横浜BLITZ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 05:13 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動横浜BLITZ |
|
---|---|
![]()
(2013年撮影)
|
|
情報 | |
正式名称 | 横浜BLITZ |
開館 | 2004年11月14日 |
開館公演 | 横浜BLITZ Opening Special Live TBS Presents One day PaniCrew |
閉館 | 2013年10月14日 |
最終公演 | クレイジーケンバンド 「"ありがとう yokohama BLITZ" CRAZY KEN BAND SHOW」 |
収容人員 | 1,700人 |
用途 | コンサート |
運営 | TBSテレビ |
所在地 | 横浜市西区みなとみらい5-1-3 |
位置 | 北緯35度27分39.8秒 東経139度37分36.8秒 / 北緯35.461056度 東経139.626889度座標: 北緯35度27分39.8秒 東経139度37分36.8秒 / 北緯35.461056度 東経139.626889度 |
アクセス | 横浜高速鉄道みなとみらい線新高島駅下車(3番出口)すぐ 横浜駅東口より徒歩約7分 |
外部リンク | BLITZ |
横浜BLITZ(よこはまブリッツ)は、神奈川県横浜市西区みなとみらい五丁目のGENTO YOKOHAMA内でかつて運営されていた、主に音楽ライブを開催するTBSテレビ運営のライブハウスである。2013年10月14日をもって閉鎖となった[1]。
概要
東京放送(現:TBSホールディングス)は、東京都港区赤坂の自社保有地内にて赤坂BLITZを運営していたが、赤坂サカス再開発事業により2003年に閉鎖となったため、再開発工事期間中の代替施設として開業したのが本施設である。
2004年11月14日にオープン。杮落しは、PaniCrewのライブである(ちなみに、オープン直前の11月7日に木村カエラCD発売イベントが行われた)。赤坂BLITZ時代に続いて、アサヒビールがサポートを行っている。
赤坂BLITZは2008年3月14日にリニューアル・オープンとなったが横浜BLITZも引き続き営業、2009年4月からは東京放送が放送持株会社制に移行する事に伴い、運営が同社が分割した文化事業を引き継いだTBSテレビに移管した。
入居している建物のGENTO YOKOHAMA(横浜みなとみらい21中央地区53街区)は原則10年間の暫定施設であり借用期限は2014年11月となっていたが[2]、当会場はこれより約1年前の2013年10月14日をもって閉鎖することとなり(賃貸契約満了)、ラストはクレイジーケンバンドのライブ「"ありがとう yokohama BLITZ" CRAZY KEN BAND SHOW」で約9年の歴史に幕を閉じた[3]。
なお、GENTO YOKOHAMA自体も、2015年1月25日に結婚式場の「ベイサイド迎賓館・ベイサイドガーデンクラブ」を除き営業を終了した。
施設
- 収容人員は1Fをオールスタンディングで使用した場合、最大1,700人である。
- 1Fはスタンディングで1,400人、着席で548人、2Fは着席で300人収容である。
- 日本のライブハウスで初めてサラウンド音響システムを導入した。
- 最寄り駅は、横浜高速鉄道みなとみらい線の新高島駅。
脚注
- ^ “BLITZ”. 2013年7月3日閲覧。
- ^ 横浜・みなとみらい21中央地区の土地利用で、暫定利用の「10年ルール」を一部見直し(神奈川新聞〈カナロコ〉 2010年4月11日)
- ^ 9年の歴史に幕を閉じた、横浜BLITZ最終日の様子をレポート!(はまれぽ.com 2013年10月17日)
関連項目
横浜BLITZ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 19:47 UTC 版)
「『アップアップガールズ(仮) 3rd LIVE 横浜BLITZ大決戦(仮)』」の記事における「横浜BLITZ」の解説
ハロー!プロジェクトの研修生『ハロプロエッグ』出身であるアップアップガールズ(仮)(以下、アプガ)のメンバーにとって、横浜BLITZ大決戦の会場である横浜BLITZは「特別な意味を持つ場所」である。2007年8月26日に行われた『2007 ハロープロジェクト 新人公演8月 〜横浜で会いましょう〜』の会場が横浜BLITZで、以降、2008年3月・11月、2009年4月(アプガのメンバーの佐藤綾乃のお披露目公演)・9月・11月、2010年3月・6月・9月・11月に新人公演が横浜BLITZで開催されている。 出典はハロプロ研修生の作品・出演一覧#新人公演を参照 中でも、約2年半前である2010年11月28日に同所で行われた『2010 ハロー!プロジェクト新人公演11月 〜横浜JUMP!〜』(以下、最後の新人公演)は、ハロプロエッグとして最後の公演である。同公演では、観客によって客席が白サイリウムで覆われるサプライズがあった。アプガのメンバーは、それ以来横浜BLITZに来ていない。ところで、アプガのメンバーの古川小夏は、ハロプロエッグ時代中野サンプラザや横浜アリーナでの公演を経験していたため、横浜BLITZについて以下のように語っている。 横浜BLITZなんて「ちっちゃいな〜」って。今考えるとバカですよね(笑)。 — 古川小夏、 その後ハロプロエッグの研修課程を修了し、アップフロントガールズ(仮)が結成され、キャパシティ約300人のTFMホールでイベントが開催された時、客席を埋めることが出来ず、現実を知ることとなった。 また、2012年9月に行われた初の単独ライブ『アップアップガールズ(仮)1st LIVE 代官山決戦(仮)』(以下、代官山決戦)では、佐藤は横浜BLITZでアプガのライブを行うという目標を立てていた。その後、横浜BLITZ大決戦のMCでは「こんなに早く実現するとは思ってなかった」と述べた。
※この「横浜BLITZ」の解説は、「『アップアップガールズ(仮) 3rd LIVE 横浜BLITZ大決戦(仮)』」の解説の一部です。
「横浜BLITZ」を含む「『アップアップガールズ(仮) 3rd LIVE 横浜BLITZ大決戦(仮)』」の記事については、「『アップアップガールズ(仮) 3rd LIVE 横浜BLITZ大決戦(仮)』」の概要を参照ください。
- 横浜BLITZのページへのリンク