24時間テレビ 「愛は地球を救う」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 02:51 UTC 版)
現在行われているコーナー
本番直前スペシャル
日本テレビと一部の系列局で放送当日の夕方に60分 - 90分の枠で放送され、本編の内容予告や総合司会・パーソナリティーへのインタビュー、チャリティーランナーの現状報告、チャレンジ企画先との中継などが行われる。
第2回(1979年)に『始まるまで待てない!24時間テレビ超特大予告編!!』のタイトルで開始[28]。第16回(1993年) - 第28回(2005年)は『TVおじゃマンボウ』、第29回(2006年) - 第31回(2008年)は『ラジかるッ』の特別版として中山秀征をMCに日本テレビのスタジオから生放送された。
第32回(2009年)以降はベースとする番組は無く、メイン会場から独自の内容で放送されている。第33回(2010年)から第42回(2019年)はビビる大木がMCを担当した。第43回(2020年)からは中岡創一(ロッチ)がMCを担当している。
系列局の中には、独自にローカル枠の事前番組を放送する局もある。また、日本テレビのみ『news every.サタデー』の中でも再度パーソナリティと中継が入るほか、通常編成では24時間テレビの開始時間である18:30に放送している『満天☆青空レストラン』は18:00から放送し、番組内ではゲストとしてメインパーソナリティのいずれかが登場、エンディングは生放送となり、メインパーソナリティと番組MCの宮川大輔が出演している。
オープニング
各回のメインテーマに基づくメッセージ性のあるVTRやメインパーソナリティーによる生ライブから番組はスタートし、オープニングジングルと同時に番組タイトルとメインテーマが表示される。
その後、メインパーソナリティーが挨拶し、チャリティーパーソナリティー・番組パーソナリティー・総合司会・サポーターが紹介される[注 45]。続いて、スタート直前のチャリティーマラソンなど各企画先との中継やこの後の番組内容の予告、募金方法の説明、応援ツイートの募集、基幹局やチャリティーイベント会場とのリレー中継などが行われる。
第14回(1991年)までは、このコーナーの枠を『グランド・プロローグショー』と銘打っていた。
ローカル編成枠
ミニローカル枠
2分間 - 3分間のミニローカル枠が番組内で15回程度(オープニング直後から「チャリティー笑点」の前まで)設けられている。総合司会やパーソナリティーが「続いてはこちらです」または「こちらをどうぞ」とコメントした後、日本テレビ以外の各局では独自の内容(各局のメイン募金会場[注 46]からの中継が多い)に切り替わる。
この間、日本テレビでは、この後の放送内容の予告や「日本列島ダーツの旅的全国1億人インタビュー」などのミニコーナー、募金方法・募金受付店舗・チャリティーグッズや協賛企業(後述)の募金活動紹介のためのコント仕立てのVTRなどを放送する。ローカル各局では、各地域の募金・イベントに関する呼びかけや長時間ローカル枠の予告、募金受付会場・福祉車両・チャリティーイベントの様子などを紹介する。局によっては募金方法・募金受付店舗の部分のみテロップを差し替え、日本テレビと同じ映像を放送する局、ミニローカル枠を早めに終わらせ、コント仕立てのVTR部分のみネットする局もある。
それが終わると東京のメイン会場に画面が切り替わり、総合司会やパーソナリティーにより「皆様のご協力、お待ちしております」という挨拶が行われる[注 47]。
第14回(1991年)まではミニローカル枠を「チャリティーのお知らせ」と称しており、各コーナー終了時などに放送されていた。開始時に日本テレビで静止画[注 48]によるアイキャッチが表示されてから各局に切り替えていた[注 49]。終了時はその逆で、日本テレビに切り替えて終了のアイキャッチを表示していた。日本テレビでは、武道館のMC席からその年の新人アナウンサーが募金方法を読み上げていた[注 50]。
長時間ローカル枠
日曜日には、各局が独自の企画を放送する長時間のローカル枠が設けられている。朝は8:44頃 - 9:44頃(放送回によって多少前後する)、昼は『NNNストレイトニュース』後の11:24 - 12:24、夕方は『NNNニュース』(『真相報道 バンキシャ!』の代替)後の16:59 - 17:23に編成される。
長時間ローカル枠を独自に放送するかどうかは各局の任意となっている。朝のローカル枠を差し替えて放送する局は少なく、日本テレビからの内容をそのまま放送する局が多い。昼・夕方のローカル枠はほとんどの局が独自に放送する。
これ以外の時間帯でも独自に差し替えて放送する局[注 51]もあれば、反対にこれらの時間帯も差し替えを実施せず、日本テレビからの内容をそのまま放送する局もある。
長時間ローカル枠の時間帯に日本テレビで放送された内容を、本放送の当日深夜以降に遅れ放送する局もある(放送時間の関係で再編集・再構成することがある)。
マラソン企画(チャリティーマラソン・募金ラン)
第15回(1992年)の番組リニューアル以降、毎年実施されている恒例企画。初代ランナーは間寛平。
土曜日の19時頃にスタートし、番組終了までにゴールとなるメイン会場を目指す。走行距離はランナーの年齢や体力などを考慮して決定されるが、100km前後であることが多い。夏の厳しい暑さという過酷な条件下で行われるため、万一の事態に備えて伴走者や休憩所の設営などサポート体制には万全を期している。実況・リポート担当として男女1名ずつアナウンサーが担当する(初期はアナウンサー1名で両方を担っていた)。坂本雄次が基礎体力作りや練習から本番までサポートする[注 52]。
初めて実施された第15回(1992年)は事前に出発地や武道館までの経路を公開したため、一目見ようと道路に人が殺到してしまい、さらには寛平の後方から車や自転車で追尾する心ない視聴者まで現れたため、近隣への迷惑や交通の妨げになるとして途中棄権となった。翌年以降は出発地やマラソン経路地は原則非公開となっているものの、後述の有志による追跡班によりスタート地点や経路地の割り出しが行われている。
第28回(2005年)からは、ラジオ日本でマラソンの中継リポートを随時放送している。第29回(2006年)以降は、日テレオンデマンドで独自映像を1時間に1回程度配信している。
番組中に寄せられたチャリティーランナー(パーソナリティーへのものも含まれる)に対しての激励のメッセージはセットに貼り出されるほか、ゴールする際に走者が降りてくるタラップ式の階段(ゴールの際に武道館西側、MC席横に特設される)[注 53]やゴールテープの代わりとして使われる。
放送時間内にゴールできなかった場合は途中棄権扱いとせず(制限時間はもともと設定されていない)、放送時間を延長したり、放送終了後に特別番組を編成するなどして対応してきた。第28回(2005年)以降は一部の年[注 54]を除き、直後に『行列のできる法律相談所』の生放送スペシャルが編成されており、ゴールが遅れた場合はその番組内で引き続きマラソンの様子を生中継して対応している。『行列』は日本武道館の剣道場[注 55]からの生放送となっており、ゴール直後のランナーが生出演するのが恒例となっている[注 56][注 57]。
放送の翌日(月曜日)には、チャリティーランナーの決定からトレーニングの様子、当日の舞台裏まで密着したドキュメンタリー番組が放送される。以前は『スーパーテレビ情報最前線』(2004年まで)→『アンテナ22』(2006年)→『夏ドキュ!』(2007年)内で扱っていたが、2005年及び2008年以降は特別番組『24時間マラソンの舞台裏』として月曜日の21時台または22時台に生放送されている[注 58][注 59]。また、本番当日のダイジェストは月曜日の報道番組・情報番組の中でも放送される。
チャリティーランナーの決定に関しては、萩本欽一のように前年中に決まっていることもあれば、ブルゾンや水卜のように本番当日まで伏せられることもあるため、本番へ向けてのトレーニング期間も大きく異なる。また複数名選出の場合もあり、この場合は同時走行のケースもあればリレー駅伝方式もある。
チャリティーランナーの発表に関しては、その年のメインスタッフが担当している番組またはメインパーソナリティーやチャリティーランナーがレギュラー出演して番組内で行われることが多く、生放送で発表される場合もある。
第43回(2020年)は新型コロナウイルスの影響で、チャリティーマラソンが企画開始以来初の中止となった。代替企画として、高橋尚子が発起人となり、公道ではなく日産自動車のテストコース「GRANDRIVE(グランドライブ)」を用いている)を1周5km走るたびに10万円を募金する『24時間募金ラン』を実施(感染対策のため、深夜帯は実施せず)することが、8月16日放送の『行列のできる法律相談所』緊急生放送スペシャルで発表された[29]。高橋のほか、企画に賛同した著名人5名[注 60][30]が参加した(賛同者は土屋太鳳[注 61][31]、吉田沙保里[32]、陣内貴美子[33]、松本薫、野口みずき)。
出来事
- 第18回(1995年)は、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で宝塚市の自宅を失った間寛平が被災地の復興を願うため、神戸市内から日本武道館までの約600kmを1週間かけて走破した。本人曰く「被災者のみんなに勇気を与えたかった」とのこと。昼間は体力を奪われるため、放送日前日までは基本的に夜間のみ走っていた。
- 第19回(1996年)は、たすきリレーマラソンの片方のルートの到着が遅れてしまい、赤井英和のスタートが予定より大きく遅れた影響でゴールも遅れたため、放送時間を急遽15分延長した[注 62]。
- 第25回(2002年)は、西村知美が2日目18時の時点で残り30kmだったのに対し、テロップの表示ミスにより1時間後には残り10kmとなっていたことから「車でワープしたのではないか」という疑惑が発生した。それ以来、本当に規定の距離を走ったのか証明するために、有志により追跡班が結成されている[34][35][36]。
- 第26回(2003年)は、山田花子が日本武道館まで残り4kmのところで放送が終了した。そのため、22時から10分間の特別番組を編成し、ゴールの模様を生中継した。その際、日本武道館の使用時間期限を過ぎていたため、玄関前でのゴールとなった。『おしゃれカンケイ』以降の番組は10分ずつ繰り下げた。以降、チャリティーランナーのゴールが遅れた場合は後番組の『行列のできる法律相談所』の内容を変更して生中継するようになった。
- 第27回(2004年)は、杉田かおるのゴールの影響で以降の番組を10分繰り下げた。クロスネット局のテレビ宮崎は深夜にアテネオリンピック中継・陸上決勝と女子レスリングのハイライト(テレビ朝日発)を控えたため、『NNNきょうの出来事』を短縮した。
- 第28回(2005年)は、丸山和也が『行列のできる法律相談所』に出演していた関係で、当日の『行列』は初めて日本武道館の道場から生放送を行った。レギュラー出演者に加え、ゴール直後の丸山も生出演した。この回の『行列』は関東地区で30.8%の視聴率を記録した(2005年に放送された全バラエティ番組の中でトップの記録)。
- 第30回(2007年)は、萩本欽一が日本武道館まで残り700mのところで放送が終了した。それによりゴールが遅れたため、直後の『行列のできる法律相談所』は内容変更の上、ゴールの様子を日本武道館から引き続き生放送した。この回の『行列』は関東地区で35.3%の視聴率を記録した(平成以降に放送された全バラエティ番組の中でトップの記録)。
- 第32回(2009年)は、イモトアヤコが残り1kmのところで放送が終了した。この年は同日8月30日に執行された第45回衆議院議員総選挙の投開票日に従って『ZERO×選挙2009』が21時から放送されていた関係上、ゴールの模様は生中継されずに選挙特番中の22時前に録画で約3分間放送された。この措置について賛否両論があったが[37]、日本テレビは「『24時間テレビ』と『選挙特番』という大型の2つの生放送が連続する、過去に例のない番組編成の中、なるべく早くイモトさんのゴールを伝えることを念頭に置きつつ、まずは、日本中が注目していた選挙を迅速かつ正確に伝えることを優先致しました。(中略)今回の経験をもとに、今後も引き続き視聴者の皆さまのニーズにお応えする放送を行うように心掛けます」とのコメントを発表している[38]。
- 第36回(2013年)は、大島美幸が日本武道館まで残り2kmのところで放送が終了した。そのため、直後の『行列のできる法律相談所』は内容変更の上、ゴールの様子を日本武道館から引き続き生放送した。この回の『行列』は関東地区で27.5%の視聴率を記録した。
- 第42回(2019年)は、「24時間駅伝」最終走者のいとうあさこが残りわずかのところで放送が終了した。放送終了から『行列のできる法律相談所』が始まるまでの間の20時58分頃[注 63]にゴールしたため、直後の『行列』は内容変更の上、ゴール後の会場の様子を生中継しゴールの様子をVTRで放送した。ゴール直前には内村光良が僅かな時間いとうと伴走したものの、それも本編では生放送されず『行列』の中で放送となった。この回の『行列』は関東地区で26.3%の視聴率を記録した。
歴代走者の年齢と走行距離
芸名および当時の年齢に関しては、出演当時に使用・公表していたものを記載している。
放送回(放送年) | 走者 | 当時の年齢 | 走行距離 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第15回(1992年) | 間寛平[注 64] | 43歳 | 153km | 苗場プリンスホテル(新潟県)からスタート。 200kmの予定だったが、前述のトラブルにより途中リタイア[39]。 |
第16回(1993年) | 44歳 | 200km | ||
第17回(1994年) | 肥後克広 上島竜兵 寺門ジモン |
31歳 33歳 31歳 |
100km | ダチョウ倶楽部が3人同時に走行。 |
第18回(1995年) | 間寛平 | 46歳 | 600km | 神戸市から日本武道館まで1週間かけて走った。 |
第19回(1996年) | 赤井英和 | 37歳 | 100km | 「つなげよう!愛のたすきリレー 日本列島縦断3600km」 一般参加者600人とのリレーマラソン。 一般による北ルートと南ルートが合流後、アンカーとして赤井が走行。 |
第20回(1997年) | 山口達也 | 25歳 | ||
第21回(1998年) | 森田剛 | 19歳 | ||
第22回(1999年) | にしきのあきら | 50歳 | 110km | |
第23回(2000年) | トミーズ雅 | 40歳 | 150km | |
第24回(2001年) | 研ナオコ | 48歳 | 85km | |
第25回(2002年) | 西村知美 | 31歳 | 100km | |
第26回(2003年) | 山田花子 | 28歳 | 110km | |
第27回(2004年) | 杉田かおる | 39歳 | 100km | |
第28回(2005年) | 丸山和也 | 59歳 | ||
第29回(2006年) | 山根良顕 田中卓志 |
30歳 | アンガールズが2人同時に走行。 | |
第30回(2007年) | 萩本欽一 | 66歳 | 70km | |
第31回(2008年) | エド・はるみ | (44歳) | 113km | 当時生年月日は非公開だったが、 2011年末に公開された。 |
第32回(2009年) | イモトアヤコ | 23歳 | 126.585km | |
第33回(2010年) | はるな愛 | 38歳 | 85km | |
第34回(2011年) | 徳光和夫 | 70歳 | 63.2km | |
第35回(2012年) | 佐々木健介 佐々木健之介 佐々木誠之介 北斗晶 |
46歳 13歳 9歳 45歳 |
61.6km 6km 4km 47.9km |
一家4人による120kmのリレーマラソン。 最初の500mは、全員で走行。 走行順は上からの記載。 |
第36回(2013年) | 大島美幸 | 33歳 | 88km | |
第37回(2014年) | 城島茂 | 43歳 | 101km | |
第38回(2015年) | DAIGO | 37歳 | 100km | 「47都道府県 想いをつなぐたすきリレー」 北ルートと南ルートが合流後、アンカーとしてDAIGOが走行したリレーマラソン。 |
第39回(2016年) | 林家たい平 | 51歳 | 100.5km | 桂歌丸の本名(椎名巌)にちなんだ距離になった(いわおGO)。 |
第40回(2017年) | ブルゾンちえみ | 27歳 | 90km | 走者は放送当日に発表[注 65]。 |
第41回(2018年) | みやぞん | 33歳 | 161.95km | 初のトライアスロン形式。 水泳1.55km→自転車60.4km→マラソン100km。 本編開始前の土曜日午後からスタート[注 66]。 |
第42回(2019年) | 近藤春菜 よしこ 水卜麻美 いとうあさこ |
36歳 28歳 32歳 49歳 |
32.195km 32.195km 42.195km 42.195km |
合計148.78kmで4人による駅伝形式。 水卜のみ放送当日に発表[注 67]。 走行順は上からの記載。 |
第43回(2020年) | 高橋尚子 | 48歳 | 116km | 1周(5km)につき10万円の募金をする。 高橋以外は5人で110km走ることを目標としていたが、 時間に余裕をもって突破したことにより目標距離が115km→120kmへと変更された。 高橋以外は日曜夕方に完走。 高橋もほぼ同じくして100kmを突破したが、 番組終了直前の20時50分まで続行した。 最終的な走行距離は5人で合計236kmだったため、募金総額は470万円となった。 |
土屋太鳳 吉田沙保里 陣内貴美子 松本薫 野口みずき |
25歳 37歳 56歳 32歳 42歳 |
30km 25km 10km 15km 40km |
メイン会場入口からの中継
リポーターの呼びかけを合図に番組内で随時中継で放送されている。
日本武道館北入口[注 68]に待機するその時の人気芸人や若手アナウンサーが日本武道館を訪れるゲストを紹介し、ステージに案内する。
第43回(2020年)は新型コロナウイルス感染症対策のため実施されなかった。
モザイクアート制作
第29回(2006年)から実施している。
視聴者や出演者から提供された写真を集めて張り合わせ、チャリティーランナーや番組テーマに基づく巨大なモザイクアート作品をメイン会場内で制作する。制作段階が番組内で随時報告され、グランドフィナーレで完成作品が披露される。
第43回(2020年)は新型コロナウイルス感染症対策のため実施されなかった。
日本列島ダーツの旅的全国1億人インタビュー
第26回(2003年)から番組内で随時放送されている。
『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』の人気コーナー「日本列島ダーツの旅」の特別版。全国各地に総合司会・パーソナリティー・サポーターが向かい、出会った人々にその年のメインテーマに基づいたインタビューを行う。
第43回(2020年)は新型コロナウイルス感染症対策のため、新規のインタビューは行わなかった。代わって、過去に放送されたインタビューの中からセレクションした内容での放送となり、一部のインタビューに対しては2020年現在の様子を紹介する新規VTRを制作した。
ドキュメンタリー
チャイムの音を合図に番組内で随時放送されている。
有名人やハンディキャップを持つ人、闘病者、被災者、故人などにスポットライトを当て、その年のメインテーマに基づく感動の実話を紹介する。
VTR終了後には本人とその家族がステージに招かれ、総合司会やパーソナリティが話を聞いたり、歌手が登場して歌を披露することもある。
チャレンジ企画
番組内で随時中継で放送されている。
障害者や被災者がタレントと共に水泳・遠泳、トライアスロン、登山など様々な企画に挑戦する。かつては富士山登頂を目指す企画が度々行われていた。場所やチャレンジ距離など状況に応じて直前番組や『ズームイン!!サタデー』・『メレンゲの気持ち』内でスタートする場合もある。
天候や体調の影響で、やむなくリタイアとなるケースもある。
ドラマスペシャル
第3回(1980年)より開始され[注 69]、土曜日の21時20分頃から23時20分頃まで約2時間放送されている。
多くの作品が闘病記などノンフィクションを基にしている[注 70]。第40回(2017年)・第41回(2018年)は昭和期に大活躍した偉人の半生を描いたドラマが放送されたが、第42回(2019年)は再び闘病記ものに回帰した。第43回(2020年)はドラマと他番組映像、関係者へのインタビューパートを織り交ぜたセミドキュメンタリー形式で放送された。2000年代以降はメインパーソナリティーを務めるグループのメンバーを主演に据えている場合が多い。
番組内では、このコーナーのみ文字多重放送と解説放送が行われている(アイパートナーは石丸博也が担当)[注 71]。
ドラマ放送中に挿入されるCMの前後に数回、チャリティーランナーの現在の様子が報告される。
日曜日の午前中には、主役が演じた実際の人物やその家族・仲間をメイン会場に迎え、原作・原案となった実話を「24時間テレビドラマスペシャル 真実の物語」と題してドキュメンタリーの形で放送する。
ドラマスペシャルを同時ネットしないテレビ宮崎と沖縄テレビでは、後日に遅れネットで放送される(ネット回線から録画しているためか提供クレジットの上からドラマのタイトル名を被せている)。
2009年10月28日には、第29回(2006年)の『ユウキ』から第32回(2009年)の『にぃにのことを忘れないで』まで4年分のドラマがDVD化されて発売された。第33回(2010年)以降の作品も順次DVD化され、売り上げの一部はチャリティー募金として寄付されている。
通常はドラマ終了後にCMを挟まず深夜企画のスタジオに画面が切り替わり、出演したパーソナリティによる総括があるが、第40回(2017年)と第43回(2020年)は一旦メイン会場に画面が戻り、その回のドラマの主役となった人物に関係する芸能人が歌を披露している(前者は日本武道館の使用時間期限の絡みで事前収録)。
放送回(放送年) | タイトル | 主演 | 脚本 | 原作 | 視聴率 |
---|---|---|---|---|---|
第3回(1980年) | 機の音 | 森繁久彌・北林谷栄 | 倉本聰 | - | - |
第4回(1981年) | いのち・ひとつ | 大原麗子 | - | 新藤兼人 | |
第5回(1982年) | スリーマンにアタック! | 若尾文子 | 武田和子 | ||
第6回(1983年) | 黒い雨・姪の結婚 | 森繁久彌 | 高橋玄洋 | 井伏鱒二 | |
第7回(1984年) | さよならは涙を拭いてから | 古手川祐子 | 寺内小春 | - | |
第8回(1985年) | いつかある日 | 大坂志郎 | 橋田壽賀子 | ||
第9回(1986年) | 縁談・結婚・そのさきX | 沢口靖子 | 小山内美江子 | ||
第10回(1987年) | 車椅子の花嫁[注 72] | 国生さゆり | 重森孝子 | 鈴木ひとみ | |
長らえしとき | 松坂慶子 | 佐々木守 | 早瀬圭一 | ||
第11回(1988年) | 二十歳・もっと生きたい | 沢口靖子 | 井沢満・水島総 | 福嶋あき江 | |
第12回(1989年) | 叫んでも……聞こえない! | 斉藤由貴 | 佐々木守 | 小野卓司 | |
第13回(1990年) | いつか見た青い空! 盲導犬ハッピー号の大冒険 | 南野陽子・和久井映見 | 今野勉 | - | |
第14回(1991年) | 夜が明けるまでに 恵子の選択 | 岸本加世子 | 菊池有起 | ||
第20回(1997年) | 勇気ということ | 堂本光一 | 松原敏春 | 26.3 % | |
第21回(1998年) | 心の扉 | 滝沢秀明 | 石塚喜之 | 18.6% | |
第24回(2001年) | 最後の夏休み | 安倍なつみ | 水橋文美江 | 24.7% | |
第25回(2002年) | 父さんの夏祭り | 石川梨華・渡辺謙 | 森脇佐和子 | 19.9% | |
第26回(2003年) | ふたり 私たちが選んだ道 | 長瀬智也 | 鎌形睦美 | 23.3% | |
第27回(2004年) | 父の海、僕の空 | 滝沢秀明 | 寺田敏雄 | - | 14.0% |
第28回(2005年) | 小さな運転士 最後の夢 | 阿部寛 | 26.6% | ||
第29回(2006年) | ユウキ | 亀梨和也 | 水橋文美江・山岡真介 | 岸川悦子 | 22.7% |
第30回(2007年) | 君がくれた夏 〜がんばれば、幸せになれるよ〜 | 滝沢秀明 | 吉田智子 | 山崎敏子 | 23.3% |
第31回(2008年) | みゅうの足パパにあげる | 松本潤 | 山岡真介 | 山口隼人 | 25.6% |
第32回(2009年) | にぃにのことを忘れないで | 錦戸亮 | 遊川和彦 | 川上ますみ | 20.5% |
第33回(2010年) | みぽりんのえくぼ | 広末涼子・長瀬智也 | 吉本昌弘 | 岡田典子 | 19.9% |
第34回(2011年) | 生きてるだけでなんくるないさ | 村上信五 | 篠崎絵里子 | 玉元栄作 | 22.2% |
第35回(2012年) | 車イスで僕は空を飛ぶ | 二宮和也 | 寺田敏雄 | 長谷川泰三 | 23.8% |
第36回(2013年) | 今日の日はさようなら | 大野智 | 橋部敦子 | 幸和也 | 23.4% |
第37回(2014年) | はなちゃんのみそ汁 | 大倉忠義 | 西田征史 | 安武信吾・千恵・はな | 22.3% |
第38回(2015年) | 母さん、俺は大丈夫 | 山田涼介 | 水橋文美江 | 清水久美子 | 20.2% |
第39回(2016年) | 盲目のヨシノリ先生〜光を失って心が見えた〜 | 加藤シゲアキ | 新井淑則 | 20.5% | |
第40回(2017年) | 時代をつくった男 阿久悠物語 | 亀梨和也 | 松田裕子 | - | 25.6% |
第41回(2018年) | ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語 | 中島健人 | 福原充則 | 16.2% | |
第42回(2019年) | 絆のペダル | 相葉雅紀 | 松田裕子 | 18.0% | |
第43回(2020年) | 誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ- | 重岡大毅 | 22.6% |
深夜企画
日本武道館が使用できない深夜の時間帯にあたるPART2・PART3(土曜日の23時20分頃[注 73]から翌朝まで[注 74])には、番町C1・C3スタジオ[注 75]からバラエティー色の強い企画が放送される。
進行役はこれまでダウンタウン、ナインティナイン、三宅裕司、中山秀征、久本雅美、オセロ、ロンドンブーツ1号2号、爆笑問題、中川翔子、くりぃむしちゅー、スザンヌ、ネプチューン、チュートリアル、嵐、有吉弘行、二宮和也、有田哲平、指原莉乃、増田貴久、徳光和夫が歴任している。
- 歴史
当初は音楽ライブを中心とした構成が多く、第2回(1979年)と第3回(1980年)は東京・浅草にあった国際劇場で夜通しの音楽ライブが行われた[40]。
第4回(1981年)は、当時放送されていた『今夜は最高!』のスピンオフとして「タモリの素晴らしき今夜は最低の仲間達」を放送。赤塚不二夫とタモリによる「SM鞭打ち合戦」や出演者がミゼットレスラーに扮したプロレス等の過激な企画が行われた。
第15回(1992年)以降はチャリティー色を薄めたバラエティー企画が中心となっている。過激な内容が放送されることも多く、第15回(1992年)には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の企画「チキチキ大喜利大合戦」のスピンオフ「ミッドナイト大喜利歌合戦」で、ダウンタウンがヘルメットを被った吉田ヒロの頭にチェーンソーの刃を当てたことがある。第17回(1994年)には『ウンナン世界征服宣言』のスピンオフ企画「ウッチャンナンチャンの人間をもう一度信じて見たいスペシャル!」では『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の企画「人間水車クイズ」が行われた。
第19回(1996年)は「ナイナイのニュース決定戦」と「スポーツ超人選手権」の2つのコーナーを並行して放送した。
第27回(2004年)までは2部制で放送されることが多く、主に前半は出演者がテーマに沿った歌を歌う企画(『THE夜もヒッパレ』の生放送版やその発展版である『HOT HIT 100』シリーズ)、後半はバラエティー企画が放送されていた。
第28回(2005年)は「懐かしの名番組 夜の同窓会」と題し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『マジカル頭脳パワー!!』、『電波少年』、『スーパーJOCKEY』、『お笑いスター誕生!!』など、かつて同局で放送されていた人気番組の出演者が揃い、当時放送されたVTRやそれにまつわるトーク、人気コーナーの再現などで振り返った。この年行われた『スーパーJOCKEY』の「熱湯コマーシャル」の復活版は第32回(2009年)まで継続して行われた。
第29回(2006年)から第31回(2008年)には、スタジオ出演者を含む芸能人の恥ずかし秘蔵映像をランキング形式で流す企画を放送した。
第32回(2009年)から第38回(2015年)までは『しゃべくり007』をベースにした「朝まで生しゃべくり007」と題して放送された。それに加えて第35回(2012年)から第38回(2015年)はそこに『嵐にしやがれ』が加わり『しゃべくり007』との2部制となった。
第39回(2016年)から第41回(2018年)は『嵐にしやがれ』と『しゃべくり007』と『有吉反省会』の3部制になり、第42回(2019年)は『有吉反省会』に代わり特別企画『二宮和也のあの人に会いたくない』との3部制で放送した。
第43回(2020年)は本年をもって嵐が活動休止となる事から『24時間テレビ』内としては事実上最後となる『嵐にしやがれ』と、日本テレビの過去の番組映像や本番組のアーカイブからピックアップした特別企画『日テレ系伝説の映像解禁100連発 ~もう一度見たいドラマ&バラエティー~』、『日テレ系伝説の映像解禁100連発 〜もう一度見たい24時間テレビパフォーマンス名場面〜』の3部制で放送。前述した通り事前収録となったが、ノーカットの擬似生放送(撮って出し)、テロップを生送出あるいは収録時に完パケ、出演者の発言をなぞりテロップで出さないなど生放送の雰囲気を損なわれないようにされた(ただし、各コーナー開始時に事前収録である旨のテロップは表示された)。
ニュース枠
番組内で1回および番組を一時中断して3回、計4回のニュースが挿入される。ニュースコーナーを担当するキャスターもチャリTシャツを着用する[注 76]。
- 『NNNニュース』(PART2の1コーナーとして放送):日曜日1:48 - 1:55にNNN30局で放送される[注 77][注 78]。
- 『NNNニュースサンデー』(単独番組扱い):日曜日6:43 - 6:55[注 79]にテレビ宮崎を除くNNN29局[注 80]で放送される。日本テレビ小鳩文化事業団による同時手話通訳放送が行われる。
- 『NNNストレイトニュース』(単独番組扱い):日曜日11:14 - 11:24にテレビ大分・テレビ宮崎を除くNNN28局[注 81][注 82]で放送される。
- 『NNNニュース』(単独番組扱い):『真相報道 バンキシャ!』の代替として、日曜日16:54 - 16:59にテレビ大分・テレビ宮崎を除くNNN28局で放送される。
スポーツ世界記録工場
『徳光&所の世界記録工場』の特別版。土曜日の深夜から随時放送される。
アスリートや芸能人、小学生チームが様々なスポーツの世界記録やギネス世界記録に挑戦する。
これまで「ソフトボール世界一ピッチャーからヒットが打てるか?」、「ボウリング1分間で何回ストライクを出せるか?」、「トランポリンダンク世界記録に挑戦!」、「8の字跳びギネス世界記録に挑戦!」などの企画が放送された。
『スポーツ世界記録工場』として放送されたのは第37回(2014年)が最後である。その後は第40回(2017年)に『24時間でギネス世界記録いくつ出せるかチャレンジ』、第42回(2019年)に『人と人チャレンジ』、第43回(2020年)は『世界の果てまでイッテQ!』とコラボした『おうちQTube』として放送された。
日本全国お天気リレー→復活ズームイン!!→ZIP!
かつて同局で放送されていた『ズームイン!!朝!』の「お天気リレー」の特別版。日曜日の早朝[注 83]に行われる。
第14回(1991年)以前は概ね朝5時台から6時台の枠で、各局の中継先をリレーで結びながらテーマに沿ったボランティアの取り組みなどを紹介する『ズームイン!!朝!』のような形式をとっていた。リポーターも『ズームイン!!朝!』の各局キャスターが登場する事が多かった。『天才!志村どうぶつ園』など同局の人気番組やマジック、漫談、ものまねといった演芸とコラボレーションするなど、通常の「お天気リレー」とは一風変わったスタイルで放送される。系列各局やチャレンジ企画先と中継で結び、日曜日の天気予報のほか、メインテーマに沿った人物や風景を紹介していく。ものまねとのコラボでは、総合司会の羽鳥が毎年必ず「天気予報は本当です!」と実際の予報を伝えていることを強調している。
第40回(2017年)からは歴代の『ズームイン!!』シリーズの司会者である徳光和夫、福留功男、福澤朗、羽鳥慎一と『ZIP!』の司会である桝太一の5人が出演している。これは第34回(2011年)の放送で徳光がマラソンにチャレンジした際に、7時をきっかけに休憩所に応援に来たアントン・ウィッキーとズームイン!!ポーズをとり、きくち教児(中京テレビ)・辛坊治郎・森たけし(読売テレビ)と回線をつないだことがベースとなっている。第42回(2019年)には『ズームイン!!朝!』の前枠番組だった『ジパングあさ6』から、当番組の総合司会歴任者でもある永井美奈子と松本志のぶも出演した。
第43回(2020年)は『ZIP!』をベースに放送された。スタジオは通常『ZIP!』を放送している汐留日本テレビ・S4スタジオとコロナウイルス感染症以降一部出演者のリモート用に用いているマイスタジオからの二元放送で、出演者は『ZIP!』から桝太一、徳島えりか、天気予報に貴島明日香、中継にマーティン、そして前年までから引き続き『ズームイン!!』シリーズから徳光和夫、羽鳥慎一が出演。加えて『news every.』とのコラボ企画も放送され、『news every.』から藤井貴彦、天気予報に木原実、中継に渡辺裕太が出演した。朝夕共にフジテレビの番組をネットしており通常両番組は放送しないテレビ宮崎・沖縄テレビ(6時まで)でも放送された。
募金額中間報告
その時点での募金額を総合司会が報告する。
1回目は日曜日昼の長時間ローカル枠終了後、2回目はグランドフィナーレの「サライ」間奏時[注 84]。
第28回(2005年)までは募金額表示用に特設された電光掲示板(電球方式で数字のみ表示)、第29回(2006年)からは日本武道館に設置されている電光掲示板(LED方式で単位の漢字表記も加えられた)で表示されている。
東京都庁舎で開催された第14回(1991年)は、紙に手書きで募金額を記入して発表した。東京ビッグサイトで開催された第32回(2009年)は、ステージ中央の大画面モニター(1回目の中間発表はパーソナリティー席のモニター)に映し出された。両国国技館で開催された第42回(2019年)は、ステージセットがMC席を除いて巨大な横長モニターになっていたため、CGの右上に枠を表示して武道館と同様の表記がなされた。第43回(2020年)はビッグサイトと同様にステージ中央の大画面モニターに映し出された。
スペシャルコンサート・スペシャルダンス
パーソナリティーと障害者が協力して演奏やダンスを披露する。
第21回(1998年)と第33回(2010年)に行われた「旅立ちの時コンサート」では久石譲が音楽監督・指揮を務めた。第29回(2006年)・第33回(2010年)・第36回(2013年)のスペシャルダンスにはダウン症児者のダンスチーム・ラブジャンクスが出演した。
海外リポート
日曜日夕方の長時間ローカル枠で放送される[注 85]。
パーソナリティーが海外に赴き、戦争・難民・ストリートチルドレン・スラム街・飢餓・難病・伝染病・エイズ・幼児売春などの問題をリポートする。
チャリティー笑点
第11回(1988年)から放送されている。
『笑点』の特別版。日曜日の17時20分頃から18時過ぎまで麹町Gスタジオ→番町スタジオから生放送される。第42回(2019年)・第43回(2020年)には事前収録によるメインパーソナリティとの対抗大喜利を加えた2本立てで放送され、放送時間も1時間に及んだ。他にもこれに続ける形で林家こん平[注 86]や桂歌丸[注 87]といった過去の笑点メンバーを扱った企画が放送されたこともある。
パーソナリティーが演芸に出演したり、座布団運びを務めることがある。
グランドフィナーレ
番組終盤には谷村新司と加山雄三がメイン会場を訪れ[注 88]、日曜日の20時40分頃から「サライ」の大合唱が始まる。
合唱は東京のメイン会場だけではなく、チャリティーイベント会場や各局のメイン募金会場[注 89]でも行われる[注 90]。合唱中は番組のハイライトと各会場の合唱の様子が次々と切り替わって映る(ただし、チャリティーランナーが未到着または到着直後の場合はそちらの様子が優先され、合唱の様子はワイプによる小画面での放送となる)。ステージ上の日本テレビ小鳩文化事業団手話コーラス部による手話コーラスの様子が映るのも恒例となっている。
楽曲の間奏中には20時現在の募金額を総合司会が報告する。その後、スタッフロールが縦に流れ、メイン会場の外観やメインステージの遠景をバックに、各回のメインテーマに則したメッセージと提供クレジットが表示され、「サライ」の大合唱の途中で番組終了となる[注 91]。番組終了直後には第1回(1978年)からの協賛企業である日産自動車のヒッチハイクが入る(一部地域では差し替えあり)。
読売テレビなど一部の局では、日本テレビからのエンディングの途中(「サライ」歌唱中のタイミング)で各局の会場に切り替え、「ローカルパートのエンディング」として、最後の挨拶やローカルパートのスタッフロールを流していた。しかし第37回(2014年)で、読売テレビがこの年のチャリティーランナーだった城島茂が武道館に入る直前に読売テレビからの映像に切り替え、それが終わった頃には間奏での募金中間発表が済んで城島がゴールテープを切る直前から飛び乗る格好になってしまい、視聴者から意見が届いたことがあった[41]。それを受け、読売テレビでは翌年以降は差し替えは行わず、3枠目の長時間ローカル枠終了直後にある『チャリティー笑点』前の最終ローカル枠をエンディングに充てている。これに対し福島中央テレビなどでは、右下に表示される系列局の中継・ハイライト映像の上から自局の映像を途中で数秒ほど被せて対応するケースを取っている。
会場内では『サライ』の演奏終了後に総合司会・パーソナリティ・番組サポーターと日本テレビ社長が一人ずつ観客へ向けて最後の挨拶を行い、全ての催しが終了となる。
番組終了後に『行列のできる法律相談所』との間の5分枠で福島中央テレビなどローカルニュースがある地域では、改めてフィナーレを迎えたことを報告するとともに、視聴者への謝礼がニュース項目として伝えられることがある。
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注釈
- ^ 通常は白色で表示されるが、エンディングのスタッフロール表示時は黄色で表示される。
- ^ 第1回(1978年)のみモノラル放送。
- ^ 対応は第40回(2017年)まではドラマスペシャルのパートのみ、第41回(2018年)からはPART1全編。
- ^ 第14回(1991年)のみ7月下旬に実施された。
- ^ a b c テレビ宮崎はNNSには非加盟。
- ^ a b c 沖縄県には日本テレビ系列局が無いため、唯一フジテレビ系列のシングルネット局による参加となっている。
- ^ 第14回(1991年)までは『24時間テレビ「愛は地球を救う」○○』と、放送回数を末尾に表記したものが正式タイトルだった。
- ^ 第15回(1992年)・第16回(1993年)はタイトルを『24時間テレビ15(16)「愛の歌声は地球を救う」』とした。
- ^ 当時、終夜放送は緊急時(大規模な地震、台風などの自然災害や、戦争・紛争、交通ストライキなど)、ならびに近代オリンピックのうち、時差の関係で日本時間の深夜に開催されるヨーロッパ・アフリカやアメリカ大陸で開催する場合を除いて行われていなかった。第1回でスタジオ総合司会を務めた巨泉は、「これから24時間、今までやっていた通常の放送をすべてお休みにして、全く白紙に戻して、テレビが一体何ができるのかやってみたい。地球に住む我々が一体何が幸せかをかみしめたい。世の中にいる社会的弱者がテレビを通して役立つかどうか。テレビを通してチャリティーをやりたい」とのスピーチ(24時間テレビ(第1回 (1978))オープニング冒頭部分)をしている。
- ^ 第15回(1992年)・第16回(1993年)は、当時日本テレビのキャッチフレーズだった「みんなのなかに、私はいます。」が使われた。
- ^ 第40回(2017年)の番組内で久里自身が発言。しかし、番組スタッフのほとんどはこれを地球と月と勘違いし、社内では「地球マーク」と呼ばれていた。
- ^ 土曜日19:45 - 日曜日21:34に放送された第27回(2004年)と土曜日18:30 - 日曜日21:09に放送された第35回(2012年)は除く。
- ^ 東日本大震災が発生した2011年以降は、大規模災害の被災者やその遺族に着目した企画も放送されている。
- ^ 近年のチャレンジ企画は他の日本テレビ系のレギュラー番組とのコラボレーション企画としての側面を持つものが増加傾向にある。
- ^ 但し、日本武道館が諸事情により使用出来ない年など、別の会場を使用するケースもある。実例は第14回(1991年)・第32回(2009年)・第42回(2019年)の3回。
- ^ 第1回(1978年)はグランドフィナーレ(代々木公園)の進行、第2回(1979年)はチャリティーパーソナリティー、第34回(2011年)はチャリティーマラソンランナー、第35回(2012年)は出演者のひとり、第36回(2013年)以降は24時間テレビサポーターとして参加している。
- ^ a b 但し、インターネット募金をする際に発生するクレジットカード決済と携帯キャリア決済のシステム利用料は寄付金から差し引かれる。この事については公式サイトでも明記されている。
- ^ 日産ギャラリー、NISSAN CROSSING、日産販売会社ショールーム(ブルーステージ、レッドステージ、レッド&ブルーステージ、日産自動車販売、日産フォークリフトなど)、日産カレスト、イオングループ各店舗、住友生命各支社来店窓口、東洋水産各支店・営業所・工場・特設会場、ヤクルト本社・各支店、ライオンオフィス・事務所・特設会場、読売新聞販売店(YC)、草の根チャリティーネットワーク、新宿高島屋・大宮髙島屋、日本橋三越本店、横浜・川崎モアーズ、町田東急ツインズ、藤沢・小田急百貨店、東京駅一番街、ツリービレッジなど。
- ^ ゆうちょ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、みずほ銀行、イオン銀行、auじぶん銀行など。イオン銀行とauじぶん銀行以外は、民営化前の郵便局並びに三井銀行・住友銀行・太陽神戸銀行(三井住友銀行の前身)、三菱銀行・三和銀行(三菱UFJ銀行の前身)、富士銀行・第一勧業銀行(みずほ銀行の前身)の時代にあたる開始初期から参加している。
- ^ 2017年頃から『フジネットワーク・サザエさん募金』の愛称を使用。
- ^ 1999年のCM間引き問題で、日本民間放送連盟・NNSの会員資格を除名・停止させられた際には、自主的な募金活動を自粛した。
- ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
- ^ 放送対象地域は福岡県のみだが、募金活動や各種支援活動、福祉車両の贈呈などについては福岡県・佐賀県の両県を対象地域としている。
- ^ a b 1997年のCM間引き問題で、福岡放送が日本民間放送連盟・NNSの会員資格を除名・停止させられた際には自主的な募金活動を自粛し、くまもと県民テレビが九州地区幹事局を代行した。
- ^ 現在のNST新潟総合テレビ(NST)。
- ^ 現在の静岡朝日テレビ(SATV)。
- ^ アニメスペシャル『100万年地球の旅 バンダーブック』については、静岡放送(SBS)が10:30 - 11:25に短縮版を放送した。
- ^ オープニングから日曜日の早朝まで放送。第5回(1982年)は長崎大水害発生の影響を受けて参加を自粛し、テレビ長崎のみが参加したが、この時もテレビ長崎は前半部分をネットせず、後半のみの放送になった。
- ^ 第1回(1978年) - 第6回(1983年)は日曜日の早朝からエンディングまで放送。第7回(1984年) - 第13回(1990年)は24時間放送。
- ^ ビデオリサーチ社による。番組表上ではPART1、ドラマスペシャル、PART2は一括でPART1扱い、PART8 - PART10は一括でPART7扱いで若干異なる。
- ^ PART2開始より早く終わった場合には自社発のローカル枠で穴埋め。
- ^ 1987年から1995年まで世界陸上は日テレが放送権を所有していた。1997年からは現在のTBSに移行している。なお、第16回(1993年)にも世界陸上の開催期間と当番組の放送がバッティングしていたが、この時は深夜帯に内包することで対応した。
- ^ なお、各コーナー内でも、他系列の番組や自社制作番組を放送するネット局の飛び乗り・飛び降りに配慮し、区切りの部分が設置されていた。「グランドプロローグショー」や「グランドフィナーレ」は2 - 3部制で対応していた。なお、この回以降も暫くは、時間帯によって県政番組などをずらせない事情で飛び降りせざるを得ない局も発生していた。現在はそれらの番組を別日に振り替えたり休止にすることでクロスネット局以外はローカル枠を除いて全て日本テレビからのネットに統一されている。
- ^ ただし、実際はすべてが2時間編成というわけではない。
- ^ 一部系列局では、この年まではローカル枠・協賛CMでも使用されていた。
- ^ 第14回(1991年)までは「このコーナーは…」で始まる提供読みがあった。
- ^ 放送時はアナログ・デジタル共にサイドカットされ、日本テレビ・中京テレビ・読売テレビのデジタル放送は、左右を黄色(英文ロゴが並べられており、右下にはシンボルマークを配置)のサイドパネルで対応。なお、収録映像自体は、サイドカットされずハイビジョンで保存されている。
- ^ 地上デジタル放送では、この年からサイドカットせずに16:9で放送。なお、VTR映像やネット局など一部の中継は後年までに順次整備された。
- ^ NHKと民放5系列の中で、20時台から選挙特番を編成しなかった局は日本テレビ系列のみであった。
- ^ 「東日本大震災緊急募金」に寄せられた義援金を含む。
- ^ 放送直前の8月18日にギャラリー従業員に感染者が発生したことを受け、ギャラリー自体も22日まで臨時休館となった。
- ^ 同一コンビでの総合司会は第43回(2020年)現在、歴代最多回数。
- ^ 高畑裕太も出演予定だったが、不祥事により出演がキャンセルとなった。
- ^ 当日発表のチャリティーマラソンランナーに任命されたため、サポーターとしての出演は番組冒頭のみだった。
- ^ 以前はメインパーソナリティーが先に登場してから各出演者を呼び込み、一言ずつ挨拶しながら登場していたが、近年は歌いながら登場することが多い。第42回(2019年)は各中継地点に分散してのスタートとなった。
- ^ 外部の施設やイオンモールをメイン募金会場にしている局ではメイン会場の受付・入場時間内は会場から放送し、使用できない深夜から早朝の時間帯は自局のスタジオから放送する。
- ^ メイン会場が使用できない深夜帯を除く。
- ^ 第10回(1987年)からはVTR。
- ^ このアイキャッチは2000年代初期まで毎年変えながら続いた。
- ^ 第1回(1978年)は日本テレビGスタジオから進行の大橋巨泉、竹下景子の2人がチャリティーの方法を案内していた。また、地方局に切り替わる際は「各局の皆さん準備はよろしいですか?」と呼びかけていた場面もあった。
- ^ 読売テレビ、中京テレビ、福岡放送など。特に読売テレビは一時期差し替えの頻度が高く、マラソンゴール直前のメドレー部分からエンディングを神戸・京都・奈良・大阪の会場からリレーで最後の挨拶を行う中継や後述のスタッフロールに差し替えていた時期もあった。
- ^ 第33回(2010年)・第37回(2014年)は手術明けだったため、常時の併走は見合わせた。第42回(2019年)はマラソン用中継車の放送席にて解説も行った。
- ^ 第32回(2009年)の東京ビッグサイトでは階段を設けず、モザイクアート企画で制作したゴールゲートが左右に開く形式をとった。第42回(2019年)の両国国技館では、長い通路を経てから国技館に常設された階段を通ってゴールした。
- ^ a b 第29回(2006年)・第31回(2008年) - 第33回(2010年)。
- ^ 第42回(2019年)・第43回(2020年)は両国国技館の通路。
- ^ 年によっては、ランナーの関係者も共に出演するケースがある。
- ^ 第43回(2020年)は募金ランの会場が離れていた関係から、高橋らはマラソン会場から中継での出演となった。
- ^ 第36回(2013年)・第37回(2014年)は『24時間テレビ マラソン&深夜しゃべくりの裏側SP』として2部制で放送された。
- ^ 通常は親サブの汐留S1サブにて実況・レポーターのアナウンサー・チャリティーランナー・坂本で番組を進める。第42回(2019年)はチャリティーランナー4名と坂本のみで進行。第43回(2020年)はランナーを呼ばず、生放送パートも無かった(終盤に実況・リポートのアナウンサーがコメントする部分のみ生放送)。
- ^ りんごちゃんも含まれてたが、直前のメディカルチェックでドクターストップとなり断念し、会場での進行及び応援する側に回った。
- ^ サポートメンバーとして太鳳の姉・土屋炎伽が参加していた。
- ^ 直後に放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は前半コーナーの一部をカットするなど放送時間を短縮し、21時以降は通常編成となった。
- ^ 日本テレビでは『音のソノリティ』及び前後のステブレCM枠。
- ^ 第29回(2006年)・第30回(2007年)・第36回(2013年)・第37回(2014年)には陸上十種競技マスターズ日本記録に挑戦した。第36回(2013年)以後は24時間テレビサポーターなどとして武道館に毎年参加している。
- ^ ランナーはトレーナーの坂本が決めた。番組史上初の試みで、本人にも知らされていなかった。
- ^ スイムは土曜日12:00 - 13:30の『メレンゲの気持ち』(一部地域では非ネット)内、自転車は土曜日15:30 - 16:55の事前番組(一部地域では非ネット)内、ランは本編開始後にスタート。
- ^ 水卜本人含めた4人には事前告知済。
- ^ 第42回(2019年)は両国国技館のロビー。
- ^ 第15回(1992年) - 第19回(1996年)・第22回(1999年)・第23回(2000年)は除く。
- ^ 第1作目の『機の音』(脚本:倉本聰)は「118歳で機織りを続ける日本最高齢者」を主人公とするフィクションである。
- ^ 長きに渡ってモノラル多重音声を実施していたが、第40回(2017年)よりステレオ多重音声を実施している。第41回(2018年)からはドラマスペシャルを含むPART1(オープニングから深夜企画の途中まで)全編が多重音声に対応するようになったが、実際に多重音声を実施しているのは、従来通りドラマスペシャルのみである。
- ^ 『24時間テレビ』放送前日の『金曜ロードショー』で特別企画として放送された。
- ^ ドラマ後は深夜企画の最中であるが、番組表上では深夜企画に挿入される『NNNニュース』後の1時45分までがPART1、1時45分から早朝企画開始までがPART2、早朝企画開始から『NNNニュースサンデー』開始までの時間帯がPART3。PART2終了・PART3開始は年によって異なるため詳細な時間はここでは省略する。
- ^ 第37回(2014年)までは翌5時半、第38回(2015年)、第43回(2020年)は翌5時、第39回(2016年)から第41回(2018年)までは翌4時、第42回(2019年)は翌4時30分まで。
- ^ 第28回(2005年)までは麹町Gスタジオ、第29回(2006年)から第41回(2018年)は汐留S1・S2スタジオ。
- ^ 第1回(1978年)は通常通りスーツとネクタイを着用していた。
- ^ 第39回(2016年)までは日曜日1:10 - 1:45に『Going!Sports&News』(それ以前は『NNNきょうの出来事』『スポーツうるぐす→SUPERうるぐす』)の特別版として放送されていた。深夜企画のスタジオに『Going!』のキャスター陣が出演し、メインパーソナリティーや深夜企画の進行役がゲスト出演していた。第40回(2017年)から第42回(2019年)までは日曜日1:38 - 1:45に放送された。
- ^ 『きょうの出来事』時代の1990年代初期までは当時の土曜日の定刻通りに開始した短縮版で放送されていた。また、報道スタジオにはその年の出演者がゲスト出演することもあった。
- ^ 第39回(2016年)までは6:45 - 6:57。
- ^ テレビ宮崎は朝のニュースはFNNから供給を受けるため、日曜朝に通常時ならばフジテレビと同時ネットの『FNNニュース』をこの日に限り時差ネットしている。
- ^ テレビ宮崎と福井放送は昼のニュースをANNから供給を受けているため、昼の長時間ローカル枠内で『ANNニュース』を通常通り放送している。
- ^ テレビ大分は昼のニュースをFNNから供給を受けているため、昼の長時間ローカル枠内で『FNN Live News days』を通常通り放送している。
- ^ このコーナーを含め6時台途中までは武道館の外から放送している。第39回(2016年)以降は4時台・5時台を汐留日本テレビ・マイスタジオ等から放送している。冒頭に総合司会とパーソナリティが「全国の皆さん、おはようございます。」と挨拶する。また、この時間帯にヨネスケと柴田理恵がメイン会場を訪れることが恒例になっている。回によっては朝7時頃に徳光が登場し、当時の演出を再現する形で行うこともある。
- ^ かつては笑点チャリティー大喜利終了後にも中間報告を行っていた回もある。
- ^ 第36回(2013年)・第37回(2014年)・第41回(2018年)など、放送されない回もある。
- ^ 第37回(2014年)・第38回(2015年)が該当。
- ^ 第41回(2018年)が該当。同年7月に慢性閉塞性肺疾患で死去したため。
- ^ 第32回(2009年)は放送日がアリスのコンサート開催日と重なったため、谷村は欠席し、加山のみが出演した。
- ^ 各局会場ではローカル枠・イベントの出演者やスタッフ・ボランティア等が勢揃いして「サライ」を歌い、放送ではその模様が数秒ずつリレー中継される。必ずと言っていいほど局ロゴもしくは地名(日産本社ギャラリーは「NISSAN」ロゴ)が書かれた巨大なパネルを見せるのが恒例。メイン会場がイオンモール専門店街で閉店時間が21時の場合、もしくはイベントが夕方に終わる局の場合は、自局のスタジオに移動して対応することが多い。なお、沖縄テレビはこの時間はフジテレビ系の番組の同時ネット枠であるためこの中継には参加していない。また、静岡第一テレビと福岡放送が前述したCM間引き問題による自粛時はイベントそのものが開催されなかったためこの中継にも参加しなかった。2020年は前述の通りイベントが全局取りやめとなったため、スタジオあるいはロビーから中継し、人数も少なくなっていた。
- ^ かつてはチャレンジなど各企画の中継先でも行っていたが近年は無くなっている。
- ^ 第19回(1996年)・第22回(1999年)・第28回(2005年)・第43回(2020年)など放送時間内に歌唱が終わったケースもある。かつてはこの映像の後、CM・提供クレジットを挟んで「LOVE SAVES THE EARTH」をBGMにエンドロール(出演者・コーナースタッフ等)を流し、「そして、本当にこの番組を作ったのは…あなたです。」というメッセージを出して終了となった。
- ^ 第10回(1987年)・第11回(1988年)は除く。
- ^ 第37回(2014年)は予選大会を勝ち抜いた7チームが当日の午前中にチャリティーイベント会場(日産グローバル本社ギャラリー)で準決勝を行い、その内5チームが決勝に進出した。
- ^ 第36回(2013年)までは電話投票。
- ^ かつて番組内で日曜日の朝に放送されていたアニメスペシャルを「スミセイ・アニメスペシャル」の冠タイトルで提供していたことがある。
- ^ なお、日本テレビホールディングス傘下には日テレ7が存在しており、同社で『女神のマルシェ』(日本テレビ、テレビ信州、札幌テレビのみ放送)の番組制作、運営を行っている。
- ^ 字幕放送CMで実施。
- ^ 当時は黄色い私服を着用する人がいなかったため。なお、私服がカラフルになるのは1980年代後半のバブル景気頃である。「一目で24時間テレビだと分かる目立つ色」という利点が反映され、他局・他の媒体でも24時間テレビを指す暗喩の演出として『サライ』『負けないで』と共にチャリTシャツを模したものが登場する事がある。
- ^ 「Tree Village」(東京スカイツリータウン・東京ソラマチ内)、よしもと各劇場(よしもとテレビ通り渋谷店・新宿店・NGK店、神保町花月、よしもとたのむヮ買うてぇ屋 道頓堀店)、よみうりランド(グッズショップ「よみうり本舗」)、ランキンランキン(自由が丘店・あざみ野店・北千住店・ekimoなんば店)など。
- ^ きゃりーぱみゅぱみゅ、阿萬暖々果、川島義徳、山中伸弥、高橋宗司、ゆめ花、松浦敬一、大川香菜、桂歌丸、山崎直子、TAKA、重松夏帆・山本美歩、上地結衣、小栗楓子、羽生結弦。
- ^ 第31回(2008年)までは旧・日産本社ギャラリー及び日産銀座ギャラリー(現:NISSAN CROSSING)。第34回(2011年)は日産スタジアム東ゲート前広場で開催された。第43回(2020年)は同年限定で日産本社近隣に設けられた「NISSAN PAVILION Yokohama」での開催となったが、新型コロナウイルス感染症対策のため一切観客を入れず(NISSAN PAVILION Yokohama自体を、放送日の8月22日・23日を臨時休館扱いとして)、YouTubeの日産公式チャンネルでの生配信として行った。
- ^ 第13回(1990年)以前は、日中に事前収録したものを土曜深夜(ドラマスペシャル終了後)に『チャリティー報告』のタイトルで放送していた。当時は出演者の一人がチャリティー委員会の代表という形で出演していた。
- ^ 第37回(2014年)、日本テレビの場合。
- ^ 第32回(2009年)は『ZERO×選挙2009』を放送したため、同番組は休止となった。
- ^ インストゥルメンタルアレンジ版、イントロ部分のみ。
出典
- ^ 『福島民報』、1988年08月27日朝刊、22面、紙面下部の福島中央テレビの当番組番宣広告より引用。
- ^ 青森放送のイベントサイト 2018年08月19日閲覧。
- ^ “社会福祉法”. e-Gov. 2019年12月25日閲覧。
- ^ 「24時間テレビチャリティー委員会」に公益認定
- ^ a b c d e 福祉車両進呈 - 24時間テレビチャリティー委員会
- ^ 24時間テレビ「42年のあゆみ」 - 24時間テレビチャリティー委員会
- ^ 18:45頃からは県内ローカル放送を行い、19:00に番組が一旦終了する。
- ^ a b “「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃”. 週刊文春. pp. 2-3 (2019年11月24日). 2020年11月30日閲覧。
- ^ 井原高忠 『元祖テレビ屋大奮戦!』(文藝春秋、1983年)5章3節。
- ^ 『週刊昭和タイムズ』第15号。
- ^ a b 『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手、NEWSポストセブン、2015年8月22日。
- ^ 『福島民報』1978年11月2日付朝刊、8面、テレビ欄。同9面、みもの欄。
- ^ 以降は後述するチャリティーマラソンを除くと、第15回(1992年)、第20回(1997年)、第28回(2005年)、第31回(2008年)、第32回(2009年)、第34回(2011年)、第40回(2017年)にゲストとして出演。
- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.35
- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.27
- ^ 「ゴンドラ・歌と音楽中心に楽しく」『読売新聞』1992年8月29日朝刊、第28面より引用。
- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.28
- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.29
- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.34
- ^ 日刊スポーツ、2007年8月21日付。
- ^ 24時間テレビ34「愛は地球を救う」募金報告 総額は歴代最高の19億8,641万4,252円
- ^ “嵐 新元号最初の大役「新時代にふさわしい24時間テレビを作りたい」”. スポニチアネックス (2019年3月17日). 2019年3月17日閲覧。
- ^ “水卜麻美アナが「24時間駅伝」走る!総合司会で初のランナー挑戦…よしこ、春菜、水卜、あさこの順でタスキリレー”. スポーツ報知 (2019年8月24日). 2019年8月24日閲覧。
- ^ 総合司会経験者としては第30回(2007年)の萩本欽一、第34回(2011年)の徳光和夫に続き3人目。
- ^ “24時間テレビ「どんな形でもやる」社会的意義語る”. 日刊スポーツ. (2020年7月27日) 2020年8月9日閲覧。
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- ^ 『朝日新聞』、1979年08月25日朝刊、41面、テレビ欄。
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- ^ 24時間テレビ歴代マラソンランナー&やらせ真相まとめ!西村知美ワープ事件とは
- ^ 「24時間テレビ」マラソンランナーを追う「24時間マラソン追跡団」はどんな人たち? メンバーに聞いてみた
- ^ 今年も24時間マラソンランナーの現在位置がわかるアカウント登場!MAPでわかりやすいぞ
- ^ “24時間マラソン挑戦のイモト、中継されず不満広がる”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2009年8月31日) 2011年7月9日閲覧。
- ^ 自己批評・検証番組『あなたと日テレ』2009年9月6日放送分より
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- ^ GODIEGO UNOFFICIAL WEBSITE(2017年7月24日閲覧)
- ^ “[声〜あなたと読売テレビ (2014年9月13日放送回) の番組概要ページ - gooテレビ番組(関西版)]”. goo (2014年9月13日). 2018年8月24日閲覧。
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- ^ “24時間テレビ 愛は地球を救う”. 日本テレビ放送網. 2016年8月27日閲覧。
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- ^ 検証!『障害者×感動』の方程式
- ^ 岩下恭士 (2016年9月17日). “全盲記者・岩下恭士のユニバーサロン「感動ポルノ」は要らない /東京”. 毎日新聞地方版 2016年9月17日閲覧。
- ^ 今一生. “24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙”. iRONNA. 2016年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
- ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
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