トランポリン【trampoline】
トランポリン
起源と歴史
現在の形のトランポリンが日本に上陸したのは、'59年のことである。持ち込んだのはジョージ・ニッセン氏(アメリカ人)で、当時の全米チャンピオンを連れてトランポリンの普及に日本を訪れた…というよりは売り込みに来たと言う方が正しいかもしれません。
「トランポリン」の語源は中世ヨーロッパのサーカス芸人の名前からきており、空中ブランコの下に張られたネットを利用して、いろいろな宙返りをして見せたのがその始まりではないかと言われています。
時は流れ、'30年代に入り、第2次世界大戦が始まると、アメリカではパイロット養成の一過程として格納庫に100台程の固定式トランポリンを並べ空中感覚の育成のために使用しました。大戦後、前述のニッセン氏はこの運動の素晴らしさに目をつけ、スポーツとして確立できないものかと考えました。物づくりが趣味であった彼は台を組み立て式に改良し、移動、収納が簡単にできるものを考案。そして、トランポリン会社を設立し、全世界に向けトランポリンの販売と普及を始めたのです。当時日本に持ち込まれた第1号の台は、現在でも早稲田大学のトランポリンの授業で使用されています。
彼が作ったトランポリンは当時のアメリカ社会で爆発的なブームを巻き起こし、全米にトランポリン場が乱立しました。一時我が国でもボウリングが流行し、ボウリング場が全国にできたのと同じ状態が起こったのです。
ところが、エスカレートするにつれ怪我人が続出し、しかも頚椎損傷などの重傷者が出たことから LIFE誌がトランポリンは危険なスポーツであると決め付けてしまいました。このことにより一気にブームは去り、トランポリン場は倒産、閉鎖に追い込まれました。純粋にスポーツとして愛好していた者たちにとっては非常にショックな出来事であり、その後アメリカでは教育の場でトランポリンが取り上げられることはほとんど無くなり、スポーツクラブだけで細々と続けられることとなりました。
しかし、その陰でヨーロッパに渡ったトランポリンはこのことを教訓に、ドイツ、フランス、イギリス等を中心にきちんとした指導の下に競技スポーツとして確立されていったのです。
特徴
トランポリン競技は、演技の美しさと技の難しさを競う採点競技です。試合はまず第1演技、第2演技からなる予選を行い、上位8名が決勝に進出し、再度演技し、順位を決定します。演技は10種類の異なった技を連続して行い、その完成度を競います。演技の美しさを審査する演技審判員は5名おり、最高点と最低点を削除した3名の合計点が演技得点となります。これに技の難しさを審査する難度審判員が、技を点数化した難度点(第1演技では選手が指定した2種目分、第2演技では10種目分)を出し、それらを加算したものが選手の得点となります。演技中のジャンプの高さは男子選手では7mにもなり、間近で見ていると自分の上に降りかかってくるような錯覚をおこすほどの迫力です。
決勝は予選の得点が全て無くなり、決勝で行った演技の得点だけで争われる一発勝負です。そのため得点差をつけて1位で予選を通過した選手も安心することはできず、逆に8位で予選を通過した選手でも一発逆転優勝のチャンスがあり、観客にとってはどの選手が優勝するか予想がつかず、まさに手に汗握る勝負が観戦できるのです。
|
種目
種目は個人、シンクロナイズド、団体があります。シンクロナイズドは、2名の選手が2m離れて並行に置かれた2台のトランポリンで全く同じ演技を同時に行い、演技、難度に加え同時性を競う競技です。2名の選手の動きがどれだけ正確に合うかが勝負の分かれ目となり、息がぴったり合った演技は非常に見応えがあります。また、団体は4名で構成され、個人の第1演技、第2演技それぞれの上位3名の得点の合計で予選の順位が決定します。上位5チームが決勝に進出し各チーム3名が演技を行い、その合計点で優勝チームが決定するのです。
●シンクロナイズド競技の得点算出方法
|
これから
最後にこれからの展望ですが、'05年の6月にブルガリアで行われたワールドカップで日本選手団は世界各国を驚嘆させるとんでもない成績を収めました。男女個人、男女シンクロの4種目中、女子個人を除く3種目で優勝したのです。これまでの国際大会で、これほどの好成績を収めた国はかつて無かったのではないでしょう。日本選手、特に男子選手の演技の完成度の高さと難度の高さに場内は惜しみない拍手を送ってくれました。
そして、9月にオランダで行われた世界選手権大会も、日本の男子は個人2位、3位、シンクロ3位、団体2位と優勝こそ逃したものの、他の国を圧倒する好成績を収めたのです。
しかし、安心してはいられません。今回団体で優勝した中国がすでに真後ろに迫ってきているのです。彼らの力は我々の想像を遥に超えたものです。中国はつい最近までトランポリンは正式競技として行ってはいませんでした。'95年中国体育科学研究所の譚所長に何故中国ではトランポリンを行わないのか尋ねたことがあります。彼の答えはたった一言「オリンピック種目ではないから」でした。ところが’97年9月にシドニーオリンピックから正式種目になることが決まるや否や、翌年のオーストラリアで行われた世界選手権大会に大調査団を派遣し、各国選手の練習から本番まで全てをビデオに録画して帰ったのです。それだけではなく、1セット百万円もするトランポリンを40セットも買って帰り、全国の体育学院に配り、コピーを作成し、才能のある子供たちを集め練習を開始したのです。百万円といえば中国では家が1軒建てられる金額です。
さらに驚いたことは、その年の12月に行われたワールドカップに早くも選手を派遣してきたのです。当時の実力はまだまだ日本のBクラス程度でさほど気にも留めませんでしたが、その9ヶ月後に行われた世界選手権大会では世界のトップレベルの難度を持つ選手に成長していたのです。これには我々もかなり驚かされました。もしオリンピックに出場するためにアジア予選が行われるようになれば、日本は出場権を獲得できなくなる可能性が出てきたからです。
今後中国だけでなく、更なる国が名乗りを上げてくる可能性は非常に大きく、日本の各選手、監督、コーチはそのことをよく踏まえて今後の選手育成に精進していかなければならないのです。
トランポリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 14:01 UTC 版)
トランポリン(Trampoline)は、四角、もしくは丸型の枠に伸縮性のある丈夫な布を張り渡しゴム・ケーブルまたはスプリングで固定した運動器具。この上で人が跳躍をくり返すと反発力により、トランポリンを使用しない時の数倍もの高さにジャンプすることが可能となる。
- 1 トランポリンとは
- 2 トランポリンの概要
- 3 歴史
- 4 各種のトランポリン
- 5 その他
「トランポリン」の例文・使い方・用例・文例
- トランポリンのページへのリンク