内容・あらましとは? わかりやすく解説

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内容・あらまし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 03:06 UTC 版)

葉隠入門」の記事における「内容・あらまし」の解説

プロローグ「葉隠」とわたし 三島少年期から20年上もの間、手元に置き、ことあるごとに読み返していた愛読書は、山本常朝の『葉隠』ただ一冊であった。『葉隠』の「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句代表される死の概念や、自由と情熱言霊数々は、三島に、「文武両道」の生涯決心させた。三島は、『葉隠そのまま行き方実践する一方、『葉隠』が否定する芸道」(芸術文学)を生業としていたため、常に大きな葛藤抱えていた。プロローグでは、三島人生永遠活力源と相克もたらした禁断の書・『葉隠』への三島心酔ぶりが語られている。 一 現代に生きる「葉隠」 現代は『葉隠』が描く世界とは正反対時代であり、『葉隠』が侮蔑する芸能人時代人間歯車となった時代である。また、経済的繁栄により、青年が、「生へ衝動」を満足させることができるようになった時代のである。しかし、これは、現代若者から、「死への衝動」が消滅したことを意味しない。たとえば、恋愛についても、『葉隠』の恋愛一生打ち明けない「忍恋(しのぶこい)」が理想とされるが、現代恋愛は、すぐに発散され死んでしまうために、現代若者は、「恋愛不感症情熱の死」の矛盾苦しんでいる。 ところが、現代においても、青年中に抑圧された「死への衝動」が、ふとしたきっかけ表面化することもある。安保闘争は、青年が、生と死相反する衝動同時に満たすための行動であった。つまり「死」の問題は、『葉隠』の時代も、戦乱時代も、現代においても常に存在しており、『葉隠』の言う「死」が特別ではないのである三島はそれを敷衍し、こう説明している。 「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張 してゐる。われわれはけふ死ぬと思つって仕事をするときに、その仕事急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。 — 三島由紀夫葉隠入門二 「葉隠」四十八の精髄 三島は、『葉隠』を「行動哲学」「恋愛哲学」「生きた哲学」として、三つ側面を持つ哲学書であると捉えている。あくまで主体的かつ、自己超えるものへ行動基準を置く『葉隠』の「行動哲学」とは、「一定の条件下に置かれ人間行動精髄根拠をどこに求めるか」ということ尽き、「政治的な理念」に基づくものではない。「恋愛哲学」とは、「エロース(愛、恋)とアガペー(神への愛)を峻別しない」日本人本来の、「恋」と「忠」(献身)が同義となる観念で、「人間の恋のもつとも真実で、もつとも激しいものが、そのまま主君対す忠義に転化される」というものである。「生きた哲学」とは、「夢の間」である時の流れを「毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて」、自らが役に立つときが来るという根本理念である。その他この項目では、各論として48側面から、三島による『葉隠』の精髄語られている。 三 「葉隠」の読み方葉隠』はかつて、戦争中戦地赴く若者推奨されていた。しかし現在において『葉隠』が読まれる理由は、戦時中とは逆の事情であり、生活とかけ離れてしまった「死」を読むためである。日本人はかつて日常生活表裏一体のものとして「死」を意識してきたが、西洋人死に抱く「死神」恐ろしさはなく、「死」を現世流れる自然の「せせらぎ」のように清々しく捉え、それは日本人芸術の源泉でもあった。そのため、西洋からあらゆる生の哲学」を学んでも、我々日本人には、それに真から馴染むことはなかったである。 『葉隠』の「死」の明澄さは不思議にも、「非人間的」、「犬死」だと批判されている神風特攻隊とも重なり、その彼らの苦悩超えた「死」の決意の姿は、「日本一つながりの伝統」の中に置くとき、『葉隠』の「明快な行動と死の理想」に極めて近いものになっている人智はるかに超えた世界の中で、人間最終的には「死」を完全に自分で選ぶことも、強いられることもできない原爆のような圧倒的な強いられた死」も、各々一人一人大切な人生にとっては運命の死であった自殺でさえ、そこには「宿命因子」があり、自然死と見える病死も、そこに至るまでには自殺似た要素見られることもある。 「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風打ち上りなる武士道なるべし二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。」 —山本常朝葉隠賢しら人間は、自分で「死」を選びとれると蒙昧し、また、「正し目的のための死」があると思い込んでいるが、変幻流転する歴史においては、その「正しさ」も時の流れ逆転しうる性質のものである。『葉隠』は、そのような煩瑣な判断からの「死」の選択正否言及しているのではない。『葉隠』の「死」は、人が死に直面する時の人間精神の最高の緊張の姿」として描き出しているのである三島は以上を踏まえてこうまとめている。 われわれは、一つ思想理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳それほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。 — 三島由紀夫葉隠入門

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内容・あらまし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 05:22 UTC 版)

特攻隊に捧ぐ」の記事における「内容・あらまし」の解説

惨禍生んだ戦争呪いながらも、同時に特攻隊散った若者至情対す感慨について坂口安吾は以下のように語っていく。 敗戦のあげくが、軍の積悪暴かれるのは当然として、戦争絡まる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決し健全なことではない。こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。たとえば特攻隊若者の胸に殉国情熱というものが存在し死にたくない本能格闘しつつ、至情散った尊厳敬い愛す心を忘れてならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪泥沼をあばくことも必要であるが、同時に戦争の中から真実の花さがしてひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力希望失ってならないだろう。 私は大体、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策傾けて戦う以外に仕方がない人の子を死へ馳りたてることは怖るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ日本軍の作戦の幼稚さは言語道断で、工業力と作戦との結び方すら組織的に計画されはおらず有力な新兵器もなく、ともかく最も独創的な新兵器といえば、それが特攻隊であった特攻隊兵隊ではなく兵器である。工業力をおぎなうための最も簡便な工程操縦器であり計器であった。 私は文学者であり、人間を、人性死に至るまで疑いつづける者であるが、然し特攻隊員心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、疑ったところで、タカ知れており、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘それだけのことだ。疑るな。そっとしておけ。そして、卑怯だ女々しいだの、又はあべこべに人間的であったなどと言うなかれ。 彼らは自ら爆弾となって敵艦ぶつかった。否、その大部分途中に射ち落されてしまっただろうけれども、敵艦突入したその何機かを彼等全部栄誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう恋人まぼろし見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉中に彼等20何歳かの悲しい歴史花咲消えた彼等基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ20前後若者が、酒をのまずにいられようか。けれども彼等愛国詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。その迷う姿をあばいて何になるのさ、何かの役に立つのかね? 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し守ろうではないか軍部の偽懣とカラクリあやつられ人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩完結はなんで人形であるものか。 私は無償の行為というものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の滅私奉公で、戦争中合言葉至極簡単に言いすてていたが、こんなことが百万人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる戦争凡人を駈って至極簡単に奇蹟を行わせた。人間戦争呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。そして恐らく大部分兵隊戦争呪ったきまっている。けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れ考え方必要だ思っている。なぜなら彼等強要せられた、人間ではなく人形として否応なく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人凄絶な死との格闘人間苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国情熱最大讃美を以て敬愛したいと思うのだ。 強要せられたる結果とは云え、凡人も亦かかる崇高な偉業成就しうるということは大きな希望ではないか大いなるではないか平和な時代に於いて、かかる人の子至高苦悩情熱花咲きうるという希望日本を、世界明るくする。ことさらに無益なケチをつけ、悪い方へと解釈したがることは有害だ美しいものの真実発芽必死にまもり育てねばならぬ。 私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊永遠に讃美するその人間の懊悩苦悶とかくて国のため人のために捧げられたいのちに対して青年諸君よ、この戦争馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った愛国殉国情熱」が決し間違ったものではないことに最大自信持って欲しい。要求せられた「殉国情熱」を、自発的な人間自らの生き方中に見出だすことが不可であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。

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内容・あらまし

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F104 (三島由紀夫)」の記事における「内容・あらまし」の解説

「私」三島)は、肉体の縁と精神の縁、肉体辺境精神辺境だけに、いつも興味寄せてきた人間だ。「私」には、地球取り巻く巨きなの環が見え始めた。それは、すべての対極性を、われとわが尾を嚥みつづけることによって鎮めるすべての相反性に対す嘲笑響かせている最終巨大なであった「私」深淵には興味はなかった。深淵浅薄だからだ。運動の極み静止であり、静止極み運動あるよう領域が、どこかに必ずなくてはならぬと考えた。どこかでより高い原理があり、この統括調整企ててなければならないはずだった。「私」は、その原理が死だと考えた。 しかし、「私」は、死を神秘的に考えすぎていると気付く。死の簡明な物理的側面についても考察した地球死に包まれており、他ならぬ物理的条件で、上空までは気楽に昇れず、物理的に人を死なすこと極めて稀な純粋な死がひしめいていると考えた精神知性だけが昇って行っても、死ははっきりとした顔をあらわさない肉体精神と、二人そろってなくては受け入れられないのだ。「私」は、自分がその高空へついぞ肉体伴ってきたことがなく、常に肉体地上の重い筋肉中に置き去りにしてきたことを悔いはじめるのだった「私」は、ある日気密室へ入る。15分間の脱窒素100%酸素吸入。そこで「私」不動で、椅子縛しめられ、手足も動かすことすらできずただ座っていることになる。「私」肉体向かって話しかける。「お前は今日は私と一緒に、少しも動かずに、精神のもっとも高い縁まで行くのだよ」肉体答える。「書斎あなたは一度肉体伴っていなかったから、そういうことを言うのです」4フィートで、窒素感はいよいよ高まる。41千フィート、4万2フィート、43千フィート「私」自分の口に、柔らかな温かいのような死を感じるのだ。そこからの突然のフリー・フォール。高度2万5千フィート水平飛行の間、酸素マスク外して低酸素症体験を行う。轟音とともに室内白い霧包まれる急減圧の体験「私」訓練合格した12月5日「私」はH基地F104 016に搭乗する。あの鋭角、あの神速、その一点自分存在する瞬間「私」久しく夢見ていた。 「私」は、茜色飛行服着て落下傘身に着ける「私」戦闘機後部座席乗る。2時28分、エンジン始動「私」日常的なもの、地上的なものに、この瞬間に完全に決別し旅客機出発時とは比較ならない喜び体験する「私」後ろには既知だけがあり、「私」前に未知だけがあった。ごく薄い剃刀の刃のような瞬間成就されるしことを、「私」待ち焦がれていたのだ。F104零戦15分かけて上った1万フィートの上空へたった2分で昇る。+Gが「私」肉体にかかる。 F104銀色鋭利な男根は、勃起角度大空つきやぶる。その中に一疋精虫のように「私」仕込まれていると感じる。Gは神的なもの物理的な強制力であり、陶酔正反対に位する陶酔知的極限反対側に位置する知的極限違いなかった。 午後2時43分、35千フィートで、マッハ0.9の準音速から、音速超えマッハ1.15、マッハ1.2マッハ1.3に至って45千フィートへ昇った。沈みゆく太陽は下にあった。このとき「私」は、行動果てにあるもの、運動の果てにあるものがこのような静止だとすると、まわりの大空も、はるか下方も、雲間に輝く海も、沈む太陽でさえ、「私」内的な出来事であり、内的な事物であって思議ではない。私の知的冒険肉体的冒険ここまで地球を遠ざかれば、やすやす手を握ることができるのであり、この地点こそが「私」求めてやまぬものだった感じる。 そのとき「私」見た巨大いうもおろかの姿を。 操縦士の声が聞こえた。「これから高度を下げて富士向かって富士の鉢の上旋回したのち、横転やLAZY8を多少やります。それから中禅寺湖方面回って帰還します」 すでに高度は2万8千フィート割っていた。 「太陽と鉄#エピロオグ――F104」も参照

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内容・あらまし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 21:29 UTC 版)

文化防衛論」の記事における「内容・あらまし」の解説

文化主義と逆文化主義華美な風俗」だけが氾濫する戦後の日本文化衰退形骸化を「近松西鶴芭蕉もゐない昭和元禄」と皮肉る三島由紀夫は、何故そのように「詩の深化」を忘れた文化陥ったのかを探り、その原因を、戦後占領政策から端を発した外務官僚文化官僚の手による「〈菊と刀〉の永遠連環絶つ政策にあると指摘し、それは社会主義国革新政党文化綱領とも共通する文化主義〉、つまり「文化をその血みどろ母胎生命生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義成果によつて判断しようとする一傾向」の支配にあると断じる。 その〈文化主義〉とは、「市民道徳形成有効な部分だけを活用し有害な部分抑圧すること」であり、文化を〈もの〉(博物館的な死んだ文化)として観賞する寛大な享受者」の芸術主義により、安全に管理され平和な人類共通の文化財〉であり、対外的には「日本免罪符ともなり大衆的ヒューマニズム基盤とした「見せかけの文化尊重」である。 そのような偏った文化主義〉は、一度ひっくり返れば中国共産党文化大革命のような革命精神のために「目に見える一切文化」を全て破壊せしめる〈逆の文化主義〉〈裏返し文化主義〉にも通じ非武装和・平和憲精神のためなら、日本一切無抵抗外敵皆殺しにされてもかまわないという極論直結するのである日本文化の国民的特色 生きた文化とは、単なる〈もの〉ではなく、「行動及び行動様式」をも包含した一つの形(フォルム)」であり、「国民精神透かし見られる一種透明な結晶体」である。日本文化は、「行動様式自体芸術作品化する特殊な伝統」を持ち、「動態」を無視できない三島日本文化の「フォルム」をこう説明する文化とは、能の一つの型から、月明の夜ニューギニア海上浮上した人間魚雷から日本刀ふりかざして躍り出て戦死した海軍士官行動をも包括し、又、特攻隊幾多遺書をも包含する源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺仏像から現代彫刻まで、華道茶道から、剣道柔道まで、のみならず歌舞伎からヤクザチャンバラ映画まで、禅から軍隊作法まで、すべて「菊と刀」の双方包摂する日本的なものの透かし見られるフォルムを斥す。 — 三島由紀夫文化防衛論また、日本文化は、「オリジナルとコピー弁別」を持たない伊勢神宮20年毎の式年造営のように、いわばコピーに「オリジナル生命」が託され、「コピー自体オリジナルになる」のである。これは天照大神と各代の天皇との関係と同じである。 国民文化の三特色 日本文化特質は「再帰性」「全体性」「主体性」の三つ要約される。「再帰性」とは、文化過去にのみに属する「完結したもの」ではなく現代日本人主体蘇り現在の時に連続性再帰性」が喚起されることである。「全体性」とは、文化道徳的に判断するではなく倫理を「美的」に判断し、〈菊と刀〉を「まるごと容認」することである。文化とは本来は「改良」も「進歩」も「修正」も不可能なものであり、包括的に保持するべきものである。「主体性」とは、文化創造主体者たる個人における「形(フォルム)」の継承である。人間が「主体なき客観性」に依拠し単なるカメラ機能であってならない何に対して文化を守るのか このような日本文化の「全体性連続性全的容認」が大事であり、現代日本では「刀」(尚武要素)が絶たれ結果、「際限のないエモーショナルだらしなさ」が氾濫し、かたや戦時中『源氏物語』などが発禁言論統制されて「菊」文雅要素)が絶たれ結果、逆方向偏ったのである。よって圧制者の「ヒステリカル偽善」から、文化まるごと容認包括性を守らなければならない三島防衛についてこう説明する。 ものとしての文化保持は、中共文化大革命のやうな極端な例除いては、いかなる政体文化主義委ねておいても大して心配はない。文化主義あらゆる偽善をゆるし、岩波文庫は「葉隠」を復刻するからである。しかし、創造的主体の自由と、その生命連続性を守るには政体を選ばなければならない。ここに何を守るのか、いかに守るのか、といふ行動問題がはじまるのである。守るとは何か? 文化文化を守ることはできず、言論言論守らうといふ企図は必ず失敗するか、単に目こぼしをしてもらふかにすぎない。「守る」とはつねに剣の原理である。 — 三島由紀夫文化防衛論」 そして、もしも「守るべき対象」が、「生命発展可能性主体」のない「受動的」なだけの存在で、守る側と守られる側との間に「同一化機縁」がなければ単なる博物館宝石護衛のような脆弱な関係性しか生じず最終的には、敵との極限状態においてパリ開城のような敗北主義」あるいは、「守られるべきものの破壊」に終わる可能性秘めている。よって、「〈文化を守る〉といふ行為」にも、「文化自体再帰性全体性主体性への、守る側の内部創造的主体の自由の同一化」が予定されていなければならず、文化防衛する行為自体一つ文化的行為になり、そこに「文化本質的な性格」が現われるのである創造することと守ることの一致 われわれが守る対象は、思想でも政治形態でもなく、「日本文化」であるが、その〈守る行為〉はおのずから生命連続性を守るための自己放棄」の性質をも帯びる。このような献身的契機」のない文化の「不毛の自己完結性」が〈近代性〉と呼称され、「自我分析自我への埋没といふ孤立」により文化不毛に陥る。「文武両道」とは、「主体と客体合一」が目睹され、「創造することが守ること」となり、「守ること自体革新することであり、同時に〈生み〉〈成る〉こと」である。 戦後民族主義の四段階菊と刀〉をまるごと包括する文化連続させうる「共同体原理」は戦後解体されてしまったものの、「情動要素」を含む「民族主義」は、戦後あらゆる局面現われた。第一には、占領下一時的な革命空想や、吉田内閣における平和憲法逆手にとった政策成功にも民族主義潜在し第二には、東京オリンピックにおける民族主義的ピーク第三には、エンタープライズ事件契機に、支柱なくした国民自主防衛意識」が、反政府反米ベトナム戦争反対結びつき共産主義利用された。よって共産主義(左)にもファシズム(右)にも利用されやすい「民族主義のみ」を「国家」代るものとする危険性は、これから内包されている。 米国のような多民族国家とは違い、すでに文化伝統言語統一なされている日本での文化連続性は、「民族と国との非分離にかかつてゐる」のであり、「民族主義に対して国家が「受身」になるという状況はありえず、日本には真の意味での「異民族問題」はない。従って、あえて「在日朝鮮人問題」を〈抑圧され激発する異民族〉という米国黒人問題イメージ重ねて内部問題化させる左翼意図は、「分離状況強調」であり、最終的に「国を否定して民族肯定しようとする戦術的政治手段である。このような第四の、日本を「非分離」に導こうとする〈手段としての民族主義〉に騙されてはならない三島次にやって来る時代の、その変容する政治的イメージをこう説明する金嬉老事件は、ジョンソン声明先立つて、或る時代予言するやうなすこぶる寓意的な起り方をした。それは三つ主題を持つてゐる。すなはち、「人質にされた日本人」といふ主題と、「抑圧され激発する異民族」といふ主題と「日本人平和的にしか救出しえない国家権力」といふ主題と、この三つである。第一の問題は、沖縄新島島民を、第二の問題朝鮮人問題そのものを、第三問題は、現下国家権力平和憲法世論による足カセカセを、露骨に表象していた。そしてここでは、正に政治的イデオロギーの望むがままに変容させられる日本民族相反する二つイメージ――外国武力によつて人質にされ抑圧され平和的な日本民族といふイメージと、異民族圧迫歴史罪障感によつて権力行使制約される日本民族といふイメージ――が二つながら典型的に表現されのである。 — 三島由紀夫文化防衛論文化の全体性と全体主義 日本民族の「合意」とは、「日本その本来の姿に目ざめ民族目的国家目的文化概念包まれ一致すること」にあり、その「鍵」は「文化にだけある」のである。〈菊と刀〉をまるごと容認する政体実現性は、「エロティシズム全体的に容認する政体」は可能であるかという問題に近い。左右の「全体主義」は、文化の「全体性」(文雅尚武包括)を敵視するものである。 「言論の自由」はときには文化腐敗を招く欠点はあるものの、相対的にはこれを保障する政体実務的なものとして最善である。しかし自由そのもの内部から蝕まれる危惧があるため、唯一イデオロギー対抗しうる「文化共同体理念確立」が必要となり、「文化無差別包括性」を保持するために、「文化概念としての天皇」の登場要請されるのである文化概念としての天皇 文化概念としての天皇は、〈菊と刀〉を包括した日本文化全体の「時間的連続性空間的連続性座標軸」(中心)であり、「国と民族非分離の象徴」である。〈みやび〉の文化は、危機非常時には「テロリズム形態」さえ取る。孝明天皇大御心応えて起った桜田門外の変義士はその例であり、天皇のための蹶起は、文化様式背反せぬ限り容認されるべきであったが、西洋的立憲君主政体に固着した昭和天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪っていた。よって文化概念としての天皇は、国家権力の側だけではなく、「無秩序」の側に立つこともある。もしも権力の側が「国と民族分離せしめようとするならば、それを回復するための「変革原理」ともなるのである日本の文化防衛する行為自体文化的行為であり、その「再帰性」「全体性」「主体性」により、守る行為自体守られるべき対象であるという論理円環中心には、日本文化の「窮極価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)」である「文化概念としての天皇」が存立し、「〈菊と刀〉の栄誉最終的に帰一する根源」が天皇のである。よって軍事上の栄誉も、文化勲章同様に文化概念としての天皇から付与されなければならない。それは、政治概念によって天皇利用されることを未然に防ぐことでもあり、「天皇軍隊栄誉の絆でつないでおくこと」こそ、日本および日本文化危機を救う防止策となるのだと三島提起する

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内容・あらまし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:30 UTC 版)

美しい日本の私―その序説」の記事における「内容・あらまし」の解説

川端康成はまず、道元明恵古歌に心を惹かれることを、それぞれの詩句挙げて説明し、そこに感じ自然と融合した日本人の心を説明している。月を見て月に話しかける自然と合一」している心情四季折々の〈雪月花〉の美に触れ感動にめぐり合った時、共に見たいと思う友(広く人間)を思う心など、自然を愛し見つめ、それを友とした古の日本人の心や宗教観を語っている。そして、良寛辞世の歌や、35歳自殺した芥川龍之介遺書の中で書いた、〈末期の眼〉という言葉惹かれたことを関連させながら、人の末期の眼には自然はいっそう美しく映じるものだということ、「自分死後も自然はなほ美しい」という感覚の世界説明し日本人にとっては生の場合同様に死も、自然と合一、自然への回帰であるというような豊饒自在な世界説明し西洋人の死の見方との違い語っている。 また、童話などで柔和な和尚として親しまれている一休禅師が、実は「峻厳深念」の禅僧二度自殺企てたことと、宗教形骸反逆し、「人間実存生命本然復活確立」を目ざしたことなどを説明し一休唱えた、〈仏界入り易く魔界入り難し〉という言葉惹かれたことを語り、〈魔界なくして仏界〉はないと述べている。そして、親鸞にも垣間見られた孤独において道を拓く仏徒運命は、芸術家運命でもあることを語り禅宗に「偶像崇拝」はなく、日本人の〈無〉は、西欧風の虚無ではなく、むしろその逆であるとし、「万有自在に通ふ空、無涯無辺無尽蔵の心の宇宙」について触れている。 そして、そこから生まれてくる東洋画精神生け花などの美意識日本庭園西洋庭園違いを〈枯山水〉などを例に説明しつつ、露をふくませ一輪の白いつぼみの椿牡丹に「花やかさ」を見る日本人感覚生け花焼き物表れている芸道「白」に最も多くの色を見、〈無〉にすべてを蔵する美意識、心の豊かさを内に包んで簡素閑寂愛する心を語っている。また、藤の花女性的優雅見た伊勢物語』の一節を引きながら、『古今集』、『新古今集』、『源氏物語』、『枕草子』など日本の美伝統を形づくっていった文学作品触れ、特に『源氏物語』日本の最高の長編小説であり、この名作への憧れから「真似作り変へ」が幾百年続き、これに及ぶ小説日本にないこと、川端自身『源氏物語』少年時代から親しみ、その心がしみこんでいることを語り、これらすべての古典文学や歌に流れている東洋的虚空であるところの〈無〉、自然意識永福門院歌など引いて説明している。 そして最後に川端自身の作品が「虚無」と評されることに対し、それは「西洋流のニヒリズム」という言葉当てはまらず、「心の根本」が違うことを述べ道元四季の美の歌も実は強く「〈禅〉に通じたもの」だとしている。

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内容・あらまし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:19 UTC 版)

十六歳の日記」の記事における「内容・あらまし」の解説

5月4日5月16日 夕方中学校から帰宅し「ただいま」と言っても誰の返事もない淋しさ悲しさ感じ「私」は、寝たきり祖父2人暮らしである。白内障盲目祖父は、耳も遠く寝返り自分自身ではままならない「私」枕元近づき帰宅知らせると、祖父はさっそく、「ししやってんか。ええ」と唸る。 用足し一人ではできない祖父のため、「私」いやいやながら尿瓶あてがう排尿時に痛み訴え祖父苦しそうな声を聞きながら「私」涙ぐむ尿瓶の底に谷川清水の音がする。今朝祖父自分の妹宛てに「一度来てくれ」と記した葉書を私に出させた。祖父自分の死を自覚しているのではないか「私」考え祖父蒼白い顔を、眼がぼうっとかすむまで見つめた。 「私」の家には、おみよという近所百姓女が朝晩やって来て家事祖父介護手伝ってくれていた。おみよは、祖父がもう30日便秘をしていることをお稲荷さん占ってもらい、祖父腹の中に「毛物()」が憑いていると言われたことを「私」に話す。 半信半疑ながらも、「私」は倉から一剣取り出し祖父寝床の上空気打ち振り、おみよも真面目に加勢する中学3年にもなって、「迷信」を信じるなど阿呆しかったが、その後お稲荷さん病人様子言い当てたことが「私」には不思議でもあった。 だんだん祖父は、食事済ませたことも忘れて「腹空いたと言ったり、夕方なのに、「ぼん、もう学校行きましたか」とおみよに聞いたりとボケてきた。真夜中に「ううん、ああ、しんど」と苦しげな声がすると、「おいおい体が弱って行きますやろ」というお稲荷さん言葉「私」胸の中何度も繰り返される。 この100枚原稿日記)を書き終わるまで、不幸な祖父の身はどうなっているのだろうか考え「私」は、「日記100枚になれば祖父は助かる」という気持ち原稿用紙100枚用意し、せめて祖父面影写しておこうと日記をつけていた。 祖父小水世話をするのは、「私」にはとても嫌なことで苦痛である。夜中何度も起こされお茶寝返り催促されて、つい腹を立ててしまうこともあった。朝、おみよにそのこと訴えると、祖父昼間、おみやがなかなか来ないと、「泣いて暮らしてました」と口癖のように言うらしかった何人もの子や孫に先立たれ、今では盲目で耳も遠い祖父にとり、その言葉真情なのだと「私」考える。祖父介護をしている時、「私」自然に不満や厭味言ってしまう。祖父平謝り詫びられ、その青白いやつれた顔を見ると、「私」自分恥じて自己嫌悪陥る。それでも、おみよがもう一度夜に見に来ると祖父に言うのを聞いた時、「わしがいるから来いでもええ」ときっぱりと言えない「私」であった。 ある夜、引き出し探っていると、祖父弟子口述させた草稿「講宅安危論」を「私」見つけた祖父八卦家相学はよく当たるという評判であったが、自分の本を出版することは叶わなかったのである自分一生の間に何一つ志を遂げられなかった祖父逆境「私」は想った。 祖父漢方薬心得もあり、病院で治らなかった村人赤痢祖父調合した治るという不思議なこともあったが、その世に広めたいという願い途中で立ち消えになった。いまだ祖父そのこと心残りで、東京大隈重信頼めば何とかなる確信し思うようならない病身嘆いた。そして、自分死後一人残される「私」行く末案じ、手離してしまった田んぼや山を買い戻したい祖父考え焦燥している。 食事をしたことを忘れ祖父ボケ症状は相変わらず続き「私」呆れてしまう。皺だらけの祖父皮膚摘み上げると、そのまま元へ戻らない。「ううん、ううん」という苦しげ呻き声断続は、「私」の頭の底まで響き聞いているのも辛い。 その後日の断片 立派な医者を呼ぶ金もない上、西洋医学不信感持っていた祖父であったため、それまで医者を呼ばなかったが、やはり診てもらおうということになり、いよいよお常婆さん頼んで宿川原医者走ってもらう。 もう祖父の命は、この原稿が終わるまで続かないだろうと呆然とする「私」は、祖父死後にたった一人になるわが身の不幸を考える。お常婆さん戻り医者留守だったことを告げた2人の女と「私」途方に暮れる。「どうしたらええやろ」。「私」泣き出すように言う。 あとがき 初め医者が来たのは、祖父臨終の日だった。医者あれほど軽蔑していた祖父だったが、医者迎えると涙を流して感謝した祖父死んだのは、昭憲皇太后のご大葬の夜であったその日の朝、「私」学校出席するのを迷ったが、どうしても遥拝式に参列したかった。 祖父も、「日本国民務めやさかい」とおみよを介して「私」送った。道を急ぐ「私」下駄鼻緒が切れ、いやな予感で家に引き返すが、おみよは「迷信」だと、下駄替えさせて「私」励ました学校での遥拝式が終わると「私」一里半の闇夜の道を跣足走り戻ったその夜12過ぎまで祖父生きていた。 祖父死後の8月「私」伯父の家に引き取られた。家屋を売る時は辛かったが、その後学寮下宿生活などをするようになって家庭や家への思い薄れていき、「私」の家の家系図も、おみよの家の仏壇預けたまである。しかし「私」祖父に対して悪いという思いはない。おぼろげながらも「死者叡智慈愛」とを信じていたから。

※この「内容・あらまし」の解説は、「十六歳の日記」の解説の一部です。
「内容・あらまし」を含む「十六歳の日記」の記事については、「十六歳の日記」の概要を参照ください。

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