内容が確認できる作品
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「釜戸」 - 1888年(明治21年)作。個人蔵。 「神田明神」 - 1889年(明治22年)明治美術会第1回展出品。『東京日日新聞』に提灯について酷評されている。図版のみ現存。 「遠村鶏鳴」 - 1890年(明治23年)第3回内国勧業博覧会出品。農商務大臣に買い上げられた。『送別図』第3幅図中に描かれる。森鴎外に「鶏鳴」(明け方)にしては明るすぎると論評されている。 小山正太郎筆「仙台の桜」模写 - 1894年(明治27年)1月作。個人蔵。 「涛声」 - 1895年(明治28年)明治美術会秋季展覧会第7回展出品。図版のみ現存。 「農家ノ夜業」- 1897年(明治30年)明治美術会春季展覧会第8回展出品。長岡市立山谷沢小学校所蔵。 「木曽乃山路の図」 - 個人蔵。 「農夫」 - 1893年(明治26年)以降作。山谷沢小学校校長室所蔵。 「静物」 - 1905年(明治38年)第4回太平洋画会展出品。図版のみ現存。 「風景」 - 1906年(明治39年)作。長岡市立中央図書館所蔵。 『画帳』 - 個人蔵。「汽車中人ノ様」 - 1919年(大正8年)作。木曽行の車内の様子。 「木曽山中鞍馬橋附近雨中之光景」 - 1919年(大正8年)秋作。 「妙義山ノ秋」 - 1919年(大正8年)作。 「妙義山の秋色」 - 1919年(大正8年)作。 「鯨波之夕陽」 - 1920年(大正9年)6月作。 「飛騨ノ中山七里」 - 1921年(大正10年)10月作。 「志笏湖」 - 1924年(大正13年)9月作。 「駒ヶ岳」 - 1924年(大正13年)9月作。噴煙を上げている。 「佐渡外海府笹子の堅岩」 - 1925年(大正14年)8月作。 「月ヶ瀬梅の明」 - 1926年(大正15年)4月作。 「芳野山中千本之一部」 - 1926年(大正15年)4月作。 「備前国岡山市外三蟠港観望」 - 1926年(大正15年)4月作。 「犬走河原」 - 1926年(大正15年)4月作。 「旧羅漢」 - 1926年(大正15年)4月作。 「日光杉并木今市町木ノ根坂」 - 1933年(昭和8年)10月作。 「飛騨国中山七里ノ中」 - 1921年(大正10年)作。個人蔵。 「伊豆修善寺」 - 個人蔵。 「妙義山」 - 第一石門を描く。個人蔵。 「風景」 - 1932年(昭和7年)作。長岡市立中央図書館所蔵。 「風景(七ツ釜)」 - 1932年(昭和7年)作。十日町市田代の七ツ釜を描く。2014年(平成26年)度新潟県立近代美術館収蔵。 「風景」 - 1932年(昭和7年)頃作。田代の七ツ釜を描く。親族により専福寺本堂に寄進された。 「風景」 - 2014年(平成26年)度新潟県立近代美術館収蔵。 諏訪神社天井画 – 1898年(明治31年)初春作。長岡市中沢諏訪神社所蔵。 専福寺欄間 – 1907年(明治40年)春作。中沢中村家のものだったが、新潟県中越地震で被災し、専福寺に寄附された。 専福寺天井画198点 - 1917年(大正6年)4–5月作。 衝立 – 1932年(昭和7年)作。富士山の前に菊を配する。脇屋本家の求めによる。 長岡市立互尊文庫、平潟神社や個人が所蔵していた作品は、1945年(昭和20年)長岡空襲で多くが焼失した。
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