部屋 母の日」編に芦田愛菜と共に出演。同年8月25日、シグネチャーモデル第二弾「Hama Okamoto Fender® Katana Bass」がフェンダーミュージックから発売される。同年9月18日、ハマ・オカモト監修「VINTAGE MODIFIED MONOGRAMMED STRAP」の新作(ピンクとトロピカルの2色)がフェンダーミュージックから発売される。同年10月7日、齋藤飛鳥(乃木坂46)とともにMCを務める新番組 テレビ朝日「バラバラ大作戦」ゾーン内「ハマスカ放送部」が放送開始。同月9日、シブヤノオト and more Fes.2021 生放送内で、番組企画バンド「SHOCK & RUN YO!(しょっけんらんよう)」のメンバーとしてマハラージャン作のオリジナル曲「貞☆子」を披露。同年12月30日、コロナの影響を受けて年内閉店が発表された下北沢GARAGE「Our House Welcome Home -さよなら2021-」の水野創太パートにゲスト出演、EdBUS時代の楽曲「彼女」を演奏。 2022年2月1日から11日まで、木村カエラの初ビルボードライブツアー「KAELA presents “KAELAB” Billboard Live 2022」にバンドマスターとして参加。同年2月3日、ハマスカ放送部がバラバラ大選挙において「視聴者グランプリ」を獲得。それに伴い「ご褒美特番」、4月からは放送時間昇格&放送尺も30分に拡大が決定。同年3月15日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2022」でMCを担当。同年4月1日、ハマ単独MCのラジオ番組「THE TRAD FRIDAY IG STOCK BEATS」がスタート。 2022年6月3日、実況の可能性を追い求める“実況男”清野茂樹さんが他ジャンルの一流とコラボレーションするイベント「実況芸セッション 13 ハマ・オカモトと清野茂樹」にハマ・オカモトが出演。
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メジャーデビュー以降
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ロック、ヘヴィメタルを軸に、クラシックやテクノなどを融合させた音楽を制作。オリジナル楽曲に加え、テレビアニメやゲームへの楽曲提供も行っており、それらに関連するライブやイベントにも出演。 2009年、ReluとNanami が加入する。「Animelo Summer Live」、「ランティス祭り」、「MUSIC JAPAN 新世紀アニソンSP」などへの出演をきっかけに、知名度が上昇した[要出典]。 2013年からは、オリジナルメンバーに加え、Nanami、紫煉、Gightの3名と共にバンドとして活動しており、メタル・サウンドを主軸とした音楽性に移行。 2015年8月5日、約10年ぶりとなるフルオリジナルアルバム『SHADOW CORPS[e]』を発売し、ゴシック・メタル・バンドとして本格的に始動。 2019年、SEX MACHINEGUNS、妖精帝國、GYZEが出演する日本のメタルバンドによる海外フェスティバル「METAL NATION 2019」が12月15日にメキシコで開催。12月13日、発売延期・未定となっていたアルバムが、制作上の都合により発売中止とされたが、その後、アルバム『the age of villains』の制作と発売日がアナウンスされ、発売に至った。
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メジャーデビュー以降
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ポルノグラフィティとしての細かな経歴はポルノグラフィティ#来歴を、詞提供については詞提供曲一覧を参照 1999年 9月8日、ポルノグラフィティのハルイチとして、自身が作詞を手掛けた「アポロ」でメジャーデビュー。 2000年 12月31日、第51回NHK紅白歌合戦にポルノグラフィティとして初出場(演奏曲は「サウダージ」)。 2003年 4月7日、『カフェイン11』(bayfm)放送開始。 2004年 11月6日、同日に公開された映画『ロード88 出会い路、四国へ』に別所役で出演。 2005年 12月24日、音楽雑誌『PATi PATi』に連載していたコラムを単行本化した『自宅にて』を発売。 2008年 10月24日、女優の長谷川京子との結婚を発表。 2009年 5月、長男が誕生。 2010年 SHOCK EYE(湘南乃風)、若手サウンドクリエイターの篤志とTHE 野党を結成。自身は党首(リーダー)として活動。 3月、作詞・作曲を手掛けた「僕らの地図」を因島南中学校へ提供。 5月15日、小説『時の尾』を発売。 2011年 2月9日、THE 野党のデビューアルバム『8:10 PM』をリリース。 2012年 1月、長女が誕生。 2017年 4月7日、馬場一嘉の生誕祭『CH@BA100% presents~BABI BABI BAR SP~BABI’s 50th Anniversary Live!”BABIゲージュー祭りその②”@恵比寿天窓.switch』にサプライズゲストとして出演。 9月1日、小説『ルールズ』を発売。 2018年 2月12日、ポルノグラフィティのサポートメンバー・宗本康兵の自主ライヴ『”&K”』に飛び入り出演。 4月、広島テレビ 『テレビ派』火曜コーナー「ポルノグラフィティ新藤晴一の『ハルイチノオト』」放送開始。 2019年 1月10日、月刊誌『ギター・マガジン』の別冊シリーズ”GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES”より『新藤晴一 ポルノグラフィティ』を発売。 6月15日、表参道ヒルズで開催された『FENDER CUSTOM SHOP EXPERIENCE』のトークイベントに出演。 10月13日、『幕張メッセ×bayfm 30th ANNIVERSARY SPECIAL THANKS PARTY』に出演予定であったが、台風の接近により開催中止となる。 2020年 1月28日、noteアカウントを開設。 2021年 10月29日、長谷川京子と離婚したことを発表。
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メジャーデビュー以降
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2014年5月14日、日本クラウン株式会社と株式会社ヤマハミュージックアーティスト、株式会社ヤマハミュージックパブリッシングによる新レーベル「e-stretch RECORDS」の第1弾アーティストとしてミニアルバム「変身少女」でメジャーデビュー。リード曲「美少女」が5月度オリコンFMパワープレイランキング邦楽1位を獲得。10月22日、2枚目のミニアルバム「幻倶楽部」を発売。 2015年3月4日、初めてのアルバム『箒星図鑑』をリリース。12月、全国8都市を回るワンマンツアー「吉澤嘉代子 秘密ツアー 〜8都市をめぐる秘密公演〜」を開催。 2016年4月、演劇仕立てのステージでアルバム『東京絶景』の世界観を表現する全国ツアー「吉澤嘉代子 絶景ツアー “夢をみているのよ”」を全国7都市で開催。 2016年8月3日、サンボマスター、私立恵比寿中学、岡崎体育、伊澤一葉、ザ・プーチンズ、ORESAMA、曽我部恵一などとのコラボレーションミニアルバム『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』をリリース。10月、”吉澤嘉代子とうつくしい人たちツアー”では一人カラオケを楽しむOLに扮し、各公演にゲストを招きコラボ楽曲を演奏する。 2017年12月21日、バンドを結成することを公式ツイッターで発表。吉澤嘉代子以外のメンバーは弓木英梨乃(KIRINJI)、DJ松永(Creepy Nuts)、ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)。その後、澤村一平(SANABAGUN.)が加入。 2018年3月、東名阪ツアー「ウルトラスーパーミラクルツアー」を開催。 2018年11月、4枚目のアルバム『女優姉妹』をリリース。 2019年10月、全国ツアー「お茶会ツアー2019」を開催。11月には「デビュー5周年記念 吉澤嘉代子のザ・ベストテン」を開催。翌年5月に念願の日比谷野外音楽堂でのライブ開催を発表するも、新型コロナウィルスの影響で中止に。 2020年9月、初のオンラインライブ「通信・すなっく嘉代子」を開催。ライブ終了後、ビクターエンタテインメントへのレーベル移籍を発表。11月25日に移籍第一段シングル「サービスエリア」、コンピレーションアルバム『新・魔女図鑑』を同時リリース。 2021年1月20日、配信シングル『刺繍』をリリース。テレビ東京他で放送されたドラマ「おじさまと猫」のオープニングテーマとして起用された。 3月には、5枚目のアルバム『赤星青星』をリリース。約1年4ヶ月ぶりとなるコンサート「赤青ツアー2021」を3月24日、28日に開催した。6月20日には、昨年コロナによって中止/延期になっていたワンマンライブ「吉澤嘉代子の日比谷野外音楽堂」を開催。
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メジャーデビュー以降
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「LUNA SEA」の記事における「メジャーデビュー以降」の解説
1992年 5月21日:2ndアルバム『IMAGE』でMCAビクター(現:ユニバーサルミュージックK.K.)よりメジャーデビューを果たす。オリコン初登場9位。 5月28日:『LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 IMAGE OR REAL』スタート。全国7公演。動員数7,000人。ツアー中の各公演を同じメニューで演奏したのは、この時が初めて。 6月13日 :ビデオコンサートスタート、渋谷The AIR(6月13日)、立川BASH(6月13日)、横浜ライブスクエア(6月14日)、新宿東放学園(6月14日)町田プレイハウス(6月21日)を行う。 7月18日 :『LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 IMAGE OR REAL アンコールツアー 東・名・阪スペシャル』3公演。総動員数5,500人。 7月22日:1stビデオ『IMAGE OR REAL』リリース。オリコン初登場1位。 9月27日 :『LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE』スタート。全国13か所公演。総動員数約16,000人。 10月20日:難波ロケッツにて黒服限定GIG開催。 10月24日:『LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE』ツアーファイナルを日比谷野外音楽堂にて敢行。メンバー全員それまでカラフルだった髪の色を黒に染めて登場したり、それまでアンコールでの定番曲だった「MOON」をオープニングに持ってくるなど、観客を驚かす。 10月29日:大阪でのエクスタシーサミットに、メンバー全員白の衣装で参加する。 10月31日:日本武道館『EXTAST SUMMIT 1992』に参加。 1993年 2月24日:バンド結成以来初のシングル「BELIEVE」リリース。オリコン初登場11位。デビューから終幕までのシングルは全て売上10万枚以上を記録する。 4月1日:『SLAVE限定GIG〜SPECIAL PRESENT FROM LUNA SEA〜』渋谷公会堂。 4月16日:『LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN』スタート。全国14か所14公演。総動員数約26,000人。 4月21日:3rdアルバム『EDEN』リリース。オリコン初登場5位。 7月21日:2ndシングル「IN MY DREAM (WITH SHIVER)」リリース。オリコン初登場9位。 8月21日 :『LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN ENCOREツアー』スタート。東・名・阪3ヶ所4公演。総動員数約24,000人。名古屋センチュリーホール(8月21日)大阪厚生年金会館(8月23日)日本武道館2 Days(8月26、30日)。日本武道館公演の2日目は当初27日の予定だったが、台風のため延期となり、30日に振替公演が行われた。一昨年の日本青年館公演でも台風に見舞われた事から、「嵐を呼ぶバンド」との異名を得る。 12月16日:2ndビデオ『SIN AFTER SIN』リリース。オリコン初登場2位。 12月18日:『LUNA SEA CONCERT TOUR'93〜94 THE GARDEN OF SINNERS』スタート全国19か所20公演。総動員数約4万人。 12月26日:新宿NISSIN POWER STATION「月と海」シークレットライブ。 1994年 2月12日:『LUNA SEA CONCERT TOUR'93〜94 THE GARDEN OF SINNERS』ツアー追加公演 横浜アリーナ。豪雪に見舞われ、一時開催が危ぶまれる事態になり、再び「嵐を呼ぶバンド」と呼ばれる。動員数約12,000人。 7月21日:3rdシングル「ROSIER」リリース。オリコン初登場3位。ロングヒットを記録。 8月9日:SOFT BALLETとBUCK-TICKと共にLSBと題したイベントで札幌と仙台・新潟・大阪・福岡の全5公演を行う。8月9日の福岡公演で1組目のSOFT BALLET演奏中に雨が降り出し、直後に豪雨となった。野外ステージだった為雨が小康状態になるまで約1時間弱イベントが中断され再開後に出演した3組(ゲスト含)はそれぞれ予定よりも数曲カットして演奏した。後にこの豪雨は会場周辺の局地的集中豪雨で福岡市中心部などでは小雨程度であったことが上記と共に音楽誌で報じられ、「嵐を呼ぶバンド」の異名を揺るぎないものとした。 8月11日,12日:『SLAVE限定GIG'94』渋谷公会堂。 9月21日:4thシングル「TRUE BLUE」リリース。オリコン初登場1位。当時のオリコンチャートで、タイアップなしのシングルが1位を取るのは珍しかった。 10月26日:4thアルバム『MOTHER』リリース。オリコン初登場2位。ロングセールスとなり、約70万枚の売り上げを記録した。 12月14日:渋谷ON AIR EASTシークレットライブ。 12月16日、17日:日本武道館 2Daysライブ。 12月24日:大阪城ホールライブ。 12月27日:日本武道館 追加公演12月16日 - 27日、2か所4公演。総動員数4万人。 1995年 2月22日:5thシングル「MOTHER (Single Version)」リリース。オリコン初登場5位。 3月17日:『LUNA SEA CONCERT TOUR 1995 MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』スタート。全国27か所31公演。総動員数約63,000人。 5月24日:ビデオクリップ集『ECLIPSE』リリース。オリコン初登場1位。 11月13日:6thシングル「DESIRE」リリース。オリコン初登場1位。 12月23日:初の東京ドームライブ『LUNATIC TOKYO』を行う。チケットは即日SOLD OUT。総動員数56,000人を記録。 1996年 3月24日:7thシングル「END OF SORROW」リリース。オリコン初登場第1位。 4月22日:5thアルバム『STYLE』リリース。オリコン初登場第1位。 6月16日, 18日:『SLAVE限定GIG'96』をNHKホールで行う。 7月15日:ライブビデオ・LD『LUNATIC TOKYO〜1995・12・23 TOKYO DOME〜』リリース。オリコン初登場第1位。さらに、8thシングル「IN SILENCE」リリース。オリコン初登場第2位を記録。テレビ朝日系のドラマ「シカゴ・ホープ」イメージ・ソングとなる。 7月16日 :横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアー『LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE』スタート。全国9か所16公演 総動員数 12万人。 10月22日 :『UN ENDING STYLE ENCORE TOUR 1996 〜TO RISE』スタート。普段はあまり行かない地区を中心にライブを行う。全国28か所28公演 総動員数58,000人。 12月23日:『UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム』動員数4万人。本編終了後、アンコールを待つ観客による「きよしこの夜」の大合唱が起こる。この日より、1年間の充電期間に入る。Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至ったという。活動休止に関して提案したのはSUGIZO、賛成したのがRYUICHI、中立だったのがINORAN、反対したのがJ、真矢である。 1997年 この年、メンバーの5人はソロ活動をしていった。まずRYUICHIは、本名の河村隆一でソロ活動を開始。アルバム『Love』は約300万枚という男性ソロシンガーとしては歴代最高の売り上げを記録し、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにした。また、俳優・タレントとしてもテレビやドラマなどにも出演し、お茶の間にも進出した。SUGIZOとINORAN・J・真矢も、それぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。個々にシンガーデビューを果たし、ランクインさせた。 5月21日:ヒストリービデオ・LD『REW 〜リワインド〜』をリリース。オリコン初登場第1位を記録。 12月17日:2枚組ベスト・アルバム『SINGLES』をリリース。オリコン初登場第1位を記録し、バンド初のミリオンセラーを達成する。同時に、赤坂BLITZにて活動再開ライブ&記者会見を行う。 1998年 4月15日:9thシングル「STORM」リリース。オリコン初登場第1位。 6月3日:10thシングル「SHINE」リリース。オリコン初登場第1位。 7月1日:11thシングル「I for You」リリース。オリコン初登場第2位(フジテレビ系のドラマ『神様、もう少しだけ』主題歌)。 7月23日:復帰第1弾6thアルバム『SHINE』リリース。オリコン初登場第1位。ミリオンヒットを記録。また、このアルバムの収録曲「BREATHE」が、ディズニー映画『ムーラン』の日本でのイメージソングとなる。 8月1日:『SLAVE限定GIG'98』渋谷公会堂(8月1日)愛知厚生年金会館(8月4日)大阪厚生年金会館大ホール(8月5日)を行う。 8月9日,10日:横浜スタジアムにて『WALT DISNEY PICTURES PRESENTS MULAN MEETS LUNA SEA 1998 REVIVE 真夏の野外』を敢行。総動員数 8万人。 9月24日:『WALT DISNEY PICTURES PRESENTS MULAN MEETS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY』スタート。全国26か所33公演 総動員数 15万人。 12月23日,24日:東京ドームにて『IDO PRESENTS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME』を敢行。総動員数 10万人。アンコールでジョン・レノンの「Happy X'mas (War Is Over)」をカバーする。 12月31日:バンド初となる『NHK紅白歌合戦』に出場。演奏曲は「I for You」。 1999年 1月9日:初のアジア・ツアー『LUNA SEA FIRST ASIAN TOUR 1999』スタート。1月9日 台湾 動員数3,000人 1月14日 香港 動員数3,800人 1月17日 上海 動員数2,500人 5月29日:ライブ・アルバム『NEVER SOLD OUT』をリリース。オリコン初登場第5位。 5月30日:『LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞』を東京ビッグサイトスペシャルオープンステージで行う。3日前に会場を襲った強風により数十億円をかけたステージセットが倒壊し、真矢のドラムが巻き込まれる等の被害が出て開演が危ぶまれ、「嵐を呼ぶバンド」の名が一時的に復活。当日はメンバー間でも「それでも絶対にライヴを決行しよう(J等)」と「観客が巻き込まれたりすると危険だからライヴは止めよう(INORAN等)」と意見が割れたという。しかし、「廃墟を(観客に危険が及ばない範囲で片づけた上で)セットにしてしまおう」、というSUGIZOのアイデアで決行。タイトルにある「NEVER SOLD OUT」の言葉通り、入場料を払えば当日でも何人でも入場できるシステムが採用され、総動員数 10万人を記録。この時、メンバーでただ1人倒壊前日にステージを見ていたINORANは、当時出演したテレビ番組で、セット倒壊の報を聞いてメンバー全員で駆け付けた際のことを「倒壊する前のセットの様子が、自分には点線のようになって見えたんですよ」と語っていた。 9月29日:ライブ・ビデオ2本同時リリース(各10万本限定生産)『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞LIVE!!』オリコン初登場第1位。『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞ DOCUMENT!』 オリコン初登場第2位。 12月23日:後輩のGLAYとの対バン『the Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot』を東京ドームで行う。総動員数 56,000人。 2000年 1月1日:Zepp Tokyoにて『START UP GIG2000』敢行。動員数3,000人。カウント・アップ・ライブとして、午前0時0分より行われる。 3月29日:12thシングル「gravity」リリース。オリコン初登場第1位。 5月17日:13thシングル「TONIGHT」リリース。オリコン初登場第4位。 5月23日:『PREMIERE OF LUNACY 2000』を日本武道館で敢行。 7月12日:7枚目のオリジナルアルバム『LUNACY』リリース。 7月15日:『BRAND NEW CHAOS ACT I』スタート。 10月9日:『BRAND NEW CHAOS ACT II』スタート。 11月8日:14thシングル「LOVE SONG」をリリース。オリコン初登場第4位。この日に、LUNA SEA終幕発表が公表される。RYUICHIは「終幕」の理由について、「このメンバーでバンドをやっていたいちばんの理由は、5人でいれば誰よりも輝けると思ったからです。でも、同じ光を見てると目も慣れて、より強い光を求められなくなった」と語った。(番組で当時の真相についてSUGIZOが「ぶっちゃけ(メンバー皆が)みんなの顔を見たく無くなった」と話していた。) 12月23日:ベスト・アルバム『PERIOD 〜THE BEST SELECTION〜』リリース。20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。 12月26日, 27日:東京ドームにて『LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME』を敢行。このライブのセットリストは、終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映されている。最後の曲はラストナンバーの定番「WISH」であった。このライブを最後に終幕。
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メジャーデビュー以降
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参加楽曲については参加作品を参照 1999年 9月8日:ポルノグラフィティのアキヒトとして1stシングル「アポロ」でメジャーデビュー。 2000年 12月31日:第51回NHK紅白歌合戦にポルノグラフィティとして初出場(演奏曲は「サウダージ」)。 2007年 4月7日:ニッポン放送『ポルノグラフィティ岡野昭仁のオールナイトニッポン』放送開始(2010年3月30日まで)。 2008年 1月上旬:ポルノグラフィティ公式ファンクラブ love up! 会報にて一般人女性との結婚を報告。 2013年 5月23日:国立競技場で開催された『藤田俊哉送別試合』に"ジャパンブルー"チームの一員として出場。 10月5日:FM802『LIVE IT UP』放送開始(2014年9月27日まで)。 2014年 12月19日:カヴァーLIVE『SING IT UP』をなんばHatchで開催。 2017年 2月1日:Mayday『自伝 History of Tomorrow』に収録された「Song for you feat. Akihito Okano(PORNOGRAFFITTI)」の作詞を担当。 2月4日:Mayday『Re:DNA ~2017 復刻版~』日本武道館公演にシークレットゲストとして出演。 2018年 2月27日:元BO GUMBOS・Dr.kyOnの還暦記念ライヴ『Dr.kyOn還暦記念スーパージョイント"NEW MORNING Vol.1"』にゲスト出演。 6月23日:豊洲 MIFA Football Parkで開催されたフットサルトーナメント『NIKE FTBL CUP』にゲスト参加。 2019年 6月11日:『澤野弘之LIVE[nZk]006』にゲスト出演。 2020年 2月29日:スガシカオ主催『第3回かけすぎジャンボリー』にゲスト出演。 3月20日:『J-WAVE HOLIDAY SPECIAL TOKYO GUITAR JAMBOREE 2020 ~ROPPONGI BASHO』に出演。 3月23日:スペースシャワーTV・ポルノグラフィティOfficial YouTube Channelで、音楽配信番組『DISPATCHERS』放送開始。 9月29日:『SPACE SHOWER SWEET LOVE SHARE supported by au 5G LIVE』の振替ライヴに出演。 11月25日:「歌を抱えて、歩いていく」プロジェクトの始動、並びにプロジェクトの第1弾楽曲「光あれ」のリリースを発表。 2021年 1月3日:『ポルノグラフィティ岡野昭仁のオールナイトニッポン』を約11年ぶりに放送。 1月20日:プロジェクト第1弾楽曲「光あれ」を配信リリース。 4月11日:『岡野昭仁 配信LIVE2021「DISPATCHERS 」』を開催。 4月12日:プロジェクト第2弾楽曲「Shaft of Light」を配信リリース。 7月2日:プロジェクト第3弾楽曲「その先の光へ」を配信リリース。 7月10日・11日:ライブビューイングイベント『Bilibili Macro Link – Star Phase 2021(BML-SP2021)』『Bilibili Macro Link 2021』に出演。 7月25日:『岡野昭仁 配信LIVE2021「DISPATCHERS vol.2」』を開催。 2022年 3月13日:『澤野弘之LIVE[nZk]007』にゲスト出演。 5月9日:プロジェクト第4弾楽曲「MELODY(prod.by BREIMEN)」を配信リリース。
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メジャーデビュー以降
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1994年 5月25日 - GLAYのボーカリストとしてシングル「RAIN」でメジャーデビュー。 1999年 12月6日 - メンバープロデュース・ファンクラブ限定ライブの一環として、TERUプロデュース「THE MEN WHO SOLD THE WORLD」をZepp Tokyoで行う。男性限定のライブであったことから、「男ナイト」と呼ばれ、以後福岡、大阪でも行われることとなる。 2001年 4月 - 坂本龍一を中心とする地雷排除支援活動地雷ZEROに協力し、チャリティーソング「ZERO LANDMINE」に参加。 2002年 4月29日 - PUFFYの大貫亜美と再婚したことを発表。 8月27日 - TERUプロデュース・男性限定ライブ「BOYS ONLY NIGHT」を大阪BIGCATで行う。通算3回目の男ナイトで、チケットはSOLD OUT。このライブ限定のグッズは現代女浮世絵師であるツバキアンナとTERUのコラボレーションであった。 2003年 3月9日 - 大貫亜美との間に女児が誕生(TERUにとっては第3子)。 2004年 HISASHIと共に禁煙を開始。 2005年 7月18日 - 千葉ポートパーク円形広場野外ステージにて、自身がDJを務めるラジオ番組の開始10周年を記念して、イベント『TERU ME NIGHT GLAY 10th ANNIVERSARY SPECIAL 〜Summer of 05〜』を行う。 ほっとけない 世界のまずしさキャンペーンに参加。 12月3日、4日に行われた『White Band FES.(ホワイトバンドフェス)』にGLAYとして参加。 12月21日 - BUCK-TICKの20周年を記念したトリビュート・アルバム『PARADE〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜』に「悪の華」でHISASHIと共にrallyとして参加。 2007年 7月1日から2年間、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに出演。CMテーマは「エイズ」。 9月8日 - 「BUCK-TICK FES 2007 ON PARADE」にrallyとして出演。 10月14日 - レッドシューズのイベントライブWEAR RED SHOES Vol.4にゲストミュージシャンとして参加。 12月3日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2007にTAKUROとともに出演。 12月27日 - JACK IN THE BOX 2007にTAKUROと共にシークレットゲストとして出演。L'Arc〜en〜Cielのhydeとツインボーカルをとり、「誘惑」「HONEY」の二曲を披露した。 2008年 4月16日 - ブログ「365の光り」を開設。タイトルの通り、開設年日から1年かけて更新していた。 11月29日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2008に出演。 2009年 3月11日 - MCUのアルバム『SHU・HA・RI〜STILL LOVE〜』の収録曲「STILL LOVE」に、ボーカルとして参加。 11月28日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2009に出演。 2010年 8月28日 - ドラマー永井利光が発起人として開催された宮崎口蹄疫チャリティイベント「MGプロジェクト『宮崎がんばろう!』チャリティー IN 福岡」のプレミアムイベント「"SONG FOR MIYAZAKI" PREMIUM NIGHT」に、友情出演。 11月7日 - 宮崎口蹄疫チャリティイベント「口蹄疫義援イベント『がんばっど宮崎』水平線の花火と音楽〜SUPER HANABI ILLUSION 1万発〜」に、出演。 2011年 3月16日 - 東日本大震災発生の際に、自身のTwitter上で被災者に向けての新曲を無料公開した。この曲は、後にチャリティソング「Thank you for your love」として発表された。 5月20日・22日 - 布袋寅泰「30th ANNIVERSARY 第二弾 HOTEI THE ANTHOLOGY “威風堂々”TONIGHT I'M YOURS! 〜GUITARHYTHM GREATEST HITS & REQUEST〜」にスペシャル・ゲストとして参加。 10月11日 - MONGOL800主催の野外フェス「What a Wonderful World!! 11」に出演。 11月27日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2011に出演。 2012年 2月 - グリコのCM「みんなに笑顔を届けたい。冬」編に出演。 7月11日 - 江崎グリコとTOKYO FM系「やまだひさしのラジアンリミテッドF」による東日本大震災の被災地支援活動にTAKUROと共に参加し、宮城県本吉郡南三陸町にてシークレットライブを開催した。 11月25日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2012に出演(ゲストとして、TAKUROも出演)。 12月4日 - GLAYのマスコットキャラ「ズラー」のモバイル育成ゲーム「ズラーコレクション」(GLAY MOBILE限定)をプロデュース。 2013年 1月 - グリコの「みんなに笑顔を届けたい CM」の新シリーズに出演。 3月14日 - ライブイベント「みんなに笑顔を届けたいLIVE!2013 supported by Glico」に出演。 10月27日 - VAMPS主催のライブイベント「HALLOWEEN PARTY 2013」に、TAKUROと共に出演。 11月13日 - 台湾のロックバンドMayday(五月天)のベストアルバム「Mayday×五月天 the Best of 1999-2013」のリード曲「Dancin' Dancin' feat. TERU (GLAY)」に、TAKUROと共に参加。 11月24日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2013に出演(ゲストとして、TAKUROも出演)。 2014年 9月12日・22日 - 日本テレビ「ZIP!」あさアニメ「おはようハクション大魔王」にてアニメアフレコ初挑戦の上、本人役で出演。 2019年 3月1日に配信開始されたサマンサタバサ25周年アニバーサリーソング「ONE -we are one-」(Samantha Thavasa Family名義)の作詞・作曲を手掛け、ボーカルとしても参加した。 2020年 5月29日 - 城田優が作詞作曲を手掛けた楽曲「それでも」のボーカルを担当(ギターはHISASHI。)キッカケは城田のInstagramでの生配信を観ていたTERUが、何か一緒にやろうよ」と呼びかけたことから。 12月10日 - マキシマム ザ ホルモン主催の企画「ホルモンの新曲俺ならこう歌う選手権!!」に参加。
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メジャーデビュー以降
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「Raphael (バンド)」の記事における「メジャーデビュー以降」の解説
メジャーデビューシングル『花咲く命ある限り』のプロモーションビデオは、華月の思い描いていたシチュエーションとして地平線が見えるほどの野原や、歴史を感じさせる建物、外国人の女の子といった条件があり、様々なイメージを具現化できる場所としてフランスで撮影。そこで海外のファンと出会ったことに感動したことが雑誌のインタビューで紹介されている[要文献特定詳細情報]。歌詞はメジャーデビュー作ということで、それまでと違った視点から作詞しており、華月は「“主人公=僕ら”じゃなく、僕らの音楽を聴いている人達が主人公で、アナタと書かれているのが僕ら。つまり、僕らの音楽に触れて癒やされていく少女(少年)を、僕らとの恋愛の物語に例えて歌ってるんですね」「メジャーになって、この曲から僕らの音楽を聴く人も多いじゃないですか。より多くの人に伝わりやすくなるためにメッセージ的なものを物語に仕立ててみた。“本当に正しいと思えば貫きなさい”っていうメッセージは変わらず。主人公を自分らに例えて聴いてほしいですね」と話している。カップリング『「・・・」〜或る季節の鎮魂歌〜』は1998年4月に行った恵比寿GUILTYでの初ワンマンライブで曲目が足りず急遽作ったものへ、音源化をきっかけにそれまでの歌詞を基に、光をテーマに作詞し直した。 1999年7月に行った渋谷公会堂でのワンマンライブ『白の集い』では、全身に白い服を纏って来場した人のみ当日限定プレミアムCDを無料配布。 シングル『promise』はバンドの最初期にできた楽曲で、結成後に作った5曲の中に入る。冬にできたため強烈に冬のイメージがあり「どうしても冬に出したかったから『LILAC』に入れなかったというのもある。春にその曲を聴いていて、次の秋くらいに久々にその曲を聴いた時に、その曲を聴いていた春の思い出が蘇るって感覚があるじゃないですか。僕はそれが好きで、それを与えたいから、季節にはこだわった」と華月は話している。カップリング『cadenza』のタイトルは音楽用語で終止符を意味する。 アルバム『mind soap』はタイトルの構想が1年ほど前からあり、心を洗う石鹸ということで『mind soap』にしたいと華月が提案し、バンドのコンセプトである“心の癒し”とかけているとしてメンバー全員が快諾した。YUKITOによれば「今までみたいにコンセプトを決めて10曲、11曲も作るのは無理だろう、と。だったら、いっそのこと音楽のジャンルをバラバラにしちゃえ!っていうのが逆にコンセプトになって、カントリーだのタンゴだのメタルだの何だの、いろいろ入っている。シングル3曲以外は今回、全部書き下ろしています」とのこと。。 シングル『lost graduation』は1998年4月に行った恵比寿GUILTYでの初ワンマンライブの前にできた楽曲で、公演2日前に華月から歌詞を渡され、華月の部屋でどんな思いで書いたのかという話をした。「歌詞中の“1輪の白い花”は、実は自分だけの卒業式(高校を辞めた学期末)に自分のために自分で買ってあげた白い花、カラーだったとか。結構深いところまで話してくれた」とYUKIが話している。 2000年3月に行った日本武道館でのワンマンライブにて入場者全員にCD『雪の人形』を無料配布。武道館でのワンマンライブを前に華月の大ファンだったとある同い年のファンが亡くなり、その事を受けて華月が作曲したもの。「僕ら全員ラジオをやってるじゃないですか。ゆきこちゃんって子だったんですけど、彼女のお友達から電話がかかってきて。ゆきこちゃんはうちのライブも全国どこでもついて来てたし、結構目立つ格好で僕も知ってる子だった。突然の訃報を聞いて事務所に行ったら彼女からの手紙が来てて。でももう返事を書いても届かない。だから僕は手紙を書いて、それを届けるためにお通夜に行ってあげようと思って、僕の衣装とか写真とかも色々持って行ったんです。そしたら棺の上に僕の写真があったりして、本当に色々考えた。死んでまで持っていってもらうくらいに好かれていて、その一方的な愛の形に僕は何も返す事ができなかった。しかもそんな事に、彼女が死んでからしか気付けなかった自分の愚かさなり何なりを。だからとりあえず彼女のために曲を作ろうと、強い使命感に駆られて、どうしても明朝までに仕上げよう、告別式に持って行って身体のあるうちに聴かせてあげよう、と。結局、朝5時半頃にできあがったのかな?そんな信じられない勢いで曲ができたのは、本当に彼女の力だったと思うんですけど」「皆に聴かせることを彼女も望んでいると思うんです」と、告別式に参列した翌日のインタビューで華月は話している。 ミニアルバム『卒業』は、先に発売したシングル『lost graduation』1曲では途中でやめるという事を正当化するような解釈もできてしまうのではないかと心配し、一度始めた事を最後まで続けるのは大切だというメッセージを込めた『Teenage〜卒業〜』を作ったという。ピアノとボーカルのみの『lost graduation (Silent Version)』のレコーディングに関しては「余裕なんて全然なかった。バンドの音で、誰も俺の歌をフォローしてくれる人間はいないわけで...よっぽど今までメンバーの音に助けられてきたんだなと痛感しました」とYUKIは話している。 シングル『Evergreen』は速さがテーマにあり、青春のガムシャラさを出したかったという。「本当にリアルタイムの19歳の自分の歌詞。青春=学生時代みたいな書き方をしているけど、心の中はいつまでも変わらない素敵な大人になることによって、青春っていうものを永遠にする事ができるんだと思うんですよ。難しい事だとは思いますけど、何年後かの自分が今の自分を見てもこの瞬間が青春なんじゃないかなと思います」と華月は話している。カップリング『Gebet〜祈り〜』は、トレインガーメタルチックなキックの音がいいと華月に言われ、バスドラムに500円玉を貼り付けて叩いたとHIROが話している。 シングル『秋風の狂詩曲』はアイリッシュ系とバンドサウンドとの融合がテーマにあったという。「Blackmore's Nightを、今からちょうど1年くらい前に聞いて、それを聞いたのがきっかけで、アイリッシュものにハマった時があったのね。それで『いつかRaphaelでもやりたいなぁ〜』と思ってて、今回、遂に実現したの」「メロディーを聴いただけで“秋”も浮かんだし、これはラブソング以外の何物でもないって思ったからね。後は80年代を意識して書いたの」と華月は話している。カップリング『不滅花』は16歳くらいの時に作った楽曲で、当時書いた詩については「凄く客観的に見れますよね。16で『うたかたの恋』って言葉が、どこから出てきたんだろうってね(笑)。それは『不滅花』に限らず、全ての楽曲に感じる」といい、インディーズ時代からライブでずっと演奏してきた楽曲で、『秋風の狂詩曲』と季節感も似て相性が良いのでカップリングに収録したが、両A面にしたいくらいの楽曲だとも話している。 華月が急逝した1ヶ月後の12月2日に開始したライブツアー『2000-2001 新世紀を駆けぬけろ!』初日から2日後のインタビューでYUKIは次のように話している。「痛々しいかもしれないけど綺麗事じゃなく、ファンの子達に現状を見せてあげたい。そういう言い方をすると意地悪いかもしれない。でも、とりあえず現状をしっかり把握してもらいたいなって。それを皆が皆、受け止めるのは無理かもしれないけど、とりあえず今の俺らを見てくれ、と。一つ、ずっと皆に言いたいと思っている事があって。“忘れないでいる事”と“引きずる事”は違うんだぞって。境界線がどこなのかも分からないし、すごく微妙だし、ニュアンスの違いだと言われるかもしれない。でもね、引きずらないでほしいんだよね」。 ライブツアー『2000-2001 新世紀を駆けぬけろ!』が終了した1ヶ月半後の2001年3月5日、所属事務所&レコード会社の声明文と、メンバーを代表してYUKIからファンへの声明文をマスコミ各社に発表及びオフィシャルサイトに掲載。所属事務所&レコード会社からの発表として「昨年に、本年(2001年)はメンバーそれぞれのレベルアップを行う計画を立てておりました。そして、充分な時間を頂き考えた答えは、その計画を実行することであり、そしてメンバーそれぞれがさらに成長する事により、母体であるラファエルは、より成長すると確信しました。ここでラファエルは少しお休みをもらいます。そしてメンバーはそれぞれの挑戦を行います」として、同月後半のファンクラブイベント終了後にYUKIとHIROはriceを始動、YUKITOはソロプロジェクトの始動準備を始める事を発表。 『eternal wish〜届かぬ君へ〜』を2012年に再度レコーディングして発売する事にした経緯は、結成して最初に作ったオリジナルソングのためどうしても表題曲にしたかったとYUKIが話している。カップリングナンバー3曲については「これまでライブでしかお披露目できていないし、ライブ映像の中に収録されているだけで正式に音源化されていない。前に華月のお母さんが“曲のタイトルはちゃんと覚えているのに、だんだん歌詞も曲もおぼろげになっていってしまう自分が悲しい”と嘆いていた事があって。その言葉がずっと心に残っていたのもあって、こんな機会は次いつあるか分からないし、ちゃんと形に残してあげたいなと思って」としている。収録した4曲はすべて、ライブとプリプロで録音していた華月のテイクを使用している(『拝啓ナーバス』のみライブ音源しかなかったため、当時のプロデューサー平井光一が一部分演奏している)。 2016年11月に行ったZepp Tokyoでのラストライブの最後は「夢より素敵な」のミュージックビデオ(2016年Version)に19年間の来歴をエンドロールに乗せてステージスクリーンに映し、多くの観客が熱唱した。
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メジャーデビュー以降
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「ポルノグラフィティ」の記事における「メジャーデビュー以降」の解説
タイアップについてはタイアップ、細かなライヴスケジュールについては単独ライヴを参照 太字はディスコグラフィ、単独ライヴを示す。
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メジャーデビュー以降
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1994年5月、GLAYのベーシストとしてシングル「RAIN」でメジャーデビュー。デビュー時のJIROはバンド内で唯一短髪で髪も逆立てない普通の格好をしていたが、90年代後半は奇抜なヘアメイクと派手な衣装を着るようになる。特に1998年辺りの「アロエヘア」(当時出されたアルバム『pure soul』と掛けて“pure soulヘア”とも呼ばれる)はとても特徴的なものとなった。1999年2月、音楽雑誌『WHAT's IN?』で連載していたものをまとめた、初の単行本『キャラメルブックス』を発売。2000年のGLAY ARENA TOUR 2000 “HEAVY GAUGE”の頃、精神的に参っていた時期があった。ライブ中もずっと下を向くなどの行為が目立ち、ファンからも心配の声が上がった。TAKUROも「解散してもいいからJIROを休ませてあげたい」と発言するほどであったが、その時期を乗り越え現在に至る。その時期を支えてくれた、JIROが毎月連載していた音楽雑誌『WHAT's IN?』の編集者と同年12月に結婚。翌2001年7月には『キャラメルブックス』の続編、『キャラメルパビリオン』を発売した。 2004年the pillowsのトリビュート・アルバム『シンクロナイズド・ロッカーズ』に参加。 2005年the pillowsの山中さわおとストレイテナーのナカヤマシンペイと共にTHE PREDATORSを結成。 7月6日 - インディーズレーベルよりミニアルバム『Hunting!!!!』を発売。 7月19日 - 横浜BLITZでのフリーライブを皮切りに、『FM802 MEET THE WORLD BEAT 2005やRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in Ezo』に出演した。
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メジャー・デビュー(2017年)以降
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「山﨑彩音」の記事における「メジャー・デビュー(2017年)以降」の解説
2017年FORLIFE SONGSより、弾き語りとドラムのみの編成を中心としたEP『キキ』を発表。同年ごろより弾き語りからバンド形式へとライブの編成を移行。2018年メジャー・デビュー・アルバム『METROPOLIS』を発表。 2019年、イギリスの AWAL(英語版)のオーディションに日本人女性として初めて合格し、セカンド・アルバム『LIFE』で全世界配信デビューを果たす。同作より丸山桂をサウンド・プロデュースに迎えている。ドイツのインディー・チャートで2位となるなど、世界各国のインディー・シーンでも話題となったほか、収録曲の「指で数えて」が寺本勇也監督のLGBTを主題とした映画『青空になる』(2020年)の主題歌として採用された。また、従来の山﨑彩音表記に加え、Ayane Yamazaki表記も併記するようになった。 2020年にAWALより配信リリースしたサード・アルバム『呼びかけられて』は、山﨑によるとアルバム全体の流れを意識した作品であり、また前作までのギターからエレクトリック・ピアノとシンセサイザーへと演奏する楽器を変更しており、シティ・ポップ的であると評された。同年ごろよりライブ活動を休止しスタジオでのレコーディングに集中し、2021年には、6曲中3曲がインストゥルメンタルで、プログラミングを中心に用いエレクトロ・ポップ色の強まったアルバム『Ribbon』をFRIENDSHIP.より発表した。
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